駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ピーターパン』

2012年07月29日 | 観劇記/タイトルは行
 東京国際フォーラム、2012年7月29日ソワレ。

 ロンドンにあるダーリングさんのおうち。今夜、お父さん(武田真治)とお母さん(渚あき)はパーティーにお出かけです。優しいウェンディ(仁藤萌乃のジョン(大野哲詩)、甘えん坊のマイケル(大東リッキーと清水詩音のダブルキャスト)は犬のナナとお留守番。そこへ、小さな光と共に男の子が飛んできました。ピーターパン(高畑充希)と妖精のティンカーベルです。ピーターはなくしてしまった自分の影を探しにきたのですが…
 原作/ジェームズ・M・パリ、演出・潤色・訳詞/桑原裕子、翻訳/秋島百合子、音楽監督・編曲/宮川彬良。
 1981年日本初演のブロードウェイ・ミュージカル。全三幕。31日には上演1500回を迎える。

 明らかなファミリー・ミュージカルなのでどうしようかと迷いましたが、高畑充希と武田真治のミュージカル俳優としての力を評価しているので、出かけてみました。
 とにかく客席が子供ばかりでビビりましたが、子供が飽きない工夫はされていて、でも子供だましではなく大人も楽しめて、子供は一度集中し出すと身じろぎもせず舞台を見つめるので、マナーが悪いのはむしろ大人の方でした。オペラグラスの貸し借りにごちゃごちゃ話す、前の席を蹴るなどなど。

 ディズニーアニメとか元の童話をよく知らないのですが、だいたいのあらすじが絵本のようになってプログラムについていたので、特に問題はありませんでした。
 ラストの、ウェンディが大人になってお母さんになってもう飛べなくなってしまうくだりは、『ナルニア国物語』で上の娘がたどった運命を思い起こさせてちょっと泣けました。私がナルニアを読んだのは小学校高学年の頃だったけれど、そのときですら私は自分が下の娘ではなく上の娘のタイプの人間であることがわかっていたりしましたからね。そのわりには未だにそんなことを生業にしているのだけれど、でもそれは子供のままで夢を見ているのではないのです。大人になって夢をつくり夢を売っているのです…フック船長の「夢を失うな、夢だけ見るな」というのは正しい。
 ティンカーベルがライトで示されて、アニメのように姿を現さないのもなかなかお洒落に感じました。
 あと、フライングはやはり大人でもテンション上がりますね! ワクワクしました。
 フック船長(武田真治の二役)があんなエキセントリックなキャラクターだということも知りませんでした…もっとおじさまの俳優が演じるともっと渋くなるのかな? でもよかったです。
 ダーリング夫人(渚あき)でやわらかな母親役を演じてみせたアキちゃんが、ぐるっと回ってラストではウェンディの娘ジェーンを無邪気に演じる…というのも素敵でした。さすがの演じ分けでしたよ!

 ピーターがウェンディに「女の子は男の子二十人分の価値があるんだ」と言ったときには、おっ、っと思ったのですが、女性を尊重しているというより、そもそもネバーランドには女性がいないんですね。まあタイガー・リリー(皆川まゆむ)はいるけど、これは数に入っていないのでしょう。本当のところを言うとそれもどうなんだという考えもあるわけですが。もっと言うとインディアンとか今どきいいのかという問題もあるわけですが。
 で、ピーターも、迷子たちも、海賊たちも、求めているのは「花嫁」ではなく「お母さん」なんですね(リリーを女王に掲げているインディアンたちだけは、必要としていないのかもしれません)。
 それも、自分の子孫を残すための母体としてではなく、自分を絶対的に守り愛してくれる存在としての母親、なんですよ。
 確かに、小さいころ、女の子の夢は「お嫁さんになること」よりもっと以前は、「お母さんになること」なのかもしれません。身近なロールモデルが母親くらいしかないわけですからね。そういう意味では、とても本来的なことをウェンディは求められているのかもしれません。
 怖い大人の男のように見える海賊たちも、外見がそんななだけで、中身はただの男の子なんです。海賊ごっこで遊んでいる子供たちと同じなのです。そしてみな、母親にうち捨てられた子供たちなのでしょう。
 もしかしたらネバーランドって、幼くして死んだ子供たちの魂が集う島なのでしょうか。そして、なりたかったものになって楽しく遊んでいるのだけれど、本当に欲しいものはただ「お母さん」だったりする…
「なんで私にはいないんだ!」
 という船長の悲痛な叫びが心に刺さりました。
 そのくせ彼らは、「お母さん」というものに対して薄ぼんやりとしたイメージしか持っていない。だからほとんど子供みたいなウェンディが来ても「お母さんだ!」と受け入れられるのです。
 それは何か優しい、やわらかい、温かいものに名づけられた名前なのです。

 ウェンディもごっこ遊び程度なら母親の役割は楽々と果たせるわけで、楽しく応じてみんなに喜ばれます。
 でも彼女は、いくつくらいの設定なのかな、キスを知っている、恋に恋することを知っているくらいの、児童よりも明らかに少女の年齢です。
 彼女が「お母さん」になるときには、ピーターに「お父さん」になってもらっている。子供たちにとってはただの親ですが、ウェンディにとってはピーターは夫だということです。
 ウェンディは少女として、小さい女として、すでにピーターに恋をしているのです。
 でも彼は少年以前の子供です。キスも知らない。もちろん恋も知りません。
 私は別れ際に、ウェンディがピーターにさよならのキスなんかしなくてよかったなと思いました。それは彼にキスを、恋を教えてしまうこと、彼を汚してしまうことでもあるかもしれないから…
 真に年をとらず、ネバーランドに住み続け、空を飛び続けるためには、恋なんか知ってはいけないのだと私は思います。ひとりでまったき世界を持っていた頃の子供のままでいないとダメなのだと思うのです。
 そしてもちろん、普通の人間にはそんなことは無理なのです。
 ウェンディだってずっとずっと窓を開けて待っていたに違いありません。でもピーターがちょっと遊びに呆けている間に、こちらでは二十年もの時間が流れてしまい、ウェンディは大人にならざるをえなかったのです…
 そして、大人になると、行ってらっしゃいなんて子供を空へ送り出せないものなのです。自分がかつて行って、そしてちゃんと帰ってきたことを覚えていても。
 心配そうなウェンディの声を振り切って、ピーターとジェーンは空へ飛び立ち、幕は下りるのでした…

 しかしワニがいい仕事していたわ!
 あとティンカーベルのくだりはうっかり泣いたわ!
 観てよかったです。

 ところでプログラムにブロードウェイ版の台本や音楽の作者について記載がありません。どういうこと?
 それからダブルキャストのマイケルについても場内に掲示がなかったです。失礼だと思います。
 そういえばAKN48ファンの大きいお兄さんが来ている感じはあまりしなかったな…


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2 コメント

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駒子より (cotoさんへ)
2012-08-22 17:59:35
会場に子供がうじゃうじゃいるのは
子供嫌いの私にはつらかったですが(^^;)、
演目はちゃんとしていて、楽しかったです!
観て良かったです~!!

●駒子●
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Unknown (coto)
2012-07-30 16:16:50
ミュージカルには全く興味のない私なので
(じゃあなんで宝塚観てるんだって話ですけどw)
何も言えませんが・・・。

原作ももちろんですが
ディズニーのピーターパンが大好きで
駒子さんの感想を読んでいて
ちょっと泣きそうになってしまいました。
もちろん駒子さんの捉え方が素晴らしいというのもあると思いますが
ピーターパンのイイネ!ポイントを
このミュージカルは
しっかり伝えてくれているんですねぇ。
どーせ子供向けのミュージカルでしょ、なんて
バカにしてはいけませんね!
ちょっと反省です。。
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