宙組博多座公演『黒い瞳/VIVA!FESTA!in HAKATA』を初日から3回連続観劇して帰京しました。
1998年の月組初演は家にプログラムがなかったので、なんと生では観ていないようです。でもユウコの雪の精のダンスが素晴らしかったことはすごくよく覚えていて、でも斜め上から見た角度でクルクルしているところとかの記憶なので、スカステ映像なんだろうなあ。大空さんの伝説のプガチョフ代役についても、エピソードとしてしか知りません。
でもだからこそ、2011年に雪組全ツで再演されたときにはすごく嬉しくて、喜び勇んで初日の梅田を観に行ったんですよね。キムミミにぴったり! と感動したし、キムまっつの馬車の歌で初めてあの歌の正しいメロディがわかった気がしたものでした(笑)。
今回の三演発表も嬉しかったです。私は柴田スキーなので作品そのものが好きでしたし、私はゆりかちゃんの白い役がわりと好きなんです。ただ『WSS』トニーといい、マミちゃん専科っぽくなっちゃっているのは気になりましたが…まどかにゃんのマーシャはそら似合うだろうと思いました。
シヴァーブリンとかやらせてもらえないかなあ、ガイチの下衆っぷりがホントよかったんだよなあ、コマもよかったよなあ、でもずんちゃんがいるからなあ、マクシームィチもいいよね、いっそサヴェーリィチでもいいけど? とかいろいろ妄想していたら、ベロボロードフって誰だっけ? ひろみがやってた? 元はるんぱさん? 記憶にない、しょぼん…みたいな。
あと、せーこがエカテリーナってのもなー。もう観たよそれ、もっと他の誰かを起用していった方がいいんじゃないの? とかも思っていました。パラーシカがせとぅーというのもなかなかに意外なような気も、とかとか…
ともあれ、細かいところはだいぶ忘れていたこともあって、今回の初日はかなりドキドキしながら、新鮮に楽しく観ました。通路挟んで一列前に謝先生がいらっしゃいましたが、メモなど書きつつご覧になっているようでした。
博多座は盆もセリもあるけれど、装置(國包洋子)は前回まんまなのかな、それともけっこう新しくなっているのかな? とても抽象的なような、でも何にでもなるような装置でとても印象的で効果的で、なので初日は、舞台そのものもちょっと抽象的というか、観客の想像力を必要とさせるというか、全体にパラパラした作りの作品に思えました。
トリオがストーリーテラーとして説明していたりもするんだけれど、けっこう時間はバンバン経過するし、刻々と変化する政局の表現も台詞だけだったりであまりダイレクトに表現する場面はないので、わかりづらく感じる箇所も多いのかな、と思ったのです。なんと言ってもニコライが自分ではほぼ何もしない主人公なので、いやマーシャのために決闘したりマーシャを救出しに行ったりとかはしているんだけれど、政治の大きなところに関わっていくような立場の人ではなく、そのあたりに関してはほぼ外野、野次馬、傍観者なので、メインのストーリー展開のひとつであるプガチョフとエカテリーナの対立に関してはどうしても脇の立ち位置になり、観客もそれに合わせてややおいていかれ気味になるのは仕方ないのかもしれません。というか全体に、何が芯の話? ってなっちゃいそう、ってのはあるかな。政局の変化と主役ふたりの恋愛のドラマが絡み合っているところがミソではある物語なんですけれどね。
でも、二度目からは、まあこちらが話をわかって観ることができちゃうというのもあるんですけれど、役者がちゃんと役を煮詰めしっかりきっちり表現し感情とストーリーをつなぎドラマを盛り立て、歴史の大きなうねりとその中の主役ふたりのささやかでもあたたかな幸せ…というお芝居を、がっつり魅せてくれた気がしました。
私は好きです、楽しいです。いい作品だとも思います。行かない週末もあるしフルフルで観まくるというほどではないですが、いい感じに回数が観られる予定ですし、飽きずに楽しく通えそうです。そして愛ちゃんの専科異動もあって、これは千秋楽は熱い舞台になるよ…! と今から心震えます。楽しみです。
ゆりかちゃんのニコライは、やっぱりニンでなくはあるかなー、と思ってしまいました。サヴェーリィチへの何度も繰り返される「うるさいなあ」という文句に象徴的なお子ちゃまぶりとか、ホントはペテルブルクで近衛士官になりたかったのにプンスカ、こんな田舎ヤダヤダ、みたいなボンボンっぷりは、本当はもっと別のタイプのスターにこそ似合うキャラクターなのかもしれません(これも全ツで若い二番手スター主演でまわるような演目になっていくといいのかなあ…)。でも、ゆりかちゃんはちょっとムリしてなくもないかもしれないけれど、のびのびと楽しそうに、まっすぐで気のいい好青年をきっちり演じてみせてくれてはいるかなと思いました。スターとしてのニンは違うんだけど、中の人のキャラとしては合致してそう…というのもあるかな。
対プガチョフの場面はことにどれも良くて、道案内のお礼に外套を無造作にあげちゃうところや「皇帝」プガチョフに忠誠を誓えないところ、呼び名を決めるくだりや馬車の歌、最後に引っ立てられていくプガチョフを見送るところ…ビンビンきました。
自分は生まれながらの貴族で、女帝陛下に忠誠を誓っているからプガチョフには忠誠を誓えない、という理屈や、軍人だから上意下達が絶対だ、君たちの組織だってそうだろう、みたいな理屈は本当にいかにも男のもので思考停止していて、実は理屈になんか全然なっていないと私なんかは思うんだけれど、それでわかり合えちゃってなんとなく友愛めいたものを感じちゃう男ふたりのドラマ、ってのがいいんですよね。そらベロさんも妬くよね…これは後述。
そしてそれと対比するように、マーシャとエカテリーナの女ふたりの名場面もある…これも後述。そこから見える、私が考えるこの作品の古さや問題点についても、後述。
ともあれゆりかちゃんの意外と(意外と言うな)素朴で優しくてまっすぐで、という性質は対マーシャへの愛の表現にもよく出ていて、そういうところもとてもよかったです。彼をこう育てた彼の両親ならきっと、マーシャを受け入れてくれることでしょう。
まどかにゃんのマーシャもとてもよかったけれど、歌はもっと上手く聞かせられる気がするんだけどなー。あとやっぱり雪の精のダンスはちょっと苦労して見えて、ガンバレ! となりました。ペテルブルクへ向かう場面のダンスはとてもよかったです。実際の距離がどれくらいあるのか知りませんが、ロシアの国境近い田舎から首都への旅は当時の女性にとってそれはそれは過酷なものだったことでしょう。私は『ファラオの墓』の奇跡の砂漠越えとかをちょっと思い起こしたりしちゃいました。柴田脚本はマーシャというヒロインを、ただ守られ、待っているだけの存在ではなく、愛のためにむしろ男以上のことをしでかしてしまう強さと激しさを持った女性として描いていますよね。そこが、いい。
自分の出自に関してヘンに卑屈になりすぎていない様子や、産みの親にも育ての親にも感謝しているであろうあたたかで優しくてまっすぐな人柄が演技や仕草から窺えたのもよかったです。意外とみんなが事情を知っていて、でも黙ってくれていて、自分も実はそれを知っているんだけれどむしろ周りのために知らない振りをしている、優しく清らかな少女…でも、ニコライとのあのくだりの中で潔くきちんと告白できる、強さや正直さも持っている。勇気が要ったことでしょうし、震える様子もいじらしい。カマトトに見えないよう、綺麗で清らかに演じるのが意外に難しい難役を、まどかにゃんは立派に務めていたと思いました。
そして愛ちゃんプガチョフが素晴らしかったですね! 見目もデカいが懐もデカい。愛ちゃんがプガチョフという人物を、また脚本が描こうとしているところをものすごくきちんと理解していて、それをきちんと体現してみせているところが何よりすごいと思いました。ラスプーチンの経験が生きていたりとかももちろんあるんだろうけれど、ホント芝居の人だよなーと思います。並ぶとゆりかちゃんがちゃんと貴族の小倅に見えるのもいい。まあ実はふたりともデカくて、馬車の場面なんか、前回と同じものを使っているのかは知りませんが、はみ出て転げ落ちそうに見えましたよね。でもそういう押し出しも大事ですよね。
圧巻なのは捕縛され、引っ立てられるのに抗って寝っ転がって暴れるくだりで、ホント宝塚歌劇の男役として、いかにある種の汚れ役とはいえやはりかなり無残だし、ギリギリのところだと思うんですよ。でも愛ちゃんはやっちゃうし、それは正しいし、それが観客の胸を打つんだよなと思いました。愛ちゃんの生徒人生の大きな博打は、みんなが応援しているからね…!
そして新三番手へのわかりやすい布石が着々と置かれているずんちゃんですが、これまた上手い。シヴァーブリンの小物さ、卑小さを絶妙に演じてみせているし、だけどど金髪でセンターパーツでちょっと小さいのは仕方ないにしてとにかくカッコいいし、剣だけでないペテルブルク仕込みが見えるんですよ。そのあたりも絶妙だと思います。イケメンでワル、正解。
彼が査問会でマーシャの名を出さなかったあたりは、やはり彼は彼なりに今でもマーシャを愛しているということなのか、ニコライが断罪されたあと自分がマーシャを迎えに行くために彼女を無傷でとっておこうとしたのか…というか彼のこのあとの人生は結局どうだったのかしらん、やはり処刑されてしまったのかしらん…
せーこエカテリーナも圧巻でした。というかあのSEが素晴らしいですね、そしてそれに負けていない演技がすごい。まっぷーやりっつの重臣バイトは存在感があるだけにちょっと気になりましたけどね。あと、エカテリーナが動かしているロシア正規軍の圧倒的物量みたいなものがどうしてもこの舞台では表現できなくて、そこは弱いかなとは感じました(たとえば私はニコライがコサックのつらい暮らしを見聞きする具体的なエピソードの場面はあった方がいいのではないかと考えているんですけれど、これは追加できそうだと思うんですよね。でも何万もの正規軍の兵士がずらりと並んで進軍! みたいな迫力は、やはり舞台では映画みたいには描けないからなあ、と思うのです)。
マーシャがニコライの助命を嘆願に来るくだりは名場面ですね。作品違いですが、このときのマーシャの訴えが、エカテリーナの胸をガンガンと打っちゃうんですよね。そう、愛ってヤツがね。わかります、わかります。
ただ、エカテリーナが女であることを思い出した、みたいなことを歌っちゃっているように、あるいはラストでいかにもプガチョフな愛ちゃん雪のコサックがニコライとマーシャを祝福して踊っているように、この物語はそもそもの問題を主役の男女の愛で解決しようとしている、もっと言えばすり替えようとしているけれど、そしてそれは宝塚歌劇だし柴田ロマンだし昔の作品だから当時はそれで正しかったし充分だったのかもしれないけれと、今観ると、そうじゃないだろう、と少なくとも私は感じてしまったのでした。その意味で、古い、と思いました。
そもそもの問題、それは差別です。
ところで私は「コサック」というのはほとんどパルチザンと同義というか、反政府の民兵、みたいなイメージでずっと考えていて、時の政府(ないし国家)の主流の人種、民族とは違う層が構成するもの、という要素は考えたことが実はなかったのですが、今回この舞台を観ていて、やはりそういう点での差別意識もあったの? とかけっこう混乱しました。実際のところはどうなんでしょう…
主に辺境に暮らし、都会の貴族社会とは無縁で、農奴として使役され搾取され虐げられ差別される一団…皇帝とその周辺にはべる貴族たちからしたら、まつろわぬ土民ども、という認識なのかもしれません。
けれど同じ人間です。光ってやがらなくても同じ人間なのです(作品違う)。だからプガチョフは立ち上がったのではないでしょうか?
そんなプガチョフがしたかった世直しとは、貴族の青年とコサックの娘が結婚できるような、誰もが自由に恋愛でき結婚できる世の中を作りたい、というだけのことのはずはなくて、もっと、人種差別も民族差別も階級差別もなく、すべての人間の尊厳が尊重されみんなが真に平等で幸福で、格差もなければ貧困もない、平和な世界を望んでいたはず、だと思うんですよね。
だから本当ならエカテリーナも、女としてマーシャに愛を思い出させられるだけでなく、政権を担う女帝として、コサックも自分たちロシア人と、あるいは貴族と同じ人間なのだということに気づき、差別のない平和な帝国を築くよう方向転換しなくちゃならなかったはずなのです。
でも、その視点は残念ながらこの物語にはないように思われます。ピョートルⅢ世を名乗るプガチョフは、ただ皇帝に成り代わりたかっただけの男のように見えてしまいかねません。けれど彼は本当は、皇帝など要らない世界を目指したのではないのでしょうか…?
もちろん実際のこの反乱は、人権思想から生まれたものというよりは階級闘争にすぎなかったのかもしれません。そしてもう少しの時間が経ったあとではあるけれど、ロシア貴族社会は滅びロマノフの国家も倒れ、社会主義国家が樹立されそしてそれもまたなくなり…ということを私たちは歴史として知っている訳なのですが。そして今なお、差別や貧困のない国家など世界のどこにも樹立できていないことも、残念ながら私たちは知っているのですが…
マクシームィチとパラーシカは結ばれずに死に別れた、反乱軍は鎮圧されプガチョフは処刑された。帝政は安泰であり、ニコライとマーシャは結ばれた…それで一応めでたしめでたし、なんだけれども、それは本当はただ問題をすり替えただけにすぎないしそれじゃダメだよね、これでよしとしちゃダメだよね…という現代的な視点が、この物語のロマンチックな空気を壊すことなく挿入できれば、アナクロに陥ることなく今なお上演されるに足る名作として進化しブラッシュアップしている、と言えるのではないかな、と僭越ながら考えましたが、まあ、難しいのかな…
そこまで考えなくても、よかったね、と見終えられるロマンスではあるかと思うので、それで十分とするべきなのかな、とももちろん思っています。
なんのかんの言って、私はこの作品がこのままでわりと好きなのでした。
その他の生徒さんの感想やショーについては、また千秋楽後にまとめたく思います。
あ、トリオがとにかく素晴らしいことに関しては、今から言及しておきましょう!
では最後にベロボロードフさんについて、ちょっとだけ。
なんせどんな役かよく覚えていなくて、プガチョフの右腕だけど裏切る男、というだけの知識しかなくて、スチールはまさかのソーランで外見のヒントもないし、プログラムで予習したところではまずはコサックの男としてプロローグに出番がある、とは把握したので、やや気もそぞろに舞台を見守るじゃないですか。幕が開き、トリオの説明が続き、民衆たちがわらわら出てきて、プロローグだしそりゃ総出だなそろそろか? と野性の勘が働いたところに…
ヒ、髭…!?
聞いてない!
てかワイルド! ムサい!! イイ!!! ちゃんとコサックだ、辺境のむさ苦しい農奴の親父だ、イヤしかしイケオジやな…!?
と、動揺ハンパなかったです。
そのあとはまずは宿屋の主人として登場するんだけれど、これはバイトではなくベロボロードフさんなんですよね。つまりプガチョフは最初のころは、ベロボロードフが主人を務める宿屋の酒場に金ができると飲みに来るごく貧しい農夫、にすぎなかったのでしょう。それがやがてカリスマを発揮し、農民たちをまとめ組織し皇帝と名乗り、一大勢力となって政権を脅かすまでに成り上がっていくわけです。そしてベロさんはそんなプガチョフの参謀として共に進んでいく…
ペルジーノがレオナルドに嫉妬し羨望し愛憎を感じたように、ベロさんは自分にはないカリスマを持つプガチョフに思うところがあったりしたのかしらん。いやんせつないわ。それとも単に、女に甘いし貴族の坊ちゃんにも甘いしで実はナンパなしょうもないヤツ、とけっこうハナから気にくわなく残念に思っていたのでしょうか。もう、お堅いんだから―!(笑) そしてゆるい中の人が解説すると裏切りの原因はやきもち、になっちゃうんだから可愛いものですよね。
まあまあ、と諫めてくれるかなこフロプーシャとは仲良しに見えますが、どういう関係なんだろう。同郷とか幼なじみとかなのかな、これまた萌えますね。ともあれふたりともプガチョフのような信念ある世直しとかは実はあまり考えていなくて、勝ち馬に乗りたいだけで、情勢が悪くなると小金に目がくらんでボスを裏切っちゃう、って浅薄なところも、今までなかなかなかった役どころだと思うので、私はとても楽しく見てしまいました。バレンシア以来の高笑いもなかなかレアかと。凄腕スナイパーなのかと思いきやけっこう外すね!? とかもおもろかったですしね。あげく、褒賞をもらいに行ってあっさり斬り殺されるとは…(そしてロレンツォみたいに生き返って快気祝いで踊ったりしない。正しい)いじましさ、情けなさがホントたまらなくて、バタンとしたひっくり返り方の潔さといい、私は脳内で快哉を叫んでしまいました。ホント、見たことない姿が見られて楽しかったのです。
からのラスト、雪のコサック! 白のおぼうぼのお伽噺のロシアの皇子キター!! ってのがまたたまりませんでした。初日はここに愛ちゃんプガチョフがいたことを認識できていなかった気がします私。てかここのモンチ、りく、かなこはこの戦いで命を落としたイヴァン、マクシームィチ、フロプーシャなのかもしれませんね。ずんちゃんとそらもいるけれど、シヴァーブリンもおそらくあのあと処刑されてしまったのかもしれませんしね。そして愛を象徴しているトリオのそらは、みんなとはまた違う高次の存在としてこの場面に参加しているのかもしれません。
プガチョフが、いかにも宝塚歌劇の二番手スターが扮するにふさわしい、主人公に対しての大きなライバル役で、ナンバーも多いし、だから必然的にベロさんも出番が多くて、私は大満足です。多分中の人も楽しんでいると思うなー。普通にしてたらメガネくんタイプの参謀役が与えられちゃいがちな人なだけに、挑戦できて楽しいんじゃないかなー。私は好きだなー。はべりたいけどベロさんは酒はひとりで飲むタイプなんだろうなー…
おそらく今週末からの三連休がお茶会ラッシュだろうので、あちこちから中の人の役作りについての話などこぼれてくるとまた楽しいだろうなと思います。うちの人はどんなトークを展開してくれるかな、どんな悠長な抽選会をやってくれるかな(笑。←オイ)。楽しみすぎてハゲそうです。あと数日元気に働いて、また元気に博多に旅立ちたいです。そんなこんなではありますが、引き続きよろしくお願いいたします!
1998年の月組初演は家にプログラムがなかったので、なんと生では観ていないようです。でもユウコの雪の精のダンスが素晴らしかったことはすごくよく覚えていて、でも斜め上から見た角度でクルクルしているところとかの記憶なので、スカステ映像なんだろうなあ。大空さんの伝説のプガチョフ代役についても、エピソードとしてしか知りません。
でもだからこそ、2011年に雪組全ツで再演されたときにはすごく嬉しくて、喜び勇んで初日の梅田を観に行ったんですよね。キムミミにぴったり! と感動したし、キムまっつの馬車の歌で初めてあの歌の正しいメロディがわかった気がしたものでした(笑)。
今回の三演発表も嬉しかったです。私は柴田スキーなので作品そのものが好きでしたし、私はゆりかちゃんの白い役がわりと好きなんです。ただ『WSS』トニーといい、マミちゃん専科っぽくなっちゃっているのは気になりましたが…まどかにゃんのマーシャはそら似合うだろうと思いました。
シヴァーブリンとかやらせてもらえないかなあ、ガイチの下衆っぷりがホントよかったんだよなあ、コマもよかったよなあ、でもずんちゃんがいるからなあ、マクシームィチもいいよね、いっそサヴェーリィチでもいいけど? とかいろいろ妄想していたら、ベロボロードフって誰だっけ? ひろみがやってた? 元はるんぱさん? 記憶にない、しょぼん…みたいな。
あと、せーこがエカテリーナってのもなー。もう観たよそれ、もっと他の誰かを起用していった方がいいんじゃないの? とかも思っていました。パラーシカがせとぅーというのもなかなかに意外なような気も、とかとか…
ともあれ、細かいところはだいぶ忘れていたこともあって、今回の初日はかなりドキドキしながら、新鮮に楽しく観ました。通路挟んで一列前に謝先生がいらっしゃいましたが、メモなど書きつつご覧になっているようでした。
博多座は盆もセリもあるけれど、装置(國包洋子)は前回まんまなのかな、それともけっこう新しくなっているのかな? とても抽象的なような、でも何にでもなるような装置でとても印象的で効果的で、なので初日は、舞台そのものもちょっと抽象的というか、観客の想像力を必要とさせるというか、全体にパラパラした作りの作品に思えました。
トリオがストーリーテラーとして説明していたりもするんだけれど、けっこう時間はバンバン経過するし、刻々と変化する政局の表現も台詞だけだったりであまりダイレクトに表現する場面はないので、わかりづらく感じる箇所も多いのかな、と思ったのです。なんと言ってもニコライが自分ではほぼ何もしない主人公なので、いやマーシャのために決闘したりマーシャを救出しに行ったりとかはしているんだけれど、政治の大きなところに関わっていくような立場の人ではなく、そのあたりに関してはほぼ外野、野次馬、傍観者なので、メインのストーリー展開のひとつであるプガチョフとエカテリーナの対立に関してはどうしても脇の立ち位置になり、観客もそれに合わせてややおいていかれ気味になるのは仕方ないのかもしれません。というか全体に、何が芯の話? ってなっちゃいそう、ってのはあるかな。政局の変化と主役ふたりの恋愛のドラマが絡み合っているところがミソではある物語なんですけれどね。
でも、二度目からは、まあこちらが話をわかって観ることができちゃうというのもあるんですけれど、役者がちゃんと役を煮詰めしっかりきっちり表現し感情とストーリーをつなぎドラマを盛り立て、歴史の大きなうねりとその中の主役ふたりのささやかでもあたたかな幸せ…というお芝居を、がっつり魅せてくれた気がしました。
私は好きです、楽しいです。いい作品だとも思います。行かない週末もあるしフルフルで観まくるというほどではないですが、いい感じに回数が観られる予定ですし、飽きずに楽しく通えそうです。そして愛ちゃんの専科異動もあって、これは千秋楽は熱い舞台になるよ…! と今から心震えます。楽しみです。
ゆりかちゃんのニコライは、やっぱりニンでなくはあるかなー、と思ってしまいました。サヴェーリィチへの何度も繰り返される「うるさいなあ」という文句に象徴的なお子ちゃまぶりとか、ホントはペテルブルクで近衛士官になりたかったのにプンスカ、こんな田舎ヤダヤダ、みたいなボンボンっぷりは、本当はもっと別のタイプのスターにこそ似合うキャラクターなのかもしれません(これも全ツで若い二番手スター主演でまわるような演目になっていくといいのかなあ…)。でも、ゆりかちゃんはちょっとムリしてなくもないかもしれないけれど、のびのびと楽しそうに、まっすぐで気のいい好青年をきっちり演じてみせてくれてはいるかなと思いました。スターとしてのニンは違うんだけど、中の人のキャラとしては合致してそう…というのもあるかな。
対プガチョフの場面はことにどれも良くて、道案内のお礼に外套を無造作にあげちゃうところや「皇帝」プガチョフに忠誠を誓えないところ、呼び名を決めるくだりや馬車の歌、最後に引っ立てられていくプガチョフを見送るところ…ビンビンきました。
自分は生まれながらの貴族で、女帝陛下に忠誠を誓っているからプガチョフには忠誠を誓えない、という理屈や、軍人だから上意下達が絶対だ、君たちの組織だってそうだろう、みたいな理屈は本当にいかにも男のもので思考停止していて、実は理屈になんか全然なっていないと私なんかは思うんだけれど、それでわかり合えちゃってなんとなく友愛めいたものを感じちゃう男ふたりのドラマ、ってのがいいんですよね。そらベロさんも妬くよね…これは後述。
そしてそれと対比するように、マーシャとエカテリーナの女ふたりの名場面もある…これも後述。そこから見える、私が考えるこの作品の古さや問題点についても、後述。
ともあれゆりかちゃんの意外と(意外と言うな)素朴で優しくてまっすぐで、という性質は対マーシャへの愛の表現にもよく出ていて、そういうところもとてもよかったです。彼をこう育てた彼の両親ならきっと、マーシャを受け入れてくれることでしょう。
まどかにゃんのマーシャもとてもよかったけれど、歌はもっと上手く聞かせられる気がするんだけどなー。あとやっぱり雪の精のダンスはちょっと苦労して見えて、ガンバレ! となりました。ペテルブルクへ向かう場面のダンスはとてもよかったです。実際の距離がどれくらいあるのか知りませんが、ロシアの国境近い田舎から首都への旅は当時の女性にとってそれはそれは過酷なものだったことでしょう。私は『ファラオの墓』の奇跡の砂漠越えとかをちょっと思い起こしたりしちゃいました。柴田脚本はマーシャというヒロインを、ただ守られ、待っているだけの存在ではなく、愛のためにむしろ男以上のことをしでかしてしまう強さと激しさを持った女性として描いていますよね。そこが、いい。
自分の出自に関してヘンに卑屈になりすぎていない様子や、産みの親にも育ての親にも感謝しているであろうあたたかで優しくてまっすぐな人柄が演技や仕草から窺えたのもよかったです。意外とみんなが事情を知っていて、でも黙ってくれていて、自分も実はそれを知っているんだけれどむしろ周りのために知らない振りをしている、優しく清らかな少女…でも、ニコライとのあのくだりの中で潔くきちんと告白できる、強さや正直さも持っている。勇気が要ったことでしょうし、震える様子もいじらしい。カマトトに見えないよう、綺麗で清らかに演じるのが意外に難しい難役を、まどかにゃんは立派に務めていたと思いました。
そして愛ちゃんプガチョフが素晴らしかったですね! 見目もデカいが懐もデカい。愛ちゃんがプガチョフという人物を、また脚本が描こうとしているところをものすごくきちんと理解していて、それをきちんと体現してみせているところが何よりすごいと思いました。ラスプーチンの経験が生きていたりとかももちろんあるんだろうけれど、ホント芝居の人だよなーと思います。並ぶとゆりかちゃんがちゃんと貴族の小倅に見えるのもいい。まあ実はふたりともデカくて、馬車の場面なんか、前回と同じものを使っているのかは知りませんが、はみ出て転げ落ちそうに見えましたよね。でもそういう押し出しも大事ですよね。
圧巻なのは捕縛され、引っ立てられるのに抗って寝っ転がって暴れるくだりで、ホント宝塚歌劇の男役として、いかにある種の汚れ役とはいえやはりかなり無残だし、ギリギリのところだと思うんですよ。でも愛ちゃんはやっちゃうし、それは正しいし、それが観客の胸を打つんだよなと思いました。愛ちゃんの生徒人生の大きな博打は、みんなが応援しているからね…!
そして新三番手へのわかりやすい布石が着々と置かれているずんちゃんですが、これまた上手い。シヴァーブリンの小物さ、卑小さを絶妙に演じてみせているし、だけどど金髪でセンターパーツでちょっと小さいのは仕方ないにしてとにかくカッコいいし、剣だけでないペテルブルク仕込みが見えるんですよ。そのあたりも絶妙だと思います。イケメンでワル、正解。
彼が査問会でマーシャの名を出さなかったあたりは、やはり彼は彼なりに今でもマーシャを愛しているということなのか、ニコライが断罪されたあと自分がマーシャを迎えに行くために彼女を無傷でとっておこうとしたのか…というか彼のこのあとの人生は結局どうだったのかしらん、やはり処刑されてしまったのかしらん…
せーこエカテリーナも圧巻でした。というかあのSEが素晴らしいですね、そしてそれに負けていない演技がすごい。まっぷーやりっつの重臣バイトは存在感があるだけにちょっと気になりましたけどね。あと、エカテリーナが動かしているロシア正規軍の圧倒的物量みたいなものがどうしてもこの舞台では表現できなくて、そこは弱いかなとは感じました(たとえば私はニコライがコサックのつらい暮らしを見聞きする具体的なエピソードの場面はあった方がいいのではないかと考えているんですけれど、これは追加できそうだと思うんですよね。でも何万もの正規軍の兵士がずらりと並んで進軍! みたいな迫力は、やはり舞台では映画みたいには描けないからなあ、と思うのです)。
マーシャがニコライの助命を嘆願に来るくだりは名場面ですね。作品違いですが、このときのマーシャの訴えが、エカテリーナの胸をガンガンと打っちゃうんですよね。そう、愛ってヤツがね。わかります、わかります。
ただ、エカテリーナが女であることを思い出した、みたいなことを歌っちゃっているように、あるいはラストでいかにもプガチョフな愛ちゃん雪のコサックがニコライとマーシャを祝福して踊っているように、この物語はそもそもの問題を主役の男女の愛で解決しようとしている、もっと言えばすり替えようとしているけれど、そしてそれは宝塚歌劇だし柴田ロマンだし昔の作品だから当時はそれで正しかったし充分だったのかもしれないけれと、今観ると、そうじゃないだろう、と少なくとも私は感じてしまったのでした。その意味で、古い、と思いました。
そもそもの問題、それは差別です。
ところで私は「コサック」というのはほとんどパルチザンと同義というか、反政府の民兵、みたいなイメージでずっと考えていて、時の政府(ないし国家)の主流の人種、民族とは違う層が構成するもの、という要素は考えたことが実はなかったのですが、今回この舞台を観ていて、やはりそういう点での差別意識もあったの? とかけっこう混乱しました。実際のところはどうなんでしょう…
主に辺境に暮らし、都会の貴族社会とは無縁で、農奴として使役され搾取され虐げられ差別される一団…皇帝とその周辺にはべる貴族たちからしたら、まつろわぬ土民ども、という認識なのかもしれません。
けれど同じ人間です。光ってやがらなくても同じ人間なのです(作品違う)。だからプガチョフは立ち上がったのではないでしょうか?
そんなプガチョフがしたかった世直しとは、貴族の青年とコサックの娘が結婚できるような、誰もが自由に恋愛でき結婚できる世の中を作りたい、というだけのことのはずはなくて、もっと、人種差別も民族差別も階級差別もなく、すべての人間の尊厳が尊重されみんなが真に平等で幸福で、格差もなければ貧困もない、平和な世界を望んでいたはず、だと思うんですよね。
だから本当ならエカテリーナも、女としてマーシャに愛を思い出させられるだけでなく、政権を担う女帝として、コサックも自分たちロシア人と、あるいは貴族と同じ人間なのだということに気づき、差別のない平和な帝国を築くよう方向転換しなくちゃならなかったはずなのです。
でも、その視点は残念ながらこの物語にはないように思われます。ピョートルⅢ世を名乗るプガチョフは、ただ皇帝に成り代わりたかっただけの男のように見えてしまいかねません。けれど彼は本当は、皇帝など要らない世界を目指したのではないのでしょうか…?
もちろん実際のこの反乱は、人権思想から生まれたものというよりは階級闘争にすぎなかったのかもしれません。そしてもう少しの時間が経ったあとではあるけれど、ロシア貴族社会は滅びロマノフの国家も倒れ、社会主義国家が樹立されそしてそれもまたなくなり…ということを私たちは歴史として知っている訳なのですが。そして今なお、差別や貧困のない国家など世界のどこにも樹立できていないことも、残念ながら私たちは知っているのですが…
マクシームィチとパラーシカは結ばれずに死に別れた、反乱軍は鎮圧されプガチョフは処刑された。帝政は安泰であり、ニコライとマーシャは結ばれた…それで一応めでたしめでたし、なんだけれども、それは本当はただ問題をすり替えただけにすぎないしそれじゃダメだよね、これでよしとしちゃダメだよね…という現代的な視点が、この物語のロマンチックな空気を壊すことなく挿入できれば、アナクロに陥ることなく今なお上演されるに足る名作として進化しブラッシュアップしている、と言えるのではないかな、と僭越ながら考えましたが、まあ、難しいのかな…
そこまで考えなくても、よかったね、と見終えられるロマンスではあるかと思うので、それで十分とするべきなのかな、とももちろん思っています。
なんのかんの言って、私はこの作品がこのままでわりと好きなのでした。
その他の生徒さんの感想やショーについては、また千秋楽後にまとめたく思います。
あ、トリオがとにかく素晴らしいことに関しては、今から言及しておきましょう!
では最後にベロボロードフさんについて、ちょっとだけ。
なんせどんな役かよく覚えていなくて、プガチョフの右腕だけど裏切る男、というだけの知識しかなくて、スチールはまさかのソーランで外見のヒントもないし、プログラムで予習したところではまずはコサックの男としてプロローグに出番がある、とは把握したので、やや気もそぞろに舞台を見守るじゃないですか。幕が開き、トリオの説明が続き、民衆たちがわらわら出てきて、プロローグだしそりゃ総出だなそろそろか? と野性の勘が働いたところに…
ヒ、髭…!?
聞いてない!
てかワイルド! ムサい!! イイ!!! ちゃんとコサックだ、辺境のむさ苦しい農奴の親父だ、イヤしかしイケオジやな…!?
と、動揺ハンパなかったです。
そのあとはまずは宿屋の主人として登場するんだけれど、これはバイトではなくベロボロードフさんなんですよね。つまりプガチョフは最初のころは、ベロボロードフが主人を務める宿屋の酒場に金ができると飲みに来るごく貧しい農夫、にすぎなかったのでしょう。それがやがてカリスマを発揮し、農民たちをまとめ組織し皇帝と名乗り、一大勢力となって政権を脅かすまでに成り上がっていくわけです。そしてベロさんはそんなプガチョフの参謀として共に進んでいく…
ペルジーノがレオナルドに嫉妬し羨望し愛憎を感じたように、ベロさんは自分にはないカリスマを持つプガチョフに思うところがあったりしたのかしらん。いやんせつないわ。それとも単に、女に甘いし貴族の坊ちゃんにも甘いしで実はナンパなしょうもないヤツ、とけっこうハナから気にくわなく残念に思っていたのでしょうか。もう、お堅いんだから―!(笑) そしてゆるい中の人が解説すると裏切りの原因はやきもち、になっちゃうんだから可愛いものですよね。
まあまあ、と諫めてくれるかなこフロプーシャとは仲良しに見えますが、どういう関係なんだろう。同郷とか幼なじみとかなのかな、これまた萌えますね。ともあれふたりともプガチョフのような信念ある世直しとかは実はあまり考えていなくて、勝ち馬に乗りたいだけで、情勢が悪くなると小金に目がくらんでボスを裏切っちゃう、って浅薄なところも、今までなかなかなかった役どころだと思うので、私はとても楽しく見てしまいました。バレンシア以来の高笑いもなかなかレアかと。凄腕スナイパーなのかと思いきやけっこう外すね!? とかもおもろかったですしね。あげく、褒賞をもらいに行ってあっさり斬り殺されるとは…(そしてロレンツォみたいに生き返って快気祝いで踊ったりしない。正しい)いじましさ、情けなさがホントたまらなくて、バタンとしたひっくり返り方の潔さといい、私は脳内で快哉を叫んでしまいました。ホント、見たことない姿が見られて楽しかったのです。
からのラスト、雪のコサック! 白のおぼうぼのお伽噺のロシアの皇子キター!! ってのがまたたまりませんでした。初日はここに愛ちゃんプガチョフがいたことを認識できていなかった気がします私。てかここのモンチ、りく、かなこはこの戦いで命を落としたイヴァン、マクシームィチ、フロプーシャなのかもしれませんね。ずんちゃんとそらもいるけれど、シヴァーブリンもおそらくあのあと処刑されてしまったのかもしれませんしね。そして愛を象徴しているトリオのそらは、みんなとはまた違う高次の存在としてこの場面に参加しているのかもしれません。
プガチョフが、いかにも宝塚歌劇の二番手スターが扮するにふさわしい、主人公に対しての大きなライバル役で、ナンバーも多いし、だから必然的にベロさんも出番が多くて、私は大満足です。多分中の人も楽しんでいると思うなー。普通にしてたらメガネくんタイプの参謀役が与えられちゃいがちな人なだけに、挑戦できて楽しいんじゃないかなー。私は好きだなー。はべりたいけどベロさんは酒はひとりで飲むタイプなんだろうなー…
おそらく今週末からの三連休がお茶会ラッシュだろうので、あちこちから中の人の役作りについての話などこぼれてくるとまた楽しいだろうなと思います。うちの人はどんなトークを展開してくれるかな、どんな悠長な抽選会をやってくれるかな(笑。←オイ)。楽しみすぎてハゲそうです。あと数日元気に働いて、また元気に博多に旅立ちたいです。そんなこんなではありますが、引き続きよろしくお願いいたします!