映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

家族の肖像(1974年)

2017-03-06 | 【か】



 お気に入りの美術品に囲まれ、召使い以外のいない邸宅で一人暮らす教授(バート・ランカスター)。ある日、教授の下にケバケバしい婦人(シルヴァーナ・マンガーノ)が押しかけてきて「上階の空き部屋を貸せ」と教授に迫る。教授は断るが、婦人は一向に引こうとしない。

 こうして、平穏だった教授の一人の優雅な生活は見事に婦人の家族とその愛人らにぶち壊されることになるのだが、、、。

 生誕110年 没後40年を記念してのデジタル完全修復版による上映。

 
 
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 ヴィスコンティ好きの映画友に誘われて、まさにお散歩日和の好天の休日、岩波ホールへ行って参りましたよ。相変わらず、年齢層高っ!! やはり、初公開時に見に来られた方たちが、またいらっしゃってるのかしらん、、、などと、映画友とくっちゃべりながら、いざ上映開始……。


◆いきなり意味不明な展開、、、

 もうね、開始早々訳わからん!! 目が点でした。シルヴァーナ・マンガーノは、ブルモンティ侯爵夫人のビアンカという女性の役なんだけど、まあ、とにかく、傍若無人というか、図々しいというか、教授が「貸さない」と頑なに拒否している部屋を、「ちょっと見るだけ」などと言って、ずかずかと上がり込んでくる。……あ、あり得ん! なに、このオバハン!! って感じなんだけど、教授も気圧されて仕方なく部屋を見せる。そうしているうちに、ビアンカの娘やら、恋人やらが上がり込んできて「ステキな部屋じゃない!」などと大騒ぎし始める、、、。嗚呼。

 そうこうするうちに、ビアンカの愛人、コンラッド(ヘルムート・バーガー)がご登場。で、お約束というか、案の定というか、教授がコンラッドにハッとなる、、、。もちろん、その美しさや男としての魅力に、ってことですが。

 ん~、もう、出だして気持ち的にくじけてしまった私。……またかよ、的な気分。ヴィスコンティ好きの映画友には悪いけど、やっぱし、私、ヴィスコンティ、ダメだわ。


◆相変わらずの不親切な作り

 まあ、ストーリーは、公式サイトを始め、いろんなところで紹介されているので、わざわざ感想を書くためになぞる必要もないかと。

 本作を撮ったとき、ヴィスコンテイは病身で、室内だけで撮影できる簡潔なストーリーの映画を、、、ということで本作のシナリオになったそうだけど、、、。この映画のどこが“簡潔”なんでしょーか?

 貸さないと言われている部屋を勝手に工事して改装しちゃうし、ビアンカは本作の舞台であるローマを始めパリだかロンドンだかを駆け回っている様子だし、ビアンカの娘と恋人とコンラッドは乱交パーティしているし、、、はぁ??な展開が続くんだよねぇ。

 本作でも感じたのは、やっぱし、ヴィスコンティ映画は、不親切ってこと。なんとなく、言いたいことは分かるので、見る者のことを考えていないとは思わないけど、やっぱし作りは自己中だよねぇ。まあ、状況が状況だったからってことを割り引いても、ううむ、、、私にはゼンゼン響かない描写の連続だったわ。

 大体、いきなり面識のない人の家にズカズカと上がり込んで、「空き部屋貸せ」なんて展開、おかしいでしょうが。なんでそーなるの? と。そこの説明はいらない、というのなら、見ているウチにそれが分かるようにしてくれよ、と言いたい。最後までそれは分からないし、勝手に部屋を大改装しちゃって、結局は出て行っちゃうんですからねぇ、、、。何なんだ、このオバハン? と見ている人たちが思わないだろうか、と、ヴィスコンティは思わないんでしょうか。こういうところが、不親切だ、と私が思うところなのね。

 でも、それは想像力で補え、ってことなんでしょーよ、きっと。はいはい、補える想像力が乏しくて、どーもすみません。


◆名作、というより自慰映画だと思うんだよなぁ。

 まあ、無理矢理こじつけ解釈をすると、滅びの美学、ってやつでしょーか? 過去を封印し、孤独にあらゆる美に囲まれた生活をして、でも、自分の美意識を受け継いで欲しい者(=コンラッド)にようやく出会えたと思ったら、その人は死んでしまうし、そのせいで教授自身まで衰弱して死を予感させる終わり方。……嗚呼、こういうのが理解できる日が、私には永遠に来ない気がする。

 彼の作品には、貴族とか、愛人とか、芸術とか、ゲイとか、必ず出てくるものたちがあるけど、それらは、何かこう、、、記号化されている感じがするのよね。ヴィスコンティ・オリジナルな記号。それくらい、ホントにどの作品もカラーが似ていて、ちょっと辟易としてしまう。こういうのが好きな人は好きなんでしょうけれど。

 映画友は「ヴィスコンティ作品に駄作は一つもない」と言っていましたが、私は同意できかねました。まあ、確かに、本作だって、駄作と言ってしまうには若干違和感はありますが、ここまで名作名作と持ち上げられるのも、なんか違う気がしますね。
 
 世界の巨匠の作品に対して言うことじゃないかもしれないけど、なんつーか、これは自慰映画ではないでしょうか(オ○ニー映画とは、さすがに畏れ多くて書けません)。

 例えば、 ホドロフスキーの『リアリティのダンス』なんかは、やっぱり自分を癒やすための映画ではあるけど、自慰映画とは思わないのね。ホドロフスキーの場合、あんまり、自分への哀れみが感じられないのよね。自分が生まれたのはこんなヘンな家族で、こんなユニークな人生だった! という徹底した自己肯定が感じられる。でも、ヴィスコンティの場合は、一見、自分の置かれた境遇(貴族出身であることとか)をシニカルに描いているようで、キョーレツなプライドと自意識・自己愛が隠せないでダダ漏れしちゃっている感じがする。そこのところのギャップが、ものすご~く、私のような歪んだ感性の人間からすると、自慢たらしく、嫌みたらしく見えるのよ。

 そういう意味では、『若者のすべて』は、そういったものがあまり感じられず、素直に見ることができた気がします。初期の『揺れる大地』を見逃したのは、残念だったわ……。


◆その他もろもろ

 ヘルムート・バーガーって、やはり、美しいけど、知性美はあんまし感じられませんね、、、。ヴィスコンティは、彼のどこに惹かれたんでしょうか。やはり、見た目の美しさでしょうか、、、。

 バート・ランカスター、『山猫』のときと似たような役どころでしたが、大分衰えを感じます。まあ、十分ステキなおじいさまですが、、、。

 しかし、本作は、なんと言っても、シルヴァーナ・マンガーノでしょう。登場シーンからして強烈です。ゴージャスな毛皮をまとって、でっかいペンダントヘッドのついたネックレスを下げ、メイクは目の周りをぐるっと真っ黒にラインで囲んで、さらに細くてつり上がった眉。『地獄に堕ちた勇者ども』のイングリッド・チューリンと雰囲気がよく似ています。

 あと、2回くらい見たら、もう少しましな感想が書けるようになるんだろうか、、、ごーん。








家族の肖像=中島みゆきのANNを思い出してしまう。




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