東京芸術劇場シアターウエスト、2018年5月16日19時。
弁護士ヘルメル(佐藤アツヒロ)の妻ノラ(北乃きい)は純粋で無垢な女性だった。若くして結婚し三人の可愛い子供も授かり、夫に守られて生きている。そんなある日、古くからの友人であるリンデ夫人(大空ゆうひ)が突然訪ねてくる。夫を亡くし母を看取ってひとりきりになり、仕事を求めてやってきたというのだ。ヘルメルは年が明けると銀行の頭取の地位に就く。ノラはヘルメルにリンデ夫人の雇用を頼むが…
作/ヘンリック・イプセン、訳/楠山正雄『人形の家』より、上演台本/笹部博司、演出/一色隆司。1879年初演、全2幕。
以前に別の舞台を観たときの感想はこちら。すごくおもしろく感じたものの、例によって記憶はさっぱりなく、どんな話か思い出せないままに大空さん目当てで出かけてきました。
まず北乃きいのスタイルの悪さに仰天しました。テレビで見る俳優さんを生で観ると、イメージより小柄なことに驚くか、スタイルが悪いことに驚くかのほとんど二択な気が私はします。私がタカラジェンヌを見慣れすぎているから、というのもあるかもしれませんが、顔が大きくて6頭身くらいしかなくてウェストが太くて、にこやかで華やかで美人の若妻、を作っているんだけれどいかにも「作っている」だけに見えました。そして演技もまた演技演技していて、私は鼻白みました。えっ、この作品はこういう芝居のテンションでいくの?ととまどった、というか。次に出てくるメイドのヘレーネ役の大浦千佳はちゃんとしていたので、あああテレビ女優の舞台芝居って(舞台出演は二度目だそうですが)こうなっちゃうのかな…とクラッとしました。もちろんノラって芝居がかったところがあるヒロインなんだと思うんだけれど、でもそれを表現しようとしている演技ではなく、単にいかにも演技をしています、台詞を言っています、という芝居に私には見えた、ということです。
大空さんがまた、超小顔で背が高くてスタイルがいいもんだから、どうやら学生時代の友人のようだけれどさすがに同い歳ということではないんだろうな?でもなんにせよ、地味に作っているけれど本当はわりと美人なのがすぐわかる年かさのクリスティーネと、美人に見せようとしているけれど十人並みなのがわかる年若いノラ、になっちゃっていて、わざと対照的にしようとしたのかもしれないけれどこれってどうなのかしらん…と私は興ざめしました。映像と違って舞台は役者の生身の姿がさらされてしまうのだから、このヒロインありきだったのなら周りの配役はもっと考慮されてもよかったのではあるまいか…そして男優陣はとても地味でした。佐藤アツヒロは昔観た『犬夜叉』とかがすごくよかった印象で、いい俳優さんになったよねとか思っていましたが、今回はこれまたわざとそうしているのかもしれませんが実にフツーの男のヘルメルで、嫌ったらしくもなけれどチャーミングでもなく、私には役として、作品の中での立ち位置として、よくわかりませんでした。ランク医師は淵上泰史で、私にはテレビドラマ『恋がヘタでも生きてます』が印象的な俳優さんでしたが(『ダブルミンツ』の主演をしていたとは! 見たかった!!)、今回はあまり色気が感じられず、でも人の良さとかロマンティストっぽい感じを出そうとしているのだとも受け取れず、これまたよくわかりませんでした。クロクスタの松田賢二も上手いんだろうけれどよくわからなかった…そして音楽とか照明とかセットとかがとてもベタというかダサいというか洗練されていない気がしました。これまたわざとなのだろうとは思うのですが…
と、散々に言っていますが、ではおもしろくなかったのかと言われるとそんなことはなくて、ただこの舞台に感動したのではなく、もともとの作品に、戯曲に感動したんですね。なのでこの戯曲の他の舞台をもっとたくさん観たいと思いました。
これは女性の自立の話ではない、とは近年盛んに言われることだそうですが、そうですね、確かに女性の自立の話ではない。物語はノラが家を出ることで終わりますが、別にノラは自立しちゃいないよね、という気がまずしました。頼れる実家も友達もなく、まして働いてひとりで身を立てることなどできやせず、一晩で帰ってきちゃいそうな気もしますしね。しかしそれはどうでもいいのです。これはノラが自立するとかしないとかの話ではない。これは古くからある、未だ改善されない、男と女の間にある深くて暗い河の話、断絶の物語ですよね。ノラが家を出るのは結果にすぎなくて、重要なのはその前の場面です。ノラがしたことが発覚したとときのヘルメルの反応と、それに対するノラの反応、そのドラマです。
ノラは、自分の悪行(とされていること)がヘルメルに知られることを恐れる一方で、知られてなお理解されること、感謝されること、認められることを願っていたのではないでしょうか。というか、ヘルメルが知ってそうしてくれなかったときに初めて、自分がそれを望んでいたことに気づき、それがなされなかったことに絶望し、ダメだここにはいられないこの人とはやっていけない、となって家を出たのではないでしょうか。ノラは借金に関して、いいか悪いかとか法律に反しているかどうかとかではなく、彼女が何故そうしたのか、そこにどんな意図や考えがあったのかをヘルメルに理解してもらいたかった、認めてもらいたかったのです。そうして彼女が彼女自身の考えを持つひとりの人間であること、父が自分をミルク飲み人形を可愛がるように可愛がったのではない、人形なんかではなく人間であること、夫と対等な存在であることを示したかったのでしょう。けれどヘルメルはそんなことはしませんでした。そこに彼女は絶望したのでしょう。
それはヘルメルが夫だからかもしれないし、男だからかもしれないし、他者だからかもしれません。自分が他人から真に理解されることなどありえないのかもしれません。でも望んで、それが叶わなかったときに、人はそのままではいられない。これはそういう物語なのだと私は思いました。
それをもっとあぶり出すような演出と演技の芝居になったこの戯曲の別の舞台をもっと観てみたい…それが私の今回の率直の感想でした。
大空さんはこれが初の相手役さんとのキスかしらん?(笑)でも、私はクリスティーネはおもしろい女だなと思いました。大空さんがやっているからかもしれないけれど、この人の生き方や考え方はわかるし、別にノラの親友なんかじゃないし、なんなら馬鹿にしていたり意地悪したくなっちゃうようなところだってあるんだろうし、でもそれより何より自分の仕事や恋や結婚とかをきちんと大切にしていて必死で生きている女…というところに好感を持ちました。それは何事からも目をそらして浮かれて生きてきたノラとはまったく違う女の在り方です。これはそういうキャラクターなんだと思います。
年齢差があっていいならスミカのノラに大空さんクリスティーネとかが観たいけどなー。そんなことも、思いました。
弁護士ヘルメル(佐藤アツヒロ)の妻ノラ(北乃きい)は純粋で無垢な女性だった。若くして結婚し三人の可愛い子供も授かり、夫に守られて生きている。そんなある日、古くからの友人であるリンデ夫人(大空ゆうひ)が突然訪ねてくる。夫を亡くし母を看取ってひとりきりになり、仕事を求めてやってきたというのだ。ヘルメルは年が明けると銀行の頭取の地位に就く。ノラはヘルメルにリンデ夫人の雇用を頼むが…
作/ヘンリック・イプセン、訳/楠山正雄『人形の家』より、上演台本/笹部博司、演出/一色隆司。1879年初演、全2幕。
以前に別の舞台を観たときの感想はこちら。すごくおもしろく感じたものの、例によって記憶はさっぱりなく、どんな話か思い出せないままに大空さん目当てで出かけてきました。
まず北乃きいのスタイルの悪さに仰天しました。テレビで見る俳優さんを生で観ると、イメージより小柄なことに驚くか、スタイルが悪いことに驚くかのほとんど二択な気が私はします。私がタカラジェンヌを見慣れすぎているから、というのもあるかもしれませんが、顔が大きくて6頭身くらいしかなくてウェストが太くて、にこやかで華やかで美人の若妻、を作っているんだけれどいかにも「作っている」だけに見えました。そして演技もまた演技演技していて、私は鼻白みました。えっ、この作品はこういう芝居のテンションでいくの?ととまどった、というか。次に出てくるメイドのヘレーネ役の大浦千佳はちゃんとしていたので、あああテレビ女優の舞台芝居って(舞台出演は二度目だそうですが)こうなっちゃうのかな…とクラッとしました。もちろんノラって芝居がかったところがあるヒロインなんだと思うんだけれど、でもそれを表現しようとしている演技ではなく、単にいかにも演技をしています、台詞を言っています、という芝居に私には見えた、ということです。
大空さんがまた、超小顔で背が高くてスタイルがいいもんだから、どうやら学生時代の友人のようだけれどさすがに同い歳ということではないんだろうな?でもなんにせよ、地味に作っているけれど本当はわりと美人なのがすぐわかる年かさのクリスティーネと、美人に見せようとしているけれど十人並みなのがわかる年若いノラ、になっちゃっていて、わざと対照的にしようとしたのかもしれないけれどこれってどうなのかしらん…と私は興ざめしました。映像と違って舞台は役者の生身の姿がさらされてしまうのだから、このヒロインありきだったのなら周りの配役はもっと考慮されてもよかったのではあるまいか…そして男優陣はとても地味でした。佐藤アツヒロは昔観た『犬夜叉』とかがすごくよかった印象で、いい俳優さんになったよねとか思っていましたが、今回はこれまたわざとそうしているのかもしれませんが実にフツーの男のヘルメルで、嫌ったらしくもなけれどチャーミングでもなく、私には役として、作品の中での立ち位置として、よくわかりませんでした。ランク医師は淵上泰史で、私にはテレビドラマ『恋がヘタでも生きてます』が印象的な俳優さんでしたが(『ダブルミンツ』の主演をしていたとは! 見たかった!!)、今回はあまり色気が感じられず、でも人の良さとかロマンティストっぽい感じを出そうとしているのだとも受け取れず、これまたよくわかりませんでした。クロクスタの松田賢二も上手いんだろうけれどよくわからなかった…そして音楽とか照明とかセットとかがとてもベタというかダサいというか洗練されていない気がしました。これまたわざとなのだろうとは思うのですが…
と、散々に言っていますが、ではおもしろくなかったのかと言われるとそんなことはなくて、ただこの舞台に感動したのではなく、もともとの作品に、戯曲に感動したんですね。なのでこの戯曲の他の舞台をもっとたくさん観たいと思いました。
これは女性の自立の話ではない、とは近年盛んに言われることだそうですが、そうですね、確かに女性の自立の話ではない。物語はノラが家を出ることで終わりますが、別にノラは自立しちゃいないよね、という気がまずしました。頼れる実家も友達もなく、まして働いてひとりで身を立てることなどできやせず、一晩で帰ってきちゃいそうな気もしますしね。しかしそれはどうでもいいのです。これはノラが自立するとかしないとかの話ではない。これは古くからある、未だ改善されない、男と女の間にある深くて暗い河の話、断絶の物語ですよね。ノラが家を出るのは結果にすぎなくて、重要なのはその前の場面です。ノラがしたことが発覚したとときのヘルメルの反応と、それに対するノラの反応、そのドラマです。
ノラは、自分の悪行(とされていること)がヘルメルに知られることを恐れる一方で、知られてなお理解されること、感謝されること、認められることを願っていたのではないでしょうか。というか、ヘルメルが知ってそうしてくれなかったときに初めて、自分がそれを望んでいたことに気づき、それがなされなかったことに絶望し、ダメだここにはいられないこの人とはやっていけない、となって家を出たのではないでしょうか。ノラは借金に関して、いいか悪いかとか法律に反しているかどうかとかではなく、彼女が何故そうしたのか、そこにどんな意図や考えがあったのかをヘルメルに理解してもらいたかった、認めてもらいたかったのです。そうして彼女が彼女自身の考えを持つひとりの人間であること、父が自分をミルク飲み人形を可愛がるように可愛がったのではない、人形なんかではなく人間であること、夫と対等な存在であることを示したかったのでしょう。けれどヘルメルはそんなことはしませんでした。そこに彼女は絶望したのでしょう。
それはヘルメルが夫だからかもしれないし、男だからかもしれないし、他者だからかもしれません。自分が他人から真に理解されることなどありえないのかもしれません。でも望んで、それが叶わなかったときに、人はそのままではいられない。これはそういう物語なのだと私は思いました。
それをもっとあぶり出すような演出と演技の芝居になったこの戯曲の別の舞台をもっと観てみたい…それが私の今回の率直の感想でした。
大空さんはこれが初の相手役さんとのキスかしらん?(笑)でも、私はクリスティーネはおもしろい女だなと思いました。大空さんがやっているからかもしれないけれど、この人の生き方や考え方はわかるし、別にノラの親友なんかじゃないし、なんなら馬鹿にしていたり意地悪したくなっちゃうようなところだってあるんだろうし、でもそれより何より自分の仕事や恋や結婚とかをきちんと大切にしていて必死で生きている女…というところに好感を持ちました。それは何事からも目をそらして浮かれて生きてきたノラとはまったく違う女の在り方です。これはそういうキャラクターなんだと思います。
年齢差があっていいならスミカのノラに大空さんクリスティーネとかが観たいけどなー。そんなことも、思いました。
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