平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「当代記 巻一」を読む 45

今日、女房が年賀状を買って来る。昨年より、10枚減らして買ってきたが、考えてみると、昨年より古文書の受講者が10数人増えているから、足らないかもしれない。この年齢になって出し先が増えるのは、中々奇特であろう。年賀状はある意味、自分の活動のバロメーターである。
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「当代記 巻一」の解読を続ける。
九月八日、長篠城落去。領主、室賀一葉軒(信州衆、勇者なり)、並び長篠主、菅沼伊豆守、同新九郎、懇望せしむの間、身命を助け、鳳来寺筋へ送らる。長篠城には三川衆を置かる。家康公、遠州へ早速に帰馬有り。これは遠州表へ在陣の敵を討ち果すべきためなり。遠州うかり(宇刈)、山梨に陣取る、穴山左衛門大夫、山縣三郎兵衛、家康公、浜松へ帰馬の儀を聞き、周章(しゅうしょう)斜めならず。仍って、陣屋に紙小幡を張り、居陣の粧(よそおい)を成し、夜中に退散せしむ。この時、長篠城落去して、家康公、帰馬の由を注進の事無し。穴山、山縣、これを遺恨と為す由、左馬之介、馬場美濃守へ述壊なり。
※ 周章(しゅうしょう)➜ あわてふためくこと。うろたえること。
※ 斜めならず(ななめならず)➜ ひととおりでない。並々でない、格別だ。
この長篠主、新九郎は、籠城中より家康公に属し申すべくの由なり。然れども、先ず山中へ退城の処に、この儀露顕して、信州小室へ遣わし、籠者(ろうしゃ)せしむこと十ヶ年、武田滅亡の後、遠州へ参りけれども、合力(ごうりき)なく、徒(あだ)に牧野右衛門丞に預け置かる。
※ 籠者(ろうしゃ)➜ 牢に入れられている人。囚人。
※ 合力(ごうりき)➜ 力を貸すこと。助力すること。
同九月廿一日、信甲人数五千余、作手より宮崎へ相働き、奥平父子人数、折節(おりふし)、所々知行へ入部(にゅうぶ)せしむ、纔(わずか)に二百余相残り、右の加勢の衆、何れも帰宅して、味方小勢たる間、所々放火せしめ、奥平父子瀧山に居せしむ。(未だ堀もこれ無く柵計りの體なり)敵、山の麓まで攻め上るといえども、堅くこれを防戦せしむ間、引き退く処、奥平頻(しき)り相慕うの間、田原坂に於いて、敵、数度返り合わせ、再三、鑓を合わす。時に助次郎を始め、甲信衆随一の者、数多(あまた)討ち捕る。敵、諸道具を棄て敗軍なり。
※ 入部(にゅうぶ)➜ 国司や地頭が初めてその任国や領地にはいること。入府。
(「当代記 巻一」の解読、つづく)
読書:「うつけ奇剣 はぐれ長屋の用心棒 27」 鳥羽亮 著
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