万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

川崎市ヘイトスピーチ条例に潜むもう一つのリスク

2020年01月20日 15時11分50秒 | 日本政治

 昨年の12月12日、川崎市では、罰金最高50万円を科すヘイトスピーチ禁止条例が可決されました。同条例は、ヘイトスピーチに対して刑事罰を定めた最初の事例ともなったため、全国的な関心を集めることとなったのです。国レベルであれ、自治体レベルであれ、ヘイトスピーチに関する法律や条例の制定に際しては、常々、言論の自由を損ねるリスクや外国人に対するヘイトスピーチのみが取り締まりの対象となる逆差別の問題が指摘されてきました。論点は多岐に及ぶのですが、ここでは、川崎市のヘイトスピーチ条例に潜むもう一つのリスクについて述べてみたいと思います。

 

 もう一つのリスクは、川崎市の条例には、地方自治体が制定する条例でありながら、国レベルの法律には存在しない刑事罰が設けられているところに潜んでいます。何故、地方自治体が刑事罰を設けることが問題となるのかと申しますと、国家を枠組みとした刑法の一元性が損なわれてしまうからです。日本国は、アメリカ合衆国のような連邦制の国家ではありませんので、刑法の制定や改正等に関する権限は地方自治体ではなく国家にあります。これまで、一般的には国家の排他的な権限として見なされてきたのですが、今般制定された川崎市の条例は、国家レベルの法律、並びに、刑法の枠を超えています。2016年に成立したヘイトスピーチ規制法には刑事罰の規定は設けられていませんので、いわば、地方自治体が、条例によって新たな刑事罰を創設したに等しいのです。この点に注目しますと、幾つかの論点が提起されます。

 

最も基本的な論点は、刑法、あるいは、刑事罰に関する地方自治体の権限の有無です。この問題は、今般の条例制定に際して全く論じられていないのですが、地方自治体が国家レベルの法律には規定のない刑事罰を創設することができるとすれば、ヘイトスピーチ以外の分野にあっても新たな刑事罰を設けることができることになります。例えば、アメリカでは州によっては麻薬が解禁されていますが、地方自治体が条例によって刑法に反する行為を合法化することはできるのか、という問題が提起され得るのです。

 

第二の論点は、仮に地方自治体にも刑罰を創設する権限があるとすれば、その限界です。連邦制では、連邦レベルにおいてすべての州が守るべき最低限度を定め、それ以上については州の裁量に任せるといった方法が採られる場合があります。日本国では、地方自治体の条例の内容は法律や憲法との間に整合性を保つ必要性があるものの、今般のケースのように地方自治体が新たに刑罰を設ける、あるいは、より厳格な規定を設ける場合についての議論は等閑にされています。このため、仮に、地方自治体が憲法や法律に反する条例を定めた場合には、事後的には、憲法訴訟や行政訴訟が起こされる可能性もないわけではありません。

 

第三の論点として指摘できるのは、地方自治体には、国家のレベルを下回る刑罰を設けることができるのか、という点です。川崎市のケースでは、刑事罰というより重いペナルティが科されたのですが、地方自治体に刑事罰に関する権限があるとすれば、逆に刑法等の法律で定めた刑罰をより軽くすることもできるということになりましょう。

 

さらに第四の論点を挙げるとすれば、地方自治体のどのレベルにおいてこうした権限が認められるのか、という問題です。今般のケースでは、川崎市、すなわち、市のレベルにおいて条例が制定されましたが、市のレベルで認められるならば当然に都道府県レベルでも可能となりますし、区や村町といったよりも小さな自治体レベルにおいても刑罰条項を有する条例の制定が試みられるかもしれません。

 

川崎市が制定した条例の罰則規定は、刑事罰ではなく行政罰であるのかもしれませんが(マスメディアでは刑事罰と説明している…)、日本国の法秩序への影響について何らの議論もなく、地方自治体レベルで刑事罰を含む条例が制定される現状は憂うるべきかもしれません。川崎市の一例が、日本国の法秩序を壊しかねないのですから。このように考えますと、様々な問題を積み残した川崎市によるヘイトスピーチ条例の制定は、やはり拙速であったように思うのです。


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