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「家忠日記 一」を読む 9

(マイクロフィルムの古文書/こんな感じでよく読める)

午後、駿河古文書会のTさんと待ち合わせ、清水図書館に出掛けた。2月の当番の課題の古文書が清水図書館のマイクロフィルムに収まっていると聞いて、出掛けるのに、地元のTさんが付き合ってくれたのである。今時、マイクロフィルムと、侮っていたが、けっこう画像が鮮明で、不明な所が解明で来た。Tさんには感謝である。

「家忠日記 一」の解読を続ける。

 天正六年(1578)寅五月

 五月
同一日 壬子 城出仕候儀、端午近くて候間、無用候由、
       平岩七之助所より申し越し候。

同二日 癸丑 夜昼、雨降り候。篝(かがり)。

同三日 甲寅 同雨降り。

同四日 乙卯 同雨降り。山崎、水野藤次殿へ壱信候。

※ 水野藤次(みずのとうじ)- 尾張国緒川水野衆頭で布土城主の水野藤次郎忠分。

同五日 丙辰 同雨降り。城へ出仕候我ら所へ、
       鵜殿八郎三郎、松平伊豆守越され候て、拍子候。

※ 拍子(ひょうし)- 拍子舞のこと。歌舞伎舞踊で、地の三味線楽曲の一部を、演者が拍子に合わせ、または歌いながら舞うもの。

同六日 丁巳 岡崎城へ越前幸若とて
       幸春大夫越し候。小姓年十(わきおや)なり。
       各国衆越し候て、聞き候。舞二番、たかたち十番切りなり。

※ 越前幸若(えちぜんこうわか)- 室町時代から江戸時代にかけて隆盛した芸能の一つ。信長、秀吉などの戦国武将に愛好された。なかでも越前幸若が世間の好評を得ていた。
※ 幸春大夫(こうはるだゆう)- 越前国幸若大夫の従兄弟。
※ 十番切り - 曾我物の一部分を切り取った演目。


同七日 戊午 松平太郎左衛門殿越され候て、拍子候。

 あきのもり(安藝守)、美作へ人数八万出で、鹿之助城取つめまいらせ後、
 諸家門様、御馬出され候由候。

※ 鹿之助 - 山中幸盛。戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将。尼子氏の家臣。
 ‥‥
同十日 辛酉 暁より雨降り。遠州牧野
       松平甚太郎侍、都筑助大夫越され候。

十一日 壬戌 雨降り。祈勝候。南城坊。
       吉田左衛門尉所より、今日向いしに、御能忘れん由、知らせ越し候。
       午時、地震候。


同十二日癸亥 夜も雨降り。
同十三日甲子 夜も大雨降りにて、ながら堤、七、八間切れ候。


深溝(ふこうず)越し候。
同十五日丙寅 日待ち候。雨降り。会下参り候
同十六日丁卯
同十七日戊辰 雨降り。
同十八日己巳 会下へ参り候
同十九日庚午 夜雨降り
同廿日 辛未
同廿一日壬申 会下へ参り候、雨降り。
同廿二日癸酉 夜も雨降り。


同廿三日甲戌 同日まで雨降り。岡崎へ帰り候。
同廿四日乙亥 松平太郎左衛門所へ振舞い。
       拍子にて越し候。
同廿五日丙子


同廿六日丁丑 信康、切山へ揚げ梅見物に越され候。
同廿七日戊寅


同廿八日己卯 夕立する。家康普請奉行、天野清兵衛ふる舞い候。
同廿九日庚辰 同夕立ち候。浜松へ人改めの手判を遣し候。
       大草、南城坊より石舟越し候。

※ 南城坊(なんじょうぼう)- 幸田町大草にあるお寺。現、浄土寺。
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