映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

キャロル(2015年)

2016-03-18 | 【き】



 クリスマス前、デパガとして働くテレーズ(ルーニー・マーラ)の前に、娘へのクリスマスプレゼントを買いに現れた貴婦人キャロル・エアード(ケイト・ブランシェット)。二人にはお互い恋人or夫がいたが、一瞬で惹かれ合う。

 1950年代のニューヨークを舞台に繰り広げられる女性たちの恋愛物語。

  
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 もう、あちこちで大勢の方々がイロイロ書かれているので、今さら感が強いですが、思ったことなどをいくつか。

 一言で言うと、美しい映画、です。主役2人の女優が美しい、映像も美しい、美術も美しい、衣装も美しい、50年代のニューヨークの冬の風景も美しい、、、などなど。美しかったものを挙げれば、いっぱい。

 惜しむらくは、男性の描かれ方が非常に杜撰だったことですかね。女性2人の目線から描くとああならざるを得ないのかも知れませんが、あまりにもヒドい。もう少し、彼らを人間としてきちんと描いてほしかったです。あれじゃあ、女性2人がああなるためだけにご都合的に登場させられたとしか見えません。俳優さんたちも演じていて辛かったのでは。

 “女性同士”の恋愛、ってのが本作の主眼に、巷の宣伝のせいで(?)なっているような気がしますが、これ、男と女の話だったら、ゼンゼン世間での受け止められ方が違っていたでしょうね。“ただの不倫モノやん”で一蹴されていてもおかしくないかも。でも、同性同士だとそれがオブラートに包まれる。

 同じ意味合いを持っていた映画としては『ブロークバック・マウンテン』(以下、「ブロマ」)が思い浮かびます。あれは、男性同士版『マディソン郡の橋』だと私は思うんですけど、本作同様、異性間での物語なら“ただの不倫モノやん”なわけですが、男性の同性愛だと、なぜか高尚な文学作品ぽくなる。

 ブロマは、私は、正直なところ嫌いな映画で「みんシネ」でも酷評してしまったんですが、同じ意味合いを持つ本作は、さほど嫌悪感を覚えなかったんですよね。、、、なぜでしょうか?

 本作の女性2人は、周囲と闘って(?)、自分たちの人生を歩む選択をします。そして、それまでの過程においても、自分たちの運命(つまり同性を愛したこと)を悲観したり隠したりすることなく、当然、自己憐憫に浸ることもなく、現実を見据えて、しかもきちんと自立して生きています。片や、ブロマの男性2人は、関係を持った切っ掛けもイマイチ謎(衝動的にヤッちゃった、みたいにしか見えなかった、私には)だし、その後も隠れてこそこそこそこそ、めそめそめそめそ、自己憐憫に浸りまくった挙句に、最終的に片方が死亡、、、。

 この違いが多分キモです。

 まあ、ブロマは、“ゲイが虐殺される場面を目撃したことによるトラウマ”という、ゲイに対する(本人たちの)精神的抑圧が本作より大分強かったので、仕方がないという気もしますが、それでも、あの自己憐憫ぶりは、正直見ていてウンザリしたのを今もよく覚えています。しかも、確か片方の男は、ゲイを隠して普通の生活をする前提(つまり自分を偽ることに葛藤がない)で、相手と逢瀬を重ねていたはず。この辺の、割り切り方とかも、凄くイヤだったような。妻だけじゃ物足りない男が若いおねーちゃんを性欲の捌け口に愛人にしているのと同じじゃん?

 片や、本作の女2人は、完全に開き直っています。同性同士であることにはほとんど葛藤がない。異性間の恋愛描写と同じなんですよね、テレーズが帰りの電車で一人涙するところとか、キャロルが通りを歩くテレーズの姿を車の後部座席で目で追っているところとか、、、。しかも、異性の恋人or夫との関係は清算することが前提です。自分を偽らないための選択。ブロマの男2人との違いは歴然、、、という気がするのですが。

 とはいえ「開き直れ」なんて、まあ、言うのは簡単です。今でこそ世間の認知も進んできたところですが、ブロマは60年代ですからね。そら、おいそれとカミングアウトはできないでしょう。だからこそ、50年代を生きる、本作の女性2人はアッパレだとも思うわけです。

 私が一番感動したシーンは、キャロルが、夫と双方の弁護士を交えた交渉の場で、涙ながらに、共同親権を諦め面会権だけを求めたところ。そこでのキャロルのセリフ「自分を偽って生きるなんて、人生の意味がない!」(セリフ正確じゃありません)が、もの凄くグサリと刺さります。本当にその通りだと。

 終盤、リッツで再会する2人。テレーズに一緒に住もうというキャロル。断るテレーズ。そこへテレーズの友人男性がジャマに入る。キャロルは席を立ち去り際、テレーズの肩にそっと手を置く。そっと、、、でも、離し難いというように。この一瞬でテレーズの心は氷解するのです。

 そして、あの意味深なラスト。キャロルの視線と、テレーズの視線。あれは、もちろんハッピーエンディングであるはずです。キャロルのあの複雑な視線を演じるケイト・ブランシェットに、座布団100枚!!って感じです。

 衣装が素敵でした、どのシーンでも。キャロルはもちろん、テレーズの衣装がとてもとても素敵。いろんな意味で見応えのある作品です。





音楽も良かったです




 ★★ランキング参加中★★

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 月下の恋(1995年) | トップ | 偉大なるマルグリット(2015年) »

コメントを投稿

【き】」カテゴリの最新記事