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「龍の棲む日本」を読む

(黒田日出男著「龍の棲む日本」)

図書館の「龍」の特集コーナーで、黒田日出男著「龍の棲む日本」を借りてきた。辰年の新年、何もお祝い事はしなかったが、辰年らしい本を一冊読もうと手に取った。岩波新書だから、簡単に読み飛ばせると思ったが、読み始めてから、読み終るまでに1週間ほど掛かった。その間に別の本を何冊か読んでいる。

日本人は昔、自分の国をどんな風にイメージしていたのか。最も古い日本図として、神奈川県立金沢文庫所蔵の「日本図」がある。日本の西半分しか残っておらず、東半分は失われている。鎌倉時代末期の行基式日本図と考えられている。駿河、遠江などの国名、国の等級、田地の丁数がうろこの形に仕切られて書き込まれている。その全体が独鈷という仏教で使う法具の形に描かれ、その周りを鱗を描かれた蛇のような胴が囲んでいる。東半分が残っておれば、頭と尻尾があって、何が描かれていたかが判るのだが、謎として残された。しかし、時代を追って同様の日本図を調べていくと、蛇のような胴は龍の胴であることが判る。

当時、元寇という国難を迎えて、鎌倉幕府、朝廷、寺院などが一丸となって元を迎え撃った。民衆まで含めて、日本が初めて国として意識され、珍しく団結した瞬間ではなかったかと自分は思う。その当時に製作された日本図である。日本は龍の胴体にぐるりと囲まれて守られているように描かれた。元寇は2度までも神風が吹いて、日本は守られた。しかし、三度元が攻め入るという恐怖心は日本人の心に長く残った。

日本の国を龍が囲って守るという日本図は、江戸時代までしばしば描かれてきた。龍は地震、雷を起こし、降雨、止雨を司ると考えられていた。地震は龍の頭と尾を鹿島神宮の要石が押えて止めていたが、時々揺れる。地震には「龍神動」「火神動」「水神動」「帝釈動」などの区別があって、それぞれ吉兆の占いの元になる。前に安政の大地震を描いた古文書に、地震には火震と水震があると書かれていたが、同じ情報源なのだろう。

日照りが続くと雨乞いを行う。村々には龍の棲むといわれる龍穴が必ずあった。洞穴だけでなく、滝、池、山、お堂など様々なところに、龍が住むと信じられた場所があった。大勢で鉦太鼓を鳴らして雨乞いをした。確かに古文書を見ていくと、しばらく天気が続くと村中集って雨乞いに行くという文書をしばしば見る。

江戸時代になると、それまで地震を司る龍の役割は鯰に取って代られる。江戸時代の出版物に鯰絵という絵がある。鯰と地震の関係は現代にも尾を引いている。どうして龍が鯰にかわり、鯰絵がどんな目的で出版されたのか。それはまた別の問題で、この本には詳しくは書かれていない。

日本図も地図といえるようなものではないし、架空の生き物である龍を追いかけても空しい気がするけれども、中世から近世にかけて、人々の心象風景を知るという意味で価値があるのであろう。
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