katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどり教室とアクアリウムバスの追加下地

2018-03-22 01:28:58 | モザイク教室
今日は午後からみどり教室。それまでの間はモンゴルの額装をやって、時間になって送迎。ただ、週末にアクアリウムバスがあるので、お教室と言うよりも、ほぼそっちの話。そんな中、ペンキ塗りもさせて貰えて・・・。


後3つでおしまい・・・って所まで終わって、その後、積み込みの準備もして・・・今週はアトリエ教室が無いので出したまま。それはそうと、雨が続くって言うし、近頃暖かくなって暖房無しが続いていたのに、また冬に逆戻りな感じで・・・・暖かい飲み物が飲みたくなったのね。

そろそろ春になる前の寒さなのかな・・・






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アクアリウムバスの追加下地とモンゴルの額装

2018-03-21 08:34:04 | モザイク作家
今日はまず先日途中になったアクアリウムバスの追加分の下地から。ひとまず昼過ぎにはペーパー掛けまで終わったんで、その後はモンゴルの額装。


残りは後3枚半となり、その中に馬頭琴が1つ含まれるのね。いよいよ・・・って感じになって来たのね。

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デイ・サービスへキウイと・・・戻ってモンゴルの額装

2018-03-20 01:13:48 | デイ・サービス
今日は午後からデイ・サービスの日。キウイの同行の元、今日は6人だったんだけれど・・・・撮れて無かったみたいで・・・これ1枚。
ちなみに男の人達はお出掛けらしく、参加された方はみんな女性・・・こんなの初めてだったのね。

そんな中、今日は出ないのかなぁ・・・・って声が掛かったんだけれど、何度も参加されている方が、困っている時に手助けをするんだけれど、その手助けとは、切る時にタイルを持ってあげるのね。所が微妙な所を持ったりするから、俺の手を挟んじゃうんじゃないか?と心配してくれるね。

そこで思い切りやって欲しいんで、大丈夫ぅ、大丈夫ぅ、痛いのは俺だから・・・・って言うと、みんなが笑ってくれて、困っているのは手伝って貰っている本人だけ・・・なんて事があって、そのやり取りが楽しかった・・・って言うのね。

でもね、それが出ないって言うのは、一人で出来るようになった・・・って事でもあるのね。それが、ちょっと疲れた事もあって、中々上手く行かなくなったんで、じゃ、いよいよ出すぅ?・・・・って言うと、周りの人が、やっと出たぁぁって。これも楽しいなら、それもここでは良い事なのね。

楽しい・・・って事なら、何でもね。何しろここはデイ・サービス。無理せず楽しく時間が過ぎてくれれば・・・そして完成。これのみ。ただ、そうするにも、6人の参加であっても、キウイと2人で何とか逃げ切り・・・・そんな感じでもあるのね。何しろ今日も無事に終われたのは何よりなのね。

そんなこんなで戻ってからは、モンゴルの額装。


馬頭琴の縁取りをやったんだけれど、今までの白やどんぶりのような模様とは内容が違うのね。一見同じようだけれどね。この説明は漫画とアニメなんて関係が判りやすいんだけれど、漫画って言うのはアナログなんで、以前は作家がペンとインクで描いていたのね。

そうすると、太いペンが好きな人もいれば、細いペンを好きな人もいる。しかも何処に力を入れるか?で更に雰囲気が変わるのね。その事がタッチなんて表現をして、何が美しいか?なんてこだわったと思うのね。ただ本人が描いていても、段々とそのタッチが変わったりもして・・・。

それを個性なんて表現があったりしたのね。それをアニメはデジタルで、作業として何人もが関わる事になっても、機械を通した安定した線になり、そこには個性はほぼいらず、キャラクターの魅力だったりもする。これは人の手だけと機械を使った関係性の話だったりするのね。

それを応用した考え方が、全て人の手で作るのだけれど、白い縁取りやどんぶりのような模様は、1cmタイルの半分にしてあるのね。つまりデジタル線のように、誰が関わったとしてもみんな同じに見える方向と、馬頭琴の縁取りは漫画タッチのように、全て半分とは限らない・・・そんな線になのね。

要するに全て人がやる事って言う事の特徴として、こだわりを持つって言うのは、その線、タッチがその人だけのもの・・・そんな事にこだわったりする事が個性に繋がって行くもので、絵ならその線のタッチなら、書道だって、止めたり、はねたり、筆の上げ下げであって、これもタッチな話。

楽器だって、1つに1つただ押さえるだけでは無く、押さえたり開けたり、半分だったり、これも同じくタッチな話で、楽譜通りなのがデジタルな考え方なら、アナログでは、その演奏者ならではの個性・・・つまりソロなんてもんに繋がったする。

だとしたら、この額装は3人で作っているのだから、三者三様ではまとまらなくなる。そこで何がメインか?となった時、馬頭琴としたのなら、馬頭琴は俺のタッチで俺のソロの部分だから・・・となった時に、簡単な話で終わってしまいそうだけれど、そう簡単じゃないのね。

では馬頭琴以外の部分で、まだキウイは黒のバックはやっていないけれど、その実力でやったとして、3人がやっている事になって、どの部分が俺で、どの部分が2人か?となった時に、見分けが付かなければ良いのね。つまり見劣りが無いって事はそれ相応だって事になる。

つまりこのタイルを使った、この大きさで俺と比較されても2人は遜色無しって事になる。ここで良い事と悪い事は背中合わせって事が出て来る。つまり、遜色が無いって事は安定感があるって事になり、安定感があるって事は、面白味とかに欠けるとか、一本調子的なリズムであるって事になる。

もっと言えば、この下絵さえあれば、2人だけでも通用するって事でもある。って事なんだけれど、流石にそう言う訳にも行かないのね・・・。じゃ一体、この2人相手に何処が俺のソロを見せられるか?となった時に、確かに馬頭琴がメインだから、そこね・・・って事は誰にでも判るけれど・・・。

けれど、このタイルでは2人との差が出ない以上、2人がやっても同じ・・・って言う訳には行かないのを、どうやって俺の・・・ソロに見せるか?となった時に、実は目は口ほどにモノを言う・・・って言葉通りに、眼。ここを1㎝タイルにする事で精細さを増す。ここに俺らしさは出せる。

そして縁取り。ここも半分で統一みたいなタッチでは無く、ペンのような強弱の縁取りにする事で個性を出したのね・・・かなり地味にね。ただ、ここで大事なのは趣旨。これはあくまで額なのね。中身がメインのね。主張し過ぎず、主張をする・・・このさじ加減。

どう感じるか?は完成をした時に見た人のものだけれど、作っている最中は俺のもの。そもそも3人で・・・ここね。要するにこの3人では見劣りは一切無いし、誰が何処をやっても見る人にはほぼ判らない。それだけの腕もあるし、やる気の熱意もある。

ただ無理をすれば質を落とすし、腹八分目的にやれば間違いは無いのね。そんな中、これを終わらせる目的では無く、音楽のパート決めみたいな話なのね。例えばかぐやにはこれが向いているかな?キウイにはこれかな?2人の持ち時間は?とか、そんな配慮の元にね。結果として見分けが付かない。

そんな事を踏まえて、2人が作ってくれた余裕から、違いの判る2人に見せるのは、こんな事・・・それが1cmの部分の眼と縁取りなのね。勿論、2人が目を作ったとしても、それはそれでまた違った雰囲気になるだろうが、ここが三者三様で、どれが良いか?は見た人の判断になる。

しかし、頼まれたのが俺だから、俺がやった方が良いだけ。むしろ本当の意味での個性って言う点では、縁取りだったと思うのね。ここは中々こうは考えなかっただろうし・・・。簡単に言えば能率効率なら半分のままやれば良いが、こう言うペンタッチは切り置きが出来ないから、1枚ずつ進む。

切るだけ切って後から張る・・・では無くて、切っては張って、張っては切る・・・の1枚ずつ。しかもラインを合わせないとならないから、意外と手間も掛かるのね。そんな中、口元なんかもシュールに変えて見たりして・・・同じ事をしてもね・・・そんな事を色々考えたりして・・・。

少しずつ終わりが近づいているのね。

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アクアリウムバスの追加下地とモンゴルの額装

2018-03-19 03:02:24 | モザイク作家
今日は遅めの出勤で、まずはアクアリウムバスの追加下地から・・・ただ、ちょっと色々あって途中までで終わらず・・・予定変更でモンゴルの額装にして・・・。ただ今週は雨が続くって話だから、ちょっと痛いんだけれど・・・。


黒のバックと白い縁取りをやって・・・後2枚白い縁取りが残っていて、馬が1頭、それとバック。いよいよ後半って感じになって来た。気は抜けないが、時間が解決って感じにはなっては来ているとは思うのだけれど、今回は現地には行かないんで、取り付けに関する事の方が気になるのね。

本来はモザイクを作るって事と取り付けは別途の話で、普通は完成したらお渡しすれば仕事は完了で何も問題の無い話なんだけれど、それが俺の場合、微妙な話で、普通は30cmの大きさにネットを付けたものを完成させる事がモザイクを作る人達の基本であって、それをタイル屋さんが張る・・・。

こんな関係なのだけれど、こんな複雑な下地にネット張りを作る事よりも原形を張ってしまった方が良いと思うのだけれど、それはあくまで自分同行の上での施工であって、何処までやってあると不備が起こらないか?って事を考えるのが難しく、ある意味今回はモザイクを作る事よりも、施工の人に負担を

少なくするには・・・の方が気になる所で、ただ美術会社さんとの打ち合わせで、今回は国立美術館なんで・・・との話で、施工を気にする事無く完成させて欲しいと言われてはいるのだけれど、モザイクを遠慮無くすれば、当然繋ぎ目は複雑になり、現地の施工に負担が掛かる事になる。

そんな話ありきのスタートだったんだけれど・・・いずれにせよ、モザイクに関しては終わりの方向にある。




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昨日に引き続き3人でモンゴルの額装・・・そしてかぐや帰宅

2018-03-18 08:15:04 | モザイク作家
今日は朝から昨日に引き続き、かぐやとキウイでモンゴルの額装。2人がやってくれたんで、残りはここまでになったのね。


今回割と長かったかぐやもお昼過ぎには羽田に送って行く事になり、予定通りに到着したんだけれど、何を勘違いしたんだか思っていた便より早めの便を予約していたらしく、お茶していたらバタバタの見送りになったのね・・・。こらこら、非日常はここまで・・・元に戻らないと。

そんな訳でこんな時間になるだろうな・・・と思ったよりも早い折り返しになったんで、江戸川FMのかおるさんを聴きながら・・・アトリエに。
さてさて、俺も人に言っといて・・・非日常はここまで・・・・元に戻らないとね。当然12時過ぎとなったのね。

賑わっていた昼間とは違って、また日常に戻って1人になったけれど、刺激になったと思うのね・・・これが孤独を多く感じれば寂しさが勝ってしまうし、刺激になれば、より頑張らないと・・・みたいになったりもする。全てが自分がどう感じるか?であって、どう活かせるか・・・になる。

いずれにせよ、日常と非日常・・・そこを意識し、常にやる事は一緒であって、心持ちを大きく変えないようには心掛けてはいるのだけれど・・・。
後は自分の思っている自分と、客観的に自分を見た場合との差が無ければ、思っている通りだろうが、その差があればあるほど崩れるもので。

しかも、思い違いは心技体全てに影響するもので、例えば、みんなでやっていた事が楽しかった・・・だから一人は寂しい・・・そう感じたら、じゃどうする?何をする?ってのと、みんなとやっていて楽しかった・・・だから無駄に出来ないし、これを活かさないと・・・と感じたら、どうする?って言うと

当然行動は変わって来る。じゃ前者だったら、さっきまで3人でいた場所だから・・・と思えば、帰りたくないなっ・・・なんて思ったりして、楽をしようとして自宅に帰ったりして・・・それが後者だと、頑張らないと・・・となり、すぐにアトリエに戻っていつも通り遅くまでやろうとする。

ただ、人の心とはそんなに単純では無くて、後者を選んでも1人になった影響は2つあって、寂しさを含んでいたのなら、その空間が楽しかったなんて思えば・・・・そんな気持ちがあれば、そこに必要以上にいたいと思うだろうし、1人が寂しくてもやらないと・・・では、無理に頑張るだろうから、

結果として、もうこんな時間・・・って思うのか?、まだこんな時間・・・って思うか?で一目瞭然の話になる。だから、アトリエを選び、遅くまでやって、もうこんな時間?って思った自分の心は、そんな感じなのね・・・と確認したら、それはあくまで心の問題。心技体と言うのなら、次は体。

当然、精神的なものとは違う体力的なものが影響する。それをただ座っているだけじゃん・・・と思うのなら、それはそれで良いが、立っているだけじゃんって言う言い方もある。要するに座っているだけ・・・それはそれで大変な話で、寝たきりでも床ずれがあったり、運動不足にもなるし・・・。

疲労って言うのは、座っていたらならない・・・なんて事は無いし、それなのに遅くまでやり、えっ?こんな時間・・・なんてストレスを感じずやり続けたら、疲労と言うのは蓄積されて行くものだから、今日の分だけじゃなくて、今までの分に孤独分の疲労も足した分って話になる。しかも、しかもね、

実はみんながいたから・・・って気が張っていたとしたら?気が抜けた瞬間、心も体もきしみ出すものでね、そもそも気が張っている人は、そんな簡単には崩れないのね。だから、気を抜くと人は必ずそうした変化が起こる。じゃ気を抜かない事が正しいか?となると、超人アスリートでも無ければ、

そんなのは無理だし、年齢から衰える肉体的疲労は休まないと治らない。そもそもどんなアスリートであっても、五体満足のどこもかしこも絶好調なんて人はまれであって、みんな何処かに痛みを抱えつつであって、大きなダメージにならぬようにコントロールしていると思われるのね。

しかも全てのアスリートは俺よりも若い・・・そうね、ならば肉体的に見劣りしても、心が見劣りするのはね・・・それだけは負けられないのね。老年には老年の経験値もあるし、心まで負ける必要は無いと思うのね・・・老年と認めれば全ては若造になるのだから。

いずれにせよ、心持ちってのをどう立て直すか?って言うのは、今どうであるか?を知らないと、治療が必要か?ただの怠けか?はたまた、一旦休憩なのか?甘やかすのも、追い込むのも、一旦立て直す時間なのかも、全て自分自身なのだから。そんな1人の時間は確認作業。

そして遅くまでやる事を選んだのなら、明日は遅めで体を休めるのと、音を立てる作業になるから近所の配慮。一石二鳥になる。雨さえ無ければ、ここまで予定通り。

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かぐやとキウイとモンゴルの額装・・・馬頭琴はじめました。

2018-03-16 23:00:24 | モザイク作家
今日は朝から3人でモンゴルの額装。2人に繰り返し部分を任せて、いよいよ馬頭琴を本格的に始めたのね。2人に馬頭琴のエピソードを聞いて、更に下絵通りに張って見ると、何だか違うな・・・って気持ちになり、眼を変える事にしたのね。まっ、こんな所だろうな・・・。

そんな中、午後から久しぶりの方・・・・シドさんがご友人とやって来たのね。どうやらご友人がシドさんの家でモザイクを見てくれたらしく、そこで気に入って頂いて、是非見たい・・・と言う話で、いらして下さったのね。ちなみにシドさんは作品を何度か依頼されたお客さんなのね。

以前のアトリエの時は会社への通り道だったんで、時よりいらして下さったが、ここに来てからは初めて・・・。更にちなみに、かぐやはシドさんの家のモザイクに参加しているし、キウイも良くお教室の時に会ってたりして、みんな顔見知り。そんなこんなで久しぶりのご歓談。


だいぶ進んだ感じではあるんだけれど・・・・明日がかぐやが最後の日・・・・どこまで進められるのかな?

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かぐやとモンゴルの額装・・・そこにキウイも

2018-03-15 23:49:54 | モザイク作家
今日はお教室があったんだけれど、キャンセルになって・・・本来はそこに相席の形でかぐやがモンゴルの額装の仕込みをやっていると、午後からキウイも合流って事だったんだけれど、そんな訳で3人で仕込みのみになったのね。

ちなみにトップの画像は俺で・・・黒のバック。かぐやも黒バック。


キウイは白い縁取り。


そんな中、馬頭琴も見たい・・・って話なんで・・・


馬頭琴始めましたぁ・・・・って事になり、段々と形になりつつあるのね・・・。

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かぐやとモンゴルの額装・・・そこにみどり

2018-03-15 07:10:52 | モザイク作家
今日も引き続きモンゴルの額装をかぐやと・・・。俺は白い縁取り。かぐやは黒のバック。


そんな中、お昼過ぎにみどりがやって来て・・・。ただ、みどりはこの仕事では無く、今後使うと思われる販売用の箸置き作り。



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かぐやがやって来て・・・モンゴルの額装

2018-03-14 00:24:55 | 商業モザイク
今日は昼にかぐやが羽田に到着。そんな訳で送迎・・・一緒に昼を食べてアトリエでモンゴルの額装の仕込み。そんな中、俺は夏の子供教室のイベント用のサンプル画像の為の作品作り。そして完成して仕込みに戻って・・・・・


そんなこんなで1日目は10時に終了。

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棟梁とリピーターさん2人の相席教室とアクアリウムバスの下地

2018-03-13 01:33:05 | モザイク教室
今日は棟梁とリピーターさん2人の3人での相席教室。まずは、この作品を作っている方が根付風味の下地を自宅で張って来ていて最後に目地をして完成。


テディベアの本物と同じように縫い目の通りにブロック分けしてあって、中々頑張ってやってあったのね。そもそも根付風味の下地は親指程度の大きさだから、全てのパーツをきちんと切れないと入らないなんて事が起きる。これが例えば先日のデイ・サービスの来月分のバラの下地となると、


大人の手を広げた位の大きさだと、切ったパーツも持ちやすいが、テディベアだと数ミリのパーツがあったりもする。それを更に1人で完成させた。ここが大事で、そもそもトップの画像の大作をやっている人。ただこれは失敗は出来ない作品だから、教わっている・・・そう考えれば、根付の作品は小物。

つまりそれはチャレンジの作品になるのね。だって大作よりも難易度が下がるものなのだから。これがバラをやっている人なら、バラより難しい根付の小物を一人でなんて無謀かいじめな感じがするけれどね。つまりそれだけの実力でのチャレンジとなるのね。そしてこの結果。十分楽しめたはずなのね。

これがパーツが入りませんでした・・・って戻って来たのなら、へこたれる結果にもなるけれど、これだけ1人で出来た・・・それが進歩。そしてそれを以前の作品と見比べれば一目瞭然で、自分の眼で見ても上手くなったと思えるはずなのね。何故なら過去にクマの作品を作っているのだから。


それがこの方の場合は、もう花は作りたくないぃぃ・・・ってくらい、へこたれているのね。では何故か?理由は簡単で、ビックリマークの丸を取ったパーツのような1枚で花びらを作れるようなマーガレットのような花は得意なんだけれど、1枚の花びらを10パーツで作る・・・そんな事に戸惑っている。

だから思うように進まない。しかも何度も切り直さないとならない。相当参っているのね。ではどうしてそこまで追い込まれるのか?とても簡単な理由で、丸と楕円の話なのね。例えば1度もモザイクをやった事の無い人に丸を切って・・・と言ったとする。どうなるか?なのね・・・。

例えばそれがぺきぺきのクラッシュだったとする・・・みんなが色んな形、色んな大きさ、みんなが違うものを持って丸を切ったとする。でもきっと大きさはマチマチだけれど、丸くしようとしていると思うのね。つまり脳は丸にしようとしている。みんな一致してね。

つまり初めての人達の器用、不器用の差はあれど、丸を知らない人は1人もいない。ここにブレは1つも無い。けれど楕円の場合、判りましたぁ・・と切れる人、えっ?って思う人に分かれるのね。何故なら丸のように一致しないから。どんな楕円?って思う脳の人がいるから。

そうなると、まずその楕円の形を脳に浮かばないと手が動かない・・・って事になるのね。それが丸と同じように楕円でしょ・・・って切れる人は、大体で良いんでしょ・・・と自分なりの楕円って事で納得出来るから、何も変わらず切れたりする・・・そんな違いがあるのね。

つまり同じように切れる人は、最終的にどちらも変わらない事になるし、逆に考えてしまった人は丸は切れるが、指示を仰ごうとして手が止まったりするのね。結果が変わったでしょ?要するにこんな事になっているのね。つまり出来る事で安心したいし、出来る事で楽しみたい・・・ってね。

それが丸と楕円の関係性のようなもので、10パーツみたいな形で花びらのやり方の正解が知りたいのね・・・ここにつまづいているのね。実は正解なんてほぼ無いのね・・・あるのは全員一致のそれは無いわぁぁ・・・これを防ぐ事。この物の考え方が理解出来るか?なのね。

例えば、さっきぺきぺきのクラッシュで丸を切って・・・って話をしたが、大きさがマチマチの場合、掴みやすい大きさの方が有利でしょ?小さくて持ちづらいパーツよりもね。でも大き過ぎると場合に寄っては欠けてしまったりすると、やり直しになったりする。こんな事も起きる。

ではみんな1cmタイルだったりする。そうなると、みんな同じ条件で一見平等性がこちらにあるような気がするのね。そもそもがそれ自体思い込みなのね。じゃ小さな子がいたら?大人と一緒に硬い1cmのタイルが平等かな?持てるのかな?切れるのかな?つまり大きさのマチマチのぺきぺきのクラッシュの

方が、自分の持ちやすい柔らかい事が平等って感じがしないかな?そこが思い込みなのね。つまり初めてなら常に初めての気持ち、初心って意味はそう言う事であって、1パーツの形の花びらが出来ても、10パーツで1つの花びらは難しい・・・ここの意識は持ったのね。

では意識は持った・・・けれど、1枚なら聞かなくても判る・・・じゃ10枚でってどうやるの?・・・そうね、初めてなら教えるべきなのね。当然先生だから。でも良く見て貰えば判るように何個も作っているのね。けれど、どれも違う花・・・つまりその都度聞かないと、最初だから・・・。

こんな意識なのね。そこが違うのね。絵は描いてはいないけれど、もう本物から全く違う色に切り替えたのだから、その時点で別物になっている。つまりもう原画とは離れたと思い込んでいるから、原画を良く見ない・・・まずここ。あくまで色を変えても、そこの濃淡はそのまま良く見れば、

きちんと真似る事は出来るし、もっと言えばすでに何個も花びらは作っているのね・・・ただ何が正解か?に、たどり着きたいのね。そうすれば、その正解の色違いを量産出来るから・・・ほら意識の中に、進みたいが先行してしまっている。その意識が全てなのね。

大事なのは正解探しじゃなくて、失敗探し。その時に相席なのだから、これどうかな?・・・って、やったら聞いて見る。すると三者三様の意見が出て来るのね。って当たり前でしょ・・・そんなの。そうじゃなくて、趣味趣向の違う人達の意見が一致する事があるのね・・・それは嫌ってね。

ここ。ここが一番大事なのね。みんなに良いって言われたいけれど、それよりも発展途上の人は、まずみんなのダメが揃う事に敏感になる事。自分が良かれと思った事がみんなが揃って違う・・・って場合、常に何処が?と違う場所を知る事。そして受け入れる事。ここが大事なのね。

これが上手いって言われるようになると、人と違ったとしてもそれは個性なのかも知れないけれど、発展途上ではまず上手い人に確かめたいのね。ただ、ここが大事で最初は教わっても2回目以降はそれを踏まえて、やって見て・・・直す前提。それがアトリエだからいくらでも出来るのね。

これが自宅でやったら、大きく失敗してしまうかも知れない・・・これが良くある話で、出来て楽しい最初はどんどんとやって来て進むけれど、上手くなればなるほど、慎重になり過ぎて進まなくなるのね。進みたいのに・・・。ある意味消極的にも思える程ね。

それがさっきのテディベアにも言えるのね。1人で完成させたのね。しかもやっつけで終わらせたんじゃなくて、きちんとね。そうやって、教わる事と自分1人でチャレンジする事を平行にやれば、段々自信になって行くのね。それを綺麗に見えない・・・上手く行かない・・・進まない・・・。

こんなループになってしまうのは、図面みたいにこうしなさい・・・ってパーツの切り方図面が無いからって言っているような話で、そもそもステンドをやっている人だからなのね。ステンドは1つ1つのパーツの指示があったりするから、型紙通りに切りましょう・・・に慣れているからなのね。

でもそれはオリジナルじゃないのね。オリジナルって人と違っていて、自分自身なのだから・・・でも、でもなのね。これで良いじゃん・・・それをオリジナルと言うのなら、何も聞かずに出来るはず・・・ここまで切れればね。ただ上手くなりたいからいらしているのだから、進歩したいのね。

勿論こちらとしても、そうしたい。けれど、こうして、あぁして・・・と言われた通りがオリジナルになるのかな?つまり、そう言う考え方なのね・・・じゃこんなのは?こうしたら見えないかな?であって、最初から正解なんてありゃしないのね。ただ失敗だけはきちんとある。

そんな中、2人に自分の意見ぶつけてみ・・・って言うと、棒みたいなパーツ、ここが並んでいる・・・薄い・・・歯抜け・・・と三者三様の意見を浴びる。ここ。ここでへこたれては聞く耳が無いのね。もし、相手が上手いと認めるのなら、全てが自分に無い意見だったのだから、まずやって見る。

何から是正出来るかな?ってね。その時にどうしても曲げられない事があったりするのね・・・この方は上絵のオレンジは嫌なのね。そうなると、色のバリエーションを失うのね。花を華やかに散りばめたいのに上絵のオレンジ禁止は勿体無い。そこで好き嫌いの子供に食べさせるご飯のように細かく

・・・して、どれだけ許容範囲があるか?の確認をしつつ、大丈夫なだけ入れる方向で・・・なんて話をしたり、メリハリって言うのは色だけで無く、形もであって、どっちが大きく、どっちが小さく・・・か?とか、棒ってパーツは、花びらを作っているのに、真っすぐに見えるなんてパーツは

有り得ないと思うのね。そこはグネッと・・・とか、クキッと・・・とか、曲がって見えると思うのね。だから、色塗りの意識を捨てる事。常に花びらをタイルで作っている・・・そこを意識をする事。こう言う指導は心理なんで、技術として出て来るには、気持ちが変わらないと変化が無いのね。

意識として、やってるのに変わらない・・・って思っているうちは、ほぼ変わらないのね。やると良くも悪くも変わるはずだから、良くなったのか?悪くなったのか?さっきとは違う検証が出来るのね。それをまたみんなに聞く・・・そこで必ずまた違う事を言われたりする。けれど、さっきと違うのね

・・・だって是正しているのだから。その時に、あっ良いかも・・・ってみんなに言われたら、それが今その人の出来る範囲の是正であって、それがその人のお手本の基準になるのね。これが出来るようになると、きっと抜け出せると思うんだけれどね。ただ、ただね、もう1つ・・・。

じゃこんなに悩んでやっているこの作品、一体どんな感じ?って言うと、きっと本人が一番納得していないだけで、2人共良いって言っているんだけれどね・・・。そんな中、じゃ棟梁は・・・


これを大作の箸休めに使っているのだから、それはそれは上手くなった。しかもほぼ何にも教えている感じは無く、1人で進めているのだから、棟梁に取ってのテディベアがこれ・・・って言っても過言じゃないのね。って話で、そんなこんな後は、ホームセンターでアクアリウムバスの下地彫り。


これもまたさっきの話の続きみたいなもので、木を彫るって技術は上手くなった感じがあって、そこまで彫る技術がアップすると、今度はデザインになる。それがいくら絵が上手くても、それを彫れなければ絵の上手さは役に立たないのね。けれど彫る技術がアップすれば、下絵を繊細にも出来る。

となると、その下絵の良し悪しは仕上がりに影響する訳で・・・。いかに納得出来る絵になるか?になる。ただこれはあくまでイベントに参加して下さる体験下地となると、繊細さでは無くて、作りやすさ・・・が一番大事なのね。そして2番目以降に可愛さみたいなね。



そう考えると、今回の新作のチンアナゴ・・・これはアクアリウムバスよりもすみだ水族館のワークショップでやりたい下地なのね。中々面白そうな、それでいて時間も読める・・・結構気に入っている下地の1つなのね。進歩とか進化なんて是正の繰り返しみたいなもので、結果は後から付いて来るものだと思うのね・・・諦めないでやっているとね。

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