若い夫婦が自宅で惨殺され、現場には「怒」という血文字が残されていた。犯人は山神一也、27歳と判明するが、その行方は杳として知れず捜査は難航していた。そして事件から一年後の夏、房総の港町で働く槙洋平・愛子親子、大手企業に勤めるゲイの藤田優馬、沖縄の離島で母親と暮らす小宮山泉の前に、身元不明の三人の男が現われた…
先に映画を観ました。予告などで豪華キャストだなと思って気になっていましたし、妻夫木くんと綾野剛の絡みがあるみたいだし。そのわりにはあまり騒がれていないな、観に行った人の感想とかがタイムラインに流れてこないな?と思っていました。
観たらわかりました。ブッキーと綾野剛のBLなんか以上に広瀬すずの強姦場面がえぐかったからです。BLに騒ぐのが女子ならこのくだりに閉口するのも女子でしょう。セットだから人に勧めたりしづらくて口をつぐむのでしょう。
そして映画自体はとても淡々としていました。役者はそれぞれ熱演というか好演していたと思うのですが、とにかく全体としてはわざと大仰にしたりドラマチックに演出したりすることはあえて避けているような、でもやはり映像的に凝った描写やこだわりなんかは随所に感じられるような、繊細なんだか大雑把なんだかよくわからない仕上がりな気がしました。ざらりとしたものも感じるけれど、振り切っていないような。
それで、原作小説を読んでみました。
後半を除けば映画は原作にかなり忠実に映像化していたんだな、と驚きました。特に台詞がほぼまんまで、私はこれは文学の台詞としてどうなのよ、と思いましたけれどね…
キャラクターやエピソードも、映画では省略している部分もありますが、映画が誇張したようなところはほぼないんですね。
でも、広瀬すずが演じた泉の強姦場面は、小説ではありませんでした。書かれていないというか、描写が途中で切り上げられているというか。あとから泉が刑事に説明するくだりでの地の文でも「暴行されかかった」という表現になっています。泉と母親、医者などのくだりからすると小説でも未遂なわきゃなかろうという感じがするのですが、とにかくぼかされているというか、ひよっていました。
だからこそ映画のあの描写のえぐさがより印象的になりました。そりゃ日本の映画ですから、ポルノじゃありませんから、ダイレクトに映っているわけではありません。でもわかる、というかわかるようなカメラワークだったりなんたりするわけです。
映画では、彼らが米兵かどうかはわかりませんでした。何なら人種もよくわかりませんでした。とにかく外国人の、ガタイのいい若者ふたりが、泉をとっ捕まえて引き倒し、ひとりが口をふさいで腕ごと抱え込んで背中に乗っかり、もうひとりが彼女の両足を広げてその間に自分の体を入れ、スカートをまくり上げて下着を引き剥がす様子がはっきりと窺えます。泉は泣き叫びますが声はほとんど漏れ聞こえないし、のしかかられ押さえつけられてまったく身動きできないのがよくわかります。
醜悪なのが、泉を犯しているのであろう男の後頭部とか肩、背中の上部の大写しのカットが何回かあることで、こういうカメラワークって普通、そこに振り下ろされるバットとか角材とか殴りつけられる拳とか、要するにそういう助けの手が飛び込んでくることを予想させるものなんですよ。だけどそれはないの。監督はわかっていてそういうカットを重ねているんだと思うのです。それが本当にひどいと思うし、観ていてつらい。
もちろん実際にこういう事件は沖縄だけでなくともたくさん起きているんだし、現実の醜悪さはこの映画で描かれるものの比ではないのだろうけれど、とにかく映画なので目の前で展開されていて目をつぶりたくてもつぶれないんですよ。つぶるべきではないと言いたくてこう描いているのでしょうが、しかし。
辰哉が行動に出るに至る経緯とか、終盤はけっこう映画と小説では違っていて、小説の方がきれいにまとめている印象でした。エピローグがちゃんとあるというか。でも映画を観たあとからするときれいすぎて嘘っぽい気がしました。何よりタイトルにそぐわない気がしました。
映画はもっとやりっぱなしなのです。つまりそれだけ「怒り」というものを描くことにシフトした作りだったのではなかろうか、と思います。そこに監督の意思を感じました。やるせない、行き場のない、どうしようもない怒りという感情そのものを表現すること。そこに映像化の意義をおいていたのかな、と思いました。
でもではそれがよかったのかどうなのかと言えば、私個人は「別に…」としか言いようがないかな、とも思いました。そういうことって現実にいくらでもあることなので、フィクションではもう少し違うものを見たい、と考えているからなのかもしれません。
それにしても人が人を愛するときに、出自を知ることはやはりそんなにも大きいことなのでしょうかね…何も知らずただツイからなんとなく友達になることが多い今、どうもぴんと来ないような、それでもやはりわかるような…ううーむ。
私は舞台ほどには映画を観ませんが、話題のものでは『ズートピア』『シンゴジラ』『君の名は。』『怒り』と観てきて、前二者が圧倒的に好きです。
吉田修一作品は実は他にあまり数を読んでいないので、機械があればまた読んでみて考えたいです。
(追記※ところで私はコンドームの袋を歯で噛んで咥えて片手で引きちぎって開ける人を初めて見ました…そんなの少女漫画とかBL漫画のファンタジー表現かと思っていましたよ。両手使って普通に開けないんだ、まあちょっと普通の状況じゃなかったかもしれないけど…と、そんなことに震撼しました。こんな行為、女の、もっと言えば処女の妄想かと思っていたんですけど、普通に男性たちが演じて男性たちが撮影し編集してるんだから彼らにとってリアルってことなの…?)
先に映画を観ました。予告などで豪華キャストだなと思って気になっていましたし、妻夫木くんと綾野剛の絡みがあるみたいだし。そのわりにはあまり騒がれていないな、観に行った人の感想とかがタイムラインに流れてこないな?と思っていました。
観たらわかりました。ブッキーと綾野剛のBLなんか以上に広瀬すずの強姦場面がえぐかったからです。BLに騒ぐのが女子ならこのくだりに閉口するのも女子でしょう。セットだから人に勧めたりしづらくて口をつぐむのでしょう。
そして映画自体はとても淡々としていました。役者はそれぞれ熱演というか好演していたと思うのですが、とにかく全体としてはわざと大仰にしたりドラマチックに演出したりすることはあえて避けているような、でもやはり映像的に凝った描写やこだわりなんかは随所に感じられるような、繊細なんだか大雑把なんだかよくわからない仕上がりな気がしました。ざらりとしたものも感じるけれど、振り切っていないような。
それで、原作小説を読んでみました。
後半を除けば映画は原作にかなり忠実に映像化していたんだな、と驚きました。特に台詞がほぼまんまで、私はこれは文学の台詞としてどうなのよ、と思いましたけれどね…
キャラクターやエピソードも、映画では省略している部分もありますが、映画が誇張したようなところはほぼないんですね。
でも、広瀬すずが演じた泉の強姦場面は、小説ではありませんでした。書かれていないというか、描写が途中で切り上げられているというか。あとから泉が刑事に説明するくだりでの地の文でも「暴行されかかった」という表現になっています。泉と母親、医者などのくだりからすると小説でも未遂なわきゃなかろうという感じがするのですが、とにかくぼかされているというか、ひよっていました。
だからこそ映画のあの描写のえぐさがより印象的になりました。そりゃ日本の映画ですから、ポルノじゃありませんから、ダイレクトに映っているわけではありません。でもわかる、というかわかるようなカメラワークだったりなんたりするわけです。
映画では、彼らが米兵かどうかはわかりませんでした。何なら人種もよくわかりませんでした。とにかく外国人の、ガタイのいい若者ふたりが、泉をとっ捕まえて引き倒し、ひとりが口をふさいで腕ごと抱え込んで背中に乗っかり、もうひとりが彼女の両足を広げてその間に自分の体を入れ、スカートをまくり上げて下着を引き剥がす様子がはっきりと窺えます。泉は泣き叫びますが声はほとんど漏れ聞こえないし、のしかかられ押さえつけられてまったく身動きできないのがよくわかります。
醜悪なのが、泉を犯しているのであろう男の後頭部とか肩、背中の上部の大写しのカットが何回かあることで、こういうカメラワークって普通、そこに振り下ろされるバットとか角材とか殴りつけられる拳とか、要するにそういう助けの手が飛び込んでくることを予想させるものなんですよ。だけどそれはないの。監督はわかっていてそういうカットを重ねているんだと思うのです。それが本当にひどいと思うし、観ていてつらい。
もちろん実際にこういう事件は沖縄だけでなくともたくさん起きているんだし、現実の醜悪さはこの映画で描かれるものの比ではないのだろうけれど、とにかく映画なので目の前で展開されていて目をつぶりたくてもつぶれないんですよ。つぶるべきではないと言いたくてこう描いているのでしょうが、しかし。
辰哉が行動に出るに至る経緯とか、終盤はけっこう映画と小説では違っていて、小説の方がきれいにまとめている印象でした。エピローグがちゃんとあるというか。でも映画を観たあとからするときれいすぎて嘘っぽい気がしました。何よりタイトルにそぐわない気がしました。
映画はもっとやりっぱなしなのです。つまりそれだけ「怒り」というものを描くことにシフトした作りだったのではなかろうか、と思います。そこに監督の意思を感じました。やるせない、行き場のない、どうしようもない怒りという感情そのものを表現すること。そこに映像化の意義をおいていたのかな、と思いました。
でもではそれがよかったのかどうなのかと言えば、私個人は「別に…」としか言いようがないかな、とも思いました。そういうことって現実にいくらでもあることなので、フィクションではもう少し違うものを見たい、と考えているからなのかもしれません。
それにしても人が人を愛するときに、出自を知ることはやはりそんなにも大きいことなのでしょうかね…何も知らずただツイからなんとなく友達になることが多い今、どうもぴんと来ないような、それでもやはりわかるような…ううーむ。
私は舞台ほどには映画を観ませんが、話題のものでは『ズートピア』『シンゴジラ』『君の名は。』『怒り』と観てきて、前二者が圧倒的に好きです。
吉田修一作品は実は他にあまり数を読んでいないので、機械があればまた読んでみて考えたいです。
(追記※ところで私はコンドームの袋を歯で噛んで咥えて片手で引きちぎって開ける人を初めて見ました…そんなの少女漫画とかBL漫画のファンタジー表現かと思っていましたよ。両手使って普通に開けないんだ、まあちょっと普通の状況じゃなかったかもしれないけど…と、そんなことに震撼しました。こんな行為、女の、もっと言えば処女の妄想かと思っていたんですけど、普通に男性たちが演じて男性たちが撮影し編集してるんだから彼らにとってリアルってことなの…?)