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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

玉城夕紀『青の数学』(新潮文庫)

2016年08月08日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 雪の日に出会った女子高生は、数学オリンピックを制した天才だった。その少女、京香凜の問いに栢山は困惑する。「数学って、何?」若き数学者が集うネット上の決闘空間でライバルと出会い競う中で、栢山は答えを探す…ひたむきな想いを数学へとぶつける少年少女たちを描く青春小説。
 
 タイトルや帯のキャッチ、カバー表4のあらすじに惹かれて買ってみましたが、失敗でした。騙されました…青春小説なんかに全然なっていない。そもそも人間が描けていない、登場人物がキャラクターになっていない。これでは小説と呼べないと私は思う。
 数学関連の参考文献は巻末にたくさん上げられています。作者はそういうエピソードがおもしろいと思ってこの作品を書き出したのだろうけれど、キャラクターを作り出せていずその世界にこれらのネタを落とし込めていないのです。だったらもともとの数学パズル本とか数学者の伝記とかを読んだ方が断然おもしろいしドラマチックなわけですよ。でもそれじゃダメでしょ?
 登場人物の名前や性格、姿、考え方、家族構成や生い立ち、何より個性や特徴といったものがまったく描き出せていないまま、放課後の云々とかネットでの決闘とか部活とかキャンプとか展開されても、まったくもってときめきません。そもそも誰が誰だか全然区別がつかないし、主人公らしきキャラクターにも愛着も興味も持てないんだもん、読むのがつらかったです。
 いつおもしろくなるの…?と思いながら一応最後まで読みましたが…結局最後まで何が言いたい話なのかよくわかりませんでした。
 イマドキの若者とはちょっと違うところに興味を持つ、ちょっと浮き世離れした、生きづらそうにしている登場人物たちが、それでも生きて友達と交わり社会で暮らしていくきっかけを得るような、その中での天才のきらめきとか苦悩とか青春の輝きとかせつなさが描ければ、よかったんでしょうけれどねえ。というかそういうものを期待していたんですけれどねえ。そういうアオリ方だったしねえ。
 …残念。





あき『オリンポス』(一迅社ZERO-SUM COMICS全2巻)

2010年04月21日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 大国トロイアで幸せな日々を送っていた王子ガニュメデスは成人の日、太陽神アポロンにさらわれて「箱庭」と呼ばれる不思議な空間に閉じ込められてしまう…

 ジャケ買いしたのですが、アタリでした。
 なんてったって私はギリシア神話おたくなので。
 ガニュメデスといえばゼウスにさらわれた美少年ですが、さてアポロンは絡んできたんだったっけな…このお話に出てくる神々は、ゼウス、ポセイドン、ハーデスの三兄弟にアポロンとアルテミス姉弟くらいです。

 しかしオチがないのは残念だったかなー…
 絵やネームのセンスはとてもとても好みで、テーマとしてもおもしろいところをついていると思ったのですが…

 神は嘘がつけない。
 神は死なない。
 その絶対の真理、永遠、不変、退屈…

 古い言葉に言われるとおり、神が人間を作ったのではなく、人間が神を作り出したのです。
 そしてタニス・リーが『闇の公子』でアズュラーンに気づかせたとおり、人間が神を必要としなくなることはあるかもしれないがその逆はない。神には人間が必要なのです。
 だからアポロンはガニュメデスを箱庭に連れてきたのです。
 しかしハーデスが言うとおり、ガニュメデスが今後もずっとこの状態に甘んじていられることはおそらくありえない。彼が人間であるがゆえに、彼はこの永遠に耐えられない。いずれ彼は狂ってハーデスのもとにいくでしょう。そして箱庭は空になり、アポロンはまたひとり残されるのです。
 もしかしたら神々の中では、常に人間とともにあらざるをえないハーデスだけが、心安んじてこの永遠を楽しめるのかもしれません。
 人間を知り、アルテミスを失ったアポロンは、今またガニュメデスを亡くすことで初めてそれに気づくのかもしれない。そしてゼウスはきっと変わらず、ガニュメデスのことなどすぐに忘れてしまうのでしょう。
 けれどアポロンには忘れられない。アポロンが絶望に涙して終わるのか、それともハーデスに屈して終わるのか…これはそんなあたりを目指すべき物語だったのではないかなあ。
 太陽が地底に沈んでついに再び現れることがなくなったとき、確かにこの世界は終わるのですから。それことが、神々の真の望みだったのかもしれないのですから…

青池保子『Z』

2010年03月10日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 白泉社花とゆめコミックス全2巻

 美術品ばかりをねらう泥棒貴族ドリアン・レッド・グローリア伯爵、通称エロイカと、NATO情報部の強面少佐クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハとの愛と確執と騒動を描くアクション・コメディ『エロイカより愛をこめて』の外伝。少佐の部下Zが主人公の短編集。

 情けなくもいじらしく任務に臨む姿が素敵です。女性に妙に弱くて、とてもジェームス・ボンドを気取れないところも微笑ましいくて、好きです。

池田理代子 『ベルサイユのばら』『ベルサイユのばら外伝』

2010年02月26日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 正編は集英社マーガレットコミックス、全10巻。
 外伝は中公文庫コミック版。

 1755年、ヨーロッパにある三人が生まれた。スウェーデン貴族のハンス・アクセル・フォン・フェルゼン。フランスのジャルジェ伯爵家の末娘、オスカル・フランソワ。そしてオーストリア・ハンガリー女帝マリア・テレジアの第9子マリア・アントニア、後のフランス国王ルイ16世妃マリー・アントワネットである…フランス革命を背景に交錯する三人の生涯を描いた歴史絵巻。

 確か小学生の頃、おたふく風邪で学校を休んでいたときに、従姉妹がお見舞いにくれた単行本だったと思います。お下がりなので一部カバーなし(泣)。

 一番好きなシーンは、オスカルが女装(! 盛装して、と言うべきでしょうな)してフェルゼンと踊るくだり。
 着飾って好きな人と、というのもいいんだけれど、誰でも、人が自分に聞かれているとも知らず自分を誉めて言ってくれるのを聞くのって、うれしいと思うんですよ。それがまして好きな人の口から語られるんだから、最高に幸せなんじゃないでしょうか。ここのオスカルの涙に、読むたび一緒になってうれしくなってしまうのです。

 「2001」と銘打って再び宝塚歌劇で上演されるんですが、はたしてどうなりますことやら。下手に大時代的に演出しないでほしいんですけれどね。

 宝塚ファンの間ではその台詞から「今宵一夜」と呼ばれているオスカルとアンドレの一夜のシーン(原作では「こん夜ひと晩」)ですが、やはりいいですね。
 オスカルが
「生涯かけてわたしひとりか!? わたしだけを一生涯愛しぬくとちかうか!?」
 とアンドレに返事を強要するところがいいのです。
 愛しているから全部あげるなんてもんじゃない、愛しているといったらそれは絶対に一生のことなのだ(「あげる」から一生、なのではないことに注意)、それを当然のこととして要求する権利が女にはあるのだ、ということをこのシーンは教えてくれるのです。

 かつて宝塚版ではこのくだりのオスカルがやたらと女々しくてファンの間でも論争になったそうですが、ここにこのシーンの本質があることを理解しなければいけません。
 読んだ当時はきちんと理解していたとは思えませんが(^^;)

 最近では、このシーンには、身分の差があって法律的な結婚はできないけれど、すべてを与え合うことでお互いを「夫」「妻」と呼ぶ、というところなんかいいなあと、この年になると思います。
 ちょっと平安時代の日本の貴族の結婚みたいですね。事実婚というか。
 でも、そもそも結婚って、夫婦って、そういうものですよね。社会契約の側面を除けば、「夫」「妻」というのはつまり「彼氏」「彼女」と同じ、恋人の名前なのですから。(2001.4.2)

上原きみ子『マリーベル』

2010年02月19日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 講談社漫画文庫、全5巻。

 18世紀末、イギリス・ドーバーにフランス人の幼い兄妹が置き去りにされた。兄のアントワーヌは失踪、残された妹のマリーベルはランバート公爵家に保護された。やがてマリーベルと跡取り息子のロベールとの間に幼い愛が生まれるが…波乱に満ちたヒロインの愛と青春を描いた往年の名作。

 小学生の頃、フラワーコミックス版で読んだとは思うのですが、まったく記憶にありません。雑誌連載に一喜一憂した世代でないことは確かなのですが。ともかく懐かしくて友人に『ロリィの青春』『炎のロマンス』と借りて読み、ついにこの作品は、自分のために買い直してしまいました。
 文庫版のカバー袖にコメントがあって、編集者に痛快歴史時代劇『紅はこべ』を読まされてこの作品を着想したとありますが、す、すごすぎます。
 私はこの小説は読んだことがなくて、宝塚歌劇で舞台化したものは観ているんですが、内容はあまり覚えていません。この漫画では義賊「青いバラ」が出てくるのは物語の終盤で、お家騒動で捨てられたヒロインから始まって身分違いの初恋、女優になってライバルと対決、フランス革命に巻き込まれ、とうねりまくる大ロマンスになっています。

 解説を寄せている脚本家の小松江里子も証言していますが、当時リアルタイムで読んでいた少女たちは本当に熱狂し、振り回されていたことでしょう。ダイナミックで、ハラハラドキドキで、話がどこへ行くかわからなくて。逆に言えば、物語の完成度としてはあまり高くないのかもしれません。けれど決してストーリーが崩壊しているということはないし、キャラクターたちは魅力的だし、やはり一級品と言っていいでしょう。

 物語の完成度の弱さというのは、巻末のロングインタビューで作者も言っていますが、後半のロベールの弱さに尽きるんですよね。
 あるいはジュリアンの、と言ってもいいのだけれど。
 レアンドルはたしかにすばらしいキャラクターでした。彼には彼の生き方と愛し方とがちゃんとありました。マリーベルに対しても最初っからぱっと惚れちゃったりしていないところがまずいい。そして何より、同情や責任感よりも、マリーベルの演劇への情熱と才能を認めて、彼女を導こうとしたところがいいのです。愛情は地に足つけて、しのびやかに育まれていた感じで。マリーベルの方がむしろ浮ついて先走っているくらいですものね。そして愛と信念を貫いて、舞台の上で死んでいった。すごい生き方でした。
 ひるがえって、まずジュリアンが弱かった。ロベールと差別化されていません。髪型だって、最初はロベールよりカールがくるんくるんだったのが後では逆にストレート気味になったりと混乱していて、これは象徴的です。性格の特徴や生き方の信念もあいまいでした。そのあたりはフランソワの方が立っていたくらいです(フランソワの無残な殺され方は、私、納得いかないわー。メインキャラクターの死に方じゃないよぉ)。物語にジャンヌとの女優対決や革命が絡んできだして、マリーベルの愛の形が見えづらいせいもあるんですけれどね。本当はこのあたりでロベールとジュリアンの違いをもっと描いて、マリーベルはやっぱりロベールが忘れられないんだけれど、目の前の幸せを取ってしまおうとする、でもジュリアンはそれではやっぱり嫌で身を引くように異国へ旅立つ、という感じを強く色濃く出すべきだったんでしょう。で、ロベールと再会するのだけれど、状況が変わっていて…とくればよりドラマティックになったのでしょうが、革命騒ぎが意外と忙しくて、愛情の行き違いや誤解や嫉妬というのが際立たなかったんですねえ。これまた作者が言うように、サン・ジュストとジャンヌの方に力が入ってしまった、というのもあるのでしょうが。
 最後にジュリアンがロベールの身代わりになるというのも、ふたりのキャラクターに実は差があまりないから、もりあがりきらないんです。
 惜しい、実に惜しい。
 ロベールがレアンドルを越えられなかった悲劇、というのはこういうことだと思います。だから物語としても、やや完成度に欠けて見えてしまう訳です。

 でも、おもしろいんですけれどね。結局は漫画はそれがすべてですけれどね。

 イントロは『メリーベルと銀のばら』かと思いましたよ。クラレンス公(すっごい好き)はロスマリネだし、サン・ジュストは摩利だし、ジャンヌは姫川亜弓だし??? いやあ、すごい漫画だなあ。

 そして、やはり印象深かったのがサン・ジュストとジャンヌの愛です。
 兄妹ったって、一緒に育ってなければ他人ですよね。このふたりがヘンに「神に背いた」とか「いけないことをしてしまった」とか言い出さなくてうれしかったです(まあジャンヌの方は知らないまま死ぬのだけれど)。
 思えば、珍しくそういう視点が出てこない作品ですね。近親相姦が罪だろうがなんだろうが、この場合は、「二人を裁くものはただ神のみ…!!」(『ベルサイユのばら』より)ってなもんです。いやあ、燃える。
 やはり、少女漫画の古典といっていい作品でしょう。