作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv46441/
12歳のいじめられっ子、オスカー少年。隣に引っ越してきたエリと、モールス信号で、壁越しに会話をするうち、オスカーはエリを好きになる。オスカーは、エリに思いを打ち明ける。
それに対して、「私、女の子じゃないから……」とエリ。「別にいいよ」と返すオスカーだが、だんだんエリの様子が普通じゃないことに気付き始め……。
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先日見た『ボーダー 二つの世界』をすっかり気に入ってしまったので、同じ原作者である本作を見てみることに。“吸血鬼モノ”はなぁ……、という私の心配を吹っ飛ばしてくれる作品でありました。
◆バカ映画ではない吸血鬼モノを初めて見た。
エリはヴァンパイア。つまり“吸血鬼”なんだが、吸血鬼モノで、私がこれまで見てきた映画は、どれもこれもバカっぽい、というかバカ映画ばかりだったので、本作の評判は耳にしていたものの、「でも、吸血鬼なんでしょ? つまりバカ映画でしょ??」と思って、手を出す気になれなかったのだ。
バカ映画、というとアレだけど、中には作っている人たちはきっと大真面目で作ったんだろうと思う作品も、もちろんあるわけで、そういうクリエイターたちの汗と涙を無視して、バカ映画などと呼んでしまうことに多少なりとも罪悪感はないではないが、でも、「やっぱ、バカだもんなぁーーー」という感想が勝ってしまうのだから仕方がない。
で。
正直なところ、驚いた。なんだ、、、、吸血鬼モノでもバカ映画にならないこともあるんだ!!! と。
とはいえ、本作は吸血鬼モノのお約束はちゃんと押さえている。①人間の生き血を吸わないと生きていけない、②歳をとらない、③日光を浴びると死ぬ、④血を吸われた人間は感染して吸血鬼になる、、、、etc。
でもバカ映画になっていない。いや、それどころかヴァンパイアの悲哀とか苦しみとかがちゃんと描かれており、そういうことを描いていてもゼンゼン嘘くさくなっていないところがスゴい!!
……というか、むしろ、今までの吸血鬼モノがバカ映画になってしまっていた要因を探った方が良さそうだが、今はちょっとそういうのメンドクサイのでそれはまたいずれ機会があったら書いてみようと思う。
まー、とにかく。エリは、ちょっと見た目がオスカーたちと違って、北欧というより、中東系の混じったような風貌なんだが、この風貌が本作では効いている気がする。つまり、“なんとなく周りと違う”というのが画的に印象づけられる。実際、違うしね。なんたって、ヴァンパイアなんだから。これは演じているリーナ・レアンデションちゃんがそうなのか分からないが、エリの瞳の色が何とも言えないエメラルドグリーンのようなパステルグリーンのような、、、複雑で美しい色をしているのだ。終盤、絶体絶命の窮地にあるオスカーを救った直後にアップで映るエリの瞳の美しさは、あらゆる理屈をねじ伏せる説得力がある。
あんな瞳で射貫くように見られたら、、、、。オスカーがエリと二人で旅立ってしまったのも致し方なし、、、と思う。
◆エリの選択
このラストシーンを見た私の脳内を簡単に言語化すると。
恋物語が成就して良かったねぇ、、、、え、……いや、これってさぁ、、、つまりは、オスカーくん、エリのパパと同じ運命? 無限ループってこと???
となり、エンドロールを見ながら、エリに対する感じが変わってしまった気がした。エリがオスカーを庇護者にしたのか、それとも結果的にオスカーがエリの庇護者になったのか。
まあ、どっちも考えられる。エリは書き置きに「ここを去って生き延びるか、残って死ぬか」と書いているから、逡巡した挙げ句、オスカーに庇護者に“なってもらうことにした”のかも知れないし、逡巡している間にオスカーの方から庇護者になりに来てくれたのかも知れない。どちらにしても、この場合のエリは受動的だ。
が、エリは少なくとも何回か庇護者を変えて、これまで生き延びてきたわけだから、“庇護者の代替わり”に起きることについては熟知しているはずである。そして、庇護者の末路も分かっている。
ということを考えると、庇護者にふさわしい人間を物色し、オスカーが自分に好意を見せたことで狙いを定めた、、、という見方も出来る。つまり、能動的なエリである。
ここで考えさせられるのは、エリに噛まれてヴァンパイア化してしまった女性が、自ら日の光を浴びて死を迎えたシーンがあったこと。こういう選択がヴァンパイアにはあるのだと、敢えて見せつけられる。それくらい、その瞬間のシーンは衝撃的な描写だった。
でも、エリはそれを選択しないで、オスカーを庇護者に選んだ。自分が生きるために、オスカーが犠牲になることを是としたわけだ。つまり、やっぱり能動的だったんじゃないか、という気がする。
エリが、オスカーをロックオンした瞬間は、そうするとどこなのか、、、と考えてみたが、多分、オスカーがいじめっ子に逆襲したシーンだろう。その前に、エリはオスカーに「やられたらやり返せ」と言っていて、それをオスカーは忠実に実行に移したということになる。あれこそが、エリのオスカーに対するリトマス試験紙だったのだ、、、。コイツは私の言いなりにできる人間だ、と。
原作を読めば、この辺りのことはもう少し分かりやすく書いてあるのかしらね?
まあ、どっちでも良いけど、エリは決して運命に翻弄されて人間界に漂う哀しいヴァンパイアではなく、生きるために人間を襲って生き血を吸うしたたかなヴァンパイアなんだと、私には見えた。
◆その他もろもろ
オスカーを演じたカーレ・ヘーデブラント君、時折女の子みたいに見えたけど、なかなか可愛かった。白すぎる肌が、いかにも北欧。その真っ白ですべすべな頬に、ピシッと細い棒で叩かれた跡が残るのが、痛々しいが、肌の白さと赤い筋のコントラストが美しかった。……私もヴァンパイアの素質アリ?
オスカーの離婚した両親だが、、、。父親はどうやらゲイらしい。なかなかイケメンで、オスカーにも優しいお父さんなのに、男友達が現れた途端、豹変するんだもんね。ああいう場面を経験することで、オスカーは、エリが「私、女の子じゃないから」と言っても、あまり違和感なく「それでもいいよ」となるのかなぁ、、、などと思ったり。
エリの性別については、映倫の判断がネットでは不評だが、あの“ボカシ”は、あんまり私には影響はなかった気がする。だって、エリ自身が「女の子じゃない」と、何度も言っているし、何しろ、人間じゃないんだから、男か女かなんてもはや超越しているんじゃねーの??って感じなんですけど。何でみんなそんなにボカシに憤慨しているの? と逆に疑問。
ただね、邦題の“200歳の少女”はダメでしょう。これはミスリードだし、本作の趣旨を歪めている。ヒドい邦題なんてわんさかあるから、これもその一つだと思えば、あーハイハイ、って感じだけど。何度も書いているが、邦題をつける人たちは、もう少し作品に対する敬意と愛を持っていただきたいものだ。
ちなみに、原題は「正しき者を招き入れよ」という意味だそうな。これ、、、もの凄く意味深。そのまんま邦題にしてもよかったくらいじゃない? ずっと哲学的で大人な映画というイメージになる気がするんだけど。
ヴァンパイア映画としては稀なる逸品
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