今日は棟梁とリピーターさん2人の3人での相席教室。まずは、この作品を作っている方が根付風味の下地を自宅で張って来ていて最後に目地をして完成。
テディベアの本物と同じように縫い目の通りにブロック分けしてあって、中々頑張ってやってあったのね。そもそも根付風味の下地は親指程度の大きさだから、全てのパーツをきちんと切れないと入らないなんて事が起きる。これが例えば先日のデイ・サービスの来月分のバラの下地となると、
大人の手を広げた位の大きさだと、切ったパーツも持ちやすいが、テディベアだと数ミリのパーツがあったりもする。それを更に1人で完成させた。ここが大事で、そもそもトップの画像の大作をやっている人。ただこれは失敗は出来ない作品だから、教わっている・・・そう考えれば、根付の作品は小物。
つまりそれはチャレンジの作品になるのね。だって大作よりも難易度が下がるものなのだから。これがバラをやっている人なら、バラより難しい根付の小物を一人でなんて無謀かいじめな感じがするけれどね。つまりそれだけの実力でのチャレンジとなるのね。そしてこの結果。十分楽しめたはずなのね。
これがパーツが入りませんでした・・・って戻って来たのなら、へこたれる結果にもなるけれど、これだけ1人で出来た・・・それが進歩。そしてそれを以前の作品と見比べれば一目瞭然で、自分の眼で見ても上手くなったと思えるはずなのね。何故なら過去にクマの作品を作っているのだから。
それがこの方の場合は、もう花は作りたくないぃぃ・・・ってくらい、へこたれているのね。では何故か?理由は簡単で、ビックリマークの丸を取ったパーツのような1枚で花びらを作れるようなマーガレットのような花は得意なんだけれど、1枚の花びらを10パーツで作る・・・そんな事に戸惑っている。
だから思うように進まない。しかも何度も切り直さないとならない。相当参っているのね。ではどうしてそこまで追い込まれるのか?とても簡単な理由で、丸と楕円の話なのね。例えば1度もモザイクをやった事の無い人に丸を切って・・・と言ったとする。どうなるか?なのね・・・。
例えばそれがぺきぺきのクラッシュだったとする・・・みんなが色んな形、色んな大きさ、みんなが違うものを持って丸を切ったとする。でもきっと大きさはマチマチだけれど、丸くしようとしていると思うのね。つまり脳は丸にしようとしている。みんな一致してね。
つまり初めての人達の器用、不器用の差はあれど、丸を知らない人は1人もいない。ここにブレは1つも無い。けれど楕円の場合、判りましたぁ・・と切れる人、えっ?って思う人に分かれるのね。何故なら丸のように一致しないから。どんな楕円?って思う脳の人がいるから。
そうなると、まずその楕円の形を脳に浮かばないと手が動かない・・・って事になるのね。それが丸と同じように楕円でしょ・・・って切れる人は、大体で良いんでしょ・・・と自分なりの楕円って事で納得出来るから、何も変わらず切れたりする・・・そんな違いがあるのね。
つまり同じように切れる人は、最終的にどちらも変わらない事になるし、逆に考えてしまった人は丸は切れるが、指示を仰ごうとして手が止まったりするのね。結果が変わったでしょ?要するにこんな事になっているのね。つまり出来る事で安心したいし、出来る事で楽しみたい・・・ってね。
それが丸と楕円の関係性のようなもので、10パーツみたいな形で花びらのやり方の正解が知りたいのね・・・ここにつまづいているのね。実は正解なんてほぼ無いのね・・・あるのは全員一致のそれは無いわぁぁ・・・これを防ぐ事。この物の考え方が理解出来るか?なのね。
例えば、さっきぺきぺきのクラッシュで丸を切って・・・って話をしたが、大きさがマチマチの場合、掴みやすい大きさの方が有利でしょ?小さくて持ちづらいパーツよりもね。でも大き過ぎると場合に寄っては欠けてしまったりすると、やり直しになったりする。こんな事も起きる。
ではみんな1cmタイルだったりする。そうなると、みんな同じ条件で一見平等性がこちらにあるような気がするのね。そもそもがそれ自体思い込みなのね。じゃ小さな子がいたら?大人と一緒に硬い1cmのタイルが平等かな?持てるのかな?切れるのかな?つまり大きさのマチマチのぺきぺきのクラッシュの
方が、自分の持ちやすい柔らかい事が平等って感じがしないかな?そこが思い込みなのね。つまり初めてなら常に初めての気持ち、初心って意味はそう言う事であって、1パーツの形の花びらが出来ても、10パーツで1つの花びらは難しい・・・ここの意識は持ったのね。
では意識は持った・・・けれど、1枚なら聞かなくても判る・・・じゃ10枚でってどうやるの?・・・そうね、初めてなら教えるべきなのね。当然先生だから。でも良く見て貰えば判るように何個も作っているのね。けれど、どれも違う花・・・つまりその都度聞かないと、最初だから・・・。
こんな意識なのね。そこが違うのね。絵は描いてはいないけれど、もう本物から全く違う色に切り替えたのだから、その時点で別物になっている。つまりもう原画とは離れたと思い込んでいるから、原画を良く見ない・・・まずここ。あくまで色を変えても、そこの濃淡はそのまま良く見れば、
きちんと真似る事は出来るし、もっと言えばすでに何個も花びらは作っているのね・・・ただ何が正解か?に、たどり着きたいのね。そうすれば、その正解の色違いを量産出来るから・・・ほら意識の中に、進みたいが先行してしまっている。その意識が全てなのね。
大事なのは正解探しじゃなくて、失敗探し。その時に相席なのだから、これどうかな?・・・って、やったら聞いて見る。すると三者三様の意見が出て来るのね。って当たり前でしょ・・・そんなの。そうじゃなくて、趣味趣向の違う人達の意見が一致する事があるのね・・・それは嫌ってね。
ここ。ここが一番大事なのね。みんなに良いって言われたいけれど、それよりも発展途上の人は、まずみんなのダメが揃う事に敏感になる事。自分が良かれと思った事がみんなが揃って違う・・・って場合、常に何処が?と違う場所を知る事。そして受け入れる事。ここが大事なのね。
これが上手いって言われるようになると、人と違ったとしてもそれは個性なのかも知れないけれど、発展途上ではまず上手い人に確かめたいのね。ただ、ここが大事で最初は教わっても2回目以降はそれを踏まえて、やって見て・・・直す前提。それがアトリエだからいくらでも出来るのね。
これが自宅でやったら、大きく失敗してしまうかも知れない・・・これが良くある話で、出来て楽しい最初はどんどんとやって来て進むけれど、上手くなればなるほど、慎重になり過ぎて進まなくなるのね。進みたいのに・・・。ある意味消極的にも思える程ね。
それがさっきのテディベアにも言えるのね。1人で完成させたのね。しかもやっつけで終わらせたんじゃなくて、きちんとね。そうやって、教わる事と自分1人でチャレンジする事を平行にやれば、段々自信になって行くのね。それを綺麗に見えない・・・上手く行かない・・・進まない・・・。
こんなループになってしまうのは、図面みたいにこうしなさい・・・ってパーツの切り方図面が無いからって言っているような話で、そもそもステンドをやっている人だからなのね。ステンドは1つ1つのパーツの指示があったりするから、型紙通りに切りましょう・・・に慣れているからなのね。
でもそれはオリジナルじゃないのね。オリジナルって人と違っていて、自分自身なのだから・・・でも、でもなのね。これで良いじゃん・・・それをオリジナルと言うのなら、何も聞かずに出来るはず・・・ここまで切れればね。ただ上手くなりたいからいらしているのだから、進歩したいのね。
勿論こちらとしても、そうしたい。けれど、こうして、あぁして・・・と言われた通りがオリジナルになるのかな?つまり、そう言う考え方なのね・・・じゃこんなのは?こうしたら見えないかな?であって、最初から正解なんてありゃしないのね。ただ失敗だけはきちんとある。
そんな中、2人に自分の意見ぶつけてみ・・・って言うと、棒みたいなパーツ、ここが並んでいる・・・薄い・・・歯抜け・・・と三者三様の意見を浴びる。ここ。ここでへこたれては聞く耳が無いのね。もし、相手が上手いと認めるのなら、全てが自分に無い意見だったのだから、まずやって見る。
何から是正出来るかな?ってね。その時にどうしても曲げられない事があったりするのね・・・この方は上絵のオレンジは嫌なのね。そうなると、色のバリエーションを失うのね。花を華やかに散りばめたいのに上絵のオレンジ禁止は勿体無い。そこで好き嫌いの子供に食べさせるご飯のように細かく
・・・して、どれだけ許容範囲があるか?の確認をしつつ、大丈夫なだけ入れる方向で・・・なんて話をしたり、メリハリって言うのは色だけで無く、形もであって、どっちが大きく、どっちが小さく・・・か?とか、棒ってパーツは、花びらを作っているのに、真っすぐに見えるなんてパーツは
有り得ないと思うのね。そこはグネッと・・・とか、クキッと・・・とか、曲がって見えると思うのね。だから、色塗りの意識を捨てる事。常に花びらをタイルで作っている・・・そこを意識をする事。こう言う指導は心理なんで、技術として出て来るには、気持ちが変わらないと変化が無いのね。
意識として、やってるのに変わらない・・・って思っているうちは、ほぼ変わらないのね。やると良くも悪くも変わるはずだから、良くなったのか?悪くなったのか?さっきとは違う検証が出来るのね。それをまたみんなに聞く・・・そこで必ずまた違う事を言われたりする。けれど、さっきと違うのね
・・・だって是正しているのだから。その時に、あっ良いかも・・・ってみんなに言われたら、それが今その人の出来る範囲の是正であって、それがその人のお手本の基準になるのね。これが出来るようになると、きっと抜け出せると思うんだけれどね。ただ、ただね、もう1つ・・・。
じゃこんなに悩んでやっているこの作品、一体どんな感じ?って言うと、きっと本人が一番納得していないだけで、2人共良いって言っているんだけれどね・・・。そんな中、じゃ棟梁は・・・
これを大作の箸休めに使っているのだから、それはそれは上手くなった。しかもほぼ何にも教えている感じは無く、1人で進めているのだから、棟梁に取ってのテディベアがこれ・・・って言っても過言じゃないのね。って話で、そんなこんな後は、ホームセンターでアクアリウムバスの下地彫り。
これもまたさっきの話の続きみたいなもので、木を彫るって技術は上手くなった感じがあって、そこまで彫る技術がアップすると、今度はデザインになる。それがいくら絵が上手くても、それを彫れなければ絵の上手さは役に立たないのね。けれど彫る技術がアップすれば、下絵を繊細にも出来る。
となると、その下絵の良し悪しは仕上がりに影響する訳で・・・。いかに納得出来る絵になるか?になる。ただこれはあくまでイベントに参加して下さる体験下地となると、繊細さでは無くて、作りやすさ・・・が一番大事なのね。そして2番目以降に可愛さみたいなね。
そう考えると、今回の新作のチンアナゴ・・・これはアクアリウムバスよりもすみだ水族館のワークショップでやりたい下地なのね。中々面白そうな、それでいて時間も読める・・・結構気に入っている下地の1つなのね。進歩とか進化なんて是正の繰り返しみたいなもので、結果は後から付いて来るものだと思うのね・・・諦めないでやっているとね。