駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『王家に捧ぐ歌』初日雑感

2015年06月07日 | 澄輝日記
 大劇場公演初日と二日目マチネを観てきました。
 プレお披露目の『TOP HAT』梅芸初日にも行きましたが、大劇場トップお披露目公演初日に立ち会ったのは『カサブランカ』以来。あのときは当事者(?)で自分の感情の処理で手一杯でしたが、今回は温かな劇場の空気なんかも味わえて、楽しかったです。やはりお披露目っていいものですね。
 まぁ様、改めて宙組七代目トップスター、おめでとうございます! 「エジプトは領地を広げてる」の歌詞を待たずとも、あなたには大きな翼があります。高く高く羽ばたいていってください!!

 さて、肝心の演目ですが、再演にあたり私が望んでいたことはこちら
 私はこれをリライトしてキムシンに郵送したのですが…別にそのとおりになるとか自分の意見が取り入れられるとか思っていた訳ではないですけれど…やっぱりちょっと、しょぼんとしたかな。
 フィナーレは、変わりました。でも若干トンチキな方面に、ね(^^;)。
 変わり燕尾の場面は素敵だったのに、何故本編でエチオピア王女だったみりおんに「♪エジプトはすごい」と歌わせるの? みりおんのスキャットはそりゃ素晴らしいよ? ジャジーなアレンジで赤と金のお衣装で揃いの髪形と髪飾りで踊る娘役ちゃんたちはそりゃ美しく可愛くてセクシーだよ? でもヘンじゃん。せめて歌詞を変えてくださいよ、「愛するってすごい」でも「あの人は強い」でもなんでもいいからさあ。無神経すぎると思いました。
 そのあとのお披露目おめでとう祭りだワッショイ場面に関しては、まあ楽しいからいいや、と思えなくもないんですけれどね…というかそういうコンセプトでコレなんだよね? センスがセンスしちゃってるよなあ…(ToT)トンチキでした。
 でもパレードのまぁ様の背負い羽根が豪華だったからヨシとしましょう…

 本編の方は、台詞や歌詞がちょこちょこ変更されたり、エジプト兵がキンキラキンになったり、凱旋場面の振り付けががらりと変わったり、といったことはありましたが、おおむねは初演どおりでした。ファラオのブランコも健在でした(笑)。
 で、私が提言した、というか今やけっこう多くの人が必要だと考えている、ラダメスとアイーダの出会いの場面は、結局追加されないままでした。
 「エジプトは領地を広げてる」のあと、回想みたいな形でふたりの出会いを見せてから話を始める、ってだけでも全然違うと思うんですけれど。「♪ナイルの流れのように」は壮大な曲だけれど、芝居の尺を作るためならナンバーなんかいくつかカットしてもかまわないと思います。ラダメスとアイーダの歌も掛け合いの繰り返しが多くて話が進まなくてイライラするんですよね。やはり全体にオペラチックに作りすぎだと思うなあ。退屈に感じる人は多いと思う。ソリストとコーラス、みたいな生徒の扱いもあまりにもあんまりだし。というかぶっちゃけ組ファン以外はそんなに何度もリピートしてくれないんじゃないかなあ…(ToT)
 というか、私はまずこの「エジプトは領地を~」の歌がけっこう意外だったんですね。
 ちょっとがなるように歌うところがあったワタルさんに比べて、まぁ様の歌い方はもっとマイルドというかまろやかで、優しく聞こえるんじゃないかなあ、と勝手に想像していたのです。というか全体的に、初演よりもう少し紳士的というか理知的というか優男風味のラダメスに役作りしてくるのではないかと思っていたのです。まぁ様の持ち味としても、今このときに再演するという意味においても、私の好みとしても、勝手にそう想定していた。だから期待外れだったみたいな言い方はとても勝手なのですが…
 まぁ様も意外と、凛々しく、雄雄しく、猛々しく、それこそがなるように歌いましたよね。ちょっと喉が心配になるくらいに。
 で、あっそういうキャラでいくの!?と私はちょっと驚いてしまったんですね。
 だからそこから、実は私の中でラダメスという男性像の整合性が上手く組み立てられなかったというか、混乱を感じてしまったのです。
 それもあってなおさら、アイーダとの出会いの場面、いやそもそも戦前の彼を見せるところから始めてもらいたかったな、と思ってしまったのでした。
 だって彼はおそらくそれまでは、ただの平凡な武将にすぎなかったんですよね? ファラオの命じるままに忠実に戦う有能な戦士。生きること、死ぬことの意味を戦場でしか学んでこなかった男。そこで死線を共に潜り抜けたケペルたちとの友情は築けたけれど、それ以上には何もない男、愛や人生の意味を未だ知らないでいた若者…イヤそれじゃアイーダが恋しないかもしれないんだけどさ。類推です。描かれていないからわからない。少なくとも戦いの意味とか平和とかを考えたことはなかった男。
 そんな男が、アイーダと出会って恋に落ち、敵国の女を愛すること、愛する女が愛する国を荒らしてしまったことについて、考えるようになった…のでは? で、最初は彼女の母国を解放してあげたい、というところから始まったのかもしれないけれど、やがて広く平和主義というか不戦主義というか、そういったことを考えるようになっていった…んですよね? 描かれていないけど、一応歌われる歌詞にはある。でも歌詞ってけっこう声に酔っちゃって聞き逃しちゃったりするものだから、やっぱり芝居で見せてほしいです。
 そういう土台がしっかり描かれていないと、本当にこの恋愛って成立してるのかな?とか、なんかひとりで勝手にロマンティックな世迷言、理総論を言ってるだけの夢見がちな困った青年ってことじゃないんだよね?とか、なんかいろいろ心配になってしまうんですよ私は根性が悪いので! というか今回完全にチーム・エチオピア目線で観ているので!!
 だって、アイーダを愛している、だから彼女の母国エチオピアを解放してあげたい、だからまずエチオピアと戦って勝たなくては、って実はおかしい訳じゃん。ねじれてる。勝った上で褒美としてファラオに解放をおねだりするから、ってのはわかるけど、真に平和を求めているなら戦い以外の別の方法は考えられないの?とか言いたくなる訳で。てかアイーダはそう言っている訳ですよ、「♪戦いは新たな戦いを生むだけ」と。彼女はたとえ故国のためであろうとこれ以上の戦いは望んでいない。なのにラダメスは突っ走ってしまう。
 でも世界平和なんていいんだ彼女の母国だけが眼目なんだ、なんて小さな男にラダメスを描くつもりはないんでしょう? そのあたりがいかにもザルくて観ていた私は不安になったのですよ。
 ラダメスはまず戦って勝たなくては、すべてはそのあとだ、と逸ってしまい、将軍に選ばれたいと熱望し、宣託があったときには獣じみた雄たけびを上げます。私は…ちょっと引いた。その脳筋マッチョさについていけない気がしてしまったのです。でも私はまぁ様を嫌いたくないし物語の主人公ラダメスを好きでいたいのよ、だから好きになれるよう万全を尽くして丁寧に描いてほしいのよ。でもかなりザルいよね? イヤ原作がそもそも問題なのかもしれないけれどさあ。
 シェイクスピアとかともそうですが、古典って今の視点で見ると意外に話に整合性が取れてなくてつらいものってたくさんありますよね。でもモチーフとしてはとてもおもしろいんだから、もっと思いきって手を入れるとか、精巧に理論武装するとかが必要なんだと思うんですよね…それが、この作品は怪しい。しかもせっかく再演したのに、何も変わっていない。もったいないですよ。
 だから一幕ラスト、ラダメスがせっかく感動的に「世界に求む」を歌っていても、まあ私がカマンテ・ロックオンで観てるからってのもありますが、なんかこう…嘘くさい、と思ってしまって、尊いわ素晴らしいわ、みたく泣けなくて、それが悲しかったんですよね。私はここでもっと号泣したかった。叶わないかもしれないけれど理想を追い求め希望を歌い上げる主人公にシンクロして、その心意気に感動して泣きたかった。でもそう流れていなかった。
 むしろウバルドやカマンテがギラギラした目で訴えてくる、「何を綺麗事を言ってるんだ、そんなのは欺瞞だ、偽善だ、強者の驕りだ、こっちからしたら侮辱だ、屈辱だ」っていう想いにシンクロしてしまいやすかったのです。
 でもそれじゃ駄目でしょう? ここは観客はラダメスとアイーダ、そして「賭けてみよう」と言ってくれるファラオに肩入れして観なきゃ駄目でしょう?
 イヤ大多数の人はできていたのかもしれません。私が勝手に、観たいものが観られなくて混乱し八つ当たりし贔屓にシンクロしすぎていただけなのかもしれません。でもなんかもうちょっとどうにかなったやろ!って気がしてならないのです。

 ラダメスのアイーダとのラブシーンはとても素敵。地下牢銀橋場面はふたりとも落涙大熱演で、私も泣かされました。
 自分の死期が迫っても、愛する人が故国で明るく強く生きていくだろうから大丈夫、と考えられるラダメスは本当に素敵です。なのにその当のアイーダが牢に忍び込んでいたと知って、「何故そんなことを」「もう出られない…」と言うラダメスが好き。というかこのくだりの脚本の流れは本当に素晴らしい。隣の牢獄に入ってきたマッダレーナをあっさり受け入れたアンドレア・シェニエとは大違い(演じた人に責任はない、あくまで脚本の問題です)。
 ケペルたちは生きること、死ぬことの意味を戦場でしか学べなかった、まだ愛を知らなかった(「あなたはまだ愛をご存じない」byアンドレア・シェニエ)。でもラダメスはアイーダとであって愛を知り、真の生きる意味、死ぬ意味、人生というものを知った。そしてここで出るアイーダの台詞が本当にすごい。
「私たちは愛し合ったのよ。生きようと死のうと、それがすべてよ」
 なんと究極的な台詞! 愛は生死をも超えるのです。
 そして光も差さない、空気もなくなる塗り込められた地下牢で、心残りは何もないものの、ふたりが最後にひとつだけできることがあるとすればそれは…祈ること。愛と平和を、この世のすべての人々に、と。
 作者のキムシンがどう言おうと、私はこの物語は愛と平和をテーマにしていると思います。愛と平和は全然違うものだけれど、だからって一緒に語れないということにはならない。私には先生がプログラムや制作発表で語っていた違和感なるものについてよく理解できませんでした。違うけれど不可分なものなんだし、ついでに語れたらむしろラッキーなんじゃないの? 何故わざわざ平和要因を減らすのよ今このご時勢に? 今こそ必要なんだよアムネリスの宣言が、という日本はそれを敗戦後に憲法でしたんだよ?
 世界から戦争は決してなくならない。でも戦争をなくす努力を決してやめてはならない、戦争のない世界を夢見ることを決してやめてはならない。世に絶対はなくても、太陽神ラーの息子のファラオがいなくても、これは絶対の真実です。
 それを訴えなくてどーする。何故「平和への希望」と言っていたものを「明日への希望」なんてボカすんだキムシン!!
 愛は何物よりも強い。何物をも超えられる。そして愛は平和を呼ぶものなのです。平和でなきゃ安心して愛し合えもしない。愛と平和を同時に語ることになんの問題があるの? 何故分けようとするの? 「♪ありえない、わからない」って歌っちゃうよ?
 愛と平和の祈りは4500年たっても叶えられていないかもしれない、それでも祈り続ける、次の4500年も、その先も。これはそういう物語でしょう? 胸を張りましょうよ、アムネリスのように。私は剣を置いたエジプト兵たちの姿に号泣しましたよ…?
 アイーダとラダメスの息絶え方が美しくて、泣きました…

 というワケでタイトルロールたるみりおんは、言葉はアレですがホント集大成という感じで、ようやっとヒロインらしい大役が回ってきたし、高貴で野性的で純粋で強い女性の役が本当に似合うんだなあと感心しました。歌はもちろん安定の歌唱力。さらにハートが入っていろいろ訴えられるといいなと思いました。
 ゆうりちゃんはとにかく美しくてそれは本当に素晴らしい。登場して歌い出して何小節目かですぐ声がケロッたのでヒヤッとしましたが、高音がヘロるだけで、ほぼ地声で歌う「ファラオの娘だから」はむしろ絶品! これまた感心しました。
 初演キャストと学年の違いもあるけれど、みりおんアイーダがわりと女っぽいのに対しゆうりアムネリスはまだまだ少女の香りを残していることもおもしろかったです。こういう組み合わせも、いい。
 今後の進化が楽しみです。コーラスも厚いし、生徒は本当にみんな大健闘大熱演していたと思いました。
 エトワールがこれで卒業のあいこちゃんでなかったこと、同じくこれで卒業のえつ姉にも特に美味しい餞場面がなかったことは残念でした。フィナーレでまぁ様に絡むひとくだりくらい入れてくれてもよかったのに…

***

 で、澄輝日記ですが…いやぁ新たな一面を見ましたね!
 前夜祭では私にはぶっちゃけちょっと貧相に見えて、心配だったんですよね。痩せて顔がちょっと尖っちゃってるので、そこに黒塗りとなると余計にこう…精悍とか野性的というよりは、ホント言葉は悪いけど貧相に見えてしまったので。
 ゆりかがまた押し出しがいいからさあ。顔が大きい訳ではないんだけど、面長で長身に映えるんですよね。だから愛ちゃんとかは負けてないんだけど、並ぶとあっきーは小顔すぎるように見えた。スタイルの良さが線の細さに通じて見えるようで、それもヒヤヒヤしたのです実は。
 でも、本公演では大丈夫でした。ニュー澄輝になってたよ! イヤ欲目だけど!!
 幕開き、石壁の一部が紗の扉になって、その奥にたたずむシルエットが浮かび上がり、扉が開いてゆらりと出てくる姿はまるで幽鬼、亡霊そのもの…何よりその暗い目!
 絶望に打ちひしがれているような、それでも何かをあきらめきれずに執着し続けているような、求め彷徨い歩いてきた長い時間を思わせるような、暗い暗い目。そんな目をしたこの人観たことない! いやファン歴めっちゃ浅いんだけど!!
 本編が始まってからも、カマンテはずっと怒っています。ギラギラと怒りに燃え続けている。もっと枯れた、悲哀を感じさせるような役作りで来るかなと思っていたんですよね、あっきー優しいからさ。どちらかというとサウフェを演じる方が想像しやすいというか。
 でも役を自分に近づけることをしなかった。自分が役に近づいた。敬愛していた王女に裏切られたと思い込んで、その傷心や落胆が悲しさや寂しさに転ずる優しいサウフェと違って、怒りや憎しみに転じた熱いカマンテを、熱くギラギラと演じていました。痩せて飢えて怒りに震える黒い犬!
 ラダメスが解放と平和を歌っても「けっ」って顔してるし、ウバルドが自爆テロ(とは言わないのかななんて言えばいいんだ特攻隊か?)を決意する狂気を感じさせるくだりも、おかしくなっているというよりはただただ怒っているように見えた。
 床とお友達の役だとは知っていたけれど、なんかやたらと床に寝転がるしなんかいちいちカッコいいしいたぶられ具合は痛々しくて死に様も鮮やかでそのあとはエジプト兵たちに踏まれないか心配で(^^;)、まあ観ていて飽きませんでした。
 アイーダに迫る「お前は奴隷」も、ちょっとまとぶんを思わせる歌い方をしているように聴こえたところがあったなあ。低く深い歌声で、暑苦しくてよかった!
 フィナーレも、黒塗りにシャーベット・ピンクの飾り燕尾!サークレット!!ってのがまた素敵で。
 黒燕尾がタイやカラーがなくてすぐ襟ぐりの浅い白ベストになるタイプで、首が長く見えて美しいこと! ゆりか5ではキラキラニコニコだったのにここはちょっとワルい顔して踊ることもあって、前髪がはらりと乱れたりして、ヤバい!!!
 そして星組か?みたいな編曲での(偏見です)赤と金のお衣装でのカッコいいんだけどなんかおもろい場面…激しく踊るとよだれかけみたいなデザインの襟元がどうにもアレなんだけれど、楽しそうだから、まあいいか(チョロい)。
 パレードはゆうりちゃんを真ん中に挟んで、ずんちゃんとシンメでセンター降りでした。
 ゆりかウバルドのお衣装が新調だったんだから、カマンテもサウフェもせめて丈を上げてブーツをもっと見せるデザインにしてくれてもよかったんじゃないかなー、とは思いました。完全に初演ママで、ちょっともっさり見えかねないのが残念でしたし、キンキラキンの新調で揃えてきたエジプト側に比べてぶっちゃけ冷遇されすぎやろ!と思ってしまいました。しょぼん。

 最後にしょっぱい話ですが、番手について。
 花組に続いて、宙組もクリアにしてきましたね。プログラムのスチールの位置もインタビューもパレードのセンター降りも、愛ちゃんががっつり三番手ポジションでした。
 私としては予想していましたしいいことだと思うし流れとして当然だとも思います。それにしちゃ役がケペルってのは気の毒でしたけれど。凱旋場面でセンターで踊っているとはいえ…フィナーレでもっとがっつり1,2,3みたいなくだりを作ってあげればよかったのにね。
 逆にそうでないなら黒燕尾のまぁゆりは余計だと私は思いました。そらゆりかだって組替えお披露目だけど、まずはまぁ様のトップお披露目だろう!そこはひとり舞台にしてやれよ!!と思った。
 で、あとはその両サイドにあきりくシンメでした。なのにパレードではりくをセンターで降ろさないという暴挙! 私はこのことの方にこそ憤りを感じるわー。愛ちゃんよりりくくんの方を早くダンサーとして抜擢起用してきたのに。新公主演を三度も任せてるのに。『NW!』のメインメンバーに入れたのに。前夜祭に出演させたのに。なんで今こんなことするの? 劇団のこういうところが本当に大嫌いです。
 で、私はあっきーに関しては今後は別格スターとして尊重していってもらえればいいです、と思っています。
 少なくとも一部がしている四番手呼びは私は嫌です。もし今の宙組にそれがあるならそれはずんちゃんのことだと思う。番手というのは下級生に降りていくもので(大空さんは特例)、かつ本人にとってはトップに向けて上がっていくべきもの。だから組替えで来た大物のゆりかはともかく下級生の愛ちゃんに抜かれた時点であっきーはもう番手スターではないのですよ。あきらとか大ちゃんとかまさこと同じ。イヤ実はみんな組での立ち位置のニュアンスがそれぞれ微妙に違うのだけれど。
 それでいいじゃん、わかってたじゃん、そんなこと。滑り込み新公主演の直後にもうひとつ何かがあったら違っていたかもしれません。でもそんなたらればを言っていても仕方がない。下級生の育成にビジョンと手腕がない宙Pが悪いんだとしても、とにかく仕方がないのです。
 それでも好きなんだから、応援するってだけのことです。
 というワケで、思いのほかワルい顔に新発見もあったことだし、やはり次はバウ二番手で美味しい悪役とかやってほしいんだけどなあ…主演より4期も上じゃ呼んでもらえないかなあ、そもそもコメディらしいから悪役なんかないのかなあ。全ツならマチウが観たいです。そしてショーでたくさん使っていただきたいです…
 というワケで遠征はあと2回4公演のみ、東京ではビギナーをたくさん同伴して通いたいと思っています。退屈されるかもしれないけれど観やすい演目だとは思うので。てかやっぱり一幕にした方がいいと思うけどね、コレ。正直に言えば、ね…
 やっと新作二本立てが来る次の本公演が楽しみです!




コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ELジェイムズ『フィフティ... | トップ | M・C・ビートン『メイフェ... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めてコメントします (カロリィ)
2015-06-07 16:17:16
初めまして。グスタフ公演から、大のあっきーファンになりました新参者です。いつも楽しく拝見しています。

フェニックス公演の客席降りであっきーが真横(その距離
50cm!)で踊ってくれて、そのときは「この人誰だろう」とポカンとしてしょっぱい薄ら笑いで対応してしまったのですが、帰宅後それがあっきーだと判明し、簡単に落ちました。

演目に対し、とても鋭い批評をお書きになっているのにあっきー評となると途端に優しくなる駒子さんの文章がとても好きです(笑)
そうですか。愛ちゃん3番ですか。そうですよね。
トップハットのベディーニ素敵でした。

王家はとりあえず1回分だけ確保していますが、一般前売りを待ってもあと1回ぐらいは観られるかな~と甘く考えていますがどうでしょうか(汗)
ニューウェーブは観られなかったので、久しぶりにあっきーを拝めるのを楽しみにしています。

支離滅裂な文ですみません。
お邪魔いたしました。
コメントありがとうございます! (カロリィさんへ)
2015-06-08 17:47:21
コメントありがとうございます。
あき友が少ないのでゼヒまたいらしてください(^^)。
今回の『王家』は上手席がいいですよー!
パレードのラインナップのみ下手ですが、あとはだいたい上手にいます(^^)。
そんな瞬殺ってほどの売れ行きじゃないんじゃないかな…(^^;)
是非リピートしてあげてくださいませ。

しかし見抜かれてますねそうなんですよ優しいっつーか甘くなるんですよね舌鋒がねあっきーに対してはね(^^;)
というか脳の別の場所が反応しているんだと思います、愛と萌えに関してはね…

こりずにまたいらしてくださいませ!

●駒子●
Unknown (さおり)
2015-08-26 23:45:43
お久しぶりです、25日に「王家に捧ぐ歌」を見ました。初演はアムネリスに1番共感したのですが今回はアイーダとウバルド兄妹に共感しました。

実咲さんのアイーダは理知的で大人びた中にも巫女の様な清らかさがあると思いました。また、書かれてはいないけれどアイーダが平和を望んだのは祖国が滅びるのを見るのもウバルド達祖国の人達の心が荒みエジプトへの怒りや憎しみ塗り潰されていくのを見るのが耐えられなかったんだろうなと、ただ、実咲さんのアイーダは自らの恋心にために秘密を漏らすような女性には見えなかったのでそこは演出を変えても良かったんじゃないのかなと思いました。
 
真風さんのウバルドはエチオピアが平和だった頃は祖国を想い民を想い家族を想う心優しい王子だったんだろうなと思いました。また、アイーダが清らかでいられたのはウバルドが人々の悪意から守っていたからなんだろうなと、ウバルドをファラオ暗殺に駆り立てたのはエジプトへの怒りや憎しみだけではなくアイーダがラダメスの考えに同意したことへの絶望なんだろうと思いました。
だからこそ、「お前は奴隷」のシーンや「虫けら」のシーンは悲しいと思いました。

長々とすみませんこれからもよろしくお願いします。
コメントありがとうございます! (さおりさんへ)
2015-08-27 11:58:10
ウバルドとアイーダの兄妹にはドラマがありますよねー!
やはり開戦以前の場面が欲しい…スピンオフを是非…(笑)
せっかくのキャラクターと設定が、大味でオペラチックな演出では生かされていない気もするので。
もっと細やかな芝居に仕立ててもいいのではないかなーと
妄想したくなっちゃったりもします…
暇があればノベライズしたいくらいです(^^;)。

千秋楽まであと少し、見守り続けますね!
その後にまた記事上げます~

●駒子●

コメントを投稿

澄輝日記」カテゴリの最新記事