駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『李香蘭』

2023年01月23日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA、2023年1月19日18時半。

 李香蘭(西内まりや)、本名・山口淑子。1920年、中華民国奉天省で日本人の両親のもとに生まれた彼女は、中国で生まれ育った日本人だった。だが13歳のとき、両親の友人であった李将軍と義理の娘として縁を結び、李香蘭という中国名を得る。その後、歌う中国人女優・李香蘭として思いがけずデビューすることになり、日中戦争時には満州映画協会の専属女優として数多くの日本映画に出演し、彼女が歌う「夜来香」や「蘇州夜曲」はアジアで大ヒットするが…
 脚本・作詞/岡本貴也、演出・振付/良知真次、作曲/鎌田雅人、振付協力/名倉加代子、総合監修/横内謙介。日中国交正常化50周年、日中平和友好条約45周年記念公演の日中合作音楽劇。全2幕。

マヌエラ』の翌日に観たので、昨日は上海、今日は満州で、日本人でない振りをする日本人女性の物語(しかもこちらには中国人でない振りをする中国人女性も出てくる…)を観るんだな…と、ちょっとおもしろかったです。ただしこちらはがっつり歌い踊るグランド・ミュージカルで、ハコはむしろ交換してもよかったかもしれない、とも思いました。でもそれだとますます後方席が寂しいことになっちゃうでしょうけれどね…入りが悪かったのは平日夜だったからと思いたいものですが、いい作品だったので残念です。
 そしてこれは中国で、北京とか上海とかで中国語で上演されたりはしないのかなあ? もちろんキャストは中国語ネイティブに変更していいかと思いますが…それとも中国ではこのヒロインの印象や扱いは日本とは違うものなのかしら、この物語とは違う語られ方をしている存在なのかしらん…力のあるオリジナル・ミュージカルだなと思えただけに、ここだけの上演は残念に感じました。
 マヌエラはもうちゃんとした成人で、芸名としてなんちゃってプロフィールごと外国人名を名乗ること、外国人になりきることを割り切っていたというか、自覚的だったと思われます。日本嫌い、軍人嫌いの彼女は楽しんで、そして進んで非日本人を演じていたところもあったことでしょう。けれど淑子はまだ子供で、流されるままに、というか単に当時の現地の風習として知人と義理の親子となり、中国名を通称として使っていただけなのに、中国を取り込みたい日本の国策に利用されてしまって…という面が強いようでした。作品としても、政治に利用される芸能、という面を意識的に扱うものでした。
 のちに帰国し議員も務めた老境…と言ってはアレかな、中年期の淑子(安寿ミラ)をヤンさんが演じていて、これが「特別出演」なんて扱いではもったいないくらいに出番あるし歌うし踊るしバイトもするしで大活躍で、かつ作品そのものが彼女が回想する若き日の物語、という構造になっていて、それもとても効いていましたが、余計に若き日の西内まりや演じる李香蘭は流され周りの利用されるままの子供、という側面が際だったんだと思います。
 でもお話が、両親の出会いみたいなところから始まるものだから、あーなってこーなってみたいなしょーもない伝記音楽劇だったらどうしよう、とか実は一瞬心配しました。でもみんながみんな歌が上手いのと、それぞれのナンバーにパワーがあるのとでどんどん惹き込まれていきました。ストレートながら華がある作品になっていたと思います。
 これが初舞台、もともとはモデルというヒロインは、一幕ラストまではむしろ影が薄く、作品は彼女の周りの人間たちがあれこれ思惑を持ち画策し動き回ることで進み、彼女だけが台風の目のように静かでむしろ透明化されている…という作りになっていて、それもまたおもしろく感じました。またすらりと背が高く頭は小さくてホントOGのような(あーちゃんみがあった気がする)美しい佇まいが、その居場所にぴったりに思えたのです。が、実は歌も芝居もダンスもちゃんと上手くて、一幕ラストに存在感を見せ始めると、二幕は俄然彼女の物語になったのでした。おもしろい!
 彼女は子供で、流されるままに、周りに進められるままにまた周りの期待に応えたいがために、李香蘭として懸命に歌い踊り笑い演技をし生きてきた…のかもしれないけれど、それでも何かがおかしいとはやはり気づいていたのです。きちんと言語化できたり、それを政治的な行動に結びつけられるかはともかく、自分が嘘をつかされていること、正しくないことをやらされていることにはちゃんと気づいていて、居心地が悪いとも正しくないとも思い、ちゃんとしたい、正したい、周りのみならず世界のすべてに正直で誠実でありたいと考えるようになったのです。それでおずおずとでも声を上げた。それが通らないことがストレスで倒れもした。彼女は必死で真実を告げようとし、正直であろうとし、けれど時の政府はそれを許さず、そして戦争が激化していって…という、これはなんとも重苦しい闘いの物語なのでした。
 二幕になると、李香蘭は中国人として捕らえられ、日本に協力した売国奴として裁判にかけられますが、そもそも日本人なんだからその罪には当たらない…というような方向で彼女の周りの人々が彼女を救おうと奔走します。でも史実や当時の記録や司法その他のこともさておき、国籍とか人種とかってなんなんだろう、とこれを観ていて改めて私たちは考えさせられるのです。名前は単なる記号だし、見た目はほぼ変わらないし、言葉がペラペラなことも何も証明しないし、両親の戸籍や出生証明書も本当は「人種」の説明にはならないのです。というか戦争で国境がいくらでも変わってしまい、なんなら帝政ロシアのように国ごとひっくり返りなくなるような時代に、国籍や○○人というくくりになんの意味があるのでしょうね? その無意味さ、理不尽さ、でもそれらをもとに裁かれる命すら奪われることがある戦争裁判…おそろしすぎました。
『マヌエラ』が彼女の踊りで物語を閉めたように、この作品では引き揚げ船でかかるラジオとそこに唱和する人々の歌、李香蘭の歌で閉められました。歌や踊りに罪はない。それが政治に利用されることは多々あれど、そもそもはもっと根源的な、ごくシンプルな思いから湧き起こり始まるもの、愛と希望と喜びと幸せの輝き、祈り…本来はそうしたものなのです。だからこそ下手したら国より、政権より長く愛され引き継がれ、残っていく…それを寿ぎ、利用する者への静かな怒りと二度とこんなことはしないさせないという誓い、明日への希望と祈りを込めて、全員が手をつないでのラインナップになだれ込むのでした。
 力強い、良き作品でした。

 川島芳子(この日は飛龍つかさ)は、私には男装の麗人というよりは現役時代まんまの男役に見えて、そしてもちろん男性キャストも出演しているので男性には見えないという、不思議なキャラクターと存在感でよかったです。バリバリ歌い踊りカッコいいので、つかさっちの今後にさらなる期待をかけたいです。
 これまた『マヌエラ』にもリューバという名の女性キャラクターがいましたが、こちらはリュバチカ(この日は玉置成実)。リュボーフィが「愛」なので、つまり「愛ちゃん」「愛子ちゃん」みたいなものなのでしょう。白系ロシア人の中国への亡命というか移民、避難も実に多かったということですよね。彼女もまた金髪のリリカルな外見に似合わぬ、力強い活躍をしてくれるのでした。とてもよかったです。玉置成実は川島芳子とこの役をダブルキャストで演じるというなかなかの離れ業、素晴らしいですね。
 男性陣もみんなよかったなー。キャラが立っていて、歌も踊りも芝居もちゃんとしていてまったくストレスがありませんでした。そしてそういえば『マヌエラ』同様、わかりやすいロマンスはないな…まあ色恋沙汰でまとめるにはこの戦争の記憶はやはり近いし重い、ということなのかもしれません。
 私は母親が昭和20年生まれなので、母の歳を数えることで戦後何年かを考えていますが、新しい戦前なんてまっぴらです、ホントずっと戦後でいいんです。憲法をまっとうできる世の中になりきっていないのに、憲法の方を変えようとか姑息すぎて卑怯すぎて人としてダメすぎます。もっと高みを目指せよ、そっちに向かって生きていこうよ。なので戦争ものはフィクションでしつこいくらいにやって、学校でもちゃんと近現代史を教えないと、若い人の知識や意識が本当に心配です。利用されるのはまずそうした人たちなんだから、それを止める義務が私たち世代には確実にありますよね。そうしたことも肝に銘じて、観劇し、感じたこと考えたことを伝え、より良く生きていきたいです。あの戦争で命を落とした人々のためにも、今も戦争で命を落としている人々のためにも。
 空に星、地には花、そして平和を。地球まるごと、私たちの故郷なのですから…






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