映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

地獄に堕ちた勇者ども(1969年)

2016-01-28 | 【し】




 ナチスの台頭するドイツ。国会議事堂放火事件に端を発した、鉄鋼王一族エッセンベック家における、欲望剥き出しの権力闘争を描く。

   

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 あまりにも有名な本作ですので、内容の紹介はよそにお任せするとして、ここではただただ勝手な感想を書きます。

 ヴィスコンティの映画は難解だと言われることもあるようで、実際、私が見たことのある作品も、決して分かりやすいものはなかったように思います。何を見たかというと、『山猫』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』『ルートヴィヒ』『ベニスに死す』くらいなんですけど。『山猫』なんて、もうあんまし覚えていない、、、。

 で、本作を見て思ったんですが、難解というよりは、“不親切”な映画なんじゃないかな、と。見る人の視点が欠けているというか。ヴィスコンティの頭の中では全て完璧に出来上がっているので、それをそのまま描いているんだけれども、見ている方はヴィスコンティと同じ脳の働きをさせるわけじゃないから、難解だと感じる、のではないか。

 例えば、序盤の、当主ヨアヒムが殺されるシーン。ヨアヒムはベッドで横たわっています。目は開いている。すると、「ぎゃーーーっ!!」という悲鳴が屋敷のどこからか聞こえる。ハッとなって上半身を起こすヨアヒムだけれど、また横たわる。、、、そして、その数シーン後に、ヨアヒムはベッドの上で血まみれになっている、、、。はて、じゃあ、あの悲鳴は何だったの? ヨアヒムのベッドでの一連の動きを見せるシーンは何の意味が、、、? なくても別に良いシーンでしょ。、、、とかね。

 ギュンターの大学での焚書事件のシーンもそう。学生たちが講堂に座って、その前に教授陣と思しきおじさん方が並んでいる。ヘレン・ケラーだのプルーストだのの名前が読み上げられている。次のシーンでは、何かが燃やされているんだけど、それが、その前のシーンで名前が挙げられていた人々の著書だなんて、パッと見じゃ分からない。セリフでも分からせるセリフがない。よくよく見ると、火に投げ入れられているのは本だと分かり、??何で本燃やしているのかしらん? あ、もしかして、、、? と勘の良い人や博識な人なら分かるけれど、凡人には難しい。、、、とかね。

 ま、挙げたらまだまだあるけど、とにかく、何を描いているのか、背景の解説を読めば、ああなるほど、と理解できるけれど、作品だけでは分かりにくい、ってのが多い。ほんのちょっと、セリフとか、カットとかで説明できることを敢えて描かない、省略の美、、、かなんか知らんが、だから、ヴィスコンティ作品を分かる=ある程度の知的レベル、みたいなイメージがある訳でしょう。

 ヴィスコンティ作品は、私は好きでも嫌いでもないですが(本作や『ルードヴィヒ』はまだそれでも分かりやすい方だと思いますけれど)、なんつーかこう、、、「分かる人には分かるんだよ、分かる? キミ」みたいな雰囲気は、どの作品にも感じて、正直、イケスカナイおっさんだなぁ、とは思います。

 醸し出す退廃とか、倒錯世界等の描写で緩和されてはいますけど、まあ、下世話な言い方をしちゃえば“お高く留まった映画”だと思います。三島や澁澤が好みそうなのも、だから正直すごくよく分かる気がする。単に耽美ってだけじゃなく、選民意識の匂いを嗅ぎ取るんでしょうなぁ。、、、って、穿って見すぎかしらん。

 、、、さて、本作で一番印象的だったのは2つ。2つだったら一番じゃないけど、どっちも甲乙つけがたいので。

 一つ目は、シャーロット・ランプリングの可憐さ、美しさ、です。私は彼女が大好きなんですが、私が見た彼女の出演作の中では、本作が一番お若い。そして、やはり若さが持つ輝きは、その一瞬を捉えたものだからこそ、輝きなのです。その後の出演作も美しいのですが、本作で見せてくれる輝きは、やはりこの時だからこそ映像に残すことの出来た輝きでしょう。もう、ひれ伏したくなる美しさです。

 もう一つは、ラストの、ソフィとヘルベルトの、死出の結婚式ですね。ソフィの顔の怖いこと。宣誓書に署名する際のソフィの表情、もう、この世の者とは思えない化け物です。自殺している2人の姿がものすごく絵画的で、脳みそに焼き付いちゃいました。

 ヘルムート・バーガーも、大物の中で存在感を発揮しています。冒頭のドラアグ・クイーンから、ラストはSSの将校まで七変化。頭は悪いけど、美しいマルティン。ピッタリです。

 ソフィを演じたイングリッド・チューリンが圧巻です。本作の主役は、一応、ダーク・ボガードになっていますが、実際の主役は彼女でしょう。存在感が違い過ぎです。まさに、ザ・悪女。哀しい末路ではありますが、ここまで自らの欲に忠実に、しかもその欲(権力欲だけじゃもちろんなくて、性欲も)が底知れぬ沼みたいなんですからね。マルティンの悲惨と予想されそうな今後を見ずに死ねたのは、まだしも幸せかもしれません。






登場人物が皆、大汗かいているシーンが多いです。





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