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ムサシのパニック

(川浚いできれいになった)

家の西側の幅4mほどの川に川上からの土砂が溜まり、その上に葦が生い茂って川をあちこちで狭めていた(1月20日写真)。水が出た時いかにも危険だと近所で話していたが、昨日ようやく役所でユンボを使って川浚いをしてくれた。

昼間は家の前庭のケージの中に放されている愛犬ムサシは、川下からだんだん近づいて来るユンボの騒音に、午前中は何も反応しなかった。午後になってキンヒバの生垣のすぐ外側まで来て大パニックになった。

自分の縄張りを主張して、最初ははげしく吠え立てていたが、いつものようには効果がない。そのうち恐怖に吠え声も震えて聞こえる。今までに無い様子に、女房が出てみると、ケージの中で身体を打ち震わせて、人間ならば顔面蒼白で引きつらせてという状態で、パニックになっていた。騒音の出所がキンヒバに隠れて見えないため、恐怖心が余計につのるのであろう。

ゲージから出すと玄関を開けるのももどかしく、家に逃げ込んだ。キッチンで仕事をする女房の側に悄然と打ち伏せて、ようやく落ち着いた様子であった。しかし身体の震えが止まるまでにはさらに時間がかかった。

いつも自分の縄張りと考えている芝生の中に入って来る人には、電気の検針のおばさんや夕刊配達の女性にも容赦なく吠え立て、気分がすぐれない時には飼主にさえ吠え立てる、憎らしいムサシであるが、弱みをまた一つ見つけた。

ムサシは家に来たとき、最初は2階の娘の部屋にいた。階段から落ちかけた幼犬体験でもあったのであろうか、階段が怖くて、つないで置かなくても階段を降りてくることは絶対になかった。階段の側に寄ろうとしないばかりか、階段の方へ押しても余程手前で足を踏ん張って前に出ない。また水が嫌いでどんなに騒いでいても、水をかけるとしゅんと静かになった。

この二つの弱みは、確認していないが、今も変ることはないであろう。そして、新たにこの三つ目の弱みである。しっかり覚えておこう。
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ムサシの散歩

今朝、会合に出席のため静岡へ出張するので、女房に駅まで送ってもらった。

出張から帰って、女房の話で、今朝は愛犬ムサシに「お父さんを駅に送っていかなければならないから、今日は遠くへはいけないよ」と言って聞かせて、散歩に出かけたところ、最短のコースを自分で選んで戻ってきたという。

ムサシは決して皆んなにのぞまれて我が家へやってきたわけではない。我が家では犬を飼うことに全員が反対であった。ところが、ある日下の娘が相談なく仔犬を買ってきてしまった。相談してもOKにはならないと思って強行突破してしまったのだ。

しかし、幼稚園勤めの娘に世話する時間があるはずはない。結局、家にいる女房が世話をすることになった。文句を言いながら、のめり込む方で、過保護なほど大事に育ててきた。下の娘は嫁に行ってしまい、当然ムサシは置いていかれた。

世話の中で、毎日朝夕2回の散歩が欠かせない。最も時間がかかる世話である。

散歩コースは長短いろいろあって、その決定権はムサシにある。時々、女房の都合で短いコースに導こうとすると、その場に伏せをして、そうなるとびくとも動かない。引張ると引き摺られていく。自分が行きたい方へ変えれば、起き上がって歩いて来る。

雨が嫌いで、降りそうになるとどんどんコースをはしょって戻ってしまう。今日は短いコースだったと思っていると間もなく雨が降り出す。ムサシの雨に対する動物的勘(?)には驚かされると女房が話す。雨が降り出してしまうと嫌がって動かなくなり、傘を差した女房が抱いて戻ってくることもあるらしい。

散歩の途中で必ず吠え付かれるところがあって、ムサシも烈しく吠え立てるので、女房が困って、吠えなければ誉めてやって小さな菓子をやるようにしたところ、今ではそこに来ると吠えずに立ちどまって菓子を待つようになったともいう。

確かに犬の知恵は相当なもので、人間では3、4歳児の知恵があるという。しかしながら、女房の言葉を理解して、最短の散歩コースを選んだというのはどうだろう。たまたま、飼主の都合と、犬の都合が合ったというだけではないの?
とにかく、ムサシに僕のことを「お父さん」と言うのだけは勘弁してくれ。



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ムサシの気持

(じゃれるムサシ 再現写真)

うちの女房は体育会系のなれの果てといえば怒るであろうが、少しばかり粗忽である。

一ト月ほど前、自分で閉めた車のドアに自分の右親指を詰めた。状況の説明を受けたが、いまだにどうすれば自分の指を自分で挟むことが可能なのか、理解が出来ない。

とにかく右親指の爪が内出血、倍ぐらいに腫れて痛くてたまらず医者に行った。誰のせいでもないのだから痛さもひとしおであっただろう。しかし、血を抜いてもらったら嘘のように楽になった。これからは友達が同じ事故にあったら、血を抜いて貰えと勧めようと、自慢げに言ったものだ。まあ、めったにこんな間抜けな事故に合う人はいないはないだろうが。

とにかく現在も、古い爪を付けたまま生え変わるのを待っている状態であった。2、3日前、愛犬ムサシの散歩のあと、じゃれていたムサシが右親指をがぶりとやったからたまらない。痛いと親指を押さえる訳にもいかず、手首を握って顔をしかめて耐える女房。ムサシはもちろん本気で噛み付いたわけではなく、遊びの延長の甘噛みだったのだが、場所があまりにも悪かった。

ムサシは自分が原因だと理解して瞬としてしまい、すまなそうに女房を覗き込んだ。女房はそんな姿を見て痛みも和らいだ、と書くと作り過ぎで、夜になっても、せっかく治りかけていたのに、また血が出て痛くてたまらないとこぼす。そのうちに取れかけていた爪を自分で切り取ってしまったようだ。

表情が少ないから何を思っているのか理解しづらいが、よく観察すると犬の気持は判るものらしい。特に柴犬は飼い主といえども人間とは一線を引いているように見える。けっこうあの頭で、この家族(群れ)の中での自分の格付けを考え、どうすれば飼主がおやつと呼んでいる餌がゲットできるかと考えているのであろう。
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犬の災難 再び

(写真は現場、当時は水量がもっと少なかった)

昨日の犬の災難の書込みを女房が読み、事実と違う点があるというので再度訂正の書込みを行う。

肝心なことで抜けていたのは、川に落ちた犬が助けを呼ぶような悲痛な鳴き声を出し続けていたこと。散歩から戻った女房は愛犬ムサシを家につないで鳴き声がするほうに行ってみた。つれない男性にあったのは行く途中で、何の声か聞いた時の会話だった。

また電話をしたのは女房本人で、最初は駐在所に電話したら留守だったので、市役所に連絡したという。

近所の奥さんは市役所の職員が来たときに判らないと困るので、土手にいて案内してもらおうと声を掛けたら、一緒に来てくれた。途中でもう一人農家のおばさんも一緒に加わり、3人での救出劇になった。

犬は手の届くところまで来ていたのではなくて、呼んだら必死でもがいて来たのが事実だった。

犬を拭いたタオルは農家のおばさんが車から出してきてくれたものだと判った。

市役所の職員は車で二人で来た。助けられたのを見て帰ろうとしたので、飼い主が来て確認するまで待ってもらったようだ。

人から話を正しく聞くというのは難しい。たったこれだけの内容でもこんなに多くの点が正しく伝わっていなかった。事件のバックに救いを求める犬の鳴き声があったのだが、緊迫感を伝える一番大切な部分が抜け落ちていた。

なお、新たに判ったこと。3人の女性はいずれも家で犬を飼っていた。犬種は小型の柴でいつもは吠え付いてこわいと評判の犬であったが、助けられてからは大人しく身をゆだねていた。さらにこの犬はかなりの年齢で白内障気味だった。以上。
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犬の災難

(写真は暮れの大雪に喜ぶムサシ)

昨日の朝、愛犬ムサシの散歩の途中で女房が出会った事件。

愛犬ムサシを連れて朝の散歩していると、川に首輪を付けた犬がはまってばちゃばちゃしていた。助けてやりたいが深さも判らないので手が出せない。助けを探しに戻る途中、犬の散歩をしている男性に話したが、「さっき見たが長靴でもなければどうしようもないね」とつれない。近所の奥さんに話すと、それなら市役所に連絡すればいいと電話をしてくれた。

すぐ来てくれるというので、もう一度現場に戻る。犬は自力で手の届くところまで来ていた。救い取って保護した。冷たい水の中で体温を失ってブルブル震えている。タオルで拭いて元気付けているところへ、市役所の職員もやって来た。

近所の奥さんは、犬を見て飼い主の見当がついたようで、勤め先に電話して確認に来てもらい、その飼い主の犬だと判った。逃げ出して川に落ちるとは何ともドジな犬である。市役所の職員はその一部始終を見届けて帰って行った。

道路に車にはねられた動物の死骸があるときは、電話をすれば片付けてくれるとは聞いていたが、今の市役所はこんなことにまで出動するのかと驚いた。また逆にそんなことまで市役所に頼む住民側もどうかと思う。そんなことを感じた事件であった。夕方、飼い主よりお礼が届いていた。
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愛犬「ムサシ」と「かさぶた」

                    (はじめまして、ムサシです)

今年は犬年、当家にも3歳の豆柴がいる。名をムサシという。このブログでも重要な役柄を果たすと思うから紹介しておこう。

そのムサシが小さくても柴犬で、食い物の事しか考えていない割にプライドが高く、飼主を必ずしも自分の上に見ていないところがある。

昨年の秋のある朝、食卓の上に顔を出して食い物を狙っていたので、不用意に手で追い払ったところ、手を噛みつきそうになり、引っ込めると、腿にガブっときた。

もっとも馬鹿犬でも本気で噛んだわけではなく、ズボンの上からかすったところ、キバが腿の皮一枚に引っ掛かってしまった。

痛いと思ったのは瞬間で、ズボンも傷ついていなかったので、大した事はないと思っていた。

夜、風呂に入ると内出血で腿が紫になっていた。内出血した傷は日時と共に薄れ、やがてキバの当たった2箇所を残すだけとなり、その2箇所はかさぶたになった。

かさぶたになってから取れるまでに時間がかかった。治りがけには痒くなるし、取ってしまいたい誘惑にかられるが、無理に取ると出血し、元の木阿弥になるから、自然に取れるまで我慢した。

このブログを始めるに当たり、テーマを考えていて、60歳(還暦)をテーマにしようと思いついた。77歳は喜寿、80歳は傘寿、88歳は米寿、90歳は卆寿、99歳は白寿、108歳は茶寿である。いずれも漢数字のこじつけである。

で、「六十」の文字を分解して気付いた。六十は八十に「なべぶた(亠)」を付けた形になっている。「八十」は「傘」、だから「六十」を「かさぶた」と読ませる。そして名付けて「かさぶた日録」。

かさぶたの下には新しい皮膚が出来ている。が、あわてて取り除くと出血する。じっくり時間をかけて、自然に取れるまで待とう。

還暦で人は生まれ変わるという。第2の人生はすでにかさぶたの下に準備されている。しかしかさぶたを取るに焦ってはならない。急ぐと出血して遠回りしてしまう。

「かさぶた日録」ではその人生の変わり目を記録していきたい。


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