駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『カラカラ天気と五人の紳士』

2024年04月11日 | 観劇記/タイトルか行
 シアタートラム、2024年4月9日18時。

 ある日あるところに、棺桶を担いで五人の紳士たちがやってきた。どうやらこの棺桶は、彼らのうちのひとりが懸賞のハズレクジでもらった景品らしい。せっかくのもらいものを役立てるためには、誰かが死んでこの中に入らなければ、と五人の議論が始まって…
 作/別役実、演出/加藤拓也。1995年初演、全1幕。

 このブログを検索しても出てこなかったので、私、初・別役実だったようです。名前は知っていたし、何か観たことある気でいたのにな…1960年代から活躍した劇作家で、日本の不条理劇の第一人者、2020年3月逝去とのこと。「五人の紳士もの」と呼ばれるシリーズを手がけていて、「五人の紳士がどこからともなく現れてとりとめのない会話を始め、どんどん会話がズレていくうち、気がつけば遙か予想もつかない展開に」なる、ということだけが共通しているシリーズだそうです。作品の多くが「電信柱がある宇宙」を舞台としているそうで、ト書きの「電信柱が一本」というのは別役作品の代名詞だそうな。ただし今回は舞台美術が具象的で(美術/松井るみ)、現代のどこかの地下鉄のホーム、という感じでした。電信柱ではなく、駅のホームに梯子がつけられた太い柱がある、という感じ。
「五人の中では年長ポジションらしいが考え方はごく小市民的な紳士5」は堤真一、「一見常識人ぽいけれどたまに覗くエキセントリックさが底知れない紳士1」は藤井隆、「一番年若いが特に控えめというわけでもない紳士2」が溝端淳平、「なぜか理不尽な事態に見舞われる紳士4」が野間口徹、「若干仕切りたがりの紳士3」が小手伸也という布陣。女1、2は高田聖子と中谷さとみ。いずれ劣らぬ芸達者を、何故か最前列どセンターで拝んでしまいました。みんなテレビでも見る役者さんだし、「わー、そこにいる…!」とシロートみたいな感想を抱いてしまいましたよ…だってラインナップのとき、席から手を伸ばしただけで堤真一と握手できそうな距離だったもん(笑)。今『VRおじさんの初恋』を楽しく見ているので、野間口徹にもワクテカでした。テレビの印象と違う…みたいに思う人はあまりいなかったかな。溝端くんのお尻を眺められるターンがあったのには、なんのサービスタイムかと思いました(いや確か全員交互にお尻を見せていた気がしたけど、彼と藤井隆だけシャツイチだったので)。
 さて、しかし…ハナからやたらゲラゲラ笑っていた観客もいましたが、私もつい吹いちゃうところとかはありましたが、しかしおもしろかったかと言われると、「はて」(by『虎に翼』)みたいな。私は上手く笑えなかった気がします。話がどんどんズレていくのでおかしいんだけど、彼らはそれをズレていると感じていないわけで、これはそういう世界なわけで、ならそのズレをおかしく感じて笑うって変なことなのでは…?とか思うと、なんか居心地悪くなるのです、私は。そういう状態含めて不条理、不条理劇なのかもしれませんが…もしかして理屈っぽい私には向かないジャンルなのでは。それともたまには揺さぶられてみるべきだから、今後もメンツが良かったり興味が持てれば観た方がいいのか…など、考えてしまいました。
 いや、わかるんですよ、つまりは生と死のことを語っている、とかはね。細かいメタファーはすべてわかる必要がないんだろうから、それはいいとしても、テーマとしては作家の死生観みたいなものが表れているのだ、というのはわかります。死を待つことが生である、みたいな話もよくあるしね。で、うだうだ議論だけして何も決めない男たちと、風どころか嵐のように現れては、待たずに去っていく女たち、という対比もわかります。
 でもたとえば、女が結婚したがることってこういう世界でも嗤うこととされているんだなー、みたいなことに引っかかってしまう私は、やはり上手く笑ったり感動したりはできなかったのでした。終わり方など、なんとも言えない余韻があっていいな、とは思いましたが…うぅーむ。
 プログラムはコンパクトながらとても読みでがあり、終演後にじっくり読むと作品理解が深まった気はしました。ホームレス?に扮して舞台上で演奏するヴィオラの徳高真奈美も、なかなか不穏でよかったです。









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『エタボグラタカ110!』マイ初日雑感

2024年04月08日 | 日記
 宝塚歌劇月組大劇場公演『Eternal Voice/Grande TAKARAZUAKA110!』4月5日13時を日帰りで観てきました。定期購読している「歌劇」が数日前に届いていたので、座談会は読みました。タカラヅカニュースでは稽古場映像が流れなかったようでしたが…なんででしょうね?
 いかにもハリーらしいハリー作品…みたいな評判は聞いていたのですが、それは安心材料でも心配の種でもあるような気がしました。ハリー作品はこのところ別箱作品の再演が続き(『BLUFF』、めっちゃ楽しみにしています! 生に間に合っていないので! 伝説のノンちゃんヨシコ作品だと思っているので! おださん絶対似合うし上手いと思う、ますますいぶし銀の地味さになっていきそうだけど…ヒロインはまのんたんでオナシャス!!)、再評価されている気がしますが、大劇場の新作っていつぶりよ…?なので。ただ私は、何度でも言いますが初演『メランコリック・ジゴロ』がスタートだった人なので(これはハリー作品としては異色なのでしょうが)、ハリーが嫌いじゃない方です。でも全幅の信頼はおけない…という小うるさい状態で席につきました。
 で…すみません、私は全然ダメでした。何がおもしろいのかさっぱりわかりませんでした…二回目からおもしろく思えてくる、みたいに言うツイートも見ましたが…もう遠征予定がなく、東京も最低限の回数でいいかな、と思ってしまいました。ホントすみません…
 私が理系脳で理屈っぽい人間で、オカルトだのスピリチュアルだのがまるでダメ、というのもあるのかもしれませんが(ちなつヴィクターに怒鳴られそうな発言)…18世紀なかばから19世紀のイギリスではそうしたものに対する捉え方、信じ方が現代とはまったく違っていたというなら、作品でその前提をもっときちんと表現してくれないと私は読み取れませんでしたし、そんな中でトップコンビは特殊能力を持っている人間で、一方はそれを受け入れて生きてきてもう一方は恐れている、なんて全然わかりませんでした。れいこちゃんユリウスに関して、そんな描写、ありました? くらげちゃんアデーレも、そもそも登場場面ではなんの被験者なの? なんの能力をどう計測されているの? 全然わかりませんでした。終盤、拉致監禁されたあましエイデンに対して、失せ物探しみたいなことをするくだりには、正直笑っちゃいました。個人の持ち物に触ればよりくわしく視えるようになる…とかでさらに言い足すことが、隠し場所として別に誰でも思いつきで言えそうなことじゃん、って感じがしちゃって。そりゃ傍からは単なるヒステリー患者みたいに言われるだろうね、と思ってしまったのです…
 魔法とか超能力とかは、ちゃんと制限とか発動の条件とかを設定しないとなんでもありになってしまっておもしろくない、というのは創作の鉄則のひとつなんですけれど、これはそういう問題ではなく、なんかそうした設定が説明不足でご都合主義でなんか適当に扱われていて、でも事件は解決して叙勲されて、ふたりはくっついてよかったね、と言われても、「はて…」(by『虎に翼』)と私はなるのでした。
マジ鬱』に似ている、という意見も見ましたが、ならその再演でよかったのでは…「好きですよ、あなた」「……私ですか!?」、似合いそうだったけどなあ。
 すみません、なんかもっとちゃんと感動すべきだったんならすみません…
 くらげちゃんのお衣装はどれも素敵。初めて取り入れたという映像は、まあ邪魔はしていないので可もなく不可もない感じ? あれは何号ゼリなんでしたっけ、細長い八畳間みたいな柱が四本ある別空間の室内みたいなのを現すセットがセリ上がって出てくると、ああハリーだな…と感じる、などはしました。
 あとは…でもこれちなつファンもおださんファンもぱるファンも別に楽しくなくない? どこが見どころなの? あましとまのんは働く女性の走りみたいなキャラでちょっとよかったけど…あとさおたさんとかホントいいアクセントになってるなと思ったけど…などなど、気になりました。あ、りんきらは残念ながら休演で玉突き代役が起きていて、でもジェームズはりんきらのために書かれた役だよねわかる、見えるよ…と思いながら観ました。みちる、おはね、りり、みかこ…うぅーん。あみちゃんの「姉さん!」みたいなのには萌えました。義理の姉弟設定だそうですが…(しかしそれはなんの意味が…?)
 これでご卒業の麗泉里ちゃんが美声を聴かせてくれたのは良き、でした。

 レビュー・アニバーサリーは安定のBショーでした。月組は久々だそうですね、ホント組のバランスというものを考えてほしいです…
 まのんチェックに忙しくて全体がよく観えていないかもしれません(前半は上手、後半は下手にいることが多かったです)が、アヴァンギャルド!場面の娘役の髪型は弾けていて全員優勝! と思いました。初舞台生のロケットはお衣装も可愛くて素敵でした。しかし曲が『華日々』で差し替えの憂き目にあったものですが…大丈夫?
 黒燕尾もアイスブルーのお衣装のデュエダンも、オーソドックスでとても素敵。目新しさはまったくないけれど、安心安定の出来で、退団者ピックアップもあって、これは普通に楽しめるかな、と思いました。ただ、ちなつセンター場面であましが相手役だった以外はみちるあましはほぼシンメ扱いだったと思いますが、もうきちんと差をつけた方がお互いのためなのでは…と思いました。持ち味が違うからちょうどいいでしょ、という扱いは、もう違うのではなかろうか…ま、外野が言うことですが。
 エトワールはのりんちゃん。これも素晴らしかったです。

 プログラムのメモリアルポートみたいなページも素敵でした。東京公演の千秋楽まで、どうぞ盛り上がっていきますように。
 …ただ個人的には、れいまどもれこうみも順に卒業するわけですが、ショーがなくても『アルカンシェル』の方が出来が良くてよかったかな、と思ってしまいました。あくまで個人の好み、感想です。…頼むよ、ハリー…!





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鶴谷香央理『メタモルフォーゼの縁側』(KADOKAWA 映画記念BOXセット全5巻)

2024年04月07日 | 乱読記/書名ま行
 亡き夫と通った思い出の喫茶店が閉店し、立ち寄った書店では料理本がいつもと違うコーナーに。時が過ぎ去る寂しさのなか、彼女の目に止まったのは一冊のBLコミックス。75歳の老婦人と書店員の女子高生が織りなすのは、誰もまだ見たことがない日々でした…

 確か連載が始まってすぐくらいに、「これはいい!」と話題になっていて、電子で試し読みをちょいと読んだ記憶があります。でもそのときは、老婦人と女子高生がBLという共通の趣味を解して友人になる話なのねー、くらいの受け取り方しかしなかったように思います。その後、映画化もされて再度話題になっていた気もしますが、やはりスルーしていました。
 が、そのとき発売されたボックスで全巻借りられることになったので、ならば、と読んでみました。ら…確かにそうなんだけど、それだけではないお話でしたね。
 今や私は市野井さんに自分を重ねて読むべきなのかもしれません。あちこち身体を労りながら、周りのコミュニティに支えられてもいるけれど、基本的にはひとりでできることはなんでもひとりでして、ひとりの暮らしを続けている女性…満ち足りているような、寂しいような。
 一方で、自分がうららくらいの歳の頃はどんなだったかな、とも思いはせました。ここまでボッサーとはしてなかったかもしれないけれど、でも外見には全然かまっていなかったかな。少なくとも英莉ちゃんみたいな朝からキラキラの女子では全然なかった。なんなら友達もそうたくさんはいなかったかもしれません。何をしていたかといえばやはり趣味に走っていて、創作同人活動バリバリでした。初めて行ったコミケはまだ晴海だったし、世はキャブ翼全盛期でしたが私はオリジナルを描いていたので…なので同人友達はいたかな。ともあれ空想の世界で息をしていたんだと思います。
 そういう意味ではうららの方に近いのかもしれないけれど、家庭環境は全然違うし(でも両親が離婚していても子供を通してそれなりに行き来があり、離れて暮らす父親ともかったるいときもあるけどちゃんと会っている、というのはいいことですよね。離婚家庭がこういうふうに描かれることってあまりない気がするので、新鮮でした。この両親は夫婦としては破綻したけれど子供の親としてはちゃんとしていて、喧嘩別れの没交渉、とかではないのがすごくいいなと思いました)、彼女がずっと通奏低音のように感じている将来への漠然とした不安みたいのものは、まあ思春期特有のものなのかもしれませんが、私はこんなに繊細に感じ悩み迷っていたろうか…?とは思いました。まあ当時はそれなりに悩んでいて、今や忘れてしまったのかもしれないけれど…私はまあまあ学校の勉強ができたので、受験がんばろう、進学して就職したい、自分で自分を食わせていきたい、とは考えていたので、そのために目先のテストに集中しつつ、ひとつひとつやっていけばなんとかなるだろう…とは考えていて、あまり不安に感じてはいなかったのかもしれません。今よりずっと、将来に希望が見える、右肩上がりの社会だったから…というのは、あるかもしれません。
 でも、つむぎくんのような近所の幼馴染みはいなかったし、こんな甘酸っぱい想いもしなかったかな…ちゃんと好き、っていうのとは違うのかもしれない。でも彼女といる様子を見ると胸がザワつくんよね、わかるよ。お姉ちゃん含めて三人で子犬のように転げ回って遊んでいたころと違って、彼が意外にも美形に育ち上がってしまったので、好きとかなんとかとは違うんだけどなんか腰が退けて…というのも、とてもわかる気がします。その彼女であるキラキラ女子の英莉ちゃんに対しても腰が退けちゃうところも。そしてそんな英莉ちゃんのほうでも、「うらっち」のことが気に障るし、自分の将来に不安がないわけではないことも…ああ、甘酸っぱいー!
 アオハルだね!と一言で片付けるのはランボーだと思いますし、一方で市野井さんもこの歳でも青春なんだなーとか思いますが、要するに全部含めて人生の物語、なのかもしれません。万物は流転する、エントロピー増大の法則…
 ふたりの友情は確かに築かれた、しかしそれはそれとして、市野井さんは国際結婚をして海外にいるらしい娘のもとにふらりと暮らしを移してししまう。そういうことってありえると思うし、その軽やかさがいいし、さみしくはあるんだけれど、このままふたりでずっと縁側でお茶飲んでBL読んで暮らしました、なんて絶対に嘘なワケだし、なのでとても素敵な終わり方だなと思いました。そこまであってのこのタイトルでもあるのですね。人は変態する。変化し、移動し、生きていく…
 特に目新しいところはない気はしますが、ふたりが出会うきっかけとなったBLコミックがちょいちょい挟まれるのもいい。その漫画家とアシスタントさん、担当編集の様子が描かれるのもいいですよね。
「大事なものを大事にできてすごいね」という台詞がありますが、それが無理なくできるようになることが、大人になる、幸せになる、ということなのかもしれません。自分が大事なもの、人が大事なものを大事にして生きていきたい、と改めて思ったり、しました。

  





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宝塚歌劇星組『RRR×TAKARAZUKA~√Bheem~/VIOLETOPIA』

2024年04月05日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2024年1月6日11時。
 東京宝塚劇場、3月12日18時、14日18時。

 1920年。大英帝国の植民地であったインドにおいて、人々は白人たちから差別的な扱いを受けていた。ゴーント族の守護者にして不屈の英雄コムラム・ビーム(礼真琴)は、インド総督スコット(耀咲玲央)によって不当に攫われた部族の少女マッリ(瑠璃花夏)を救うため、立ち上がる。それから間もなく、インド総督府にゴーント族の守護者が少女を取り戻すべくデリーに潜入したとの情報が入った。彼を捕まえた者は特別捜査官に昇進させる、という総督夫人(小桜ほのか)の言葉に、ひとりの警官が応える。インド人でありながらイギリス警察として冷徹に任務を遂行する男、ラーマ・ラージ(暁千星)であった…
 脚本・演出/谷貴矢、作曲・編曲/太田健、高橋恵。2022年に公開された大ヒット映画を舞台化した、ダンシング・インドロマン・ミュージカル。

 マイ初日雑感はこちら
 その後、大劇場新公もなくなって遠征を取りやめ、東京公演のお取り次ぎもお断りの連続で、回数を観ていないから、というのもありますが、所感はここからあまり変わっていません。原作映画の大ファンには楽しい公演かもしれませんが、基本的にはスペクタクル重視の、ああなってこうなってというストーリー展開で心情的なドラマ展開はさほどないので、どちらかというとそういうものが観たい私なんかの評価はそれほど高くない…となるのでした。心理ドラマ、葛藤は主にラーマの側にはありますが、その真相は後半で回想やシータ(詩ちづる)の語りの場面が来ないと観客にも共有されない構成ですしね…
 でも、とてもよく舞台化していると思いますし、再来日した原作映画の監督にも無事にご観劇いただけて何よりでしたし、ことありお披露目としてとてもよかったと思うし、何にも増してジェニー(舞空瞳)とジェイク(極美慎)の改変が素晴らしかったので、そこは何度でも褒め称えたいです。
 番手都合でジェイクの役を大きくすること、ジェニーの婚約者と設定すること、自体はわりと誰でも考えそうなことだと思います。でもその流れで、ジェイクを、ジェニーをトロフィーワイフとして捉えているような傲岸不遜な男にすることもわりとありがちだと思うのです。ジェニーは差別意識バリバリの好きでもなんでもない男との不本意な婚約を強いられた、かわいそうなヒロインで、だからビームとの出会いで真の愛を知って…云々、みたいな展開にする、ってことです。
 でも、ヤング谷先生はそうしませんでした。そこを私は何より評価したいです。たまたまだったのかもしれないし、彼のような若い世代には自明の感覚なのかもしれない。でも、本当によかったと思うし、観ていてストレスがなかったので、ありがたかったです。
 ジェニーは、ひっとんには、かわいそうなヒロインは似合わない。女はいつもかわいそうで、男に救われるだけの存在ではない。自分の足があり意志があり、それでちゃんと立って進んでいるのです。誰かの添え物ではない。身分的には、お見合いとか、親が薦めた相手だったのかもしれないけれど、ジェニーはジェイクをちゃんと好きで、自分で選択して納得して婚約した相手だ、という感じがちゃんとしました。まあジェイクの方は当然だからいいのです(笑)。いや、そんなこともないか。頭が固すぎる男だったら、ジェニーの天真爛漫さを慎みがないと感じて、「女のくせに」と怒って破談にしたかもしれません。ジェイクはそういう男よりは度量があったか、なんならいい意味で鈍感だったのでしょう(笑)。あるいはジェニーのそういうところが好きだ、と言っちゃうくらいのやや変わり者なのかもしれません。それなのに、あるいはだからこそ、過剰に心配し、常に探して回って助けよう保護しようとしちゃうだけで、根底にはちゃんと彼女への愛情がある。それは支配欲、管理欲とかではないので、居丈高な命令なんかもしない。そういうバランスが絶妙なキャラクターでしたし、中の人もちゃんとわかっていて、計算して演技をしているのが感じられました。それは新公と比べても如実だったと思います。また、これはカフェブレで語っていたことだったか、東京公演の舞台稽古でもう少しワル寄りに作って演じてみたら、自分も谷先生も「やっぱり違うな」となった、ということでしたが、ホントそういうことだと思います。単に勘と愛嬌だけでやってるんじゃないんだよね、偉いぞ!(激甘…)
 ジェニーがかわいそうでなく、安易にビームと恋をしない、ということはこの作品全体を観やすくもしていたと思います。だってこのあと、ラーマに教わった拙い文字でビームがイギリスに帰ったジェニーに手紙を書いたりして、交流は続くのかもしれないしまた再会することもありえるのかもしれないけれど、結局は独立戦争の闘士と宗主国の上流階級のご令嬢、ということからはお互い逃れられないわけで、ラブラブハッピーエンドとかはちょっと想像しがたいわけじゃないですか。別にそこまで考えながら観るお話ではないのかもしれないけれど、今回はたまたま協力し合えて、友情も築けた、けれど根本的にはそれぞれの立場がある者たちの一瞬だけの奇跡のような物語…とした方が、やはり据わりがいい気が、私はしました。なのでこの改変を熱く強く支持しているのです。
 まあラスト、マッリを連れてきているのはともかく、インド人たちが軍から強奪したというイギリスの武器の山を嬉しそうに見ていていいのか…って気はするけどな、ジェイク(笑)。でもここで複雑な表情をさせてしまうのも話が重くなりすぎるんだろうし、まずは花火でみんなで踊って終わるんで十分なんだと思います。おもしろかったです。
 あとは、昔のよその国の独立戦争の話に湧くのもいいけど、自国の独立政権を倒すためにそろそろ立ち上がろうぜ、とは思ったかな。それはしない、というなら本当にそれは感動の搾取のエンタメになってしまうねと思うんですよね。観客に立ち上がらせるまでやらせてこその真のエンタメなのであって、演目をその域に至らせられるかどうかは観客である私たちの今後の行動に委ねられるているんだと思うのです。不正も搾取も差別も良くない、と学んだなら、それを現実に反映させていかなければ。私たちは私たちの国の政治をより良いものに変えていかなければ、そのために行動しなくては…それは肝に銘じたい、と思いました。でないとマジでエンタメを楽しむどころではない世が早晩来ちゃいますよ、戦争に引っ張られたくありませんし誰も送り出したくないですよ…あのおじさんたちは自分たちは安全なところでのうのうと暮らして、武器を売り戦線に国民を送り出すことになんの躊躇もなさそうです。あんな政権、変えないと本当に怖いですよ…

 さて、新公主演の大希くんのおそらくインフル休演?にともない、日程が延期された東京新公でしたが、それこそ公演日程見直しでいくつか平日ソワレを飛ばしていて、まあ結果的には祝日ソワレになりましたが、無事に振り替えて上演できてよかったです。配信で見ました。
 長身で華のあるビームで、こっちゃんの、小粒だけどだからこそ秘めたる力がすごいんだ…!みたいな感じはなかったですが、おおらかそうなみんなのリーダーな感じで、大健闘だったのではないでしょうか。
 ジェニーは乙華菜乃たん、私は『バレンシア~』のマルガリータ以前からずっと注目している娘役ちゃんで、祝・新公初ヒロイン! これまた明るく華やかなオーラの持ち主で、ひっとんとはまた違った味わいのある優しさ、おおらかさ、柔らかさもあって、お歌もとても良くて、なんせ声がヒロイン声で、とてもよかったと思いました。男役さんに対して臆していない感じも、素なのか役作りなのかわかりませんが、すごくいいと思いました。あと、初めてお茶飲み会に行ったんですけど、お話がとてもお上手で、下級生娘役にありがちな可愛いんだけど緊張なのか臆病なのか全然話せなくてはてどうしたものか…みたいな感じがまったくなかったのがとてもとてもよかったです。大きく育てー!
 ラーマは御剣くん、これもとてもよかった! 前回の『1789』新公デムーランもいいなーがんばってるなーと思いましたが、小顔で長身でスタイルがいいのが武器だし目立つし、熱いのも渋いのもできるんじゃん、と頼もしかったです。新公主演も観てみたい! タレント豊富だなー星組!!
 ジェイクはつんつん、稀惺くん。ちょっと小さいんだけどホントいつでも上手い。本公演よりややスノッブで嫌味っぽい、イギリス臭の強い役作りだったように見えました。菜乃たんジェニーとのバランスからいって、それでちょうどよかった気もします。
 他に印象的だったのは、いつも任せて安心な紘希くんのヴェンテカシュワルル(って名前だったのか、ひーろーのところです)、世晴くんの憎々しげなスコット、ルリハナのとても怖いキャサリン、茉莉那ふみたんのそれはそれは可愛らしいマッリ、これまたいつも上手い碧音くんのペッダイヤ。あとちゃんと認識したのは初めてかな?なジャングの樹澄せいやくんも、スタイルが良くて美形で映えていましたね。ミランダカーのシータはパンチがありました。うたちは都優奈ちゃんのところのSIGERRRで、それこそこれもパンチがありました。鳳花るりなたんはこれでご卒業の彩園ひなちゃんのところのリリー。彼女の「どうするの、ジェイク?」みたいな台詞がいつもツボでした。本公演では凜々しく踊っていますが、やはりドレス姿が素敵でしたよー!
 さきっぽが休演で残念でしたね。大きな演出変更みたいなものはなかったかな? 段取りも多い芝居で大変だったでしょうが、人が少ない中でも健闘していた新公だったかと思いました。
 雪『ベルばら』から大劇新公も復活するかも?というメもあるようですが…過重労働に気をつけつつ、やはり研鑽の場は多く与えてあげてほしい気はします。一回だけ、というのはやはりいろいろしんどいのではないかしらん…


 レビュー・シンドロームは作・演出/指田珠子。これが大劇場デビュー作で、これまでの作品はこちらこちら
 こちらはもうちょっと回数を観たかったかな、と思っています。誰がどこにいる、みたいなのを確認するので大わらわで、観たいところを観ていたらショーとしての全体像をつかむどころではない…という感じだったので。普段のバラバラ場面をつないだだけのショーならそれでも楽しめちゃいますが、今回は全体を通したコンセプトがあったわけですからね天第一印象よりは、まとまりを感じられたというか、やりたいことに共感できる感じはしたのですが。
 一見明るく盛り上がる中詰めにも不穏なシーンが差し挟まれるように、そして浮いて見えるぴー始め退団者場面とロケットもすべて劇場に関する場面なのだと解釈すれば、そしてフィナーレの突然のスタイリッシュ・サングラス場面も未来の劇場、ないしそこに集う人々の場面なのだとすれば、デュエダンもパレードも含めて、劇場そのもの、そこで上演されるレビューそのもの、そして演者と観客の共犯関係のような「今宵はあなたと我らのもの」を描いた、夢のような幻覚のような懐かしい思い出のような…というコンセプトのレビュー・シンドロームだった、ということなのでしょう。
 すみれの苑、というような意味の造語かと思われる「ヴィオレトピア」、素敵な言葉だと思います。いろいろあってもファンを止められない観客はまさしくシンドロームに罹患しているのでしょう。確かに病んではいるのです、しかしそれは正しくないということとイコールではない。世の中が完全に完璧に健全健康でなんの不満も問題もないのなら、文化も芸術も不要なのかもしれない、しかし現実は幸か不幸かそうではない…というのはそもそもの私の考えなのですが、そういうようなことも歌っている作品なのではないかな、と感じました。もう少し、好きとか好みとかで語れるくらいまでは観たかったな、と思っています。まあでも映像を買うか、見るかと言われれば私はきっと見ないので…これも縁です、仕方ない。
 次回作にも期待しています。またショーでもいいし、本公演の前物デビューも観たいです。生徒も大事だけれど作家も大事です。良き作品を作れる良き環境にいてほしい、と切に願っています。
 しかしどの場面もひっとんがホント大正解の大優勝だったなあぁ…! ミュサロ、行きたいなああぁ…!!


※※※


 悲しい事件からちょうど半年の命日を前に、劇団と遺族側がやっと合意に達しました。
 ちょうど自宅テレワークをしている日で、仕事がそんなになかったので、劇団の会見をリアルタイムでネットで見て、そのあと遺族側の会見をYouTubeで見ました。口調とか、論点とか、問題点の比重とかは当然多少異なるのですが、それでもとにかく合意した、基本的には劇団が遺族側の訴えをほぼ認めて謝罪した、ということで、一応の区切りとはなるのでしょう。
 私は、劇団の姿勢は評価したいと思いました。もっと早く、なんなら一番最初にこの対応ができていたらよかったのに、そうすればここまでこじれて傷を広げることもなかったのに…とはもちろん思いましたけれどね。でも最悪の場合、該当とされる生徒を退団させて、なんなら宙組は解体して残った組子は各組に編入しておしまい、とするのではないか、とまで私は考えていたので、劇団がきちんと生徒を守って、管理側・経営側の手落ちだったとして責任を一切合切引き受けて謝罪したことに、本当に安心しました。
 そう、誰かだけが悪い、なんてことはないと思いのです。特殊な閉鎖空間で、真面目に一生懸命に芸事を磨くために、いつしか暴走してしまって、厳しく当たるのがあたりまえ、つらくても我慢するのがあたりまえ…みたいになってしまったんだと思います。よかれと思ってやっていた人も、自分がやられてきたから今度は下級生に対しても同じことをやった、という人もいるでしょう。悪いと思っていた人も、悪いことだったんだとわかって青くなった人も、やっぱり悪いことをしたとは思えないままでいる人もいることでしょう。それを一律には断罪できないと思う。
 組長や副組長、生徒監や組プロデューサー、あるいはもっと上層部の経営陣はみんな、組子を指導し、みんなが安全に、安心して、健康で幸福で舞台に立てるよう環境を整えるのが業務なはずでした。それが悪い意味での現場任せ、生徒任せになっていたのでしょう。加えて演出部の人手不足で、本来なら演者の仕事ではないことまで負担させていた…最初のうちだけなら、裏方の仕事も勉強になるからいい、とも言えるのでしょうが、恒常的になっていたのならやはり経営ミスです。今まで、何度も何度も危うい場面があり、すんでのところでなんとかしてきたんでしょうけれど、そういう無理は永遠にはできないので、ついに破綻が訪れた…ということなのでしょう。週刊誌のいわゆるスクープで何かが動くものではないのかもしれないけれど、それでも最初に報道されたときにきちんと是正されていたら…せめて希望された組替えがなされていたら…と、後悔はつきません。
 謝罪し、改善を誓っても、失われた命は戻らない。信頼を回復するにも長い時間が要ることでしょう。もう仕事はしない、と宣言した外部スタッフも現れましたし、特に宣言することなく観劇を控えていくファン、ファンですらなくなっていく観客も多いはずです。音校受験生が減ったのは少子化の影響もあるでしょうから一概には言えませんが、現役の下級生たちの現状から考えても、またコロナ禍の影響も含めて、5年後、10年後まで余波はきっとあるはずです。
 でも私は、個々のスターはみんながんばっていて輝いていてみんなにファンもいるんだし…ということもありますが、未婚女性が男役と娘役に別れて理想の男女の愛の物語を築いている、という意味での宝塚歌劇をものすごく愛していて、この形でしか表現できないものがあるし、それは世に求められているものだ、少なくとも私は求めている、と考えているので、簡単になくしてほしくないし、続けるというなら観続けたいのです。OSKがあるからいいじゃん、ということではないのではないかと思うのです。最近全然観られていないので比較もできないし、よくわかりませんが…
 なので、宣言どおり、きちんと改善していって、みんなが安心して安全で健康で働ける職場になってほしいし、その上で上質なものを提供してほしいです。それでこちらも幸福にしてもらいつつ、足りなければ引き続きやいやい言い続けたい。それは健全な批評活動でしょう。陰で泣く者がいないと美しいものは作れない、なんてことは決してありません。それは怠慢です、言い訳です。泣く者をなくした上で美しい、良いものを作るべきなのです。絶対にできるはずです。その理想に向けて邁進しなければなりません。
『FF』の上演見合わせ発表は残念でしたが、当然でもありました。でも改善がちゃんと見られたら、再契約だってありえるのでしょう。希望は持ちましょう。
 とりあえずその次の雪組公演はチケットが発売され出してしまいましたし、となると今の月組公演が終わったら、間に宙組は短いながら何かやるのか、もう一回まるっとお休みなのか、近くまた発表があるのでしょうか…個人的には普通に『パガドスカファン』をやればいいのかな、と思わなくもないのですが、無神経でしょうか? でも観たくない人は観なければいいのだし、と言ってしまうのは、乱暴でしょうか? それか、『カルト・ワイン』の再演とかね…ただ、生徒のほうが、やりたい人も、まだやる気になれない人もいるでしょうから、なかなか大変な調整だとは思います。みんなの心身が整うまで、もう一回お休み、が妥当なのかなあ…全然仕事ができていない研2さんがかわいそうですけれどね。あ、今年の研1さんは初舞台後は組回りをして、組配属は来年のようですね。なのでなおさら研2は…と思うと、心配ではあります。
 先日、宙組下級生2名の退団発表がありましたが、集合日だったからということではなく、年度末だったからかな、と私は勝手に考えています。彩妃花ちゃんは有愛きいちゃんとともに新公長の期を務めた生徒さんですよね、これで宙組103期はキョロちゃんだけになってしまうんですね…しんどい。でも仕方がない。進退を考える人、進路が変わる人もいることでしょう。
 見限って離れていく人も多いでしょうし、それはそれで止められないし、仕方ないです。でも観たいけど、不安で安心して観られない、という人もいるでしょう。つらいですよね。ファン同士でも、仲間内でも、スタンスは千差万別で、あちこち亀裂が生じているかもしれません。でも別に一枚岩で劇団を応援しなきゃ、なんてことはないので、ひとりひとりが自分の心と向き合って、そのときの気持ち、気分、考えで観たり観なかったりしていいんだと思います。贔屓を応援することに躊躇してしまう人も、以前と何も変わらないようでやはり内心で葛藤したあげくにあえて変えないようにしている人も、いるんだと思います。いろいろな人がいて、自分と違っていても、まずは自分がどうしたいか、が大事なんだと思います。他人を攻撃せず、自分の心を守って、幸福に生きるべく、そのために必要なことをするといいんだろうな、などと思っています。
 私は、いろいろな問題を感じつつも漠然と観続けてきたことでは自分にも責任の一端があったんだろうと考えていますし、だからこそ引き続き観続け言い続け、そして決して彼女の死を忘れることなく、悼み続けたいと思っています。ときおりすっかり忘れてはしゃいでいるように見えたとしても、刺さった棘は抜けないし、決して癒やされることはないでしょう。命というものは、それくらい重い。私は生きているので、その重さを抱えたまま、生きていくしかないのです。
 合意とともに、彼女の名前はスタープロフィールからひっそりと消えて、これで退団、という扱いなのでしょう。黄色やオレンジといった明るいビタミンカラーが似合う、華のある、歌がとても上手い娘役さんでした。決して忘れません。改めて、ご冥福をお祈りしています。
 そして一禾くん、できれば帰ってきてくれたら、私は嬉しい…ゆっくりでいいから。自分を大事にしてくれていいから。でも私たちは友達じゃないので、スターとファンという形でしか、演者と観客という形でしか会えないので…このままだと寂しい、という、これは単なる私のわがまま、願望です。もちろん会えなくても、どこかで元気で幸せでいてくれることを願う、ということもできるんだけれど、ね…



















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『ハザカイキ』

2024年04月03日 | 観劇記/タイトルは行
 THEATER MILANO-Za、2024年4月1日18時。

 芸能記者である菅原裕一(丸山隆平)が担当することになった、国民的人気タレント橋本香(恒松祐里)と人気アーティスト加藤勇(九条ジョー)の熱愛疑惑。このスクープをリークしたのは、なんと香の友人・野口裕子(横山由依)だった。菅原には同棲している恋人・鈴木里美(さとうほなみ)と親友・今井伸二(勝地涼)がいて、里美との生活に安らぎを得、今井には仕事の愚痴をこぼしたりとごく普通にすごしていて、そんな平和な日常が続くと信じていたが…
 作・演出/三浦大輔、音楽/内橋和久、美術/愛甲悦子。全2幕。

 映画『娼年』『何者』とかはけっこう話題になっていたかと思うのですが、私は見られなかったのでこれが初・三浦大輔作品となりました。『ザ・シェイプ・オブ・シングス』で向井理、『裏切りの街』で田中圭、『物語なき、この世界。』で岡田将生、『そして僕は途方に暮れる』で藤ヶ谷太輔、映画『娼年』では松坂桃季、『何者』では佐藤健と主演させてきている人なので、私もどこかで観ていてもおかしくなかったのになー…今回も、大空さんさまさまです。いつも素敵な出会いをもたらしてくれる贔屓に感謝、です。
 タイトルは「端境期」ということでしょうね。何と何の、と言うのは難しいですが、とっても「今」な作品でした。こんなに今っぽい、生っぽい作品ってなかなかないと思いました。ザラザラと怖くて、とてもおもしろかったです。
 着想自体は七年前のものだそうで、「芸能人の謝罪会見というものに興味を抱いた」ところからスタートしたんだそうです。「大勢の人々に囲まれた状態で何かしらの自己表現をするって、非常に演劇的だと感じた」ので、「演劇作品として立ち上げて、ライブ空間でお客さんに見ていただく」ことにした、と。
 でも、多少はわざとではあるんでしょうが、場面数が多いこともあって、ほぼ終盤までずっと、これは映像向きの作品なのでは…と私は考えていました。舞台の上手と下手にそれぞれ小さな盆みたいなものがあって、下手は香の部屋や事務所、上手は菅原と里美の部屋や香の母・智子(大空ゆうひ)のスナックのセットがその盆に乗っていて、盆が回ってそのセットが現れるとそこで寸劇みたいな短い場面が演じられて…ということの連続だったからです。そしてマイクの調整の問題もあるのか、役者たちの演技もわざとなのか、下手というのとは違うんだけれど、芝居がすごく平面的で、映像っぽいというか、奥行きがなく、演劇っぽくない感じがしたのです。舞台上でテレビドラマが演じられるのをそのまま眺めさせられている感じ、というのか…舞台って、演劇って、その場で生身の役者が演じている、というリアルとは別に、というかだからこそ、何故か不思議なファンタジーの膜を一枚被るものだと思うんですけれど、それがほとんどないように感じる、異様な生っぽさがある作品だったのです。大空さんはプログラムで「とてもリアルで、現代社会をそのまま鋭い感覚で描いているような印象」「私は、もう少し拡大した世界観の舞台に立つことが多いので、これは私にとって新しい挑戦」と語っていますが、私がよく観る舞台、演劇もそういうものだな、とも感じました(そしてここで「拡大した世界観」という言葉を用いる大空さんよ…! 好き!!)。
 でも、クライマックスで、ああこれは舞台でないと、演劇でないと駄目だ、と思いました。これがやりたくて作った作品なんだ、ここに意味があったんだ、という驚きと、納得。そして圧巻のワンシーンでした。
 恒松さんは私は『ドン・ジュアン』や『ザ・ウェルキン』で観ていてもちろん認識できている女優さんで、しかしこうもすさまじい芝居ができる人だとはついぞ知りませんでした。脱帽です。ファーストクレジットにすべきだろう! ここの台詞は、脚本ももちろんすごいが演技が本当にすごかったです。テクニカルな意味でも、感情表現という意味でも…!
 あとは本水が使いたかったのかもしれませんね、これも舞台ならではでとても効果的でよかったです。
 1幕が短く、確かに起承転結の起というか、いろいろ並べて仕込んで終わり、という感じで、2幕が100分ある構成でしたが、それも納得だし、緊張感を持っておもしろく観ました。なかなか意趣格闘感ある座組ですが、みんな達者でしたしね…!
 しかしわけても大空さんと香の父で智子の夫・浩二(風間杜夫)役の風間さんとの場面が、なんかホントよかったです。ここは往年の人気俳優、人気女優で(しかし智子は演技力はあるけど顔は…と言われるタイプの女優だったらしい。ちょっとどういうこと!? いろいろつっこみたいわー…)、結婚したときは世紀のビッグ・カップルと騒がれたんだろうし、その後浩治の不倫が大スキャンダルとなってふたりは離婚、ともに引退し、浩二は芸能事務所を立ち上げて娘のステージ・パパとなり、智子はちょいと場末感あるスナックのママとなっています。香は何かあると母親のところに逃げ込んだりもしていて、そういう意味では良き家族ではあるのでしょう。けれど…という顛末の芝居が、なんか正しい意味で昭和感があるふたりなのと、わざとベタなテレビドラマ演技をしてもやっぱり上手さが滲み出ちゃう感じとかが、なんかもうホント観ていてツボでした。あと、このあたりから、ああこれはメインキャストみんながいろいろな形で謝る、謝罪の物語なんだな、とも思いました。
 でも裕子って謝りましたかね…? 結局彼女の心情というか、リークの理由とかがよくわからなかった気がするのですが、私が何か読み取り逃していますかね? 別に実は香を好きだった、とかではなかったかと思うのですが…香の裕子への謝罪のなんだかなあ感とか、でもするとすればそうなるよね、みたいなザラつきとかは、リアルでまたよかったんですけれどね…
 香のマネージャー・田村(米村亮太朗)と浩二の謝罪とかもね…この浩二の暴言とか暴力とか差別発言とか恫喝とか威嚇とか、ホントあるあるすぎてまたたまらんリアルなんですけど、そのリアルさが本当に絶妙でおもしろかったです。過剰になりすぎたり、綺麗事にまとめたりしない感じとかね…上手い。
 ところで主人公は菅原なのかと言われると(ところで三浦大輔の作品の主人公はみんな菅原裕一でその恋人は鈴木里美なんだそうな。おもしろいですね!)まあそうなんでしょうけれど、いい意味でフツーの人ですんごい目立つとか話を回すとかでないところもおもしろいですよね。そこをいわゆるアイドルの人がやっちゃうところもね。
 しかしここのBL(BL言うな)はすぐわかりますよ、だって勝地涼がまた上手いんだもん…! イヤちゃん台詞もあるわけですけどね。でもこういうホモソーシャル関係、またまたあるあるすぎるワケですよ…!!
 今井は菅原を名字で呼び、菅原は今井を「伸二」と名前で呼ぶ。学生時代からの友達で、一度告白してフラれていて、でもずっと友達で、今井は今はただの会社員で菅原の仕事とはなんの関わりもないけれど、愚痴を聞くだのなんだので3日と空けずに会って呑んでいる。菅原は今井が今でも自分を好きなことをわかっていて、でも知らん振りして、でもいじる。今井はそれがつらくても、菅原が好きでつきあい続けている。他に彼氏はいるのかもしれない、でもそれとは別なんだよね。里美もいるし、望みはほぼないってわかっていても、ワンチャンあるかもって希望が捨てきれないんだよね。だからサウナも、本当は興味なくてもつきあっちゃうんだろうし、それはまさしく裸のつきあいなわけでさ…
 それは里美は嫌だよね、わかるよ。でも今井を呼び出してなじるのは駄目だって、それは男ではなく浮気相手の女を呼び出してなじる女仕草すぎるでしょう。本当は菅原に言わなくちゃいけないことだし、なんなら結婚しようって自分から言わなきゃ駄目なんだよ。でも今井に当たってしまう里美、くうぅ…
 そして菅原も、そんなふうにしてずっとそばに置いていた今井に、いざ迫られたらビビるのか、それとも嫌悪感を抱いてしまったのか、突き飛ばしてしまう…どうなんでしょうね、今井は菅原に抱かれたかったのかなと私は思っていたけれど、菅原も抱いてやってもいいくらいに思っていたのかもしれないけれど、逆は嫌だったということなんですかね…それで今井は菅原に謝る。くうぅ…
 でもオチは、実家に帰っていた里美がいろいろ考えて戻ってくることにしたのはいいにしても、妊娠したから、とかだけは止めてよね…と念じながら私は観ていました。そういうイージーなの、ホント要らないから。でも逆で、里美が帰ってきてくれたことが嬉しくて仕方ない菅原が、思いついたようにプロポーズしちゃうオチでした。でもこれもすごく安易なんだよね、でもシスヘテロ男子の結婚観なんてホントこんなもんじゃん。このリアルさよ…! そして里美は、ずっと待っていた言葉だろうけど、意外にも喜ばない。そういうことじゃないんだよなあ、とわかっちゃったんですよね。だから返事はしない、でも一緒の家に帰る。膝カックンして菅原を笑わせて、暗転。イチャついている微笑ましいシーンのようでもあるし、女が好きな男にできる抗議の暴力ってせいぜいこの程度なんだよね、ということでもあるな、とも思いました。声を荒らげるとか、クッション投げつけるなんてのより、ずっとマシです。それが愛で、尊厳で、人間でしょう。菅原が学んでくれることを祈ります…!
 香も勇も、才能はありそうだし、きっと違う形でも仕事はしていきそうですよね。生きてさえいれば、なんとでもなるのです。まあレベチはかわいそうだったかな(笑)。しかしこういうところもホント上手かったです。あとワイドショーやコメンテーターのしょうもなさとかね…! 智子のスナックの女の子ふたりも、上手い。ホント細かくて上手い、唸らされました。
 三浦大輔は「映像向きの題材を演劇で扱うことに関しても、これが最大級のもの」「次回作は一周回って素舞台で、ワンシチュエーションものの演劇性の強い作品をつくるかもしれません」とも語っていて、なかなかにこの先が楽しみです。機会あればぜひ観てみたい! 映像も地上波か、せめてBSに下りてくれれば見るんだけれど…
 GWの大阪公演まで、どうぞどんどん盛り上がりますように。無事の完走をお祈りしています。











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