梅田芸術劇場、2021年1月11日14時(初日)、12日12時。
イギリスの片田舎。森の奥に捨てられた幼い兄妹エドガー(明日海りお)とメリーベル(綺里愛里)は、館に住む老ハンナ(涼風真世)に拾われ育てられる。老ハンナたちポーの一族は、永遠の時を生きる「バンパネラ」の一族であった…
原作/萩尾望都、脚本・演出/小池修一郎、作曲・音楽監督/太田健、美術/松井るみ、衣裳/生澤美子。2018年に宝塚歌劇団花組で初演されたミュージカル・ゴシック。全2幕。
宝塚版の感想はこちら。
めんどくさい原作漫画ファンなので、万難を排して初日から参戦してきました。
基本的には宝塚版をほぼ完全に踏襲していて、メリーベルのソロがちょっと増えているくらい? 衣装もセットもより陰影が濃く豪華になっていて、男声が加わることがコーラスが重厚になり、一部キーが変わった楽曲もありましたが、たっぷりめに芝居してフィナーレはなく休憩込み3時間、という舞台でした。生オケで、金管がヨレたときにはむしろ「ソレよソレ!」とちょっとテンション上がってしまったのはナイショです。でも総じて楽しく観ました。
逆に言えば、「原作からなんでそう変えた?」というところもママだったので、それはそれでちょっとどうなのよイケコ、とは思いましたけどね…
初日は、舞台稽古ではスムーズだった舞台機構その他に多少のトラブルがあり、カテコでみりおに「巨匠」と呼ばれて下手袖から舞台に出てきたイケコが冷や汗かきつつとっちらかりつつ、「落丁みたいな出来で申し訳ありません」とペコペコ謝り、キャストの苦笑と客席のほのぼのした笑いを取るという一幕もありましたが、重大な事故にはならずによかったです。二日目はスムーズな進行だったと思います。
ちにみに初日は萩尾先生もいらしていて、カテコでのみりおからの紹介に客席から立ち上がって全方位にお辞儀していました。満足していらっしゃるなら、何よりです。私自身は、宝塚版と外部版とどっちがどういいとか悪いとかはあまり考えなくて、改めて原作漫画の偉大さに想いはせました。
初ミュージカルということで心配していたバーチーこと千葉雄大のアランですが、がっちりメイクしているわけでもないのでみりおエドガーと並ぶと絵柄の違いというか掲載誌の違いは感じました。が、意外にも芝居がとても良く、みりおともあーちゃんともいいバランスで演じられていた気がしました。ラストに制服のポケットに手を突っ込む振りはちょっとアランっぽくないし、なんかやってるだけ感があったかも…あのときのれいちゃんの「人外になりました感」はやはりすごかったんだな、とは思いました。エドガーへの独占欲みたいなものの見せ方とかもね。
歌は当時のれいちゃんとどっこい、なレベルかな。クリフォード(中村橋之助)なんかもそうだったけれど、ミュージカル歌唱になっていないというか、腹式呼吸で歌えていないようで、弱かったのは残念でした。2番手スターじゃないんだから「願わくは」リプライズはいらなかったかもね…(^^;)
でも舞台にきちんと立てているのが立派だし、繊細な少年に見えたし、ホントに芝居が良かったです。ナチュラルなフツーの男子っぽさが、アランって別にエドガーの運命の相手とかではなくて、たまたま出会って、たまたまシンパシーを感じて、たまたま引きずり込まれる形になったキャラクターなのかもしれない、とも思えて、バッチリみりれいでハマったれいちゃんの在り方とは全然違っていて、それもまた良かったです。でもやっぱり「もっといい子がいたんだ!」ってセリフはあんまりだろうイケコよ…!
ポーツネル男爵は小西遼生。意外にもあまり感心しませんでした…ちょっと声が若いというか軽くて、歌もあまり良くなかった気がしました。よもやあきらの渋さ、ダンディさを懐かしく思おうとは…
そしてクリフォードも、脚が長すぎて頭身がおかしかったちなつとは別の意味で、顔が大きすぎて頭身がおかしく、「田舎町でイケイケ」というスマートさが出せていなくて、ちょっと残念だったかな…という印象でした。
シーラ(夢咲ねね)のねねちゃんは、とにかく美しかったです! ただ、襟が詰まったデイドレスはせっかくのスタイルの良さを際立たせないデザインで残念でした。あと、ゆきちゃんが絶品だった「永遠の愛」の歌唱がやはり危なっかしくて、ハラハラさせられました…ここはやや幼い感じでキュートで良かったんだけれど、人間だった頃とのちにバンパネラになってからの違いがあまり出ていなかったような気もして、そこもゆきちゃんの方が上手かったかなあ…
華ちゃんもとても素敵だったメリーベルですが、卒業後初舞台のあーちゃんもとても良かった! ユーシスを失ったあとエドガーを呼ぶソロが追加されていて、その歌もとても素敵でしたし、みりおと並ぶと麗しさハンパない似合いの兄妹っぷりだし、何よりこれまたお芝居がとてもよかったです。アランにプロポーズされて「わたしたちといっしょに遠くへいく?」と応えてからのくだりは原作漫画にはない場面なんだけれど、メリーベルの心情がすごく伝わってきて泣けました。あと男性アンサンブル演じるエドガーの影にされるリフトがめっちゃ高くて、ダイナミックだったのも魅せました。ジェンヌの基本的な身体能力の高さってホントすごいよね…ジェイン(能條愛未)のウェディング・ドレスをシーラとともに見に行くくだりは、原作と違って仮病なんですね。花組版でもそうだったかな…? いつ具合が悪いと言い出そうか、とまごまごする様子がめっかわでした。あとここのボンネットというかヘッドドレスというか、がマジめっかわで原作に忠実で、ここの舞台写真をください!と思いましたね!!
大老ポーとオルコット大佐が福井晶一の、老ハンナとブラヴァツキーが涼風真世の二役、というのがまた濃くて、ニヤリとさせられました。なので降霊会に登場する大老はアンサンブルのダミーで、声は録音のようですね。しかしカナメさんがプログラムで、86年の「歌劇」でエドガーの扮装をしていますから!とマウント取っているのには笑いました(笑)。おふたりともとても素晴らしい歌唱で、作品世界を確立させていたと思います。ただ老ハンナは台詞もだいぶ低い声で、それはどうやらイケコの指示だったようなのですが、私はさおたさんの老ハンナの方がイメージに近かったかな…
ジェインは乃木坂出身の女優さんなんですね。それこそ清楚で、素敵でした。
レイチェル(純矢ちとせ)はせーこ。でもちょっとマーゴット(苫篠ひとみ)も観てみたかったかもしれません…あまり出番がないのでもったいなく感じました。
あとはディリーの田中なずなが印象的だったかな。あとレダが七瀬りりこでしたね。いい感じでした。ウェディング・ドレスのデザイナーがみれたんで、あいかわらず小顔で美しかったです。
男性アンサンブルもみなさん素敵でしたが(セント・ウィンザーでの喧嘩の場面のみりおの胴上げがめっちゃ高くて、さすが男性の筋力よ…とちょっと怖くなるくらいでした)、トワイライト家の執事の松之木天辺が、原作とはちょっとイメージ違うんだけれど、やはりこういう役は男性がやると締まるよな、と思いました。
ただ、総じて、男優が加わることでリアルさが増す一方で、村の子供たちとの喧嘩や学校での喧嘩なんかも図式的というか、模したチャンバラみたいな場面にならざるをえないこともあり、全体になんかけっこう2.5次元感を私は感じました。宝塚歌劇版は、やはり出演者全員がフェアリーだったこともあって、一枚ヴェールをかけたようなファンタジーに仕上がっていたんだな、と思いました。男優が加わってもこういう作品世界だということもあり、リアル一辺倒な芝居になるわけではないので、そこはちょっと違和感というか、ある種のむずがゆさを持ったのかな、と思います。まあ私があくまで原作漫画ファンだからかもしれませんが…
さて、そんなわけで最後に、「新たに男女優で演じられる中に取り残された明日海エドガー」ですが、なんせ卒業後も「女優・明日海りお」になった姿をきちんと観ているわけではないので、そういう意味では違和感はまったくありませんでした。綺麗なお姉さんとして雑誌や歌番組に出ているのはちょいちょい目にしていますが、エドガーはやはりみりおだし、女優が少年役をやることはままあるので、気にならなかったのかもしれません。歌には磨きがかかり、痩せすぎて顔が尖ったり老けて見えることを心配していましたがそれもなく、より孤高の存在として輝きを放っていたと思いました。でも、早く新作が観たいな、とも思いました。いい作品に恵まれていってくれますように…
ちなみに登場シーン、宝塚版ではセリ上がって振り返ってライト!拍手!みたいなタイミングだったかと思いますが、今回は板付きですでに正面向いていて、ボードが開いて明るくなるともうそこにいる演出だったので、初日は拍手のタイミングが怪しかったですが、二日目は照明のタイミングがもう良くなっていて拍手の自然に入れやすくなっていました。そういうふうに観客に気持ちよく舞台に添わせていってくれる流れは大事だと思います。
でも、続く「哀しみのバンパネラ」が、ところでコレなんの場面だろう?と思ったり、しました。宝塚歌劇ならトップスターが銀橋に出てきてなんとなく(オイ)歌うのは定番なんだけれど、外部ミュージカルとして観たときには、まだアバンとプロローグしかやっていないんだから次は本編だろう、という気がちょっとしちゃったんですよね。こういう様式美というか定型の違いも、おもしろいものだなと考えさせられました。
そしてやはりみりおがエドガーとして出色なだけに、いろいろ原作漫画から改変されている部分がより気になって、どうしてなのイケコ???とやはり思う…というのは、やはりあったかな。何度も歌詞や台詞に出てくるような家族押し、愛押しって原作漫画のテーマとはちょっと違う気もしますし、大老ポーからエナジーをもらったエドガーのことを「後継者」とか「跡継ぎ」とか「一族ののちのリーダー」みたいにやたら言うのも妙に感じました。そういう組織じゃないだろう、と思うんですよね…あと、やはり原作にない「未練」というキーワードにもやはり引っかかったままでした。エドガーはいつだって人間に戻りたいと思っている、未練たらたらのキャラなんだよイケコ…?
大老ポーが消滅しちゃったように見えるところもママで、イヤ原作の新シリーズで生きてますし…ってなっちゃいましたしね。あ、ただ、開演前に舞台のボードに映る薔薇の模様が最新刊『秘密の花園』のカバーイラストを想起させて、それは素敵だなと思いました。ポーの、エドガーの物語は現在進行中なのです。
でも別にみりおエドガーとバーチーアランで次は『小鳥の巣』をやろう、とか、そういうことはもう特になくていいと思っています。萩尾先生はもっと先に進んでいます、だからイケコもみりおももっと別の違うことをしてほしい。私はそれを楽しく観るファンでありたい、と思っています。
初日カテコのご挨拶で、イケコがキャストもスタッフもストイックに、感染防止に気をつけてお稽古してきたことに言及していましたし、みりおも「縁起でもないことを言います。いつ最後になってもおかしくない公演です」とも言っていました。でもみりおのご挨拶がいいのは、それはコロナでなくても通常の公演でも出演者はみんなそういう覚悟でやっているので、あまり意識せず、お値段分楽しんで帰っていってほしい、みたいなことを続けていたことでした。本当にそうですよね。迷走しているようでちゃんとしていてほっこりさせられるみりお節が健在で、安心しました。さらにカテコでみりおに感想を振られてバーチーが一瞬涙声になっちゃったところ、じーんとしましたね。
二日目のカテコではみりおのご挨拶があまりにもあっさりしていて(外部だし毎回やるんだろうからこんなものだろうとは私は思ったのですが)指揮者の先生がシメの音楽を鳴らしてくれず、みりおが二度合図しても伝わらず「お願いします」と言ってもダメで、「本日は本当にありがとうございました」と定番のセリフを言ったらやっと鳴ったのにはウケました。その後の再度のカテコで「私の挨拶があまりにシンプルだったものだから…」と指揮者をフォローするみりおがさすがでしたし、バーチーを「アランを呼びます」と招いたのも素敵でした。そしてバーチーも「本日は本当にありがとうございました」と言うという…(笑)良きカンパニーで何よりです。
御園座での大楽まで、どうかご安全に…お祈りしています。
イギリスの片田舎。森の奥に捨てられた幼い兄妹エドガー(明日海りお)とメリーベル(綺里愛里)は、館に住む老ハンナ(涼風真世)に拾われ育てられる。老ハンナたちポーの一族は、永遠の時を生きる「バンパネラ」の一族であった…
原作/萩尾望都、脚本・演出/小池修一郎、作曲・音楽監督/太田健、美術/松井るみ、衣裳/生澤美子。2018年に宝塚歌劇団花組で初演されたミュージカル・ゴシック。全2幕。
宝塚版の感想はこちら。
めんどくさい原作漫画ファンなので、万難を排して初日から参戦してきました。
基本的には宝塚版をほぼ完全に踏襲していて、メリーベルのソロがちょっと増えているくらい? 衣装もセットもより陰影が濃く豪華になっていて、男声が加わることがコーラスが重厚になり、一部キーが変わった楽曲もありましたが、たっぷりめに芝居してフィナーレはなく休憩込み3時間、という舞台でした。生オケで、金管がヨレたときにはむしろ「ソレよソレ!」とちょっとテンション上がってしまったのはナイショです。でも総じて楽しく観ました。
逆に言えば、「原作からなんでそう変えた?」というところもママだったので、それはそれでちょっとどうなのよイケコ、とは思いましたけどね…
初日は、舞台稽古ではスムーズだった舞台機構その他に多少のトラブルがあり、カテコでみりおに「巨匠」と呼ばれて下手袖から舞台に出てきたイケコが冷や汗かきつつとっちらかりつつ、「落丁みたいな出来で申し訳ありません」とペコペコ謝り、キャストの苦笑と客席のほのぼのした笑いを取るという一幕もありましたが、重大な事故にはならずによかったです。二日目はスムーズな進行だったと思います。
ちにみに初日は萩尾先生もいらしていて、カテコでのみりおからの紹介に客席から立ち上がって全方位にお辞儀していました。満足していらっしゃるなら、何よりです。私自身は、宝塚版と外部版とどっちがどういいとか悪いとかはあまり考えなくて、改めて原作漫画の偉大さに想いはせました。
初ミュージカルということで心配していたバーチーこと千葉雄大のアランですが、がっちりメイクしているわけでもないのでみりおエドガーと並ぶと絵柄の違いというか掲載誌の違いは感じました。が、意外にも芝居がとても良く、みりおともあーちゃんともいいバランスで演じられていた気がしました。ラストに制服のポケットに手を突っ込む振りはちょっとアランっぽくないし、なんかやってるだけ感があったかも…あのときのれいちゃんの「人外になりました感」はやはりすごかったんだな、とは思いました。エドガーへの独占欲みたいなものの見せ方とかもね。
歌は当時のれいちゃんとどっこい、なレベルかな。クリフォード(中村橋之助)なんかもそうだったけれど、ミュージカル歌唱になっていないというか、腹式呼吸で歌えていないようで、弱かったのは残念でした。2番手スターじゃないんだから「願わくは」リプライズはいらなかったかもね…(^^;)
でも舞台にきちんと立てているのが立派だし、繊細な少年に見えたし、ホントに芝居が良かったです。ナチュラルなフツーの男子っぽさが、アランって別にエドガーの運命の相手とかではなくて、たまたま出会って、たまたまシンパシーを感じて、たまたま引きずり込まれる形になったキャラクターなのかもしれない、とも思えて、バッチリみりれいでハマったれいちゃんの在り方とは全然違っていて、それもまた良かったです。でもやっぱり「もっといい子がいたんだ!」ってセリフはあんまりだろうイケコよ…!
ポーツネル男爵は小西遼生。意外にもあまり感心しませんでした…ちょっと声が若いというか軽くて、歌もあまり良くなかった気がしました。よもやあきらの渋さ、ダンディさを懐かしく思おうとは…
そしてクリフォードも、脚が長すぎて頭身がおかしかったちなつとは別の意味で、顔が大きすぎて頭身がおかしく、「田舎町でイケイケ」というスマートさが出せていなくて、ちょっと残念だったかな…という印象でした。
シーラ(夢咲ねね)のねねちゃんは、とにかく美しかったです! ただ、襟が詰まったデイドレスはせっかくのスタイルの良さを際立たせないデザインで残念でした。あと、ゆきちゃんが絶品だった「永遠の愛」の歌唱がやはり危なっかしくて、ハラハラさせられました…ここはやや幼い感じでキュートで良かったんだけれど、人間だった頃とのちにバンパネラになってからの違いがあまり出ていなかったような気もして、そこもゆきちゃんの方が上手かったかなあ…
華ちゃんもとても素敵だったメリーベルですが、卒業後初舞台のあーちゃんもとても良かった! ユーシスを失ったあとエドガーを呼ぶソロが追加されていて、その歌もとても素敵でしたし、みりおと並ぶと麗しさハンパない似合いの兄妹っぷりだし、何よりこれまたお芝居がとてもよかったです。アランにプロポーズされて「わたしたちといっしょに遠くへいく?」と応えてからのくだりは原作漫画にはない場面なんだけれど、メリーベルの心情がすごく伝わってきて泣けました。あと男性アンサンブル演じるエドガーの影にされるリフトがめっちゃ高くて、ダイナミックだったのも魅せました。ジェンヌの基本的な身体能力の高さってホントすごいよね…ジェイン(能條愛未)のウェディング・ドレスをシーラとともに見に行くくだりは、原作と違って仮病なんですね。花組版でもそうだったかな…? いつ具合が悪いと言い出そうか、とまごまごする様子がめっかわでした。あとここのボンネットというかヘッドドレスというか、がマジめっかわで原作に忠実で、ここの舞台写真をください!と思いましたね!!
大老ポーとオルコット大佐が福井晶一の、老ハンナとブラヴァツキーが涼風真世の二役、というのがまた濃くて、ニヤリとさせられました。なので降霊会に登場する大老はアンサンブルのダミーで、声は録音のようですね。しかしカナメさんがプログラムで、86年の「歌劇」でエドガーの扮装をしていますから!とマウント取っているのには笑いました(笑)。おふたりともとても素晴らしい歌唱で、作品世界を確立させていたと思います。ただ老ハンナは台詞もだいぶ低い声で、それはどうやらイケコの指示だったようなのですが、私はさおたさんの老ハンナの方がイメージに近かったかな…
ジェインは乃木坂出身の女優さんなんですね。それこそ清楚で、素敵でした。
レイチェル(純矢ちとせ)はせーこ。でもちょっとマーゴット(苫篠ひとみ)も観てみたかったかもしれません…あまり出番がないのでもったいなく感じました。
あとはディリーの田中なずなが印象的だったかな。あとレダが七瀬りりこでしたね。いい感じでした。ウェディング・ドレスのデザイナーがみれたんで、あいかわらず小顔で美しかったです。
男性アンサンブルもみなさん素敵でしたが(セント・ウィンザーでの喧嘩の場面のみりおの胴上げがめっちゃ高くて、さすが男性の筋力よ…とちょっと怖くなるくらいでした)、トワイライト家の執事の松之木天辺が、原作とはちょっとイメージ違うんだけれど、やはりこういう役は男性がやると締まるよな、と思いました。
ただ、総じて、男優が加わることでリアルさが増す一方で、村の子供たちとの喧嘩や学校での喧嘩なんかも図式的というか、模したチャンバラみたいな場面にならざるをえないこともあり、全体になんかけっこう2.5次元感を私は感じました。宝塚歌劇版は、やはり出演者全員がフェアリーだったこともあって、一枚ヴェールをかけたようなファンタジーに仕上がっていたんだな、と思いました。男優が加わってもこういう作品世界だということもあり、リアル一辺倒な芝居になるわけではないので、そこはちょっと違和感というか、ある種のむずがゆさを持ったのかな、と思います。まあ私があくまで原作漫画ファンだからかもしれませんが…
さて、そんなわけで最後に、「新たに男女優で演じられる中に取り残された明日海エドガー」ですが、なんせ卒業後も「女優・明日海りお」になった姿をきちんと観ているわけではないので、そういう意味では違和感はまったくありませんでした。綺麗なお姉さんとして雑誌や歌番組に出ているのはちょいちょい目にしていますが、エドガーはやはりみりおだし、女優が少年役をやることはままあるので、気にならなかったのかもしれません。歌には磨きがかかり、痩せすぎて顔が尖ったり老けて見えることを心配していましたがそれもなく、より孤高の存在として輝きを放っていたと思いました。でも、早く新作が観たいな、とも思いました。いい作品に恵まれていってくれますように…
ちなみに登場シーン、宝塚版ではセリ上がって振り返ってライト!拍手!みたいなタイミングだったかと思いますが、今回は板付きですでに正面向いていて、ボードが開いて明るくなるともうそこにいる演出だったので、初日は拍手のタイミングが怪しかったですが、二日目は照明のタイミングがもう良くなっていて拍手の自然に入れやすくなっていました。そういうふうに観客に気持ちよく舞台に添わせていってくれる流れは大事だと思います。
でも、続く「哀しみのバンパネラ」が、ところでコレなんの場面だろう?と思ったり、しました。宝塚歌劇ならトップスターが銀橋に出てきてなんとなく(オイ)歌うのは定番なんだけれど、外部ミュージカルとして観たときには、まだアバンとプロローグしかやっていないんだから次は本編だろう、という気がちょっとしちゃったんですよね。こういう様式美というか定型の違いも、おもしろいものだなと考えさせられました。
そしてやはりみりおがエドガーとして出色なだけに、いろいろ原作漫画から改変されている部分がより気になって、どうしてなのイケコ???とやはり思う…というのは、やはりあったかな。何度も歌詞や台詞に出てくるような家族押し、愛押しって原作漫画のテーマとはちょっと違う気もしますし、大老ポーからエナジーをもらったエドガーのことを「後継者」とか「跡継ぎ」とか「一族ののちのリーダー」みたいにやたら言うのも妙に感じました。そういう組織じゃないだろう、と思うんですよね…あと、やはり原作にない「未練」というキーワードにもやはり引っかかったままでした。エドガーはいつだって人間に戻りたいと思っている、未練たらたらのキャラなんだよイケコ…?
大老ポーが消滅しちゃったように見えるところもママで、イヤ原作の新シリーズで生きてますし…ってなっちゃいましたしね。あ、ただ、開演前に舞台のボードに映る薔薇の模様が最新刊『秘密の花園』のカバーイラストを想起させて、それは素敵だなと思いました。ポーの、エドガーの物語は現在進行中なのです。
でも別にみりおエドガーとバーチーアランで次は『小鳥の巣』をやろう、とか、そういうことはもう特になくていいと思っています。萩尾先生はもっと先に進んでいます、だからイケコもみりおももっと別の違うことをしてほしい。私はそれを楽しく観るファンでありたい、と思っています。
初日カテコのご挨拶で、イケコがキャストもスタッフもストイックに、感染防止に気をつけてお稽古してきたことに言及していましたし、みりおも「縁起でもないことを言います。いつ最後になってもおかしくない公演です」とも言っていました。でもみりおのご挨拶がいいのは、それはコロナでなくても通常の公演でも出演者はみんなそういう覚悟でやっているので、あまり意識せず、お値段分楽しんで帰っていってほしい、みたいなことを続けていたことでした。本当にそうですよね。迷走しているようでちゃんとしていてほっこりさせられるみりお節が健在で、安心しました。さらにカテコでみりおに感想を振られてバーチーが一瞬涙声になっちゃったところ、じーんとしましたね。
二日目のカテコではみりおのご挨拶があまりにもあっさりしていて(外部だし毎回やるんだろうからこんなものだろうとは私は思ったのですが)指揮者の先生がシメの音楽を鳴らしてくれず、みりおが二度合図しても伝わらず「お願いします」と言ってもダメで、「本日は本当にありがとうございました」と定番のセリフを言ったらやっと鳴ったのにはウケました。その後の再度のカテコで「私の挨拶があまりにシンプルだったものだから…」と指揮者をフォローするみりおがさすがでしたし、バーチーを「アランを呼びます」と招いたのも素敵でした。そしてバーチーも「本日は本当にありがとうございました」と言うという…(笑)良きカンパニーで何よりです。
御園座での大楽まで、どうかご安全に…お祈りしています。
いつも楽しく拝読しております!
私は梅芸版の「ポーの一族」を東京で2回観ました。(宝塚版は1回)
で。
千葉アランは物足りなく感じました・・
同時に、れいちゃんのアランって、ものすごく作り込まれたアランだったんだと気がつきました。
れいちゃん演じるアランは、愛情に飢え、虚勢をはることで傷つきやすい自分を守るようなガラスの少年で。ひりひりした心の痛みに耐えている感じ。
それが。
バンパネラになったときに、つきものが落ちたように落ち着いている(というか、それまでの苦しみから解き放たれている)。
宝塚版でのエンディング、エドガーとアランが共に同級生に背をむけ、ふりかえって(客席の方に視線をむけて)せり上がっていく場面。
2人とも、同級生から「あいつら自信満々だよな」と言われるのもむべなるかな、と思わせる満ち足りた表情で。この2人には2人だけの世界、確かな絆があるんだと感じさせてくれる。
だから観ている側としては
エドガーは、自分の境遇を受容できたのかも。少なくともアランがいるから、ひとりぼっちじゃないよね。孤独のなか、絶望をかかえて生きているわけではないんだ。よかったね・・
と思えるんです。
れいちゃんアランに比べると、千葉アランは変化がわかりにくい。
千葉くん、すごく綺麗なお顔で、歌も上手になっていたし、女性であるみりおちゃんの隣に立って、違和感なく「少年」として存在できるのはすごいことだし、素晴らしい役者さんだと思うんですけども。
これは趣味の問題かもしれないですね。
千葉くんアランを物足りなく感じる方が多いだろうことも、なんとなくわかります。
れいちゃんは素晴らしいダンサーさんですが、私はお芝居も好きです。本当に繊細に計算し、
かつそれを体現する技術がありますよね。
千葉くんにはまだ「こう演じたい」という想いは見えてもそうできていない、技量の足りなさを感じはしました。
それも含めて、やや甘めに見ていたのかもしれないし、最初からハードルを下げて臨んでいたので
意外と悪くなかったじゃん、という感想になったのかもしれません(^^;)。
厳しく見るとしたら、そもそも私は原作ファンなのでみりおエドガーだって違う!何よりイケコ脚本が違う!!となってしまうので…
でも、外部でやることはいろいろな可能性を広げることになっておもしろいな、とは思いましたね。
だからこそなおさら宝塚歌劇には新作オリジナルの良作を期待したいところです。
●駒子●