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伊久美犬間地区フィールドワーク 1

(古戦場、軍平)

昨日の午後、郷土の歴史講座のフィールドワークで、伊久美に出かけた。先週の座学に続いて、今回は現地見学として、犬間地区をたずねるた。講師は島田市博物館の学芸員、増田亜矢乃氏。早く着いたので、伊久美農村センターへ行くと、集合場所は犬間橋で、ここから歩いて7、8分と聞き、車をそこへ置いて、犬漢橋まで引き返す。

途中の道下には伊久美川のせせらぎに、多くの魚影が見える。おとり鮎を置いた店もあったから、鮎なのかもしれない。犬間橋のバス停はあるが、側の橋柱には城山橋とあった。鮎釣りの釣り人を一人見た。

参加者はおよそ20人ほど、フィールドワークのコースは歩くうちに判って来たが、年に一回、犬間集落の中にあるお堂で施餓鬼法要があり、法要の後、周辺の村々へ通じる道の、村はずれに置かれた地蔵の祠を参る習慣になっていて、今日はそのコースをたどるのだと判って来た。

犬間橋バス停から犬間集落への登り口に、石仏がある。「犬間下のお地蔵さま」と呼ばれる。「右あきは道 左長しま」と刻まれ、ここは新道だから、どこからか移設されたものと思われる。

車道を上っていくと、「軍平(いくさんだいら)」と名付けられた小広い茶畑が広がる。武田方に追われた今川氏真は、山間地を通って、掛川城に逃れる。その折りに、追撃の武田軍と小戦(こいくさ)を繰り返しながら、撤退したものと思われる。但し、氏真が伊久美を通るコースを取ったかどうかは判っていない。おそらく、幾つかのコースに分かれて、掛川城へ集合と定め、落ちて行ったのだろう。


(下の平のお地蔵さま)

軍平から谷を隔てた小山が城山と呼ばれ、犬間城と呼ばれる城があったとされる山である。登る山道は急坂で、今日はそこへ者登らないという。それより谷筋を下った先に「下の平のお地蔵さま」と呼ばれる祠がある。地元の方が案内して、線香なども用意してくれて、手を合わせた。このそばには一時、集落の焼き場があったと聞く。明治元年と刻まれた文字も確認されて、この道がかつては小川に繋がった古道だったのだろうと想像された。


(山中の大日さん)

登り返して車道に出て、やがて犬間の集落に入る。犬間の北に山道を30分ほど行った所に、かつて山中村という山奥の村があった。しかし、昭和34年に全戸が犬間に移り住んで、廃村になったという。その山道の途中に小さい祠があり、「山中の大日さん」と呼ばれている。確かにその像は、宝冠を被り、智拳印を結んだ大日如来であった。(つづく)
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