映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

私の、息子(2013年)

2015-04-22 | 【わ】



 ルーマニア、ブカレストで建築デザイナー(?)の富裕層であるコルネリアにとって、可愛い可愛い、でも30過ぎて自立できない息子バルブが悩みの種。息子がああなのは、今付き合っているコブつき女のせいだ、と、のっけから煙草もくもく吹かしながら文句の嵐。

 その息子、ついに、交通事故で人を死なせてしまう。そして、コルネリアは、息子の犯罪を揉み消そうと躍起になるのだが、当の息子には「放っといてくれ!」と罵られ、、、。

 英語のタイトルは「CHILD’S POSE」で、胎児の体勢。はて、このタイトルの指すものは、、、。


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 ううむ、こういう、我が子の自立をとことん阻む親、ってのは、どうしても私は受け入れられません。

 この母と息子は、いわゆる「共依存」ってやつです。「子依存症」な母親とその子の確執問題の場合、重要なのが「子のキャラ」なのよねぇ。もちろん、母親の「子依存度」が一番の要素なんですけれども。

 母親が重度な「子依存症」でも、深刻な確執にならないケースの「子」キャラってのは、多分4つある。①もの凄いバカか、②反対に天才肌か、③あるいは対人関係能力ゼロか、そして④(これが一番クセモノなんだが)自分の頭で考えることを放棄している子。つまり、この①~④のどれにも属さない子――凡人で、凡人ながらも自分の意思で人生を生きたいと思っている子の場合は深刻なケースになると思います。

 なぜなら、①~③の子たちは、人の気持ちを思いやったり想像したりする能力がないので、そもそも依存症の母など眼中にないわけ。ま、この人たちのケースは、言及しません、今回は。

 問題はね、④の子たちなんですよ。④の子たちはねえ、いるんですよ、これが実際に。私の姉がそうでした。母親との関係に苦しむ私に、彼女はこう言い放ちました。「親の言うこと聞いとけば、この先ずっと楽じゃん」、、、。そう、この人たちは、自分の気持ち以前に、自分の考えがないのです。

 いえ、恐らく姉に言わせれば「私だって理想はあるし、嫌だなってのもある」はずなんです。しかし、私が、親が強烈に勧めてくる見合いをどうしても受け入れられずに苦しんでいたら、彼女はシレっとこう言ったのです。「自分がダメだなと思っても、回りのオトナ10人中、7人くらいが良いんじゃない?って言っていたら、私なら考え直して結婚する」と。これが、重度依存症の母親と深刻に決裂せずにいられる子です。

 私は、姉に言い返しこそしなかったけれど(メンドクサかったから)、腹の中ではこう思っていました。「周りのオトナ10人中10人が良いと言っても、自分がダメだと思ったらダメなんだよ」と。

 ④の子自身は問題じゃないのよ。④みたいな子がいると、重度依存症の母親は、凡人の子のことを「悪い子」とレッテルを貼っちゃうことになるから、問題なのね。フツーの子が、④の子たちの存在のせいで、余計に苦しむことになっちゃうのです。

 、、、しかし、姉が恐ろしいというか不気味なのは、何か歯車が狂って物事が上手くいかなくなったらそれは「親のせい」にできる、と考えているところです。実際、彼女は、高校生くらいの頃から、「自分の成績が下がったのは通学に時間がかかるところに引っ越しをした親のせいだ」とか、「自分の理想とする見合い相手に断わられたのはこんな家(と親)のせいだ」とか、「家(と親)がもっと立派だったらどんな男でも連れてくる自信がある」とか、「私が若い頃色々やりたいこともやれなかったのはこんな家(と親)のせいだ」とか、何か自尊心が満たされないことがあると全部親のせいしていたんだよね。私はこれを聞くと、無性に腹が立って、「人のせいにすんじゃねぇー!」って喰ってかかって大喧嘩になったこともよくありましたが・・・。

 そんな姉は、私が母親と疎遠になってまだ日が浅い頃、独特な感じで接してきました。多分、彼女なりに母親と私の間に立ってあげよう、というのもあったんでしょう。私の反応が鈍いせいもあって、母親と同じくらいに姉とも疎遠になりましたが、私には分かります、姉が母親の意向の下に動いているのが。この10年の、彼女のメールの文面や、頻度、その後の母親からの妙な手紙など、ぜ~んぶ繋がります。そう、50も過ぎた姉は、いまだに、母親の指示の通りに動いているのです。母親が死ぬまでやるつもりなんでしょうーか。ま、彼女にとっては、それは苦痛ではないのですから構いませんけれど。

 、、、と異様に長い前置きになってしまった! いかんいかん。

 本作のバルブも、まあ、残念ながら①~④のどれにも当てはまらないのよね~。凡才で金持ちの甘ちゃん息子で根性ナシだが、一応、自立心もないわけじゃない。・・・んだけれど、何せ凡才の根性ナシだから、何やっても上手くいかないし、上手くいかせようという気力もない。でも女とヤることだけは人並みにヤる能力を発揮している、、、。あ゛ーー。

 コルネリアが、私の母親みたいに一度も社会に出たことのない専業主婦で、子にしか目が行かない母親だったら、まだこの話は分かる。でも、コルネリアは、社会でも建築デザイナーとして成功していて、バルブの母親でしかないわけじゃないのに。

 そうそう、重度依存症の母親で、もう一つ、重要なファクターがあったんだ。それは父親。母親からすれば夫だわね。もう、こういうケースでは、父親は例外なく「存在感ゼロ」なんだよね~。私の父親もそうだったけど、本作でも、バルブの父親はものすごーーーく存在感が薄い。母親と口論しているバルブを一応諌める場面もあるが、バルブに逆襲されるの。「うるせー!何でもこの女の言いなりになりやがって、この腰ヌケ!!」ってね。もう、まったくその通りで、私は苦笑してしまいました。

 私の父親と同い年のある先生が、私の家庭の話を聞いて言いました。「お父さんが頼りない? そうではありません、お父さんが頑張ったらきっと家庭は破滅ですよ。分かっていらっしゃるのです」とね。そうかも知れないけど、家庭は破滅しなくても、子どもは母親の放つ毒に侵され続けて精神が破滅しちゃうんだよ。救えるのは父親だけなのに。

 本作で、コルネリアは必死にバルブに前科がつかないように奔走します。本作は、結果がどうなるかまでは描かれていないけれども、私は、きちんとバルブは刑に服して制裁を受けるべきだと思います。もし、コルネリアの念願かなって、バルブに前科がつくことなく社会に戻れたとしても、バルブ自身は前よりさらに精神的に病んでしまうの間違いない。なぜなら、ますます母親の支配が強くなり、ますます自分のダメさ加減を見せつけられるから。結局、自力で何一つ乗り越えられない人間のままの自分と、30過ぎても向き合わないといけないのは、拷問ですよ。

 バルブが一念発起してコルネリアを突き放せば良い、と思う方も多いでしょうし、私も、彼を見ていてイライラしました。しかし、ああいう重度依存症の母親に背後霊のようにのしかかられると、本当に、子は手も足も縛られて自分の心も押しつぶされて身動きが取れないのです。

 だから、今回の事故は、彼が母親と物理的に離れられる、そして、精神的に自立する絶好の機会なのです。

 なのに、本作のラストシーンは、どうやら母親の願いが通じてしまいそうな予感のする描写のような気がします。いえ、どっちに転ぶかは分かりません。見る人の想像次第ですが、、、。

 でも、私は、どーしてもバルブはダメな気がするのよぉ。だって、タイトルが「胎児の体勢」ですよ? あ゛ー、もう、この母親はこの世に生み落さず、一生腹の中に息子を抱えておけば良かったんだよ。


 



お母さん、あなたの息子は、窒息で死にかけてますよ!




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