万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ゴーン事件が示すグローバリズムの光と影

2020年01月04日 13時54分48秒 | 国際政治

 新年早々、メディア等はカルロス・ゴーン被告の国外逃亡事件で持ち切りのようです。年の初めはおめでたきものとされ、禍々しき話題は避けたいところなのですが、本ブログでも、まずは同問題を、今後ともそのコントラストを際立たせると予測されるグローバリズムの光と影として扱いたいと思います。

 

保釈に際して留置所から変装した姿でゴーン被告が現れた時点で、同氏、あるいは、その属する一派の詐欺師的な傾向に気が付いた人も少なくなかったはずです。事実は小説よりも奇なりとも申しますが、今般の逃亡劇でも、プライベート機に楽器の箱に隠れて乗り込んだそうですので、まるでサスペンス映画のワンシーンのような筋書きです。かくして、カリスマ経営者として颯爽と日本国に乗り込んできたゴーン氏は、特別背任罪を問われた被告人の身でありながら国外へとそそくさと逃げ去っていったのです。

 

この展開は、まさしくグローバリズムの光と影を自らの身で体現しているかのようです。ゴーン被告は、両親の出身国であるレバノン、育った地であるブラジル、そして、教育を受けたフランスの三つの国籍を有する多国籍人であり、かつ、その経歴の大半を仏ルノーの重役、並びに、日本企業である日産のトップとして君臨してきた押しも押されぬグローバリストです。ゴーン被告の登場は、それが仏ルノーと日産とのアライアンスの形成を機にしていただけに(仏ルノー優位の出資関係…)、日本経済のグローバル化を象徴する出来事でもありました。グローバリズムに対して今一つ実感が湧いていなかった日本国民も、国境を越えた企業間の結合、経営陣の多国籍化、利益重視のリストラの徹底、国益とは無縁の経営のグローバル展開…を伴うグローバリズムの実例を目の当たりにしたのです。

 

当初は懐疑論もあったものの、大胆な経営改革により日産の業績が大幅に改善されたことで同被告の個人的な経営手腕が高く評価されるとともに、日本国内にはグローバリズム歓迎の風潮も強まることとなりました。失われた20年とも評される日本経済の長期低迷の原因は、グローバリズムへの乗り遅れにあるとの指摘も説得力を有するに至り、ゴーン改革により復活した日産は、日本企業のグローバル化モデルの一つともされたのです。この時期は、グローバル時代の寵児とされたゴーン容疑者の絶頂期であったのかもしれません。

 

しかしながら、ゴーン容疑者のグローバリストとしての存在が強烈な異彩を放っていた故に、その凋落がグローバリズムに与えたダメージは決して小さくはありません。同事件をきっかけとして、表面化した仏ルノーと日産との関係は、グローバリズムの負の側面をも浮き上がらせています。つまり、グローバリズムのプラス面は、そのままマイナス面に反転しかねないのです。

 

国境を越えた企業間結合は、企業の独立性の喪失を意味し(三社連合の統合完全問題をめぐるごたごたがこの問題の深刻さを示す…)、経営陣の多国籍化は、悪しき海外の慣習の流入を意味し(経営陣の高額報酬やトップダウン型の組織形態への移行…)、リストラの徹底は、就業形態の不安定化を意味し(人員削減と労働形態の非正規化…)、そして、経営のグローバル展開は、先端技術や製造拠点の海外移転による先進国の産業の空洞化と中国の覇権主義の助長をも意味していたのです。さらにゴーン被告の場合、同被告が多重国籍であったがために海外に逃亡先が準備されることとなりましたし、この逃亡作戦が成功した背景には、違法行為に協力する大掛かりな国際組織、あるいは、国際ネットワークの存在も垣間見えるのです(何故か仏旅券を二つ所有…)。

 

ゴーン容疑者は、海外逃亡の言い訳として、日本国の司法制度の劣悪さを強調しています。ゴーン容疑者は昨年12月に日本国の司法制度を‘悪役’とする筋書きの映画撮影について、ハリウッドの映画プロデューサーと話し合っており、もしかしますと同逃亡劇が芝居がかっていたのも同プロデューサーが影のシナリオライターであり、ドキュメンタリータッチの映画に劇的シーンを挿入したかったからなのかもしれません(後に否定されたものの、ネットフィリックスとの独占契約説もあった)。ここでもゴーン容疑者のグローバリストぶりが発揮されるのですが、同容疑者は、ICPOにおいて既に国際手配の対象となっており、いわば国際社会の‘お尋ね者’です。もっとも、逃亡先のレバノンは、日本国政府の引き渡し要求に応じるつもりはなく、代理処罰の対象となる可能性も低いとされ、同容疑者に対する刑事責任の追及は行き詰ってしまうかもしれません。

 

このままでは、同被告は、日産やルノーを利用して私腹を肥やしておきながらレバノンでのうのうとリッチな余生を過ごすことができるのですが、果たして、メディアやハリウッドが誘導する方向に乗せられて国際世論はゴーン容疑者を‘悲劇のヒーロー’とみなすのでしょうか。悪者を被害者に仕立てる手法が悪の側の常套手段として既に認識されている今日、この手法が、仕掛ける側の思惑どおりに通用するとも思えません。利己的で狡猾、かつ、姑息なゴーン容疑者とその仲間たちの姿は、グローバリスト、並びに、グローバリズムの‘影’の部分に、暗い闇を暴くスポットライトとしての‘光’を図らずも当ててしまったのではないでしょうか。

 


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