駒子の備忘録

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『愛革』批判

2013年09月08日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚歌劇花組『愛と革命の詩-アンドレア・シェニエ-』(脚本・演出/植田景子、オペラ『アンドレア・シェニエ』より)を宝塚大劇場で一度、観てきました。
 東京での観劇予定もありますし、いつもはマイ楽後にゆっくり感想を書いているのですが、今回は思うところがありすぎて、今書きます。
 一度しか観ていない状態での、個人の感想です。
 ちなみにタイトルどおり批判的な内容です。この演目に感動し泣いている方には読むのをお勧めできません。ちなみにこの批判はあくまで作品に対してのものであり、演じる生徒に向けられるものではありません。

***

 ちなみに私は個人的には景子先生のファンです。大空さんファンとしていい作品を書いていただいて足を向けて寝られない、というのもありますし、ほぼ同世代の女性として勝手に「わかるわー」と親近感を持っているところもあり、時に近親憎悪を感じるくらい、好もしく見守ってきました。『アンカレ』『舞姫』『オネーギン』なんかが好きですが、別に原作の力だけではなかったと思います。『Can you Dream?』もちゃんと買って読みました(笑)。
 今回も「やっとまゆたんに大恋愛ものを書いてあげられる人が回ってきた!」と期待していましたし、初日が開いたら大好評で、本当に楽しみにしていました。
 『ベルばら』や『スカピン』を想起させると聞いていましたが、まあフランス革命期の話だからな、と思っていましたし、『ロミジュリ』を思わせるという感想にも、ああ白黒天使が愛と死みたいに見えるのかなとか思っていました。
 他に『二都物語』に似ている、とも聞いていて、なので後半、まさかジョゼフがアンドレアの身代わりになろうとするとか? はたまたジェラールが?とかヒヤヒヤしながら観ました。
 逆に言うと、そのあたりまでは、景子先生らしい美しい色目のお衣装と、ずいぶんがんばったグランド・ミュージカルっぽい展開を単純に楽しんでいたのです。
 アンドレアが、革命政府にマークされるくらいに民衆の心をつかみ動かす詩人というわりには、その詩句が具体的に出てこず、ちょっともやもやしたくらいかな。
 実際には詩人としては無名のまま死んだということで、詩作があまり残されていないのかもしれないし実際の詩も現代から見ると実はたいしたことがなかった、ということもあったのかもしれませんが、ここは捏造してでもインパクトのある言葉が欲しかったと思いますよ。それがあったからこそマッダレーナはそれを支えに絶望の淵から這い上がれたのだろうし、その言葉は革命のなりゆきに不満な民衆たちの心を捉え、だからアンドレアが民衆を抑えるのにやっきな革命政府から睨まれ、不当逮捕される流れになるのですから。

 で。逮捕されたワケですが。
 というか、その前にも、ヤバいかも、って状況になったときに、ちょっとはアンドレアに迷い悩んでもらいたいんですよね。だって彼はもう以前の彼とは違うのだから。マッダレーナという恋人を得たのだから。
 恋をしても目が曇ることはなく、世の不正義を正すべく一心不乱に仕事する、というのも素晴らしいことだとは思いますよ。でも高潔すぎるだろう。「高潔すぎる」というキャラクター設定だから正しいのかもしれませんが、でも人間ってそんなには高潔にはなれないものでしょう。
 人間だもの、自分の仕事が正しいのか、本当に世の中の役に立っているのか、悩んだり迷ったりすることだってあるはずじゃないですか。ましてや愛を知り、仕事よりも大事にするべきかもしれないものを得たわけじゃないですか。別に仕事を捨てて恋人との安寧な暮らしを望む、とかではなくても、でもこのまま書き続けていたらいつ当局に引っ張られるかわからない、となったときに、愛する人のためにこれ以上の危険を冒すのは控えるべきかな、くらいはアンドレアさんに思わせてほしいのですよ。アンドレアさんだって人間だもの。
 てか愛にはそれくらいの力があるだろう。あるとされるべきだろう、宝塚歌劇なんだから!
 結果的には仕事を選んでもいいの。マッダレーナだって自分のために筆を折ってくれとか頼んでるわけじゃないんだから。でも迷い悩んだ上での選択であってほしいの。それがないと、人生における恋愛の比重が軽すぎる。どんなに美しいダンスシーンで美しい性愛を描こうが、芝居は主人公の行動で進むものなのです。一瞬でいい、アンドレアに、愛するマッダレーナのために、自分の命を大切にするべきなのではないかと考えさせてほしいの。最初っから最後まで揺るぎもせず、自分の命は詩と正義と真実と美に捧げているからいいんだ、とか言って超然とふんぞり返っていてほしくないの。それは不遜だし傲慢だし鈍感だし怠惰です。愛と人生を大切に祀り上げているように見せて実は本当の意味で大事になんかしていない。血が通っていないから、死んでいるからです。
 人は思想のためには死ねないと思う。少なくとも、簡単には。今、アンドレアは悩みも迷いもせず変わらないので、簡単すぎるように私には見えました。それは高潔すぎるとかなんとかいう問題ではなく、安易だよ景子先生。
 要するに私は、アンドレアのこの「変わらなさ」が嫌なのでした。そしてそれをいいことのように描いている景子先生が心配なのでした。

 物語って、ああなってこうなってとかこんなことがあってとかのストーリー展開は実はあまり重要ではないのだと思うのですよ。それだけだとただの出来事、どこかで起きたニュースでしかない。
 それがどんなキャラクターの身に起きたことで、そこでその人物がどう感じてどう行動して、それを通してどう変わったか、そこにこそドラマがあるのだと思うのです。その変化が大きいほど、観客/視聴者/読者は感動するのだと思うのです。
 最初から最後まで変わらないのなら、死んでいるのと同じです。それじゃ感動できません。
 高潔すぎて、達観していて、何にも動じない人物が理想なの景子先生? それは人間じゃないよ、そんなの解脱しちゃってるよ、聖職者だよ生き仏だよ、現世の人間じゃないよ。そこまで到達できたら楽だろうしひとつの理想かもしれないけれど、でもそんな人間離れしちゃった人、もう私たちの仲間じゃない。赤の他人の話に人は共感も感動もできないよ。お願い、そんなふうにキャラクターを祀り上げないでほしいの。
 良かれ悪しかれ、愛は、恋愛は、人を変えるよ。それをこそ描くべきではないの?
 愛を、恋愛を、その力を、信じることをやめてしまったの? それで書いた作品がこれなの? それでいいの?

 マッダレーナは変わったじゃないですか。貴族の娘として着せ替え人形のように着飾らされて夜毎夜会に出る退屈さに膿んでいた傲慢な小娘が、革命の動乱で家族も家屋敷も地位も財産も失って、乳母に頼って持ち出した宝石を売ってしのぎ、もはや次に売れるものはもうこの身しかないと追い詰められ、死ぬことすら考えた絶望の果てにアンドレアの詩に会い、希望を見出したのでしょう? そして過去の愚かさを悔い、現在を謙虚に受け止め、未来への希望を手に入れた。手紙を書き、返事をもらい、実際に会い、愛し愛される喜びを知った。ひとりの女が愛と革命によって生まれ変わったのです。
 アンドレアもまた変わるはずでしょう。何故それを描かないの?
 私は宝塚歌劇とか少女漫画とかの受け手の大部分が女性である娯楽は、愛によって、女によって変わる男を描いてなんぼだと思っているのですよ。現実の男性はそう素直じゃないからさ、あるいは現実の恋愛はそこまで大きな力を持てないからさ。
 でもだからこそ物語の中ではそうするんですよ。それが理想だから。あるべき姿だから。受け手が望む形だから。
 受け手に迎合して書けと言っているのではありません。自分がそれを信じていない作家に、本当に受けるものは書けないのではないかと言っているのです。
 景子先生、大丈夫? 私はそれをこそ心配しているのですよ??

 終盤の展開に至っては…原作のオペラがそうなのだろうから仕方がないにしても、それでももっとフォローが必要だと思いました。
 『二都物語』は、主人公シドニーがルーシーの夫チャールズの身代わりとなって処刑される物語でした。ルーシーを愛していたから、チャールズを救う方法が他になかったからです。
 だから私はまさかジョゼフが、いやジェラールがアンドレアの身代わりに、とヒヤヒヤした。しかしあろうことかあるまいことか、なんと身代わりになったのはマッダレーナで、アンドレアの隣の房に収監された女囚と入れ替わるのでした。彼女になり変われば、アンドレアと一緒に死ねるからです。
 えええええ?
 そらその女囚は罪とも言えない罪で告発され処刑されようとしているかわいそうな女性で、暴走・迷走している革命の犠牲の象徴みたいな存在ですよ。でもそんな不遇の憂き目にあっている人は他にもいくらでもいると思うんですよ。マッダレーナがこの女囚と入れ替わってその命を救ったとしても、それは正義が遂行されたということとは違うし、本当はもっと抜本的な解決が必要な問題なのです。
 残された者がすべきことは、アンドレアの遺志(もう殺しましたすみません)を継いで今の革命政府を批判し続け、正しい国を作るべく奮闘していくことなんじゃないの? 自分の命と引き換えに目の前のかわいそうなな人をひとりだけ救うのは、命の無駄遣いなんじゃないの? まして後追い自殺なんて愚の骨頂なんじゃないの? 愛する人の遺志に反することなんじゃないの? そうしてつらくても生きていかなければならないのが人間なんじゃないの? 人生なんじゃないの?
 もちろんマッダレーナは革命とか正義とかそういったことはそもそも全然考えていないんだろうしもちろん自分がいい行いをしたとも思っていないし、むしろちょうどいい入れ替わり先があったとしか考えてなさそうなくらい恋に目がくらんでいる感じでもあるので、百歩譲っそれはていいにしても、それにしてももうちょっと悩んだり迷ったり怯えたり怖がったりしてほしかった。自分の命を捨てることに対し、逡巡してほしかったのです。
 だって別に妊娠していなくたってあなたの命はあなただけのものじゃない。家族は革命で全員すでに殺されてしまっているのかもしれないけれど、たとえば匿ってくれた乳母がいたじゃないですか。あなたが死んだら彼女は泣きます。たとえばそんな彼女のためだけにでも、あなたには生きる義務があるのです。絶望しているからって、自分の命だからって、愛する人とともに死ぬためだからって、簡単に投げ捨てていいものじゃないんです。
 いや最終的には愛至上主義の物語ですからね、投げ出していいんですよ死んでいいんですよ愛のためにね。というか私は最終的な自殺の権利は基本的人権のうちにあるのではなかろうかとすら考えている人間です。でもとにかく結論に飛びつく前に、一度くらい立ち止まって考えようよ。その上で出した結論だとした方が、同じ結論でも重みが増すでしょ? 安易に出した安易に見える結論に私は感動できないの、したくないの。そんなふうに命を、人生を軽く考えたくないの。たとえ物語の中のことであっても。
 そしてアンドレア、一度でいいから、嘘でもいいから、止めようよ。「こんなことをしてはいけない」ってマッダレーナに言ってよ。っていうかそういう台詞を書いてよ景子先生!
 今、「わあ一緒に死んでくれるの嬉しいな」とか言い出しそうな勢いで話がまとまっちゃってるじゃん。でもそれじゃダメだろう。
 僕は愛と仕事で悩んで(悩んでないけど)仕事を選んだ、だから僕がそのせいで死ぬことになるのは仕方がない。でも君はダメだ、君には生きていてほしいんだ、だって僕は君を愛しているのだから…とかなんとか言わせようよ一度くらい。そんで、いいえ私はあなたのいない世界でなんて生きていけないわ、一緒に死なせてください、とかなんとか言わせて、それで、なら、わかる、まだ。
 でも今の流れではダメだって。
 愛に盲目になっているようにも見えない。ただ命を粗末にしているようにしか見えない。陶酔してるだけ。欺瞞です。心中礼賛、冗談じゃないよ。
 それで処刑されても魂は不滅だ、愛の勝利だ、とかいう話にしているつもりなのだとしたら、それこそジェラールに、モランに、ロベスピエールに謝ってほしいね。ジョゼフにもパンジュ侯爵にも謝ってほしい。迷い悩み考えて、あがき戦い苦しみ、残り、残され、真剣に生きて革命を、人生を生き抜いた人たちに謝れよ。

 こんな安易な行動を主人公たちにさせて、主人公たちを安易な人間に描いてしまう作家を私は憎む。
 それが現時点での私の中にある黒い炎です。いやマジで。
 冗談めかそうと思いつつも言葉がキツくてすみません。でもマジで心配しているのよ景子先生! やめてホントがんばって? 期待してるのよ困ってしまうわ。
 とりあえずオチがつかないままおしまい。


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8 コメント

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同感…。 (のりこ)
2013-09-08 21:13:44
さすが!私も感じたモヤモヤ感を上手く言葉にしてくれました。私も正直、主人公二人には全く感動出来なかったのです。皆さんの初日からの絶賛にかなり期待を抱いて観劇したにも関わらず、初見の時は何だかなぁ~でした。場面、場面の美しさだったり、演者や歌唱の素晴らしさには感動しても、主人公二人の行動にはモヤモヤしたままでした。2回目に観劇した時はジェラールやモラン目線で見てました。ジェラールの立場でこの物語を見ると泣いてしまいました。とにかく私も今回は景子先生どうした?と思いましたし、納得の出来ない作品でした。私の想いを代弁してくれてスッキリしました。
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アンドレア (ゆいか)
2013-09-08 23:31:23
みなさん絶賛されてたんですが、私、ちっとも感動出来なかったんですよね。
その原因をわかりやすく書いていただいて、ありがとうございます。
一回しか見てないけど、この話、主人公が何考えてるのかさっぱりわからない。現実を生きてないように見えるのですよ。それが高潔っていうのとはちょっと違う。
荒れ狂う革命の時代、ジェラールは平民として戦い、マッダレーナは貴族としてすべてを失う。で、アンドレア。
彼の立ち位置がさっぱりわからない。ドラマチックは筋立てと美しい舞台…だけど、肝心の魂が入ってない。
選び取る結果が同じだとしても、苦悩しない主人公ってどうよ?最後のマッダレーナが現れたときでさえ驚きもしない。単に後味悪いというか…愛を声高に歌っていても、その「愛」が描けていない。
救いは侯爵一家が無事に革命を生き延びたことくらいか。長文失礼しました。でも、すっきりしました。
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コメントありがとうございました (ゆいかさんへ)
2013-09-09 12:13:43
そうなんですよね、浮世離れしてしまっているというか、
現実から一歩引いているような感じで…
剣ではなくペンで戦う、という立場なのだとしても、
そのペンが紡ぎ出す言葉がないので、
周りがみんな必死で生きて傷ついているだけに
「何をのうのうとしてるのよ!」という気になるという…(^^;)
あげくマッダレーナを道連れにしやがって!みたいに思ってしまう。
脚本のせいで役が、ひいては役者がダメに見えるようなことは
座付き作者としてはやってはならないことだと思うので、つい熱く語ってしまいました。

●駒子●
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読んでくださってありがとうございます (のりこさんへ)
2013-09-09 12:19:32
心中を礼賛している、自己犠牲をあがめ奉りすぎている…
という気がして、ぽかんとするところからだんだん怒りが湧いてきてしまい、
つい熱く語ってしまいました。
もっといろいろあがいてがんばって戦って傷ついて、
それでもダメなら仕方ないかもしれないけれど、
嬉々として「一緒だからいいよネ!」みたいじゃいかーーーん!!!
と思ってしまったのでした。
これを単純に美しいと褒めてしまうのはヤバいと思ったのですよ、個人的には…
役者は綺麗で健闘しているだけに、残念でした。でもまた次の観劇が楽しみでもあります。
●駒子●
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Unknown (Unknown)
2013-09-09 20:29:22
思想のために命を投げ出せる高潔な人間は、人類の歴史の中にも沢山いらっしゃいますよ。凡人の自分と違いすぎるからといって「愛がない」「人間離れ」と決めつけるあなたの人間性をこそ、まず疑います。ラストも原作のオペラのままの流れです。今まで多くの人を感動させてきた内容を、個人的に気にくわなかったのは仕方がありません。しかし、自分に理解できないからといって、世界的名作オペラに、人びとに与える感動や納得がゼロなはずはないということを考えるべきです。あなたの文章にこそ、愛や人間性、謙虚さが足りない様に見受けられます。自分だけをよしとして、他人を全く理解、許容するつもりが、あなたこそないのではありませんか?作品に文句をつけるのは実に簡単なことです。しかし、だからこそ傲慢にならないようにもしなければいけないのではないしょうか。少しくらいは高潔な人間がご理解出来るように、ご自分を顧みられてはいかがでしょうか?
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Unknown (パクチー)
2013-09-09 22:30:27
何度観ても、感動できない。
それどころか、観るたびに面白くなくなっていくのはなぜだろうと思っていました。
最初は、「ロミオとジュリエット」「アンナ・カレーニナ」「スカーレット・ピンパーネル」「レ・ミゼラブル」「ハプスブルクの宝剣」「落陽のパレルモ」など、ありとあらゆる作品のつぎはぎだから?とも考えたのですが。
駒子さんがまとめてくださったのを読んで、おおいに共感しました。
詩人というからには、いっそのこと革命に対して批判などしないで、そんなところとは関係なくひたすら「魂」の詩を書きつづっていけばよかったのではないかと思います。詩人と言いながら、革命家のようなアンドレア。なのに、自分ではあまり動いていない、説教だけはする、といった「高潔」なんだけど、魅力がない人物になってしまったような気がします。
これは私の趣味で「説教する男が大嫌い」ということもあるのでしょうが。
蘭寿さんのせいではなく、脚本・演出のせいであると思うのですが、もう少しアンドレアを主役として心の動きまで丁寧に書いてほしかったです。
曲は素晴らしいですし、景子先生ならではの衣装の美しさも魅力の作品です。しかし、内容があれでは、せっかくの美しさも薄っぺらいものに見えてきます。


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コメントありがとうございました (Unknownさんへ)
2013-09-10 14:16:25
冒頭にこの演目に感動した方にはお勧めできないと書いておいたにもかかわらず
読んでくださってありがとうございます。
まあ感動したからこそ反対意見が気になるということはありますものね。
原作オペラについては不勉強で申し訳ありませんでした。
でも私にはこのアンドレアは「詩人である自分」をしか愛していず、マッダレーナの愛に応えていず、
革命の犠牲として死ぬことに陶酔しているようにしか見えませんでした。その感想を表明したつもりです。
でももちろんそうは感じなかった方もたくさんいるであろうことも承知しているつもりです。
ともあれ少なくともハンドルネームであれ署名していただきたかったと思います。
ご意見ありがとうございました。

●駒子●
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コメントありがとうございました (パクチーさんへ)
2013-09-10 14:21:49
読んでくださってありがとうございました。
「革命詩人」というのは確かに現代日本人の我々にはピンときづらいかなとは思いました。
詩人というとどうしても愛とか夢とか美しいことを歌っていそうですものね。
でもむしろジャーナリストとか演説原稿執筆者とかアジテーション制作者に近いような職業(?)なのかな?とは思いました。
新聞の政治欄の主筆とかみたいな…「ペンは剣よりも強し」と信じて戦う闘士、なのかな、と。
でもそんな自分を愛しちゃってマッダレーナの愛に応えていないひとりよがりの自己陶酔男に見えかねない…のが
私は嫌なんだと思います。
東宝で再度観てまた確かめ、いろいろ考えたいです。

●駒子●
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