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盛りの花の日記 9  2月29日~3月1日 難波潟、住吉、高師の浜、貝塚

(土手のヒメジョオン)

竹村尚規さん一行は難波潟から海沿いを南下して行く。難波潟、住吉、堺、浜寺、高師の浜、貝塚などの地名が出てくる。人形浄瑠璃、住吉大社、仁徳天皇陵などは足を運んだが、信田の森へは行かなかった。

二十九日、北堀江の高木屋橋という所に行きて、宇治五十槻の主を訪(とぶら)うに、こは伊勢の山田の人にて、この大坂に旅居して、古学の書ども講釈して、人々教えらるゝなりけり。かくて芝居のあやつりなど、見ありきて、
※ 宇治五十槻(いつき)- 本名、荒木田久老。江戸時代中期から後期にかけての伊勢神宮祠官、国学者。
※ 芝居のあやつり - 人形浄瑠璃


   草枕 旅路の憂さも 難波潟 にぎわう里に 心まぎれて
※ 難波潟(なにわがた)-上代、大阪市の上町台地の西側まで来ていた海域の古称。(歌枕)

三月朔日、住吉に至りて、四所の大宮に詣づ。
※ 四所の大宮 - 住吉大社のこと。住吉三神と神功皇后を祀る四宮がある。

   住の江や みまくほしさに 今日きしの 松と契りし 人はなけれど

和泉国、堺の町より、東へ行きて、大山陵を拝む。こゝは仁徳天皇の御(おん)にて、いとも/\大きなる陵なりけり。巡りの池もいと深く、山の様もめでたくて、すべての陵のうちにも、かゝるばかりなるは、またあるまじくぞ、思わるゝ。
※ めでたい - 賞美する価値があるさま。みごとである。

さて今日の道は、西の方に播磨の海より淡路島など見渡されて、いみじう面白し。浜寺という処の松原よりは、ことに浦々さも近くて、言わん方なし。須磨の浦、明石の浦も、今見ゆる方なりというに、こは年ごろ、いかでとく行き見まほしく思えば、殊に心留められて、

   浦浪の 立ちも寄らむと 恋わたる 須磨も明石も 近しとぞ聞く
※ 恋わたる - 長い年月のあいだ、恋い慕いつづける。

高師の浜もこのあたりにはあらんと思いしに、違(たが)わで、人に聞けば、この松原ぞ、高師の浜なりける。げに面白かりつるも、さりやと思いなりぬ。

   声にきく こゝや高師の 浜ならむ 浜の景色も ただならず見ゆ

   風の音の 高師の浜の そなれ松 なれて幾代か 波もかゝらん

※ そなれ松(磯馴れ松)- 潮風のために傾いて生えている松。

信田森は行く道の東の方なりと聞けど、程遠しというに、思い越して、え立ち寄らで過ぐとて、
※ 信田森(しのだの森)- 大阪府和泉市、信太山の森。葛(くず)の名所で、安倍保名とちぎった信太森の白狐、葛の葉の伝説で知られる。
※ 思い越す - 先のことをあれこれと思う。前途を考える。


   春なれば 名に立つ千枝の 深緑 さぞな信田の 杜にや有らん

   急がずば 信田の森は 遠くとも 千枝の一枝も 見ずで過ぎめや


かくて貝塚という里に宿りぬ。
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