駒子の備忘録

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宝塚歌劇月組『PUCK/CRYSTAL TAKARAZUKA』

2014年12月28日 | 観劇記/タイトルは行
 宝塚大劇場、2014年9月26日ソワレ(初日)、27日マチネ、10月21日マチネ、ソワレ(新人公演)。
 東京宝塚劇場、11月26日ソワレ、30日ソワレ、12月2日ソワレ、9日ソワレ、11日ソワレ、27日マチネ(前楽)、ソワレ(千秋楽)。

 イギリス南部のコーンウォール地方。15代続く貴族グレイヴィル家の領地の森では夏至の前の晩、ミッドサマー・イヴに恒例になっている音楽祭が行われようとしていた。当主サー・グレイヴィル(飛鳥裕)にはハーミア(愛希れいか)とヘレン(沙央くらま)というふたりの孫娘がいた。ホテル王の息子ダニー(美弥るりか)と貴族の御曹司ラリー(凪七瑠海)はハーミアに夢中。悪ガキ仲間を引き連れた森番の息子ボビー(珠城りょう)の乱入によって音楽祭の準備が中断になり、大人たちが森をあとにし始めたそのとき、ハーミアはストーン・ステージの周りに集まる妖精たちを目にする…
 作・演出/小池修一郎、作曲・編曲/吉崎憲治、甲斐正人、作曲/松任谷由美。1992年初演のファンタジックなミュージカル、待望の再演。

 初日に遠征までしてしまった感想はこちら
 初演は生では間に合っていなくて、NHKの放送を観たのみでしたが、当時はやはりトップスターがカッコいいバリバリの男役を演じないなんて、とやや不満に思ったのと、いいお話なんだけどちょっと子供だましなんじゃない?みたく思ったことを記憶しています。
 それからすると年を取ったのかセカンドサイトが覚醒したのか、よくできてるじゃん!と思うようになった今回でした。てかショーがよかったのもあったけどこんなに通ったのか私…

 それはともかく、だからこそよりブラッシュアップして、再演を重ねていってほしいなとも思いました。それだけの価値がある財産ともいえる演目だと思うのですが、例によって私がうるさいだけかもしれませんが引っかかる点がいくつかだけあったので。

 まずひとつは、ダニーの計画について。フロッピーディスクってどうなのとかラジオからヒットチャートが流れてくるのってどうなの、とかは、DVD(CD-ROM?)になったりスマホのワンセグ?になったりしたワケですが、そういうこととは別に世相に合わせる必要があるな、と思える点があって。
 たとえば『エリザベート』なんかでも、初演時と今とではヒロインに対する風当たりの違いを私は感じるのです。初演当時はシシィの「自由でありたい」という想いに観客はもっとシンパシーを寄せていたように感じられました。でも今、シシィをわがままだと思う人が確実に増えている気がします。覚悟して嫁いだくせに甘いこと言ってるんじゃないよ、と糾弾する空気を感じる。わかっていたけどでもつらいの、やっぱり自由でありたいの、という叫びは届きにくくなっている。それくらい世知辛い生き苦しい世の中になっているっていうことなんだろうな、と私なんかは思うのでした。
 同様に、グレイヴィル家のあり方に対する目も厳しくなっていると思うのです。森を大事にし音楽を愛するのもけっこうだけれど、なんら有益なことをしていない、遊んで暮らしていて借金が増えるばかりの道楽貴族なんでしょ? だったら遅かれ早かれなんらかの手を入れる必要が出てくるのは当然で、レイチェル(萌花ゆりあ)たちが領地をホテルチェーンに売ろうとしたことはハーミアに「仕方ないわ、人間だもの」と言われるほど非人間的な措置ではないと思うのです。
 でもそれじゃダメでしょ? 話としては森を売ろうとした彼ら、買おうとしたダニーが悪者に見えなきゃダメでしょ? だからダニーのアースフレンダリーなホテル経営とやらがもっと、一見まともでいいことをやっているように見えて実は環境破壊をより進めていて経営者だけが儲けるような悪辣な事業計画である、という明確な説明と描写がもっと必要だと思うのです。でも現時点では、ストーン・ステージの下にプールを作ったからって何がどうそんなに変わるのかぴんとこないし、ダメダメ言っているサー・グレイヴィルがただの困った老人にしか見えないと思うのです(ヘレンに対する理不尽さといい、このキャラクターの扱いの雑さがこの印象に輪をかけていると私は思う)。
 それじゃダメでしょ? 確かに浮世離れした浪費を続けているかもしれない、現実的な対処が上手くできていないかもしれない、でも志は、理は彼らの方にある、自然破壊を進めてはいけない、妖精が棲み子供たちが遊び育った森を残さなくてはいけない、功利主義や拝金主義、享楽主義に流れてはいけない…というふうにするべきでしょ? それが足りないと思うのです。
 これは、そんな悪に手を染めてまでハーミアを欲したダニーのせつなさに通じる大事なポイントだと思うので、今のままだと甘いと思うのでした。

 同様に、妖精っていいな、妖精として生きられたら楽しいだろうな、という夢想を抱く力も初演当時より今の観客には失われていると思うのです。 だからパック(龍真咲)がハーミアを愛し真実のキスをしたからと言って、その罰として一番大事な声を奪われ、一年間を人間界で過ごさなくてはいけない、さもないと記憶が奪われただの人間になる、と脅されても、みんなすぐ「いいじゃん人間になってハーミアとくっつけば」となってしまうと思うのです。
 でもそれじゃダメでしょ? パックのアイデンティティーは妖精であることにある、対してハーミアは大人になっても美しい心と姿を持ち続けている稀な人間だけれど、でもあくまで人間であり、ふたりの住む世界は違う。でもふたりは愛し合ってしまった、さあどうなるの?って固唾を呑んで物語の成り行きを負わせなくちゃダメでしょ?
 だからここの罰とその後の説明が今のままでは甘いと思うのです。まずこの時点でハーミアのパックに関する記憶がすべて失われることは明示しておいた方がいいと思いますし(それか、プックとして再会したときにハーミアがパックを忘れていてプックが誰かわからない、という場面が欲しい)、掟を破った罰をパックが償わない限りハーミアには一生思い出してもらえない、とした方がいいと思うのです。パックは自分がただの人間に堕ちることはもちろん嫌だけれど、なんといってもハーミアに忘れ去られたくないから、彼女と愛し合い続けたいから、罰を受け入れるのだ、とした方がいいと思います。
 あと、ボビーが倒れ、衛星中継が中止になりそうになり、DVDを手にしたときに、パックがテレビカメラなり聴衆なりに向けて何かを言おうとする、という振りがあってからオベロン(星条海斗)の「駄目だパック、声を使うな!」という台詞が被さるべきだと思います。今はむしろこの台詞でパックが自分で発言することを思いついちゃったようにすら見えると思う。それじゃダメです。
 ハーミアに忘れ去られたくない、思い出してほしい。だって忘れられるのは自分の存在が消えるのと同じことです。思い出してほしいから一年がんばってきた。でも今、自分がダニーの計画を告発しないと、ハーミアが愛し自分が生まれたこの森が失われてしまう。だから声を上げた。これを最後に忘れ去られることを覚悟して。自分は忘れられてもいい、それでも愛するハーミアにこの美しい森を残したいから、それが自分の愛だから。だから歌うのです、「LOVER’S GREEN」を。覚えていてほしい、と叶わぬ希望を歌うのです。
 その結果、パックは雷に打たれ妖精としては死に、ただの人間に生まれ変わります。ハーミアはパックを思い出したけれど、今度はパックの方が記憶を失っている。森は守れたけれど、違う形でパックはやっぱり自分のアイデンティティーを失ってしまったのです。「君、誰?」という声の冷たさが胸に刺さるのはだからです。ふたりは赤の他人になってしまったのです。
 でも、ハーミアが指し示したストーン・ステージに登ったパックは、森の美しさを全身に浴びて何かを思い出し、寄り添って座ったハーミアの笑顔を見てさらに何かを思い出したようになり、おでこをくっつけて微笑み合うふたりを残して幕が下りる…そういう流れじゃないですか。妖精と人間、違う世界に住む決してひとつになれない存在だったふたりが、愛の奇跡でひとつになれることになった、これはそう暗示して終わる物語じゃないですか。アイデンティティーの根幹である記憶が愛によって復活するところが奇跡であり感動的なのであり、だからこそこの「記憶」の重要性をもっと打ち出しておくべきだと思うのです。

 その二点は常に補完しながら観ていました。でも、それでものすごく普遍的な、妖精の話だからって子供だましなんかじゃない、美しい物語になっているのだと思います。また時を得て再演されていくことを望みます。
 まさおは文句なしにハマり役、独特の癖のある台詞回しも妖精台詞では影を潜めて聞きやすく、カナメさんほどではないかもしれないけれど当代屈指の歌の妖精っぷりで素晴らしかったと思います。あの耳はけっこう音が聞こえづらいらしく、大変だったろうなと思いますが、本当にいいパックでした。
 ちゃぴもこれまたヨシコに通じるピュアな文学少女っぷりが素晴らしかったです。初めてパックと出会ったときのキラキラした輝き、のちにパックの記憶を日記に封じ込めると歌うせつなさには、毎回泣かされました。
 みやちゃんのダニーとカチャのラリーもこれまたハマり役でしたねー。そしてコマのヘレンもキュートで素晴らしかった。ダニーとハーミアの結婚式を邪魔しようと計画する中でラリーとヘレンの手が触れて意識し合っちゃうところ、両親のしたことがショックで逃げ出しちゃうヘレンを追うラリー、そのあとのハッピーエンドが本当に微笑ましくてきゅんきゅんしました。
 たまきちのボビーは最初は私は本当につらくて、ニンじゃないよユリちゃんのあのノリは無理だよとずっとずっと思っていたのですが、東京新公後にまず子供時代が格段に良くなり、終盤は「ちょっと抜けてるけどすごくいいヤツ」なボビー像を作れたかな、と思いました。でもトレイシー(早乙女わかば)との芝居は、主に台詞というか演出というか演技の意図が不明瞭で最後まで不満でした。ただの幼なじみなのかガールフレンドなのか恋人なのか私にはよくわからなかった。ウッドペッカーズは売れたようだけれどそれって本当にボビーに音楽の才能があったということなのかとか、どうもキャラの甘さの元にもなっていた気がして気になりました。雑役呼ばわりされても森番の仕事に誇りを持っているボビーが、あきらめずに夢を叶えて大金を稼ぎ、金カネ言っていた愚かな女の子であるトレイシーを見返す…ということならもっとはっきり打ち出してほしかったし、そこに色恋は不要なので貞操観念云々って台詞はヘンじゃない?とか、ね。
 他はマギーやすーちゃん始め適材適所で楽しかったです。男子生徒たちもはっちゃけててよかったなあ。
 アドリブについてはハラハラさせられすぎるのも私は苦手で、いつもやりすぎないでまさお!と念じながら観てましたが、まあたまにはいいのかな。

 大劇場では新公も観られました。
 あーさは歌も大健闘でビジュアル的にもフェアリーだったし良かったと思いました。くらげちゃんは本役を踏襲していたかな。
 まゆぽんもパンチがあってよかった。れんこんは上手すぎて私にはもっと濃い役の方がハマるのかなと思えましたがこれもよかった。
 ありちゃんにはあまり感心せず、やっぱりボビーって難しいんだなと思いました。
 あとはたまきちのユニコーンに萌えまくりましたね。
 月組らしい、芝居心とチャレンジ精神のある、でもとてもよくまとまったクオリティの高い新公だったと思いました。94期新公卒業、おめでとうございます。


 ショー・ファンタジーは作・演出/中村暁。「イメージの結晶」とか銘打っていますがまあどこかで見たような場面の羅列…と初見は思えたのですが、すぐに楽しみ方を見つけてしまうのがファンの性。
 プロローグは楽しく手拍子して盛り上がり、Mr.シンデレラ(ダニーという役名に必然性はないので変更すべきだったと思う)の場面にほっこりし、ドール・オペラのちなつ自動人形の美しさに惚れ惚れし、ちゃぴオランピアのせつないラストにしんみりしているともうクリスタルズ!なわけですが。
 私は元々こういうアイドルスター場面!みたいなのがわりとダメで、かつ似非韓流みたいなのが本当にダメなので、初見は気障る珠城さんへの気恥ずかしさもあり(オイ)「くりすたるず!」にしか見えないよ!とか思っていたのですが、どんどん洗練され気迫が増し釣りがヒドくなり(笑)、東京では珠城さんの伸びた前髪からこぼれる色気もヤバくついにクリスタルズ!からCRYSTALS!に進化してフィニッシュした、と思いました。赤と紫の絡みチェックも毎回大変だったので、申し訳ありませんが他のメンバーのシャツの色を未だに全員言えません…
 中詰めも当初は単調かなと思いましたがすぐ慣れました。がっつり踊るまさちゃぴもいい、がしかしまさお頼むからちゃぴの手をもっとしっかり握ってくれサポートしてやってくれ冷たいよ!
 珠城さんのもう片目も薄く閉じちゃうウィンクは最後までそのままでしたが、もうそれでいい気がしてきました。
 ロケットのセンターはありちゃん時ちゃんくらげちゃんですが、意外にくらげちゃんが良かったなー。
 雫は二階席から観ると本当に美しかったです。なんとも言えないお衣装も味わい深い。前楽からゆーみんに入った拍手にもう縛泣きでした。
 そのあとの珠城さんの銀橋ソロがおでこのクリスタルな汗もセットで素晴らしかった。決して歌自慢なタイプではないけれど、本当に上手くなったし何もしなくても銀橋を渡って保つようになったし劇場をオーラで埋められるようになったと思います。
 その歌のアレンジ違いでちゃぴを筆頭にきびきび踊るフィナーレの女たちがまた素晴らしかったです。花娘は可愛い子ばっかり!みたいなのと同様に今の月娘は本当に綺麗で美しい。
 シャープな黒燕尾もロマンティックなデュエダンも素晴らしい。パレードのラストの終わり方も楽しい。
 オーソドックスだけれど楽しいショーでした。みやカチャの完全ニコイチ扱いが気の毒でしたけれどね…
 いい100周年のシメになりました。101周年も変わらず観続けたいです。





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