平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「DASH島」を捜せ!

台風16号の影響であろうか、今日は雲の動きが激しく、一日突然に激しい雨となり、5分と続かずに止むといったような、不安定な天気であった。
「鉄腕ダッシュ」という番組があって、TOKIOのグループがDASH村で様々な農業体験をやるユニークな番組で、よく見ていた。ところがDASH村は福島原発事故の危険区域に入って、活動が出来なくなってしまった。
昨夜の番組では、無人島で壱から生活を築いていくという新しい企画が始まった。その初回で、今や、中年のおっさんに近付いてきたTOKIOの5人が、無人島生活で遊ぼうという番組である。昭和40年頃までは人が住んでいて、その痕跡も残っている島で、生活出来る条件があるのかどうか、TOKIOのメンバーが島を調べるところから、番組が始まった。
DASH村もそうであったが、この無人島(「DASH島」と命名された)が日本のどこにあるのかは秘密になっている。しかし、番組の中にたくさんヒントがあって、どの辺りにあるかは、推理力を働かせれば、ほとんどバレバレに近い。地図で捜せば、きっと見つけることが出来ると思った。
DASH島は大変に特徴的な形をしている。大きな島と小さい島の間を砂州でつないだ形である。イメージ的には「ひょっこりひょうたん島」である。番組の始まりに、手漕ぎの船でTOKIOが漕いで砂浜に着くところから始まる。この絵を見て、波の静かな内海だと思った。大きな内海なら瀬戸内海しかない。お遍路で一回りしたときに思ったが、四国の海は瀬戸内海に入ると全く様相が変わって静かになる。
瀬戸内海だと、山陽新幹線から行けるから、忙しいTOKIOでも、何とかロケに行けるエリアだと思った。しかし瀬戸内海と言っても随分広いから、捜すのに時間が掛かるだろうと思っていると、浜に打ち寄せられたゴミの中に、中国語の書かれたペットボトルがあった。これは大きなヒントになった。中国からペットボトルが流れ着いているとすれば、瀬戸内海でも関門海峡に近い、西の方であろうと思った。潮の満ち引きがあるとしても、そんなゴミは奥までは達しにくいのではないかと想像した。
探す方法はネットで見ることが出来る地図で、瀬戸内海を西の方から見ていくことにした。結果、5分足らずで、DASH島を見つけてしまった。松山港から西へ20キロほど伊予灘を進んだ先にある、「由利島」がDASH島であった。不思議に周囲10キロほどに島影がない。山陽新幹線を利用するのかと想像していたが、松山空港からの方がはるかに近いと思った。
決め手は砂州に沿って小さい島の方に、構築された港の跡が細長く残っている点で、間違いないと思った。おそらくネットの中では数百人単位の人が、すでに場所を見つけてしまっているのではないだろうか。多分、判っても、一般の人は行く手段を持たない無人島だから問題ない。そんな判断から、DASH村のときほどには、厳しいバリアを張らなかったのであろう。
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地元の方は推理を働かせる以前の話でした。