今日は午後からデイ・サービスの日。キウイの同行の元、今日は6人だったんだけれど・・・・撮れて無かったみたいで・・・これ1枚。
ちなみに男の人達はお出掛けらしく、参加された方はみんな女性・・・こんなの初めてだったのね。
そんな中、今日は出ないのかなぁ・・・・って声が掛かったんだけれど、何度も参加されている方が、困っている時に手助けをするんだけれど、その手助けとは、切る時にタイルを持ってあげるのね。所が微妙な所を持ったりするから、俺の手を挟んじゃうんじゃないか?と心配してくれるね。
そこで思い切りやって欲しいんで、大丈夫ぅ、大丈夫ぅ、痛いのは俺だから・・・・って言うと、みんなが笑ってくれて、困っているのは手伝って貰っている本人だけ・・・なんて事があって、そのやり取りが楽しかった・・・って言うのね。
でもね、それが出ないって言うのは、一人で出来るようになった・・・って事でもあるのね。それが、ちょっと疲れた事もあって、中々上手く行かなくなったんで、じゃ、いよいよ出すぅ?・・・・って言うと、周りの人が、やっと出たぁぁって。これも楽しいなら、それもここでは良い事なのね。
楽しい・・・って事なら、何でもね。何しろここはデイ・サービス。無理せず楽しく時間が過ぎてくれれば・・・そして完成。これのみ。ただ、そうするにも、6人の参加であっても、キウイと2人で何とか逃げ切り・・・・そんな感じでもあるのね。何しろ今日も無事に終われたのは何よりなのね。
そんなこんなで戻ってからは、モンゴルの額装。
馬頭琴の縁取りをやったんだけれど、今までの白やどんぶりのような模様とは内容が違うのね。一見同じようだけれどね。この説明は漫画とアニメなんて関係が判りやすいんだけれど、漫画って言うのはアナログなんで、以前は作家がペンとインクで描いていたのね。
そうすると、太いペンが好きな人もいれば、細いペンを好きな人もいる。しかも何処に力を入れるか?で更に雰囲気が変わるのね。その事がタッチなんて表現をして、何が美しいか?なんてこだわったと思うのね。ただ本人が描いていても、段々とそのタッチが変わったりもして・・・。
それを個性なんて表現があったりしたのね。それをアニメはデジタルで、作業として何人もが関わる事になっても、機械を通した安定した線になり、そこには個性はほぼいらず、キャラクターの魅力だったりもする。これは人の手だけと機械を使った関係性の話だったりするのね。
それを応用した考え方が、全て人の手で作るのだけれど、白い縁取りやどんぶりのような模様は、1cmタイルの半分にしてあるのね。つまりデジタル線のように、誰が関わったとしてもみんな同じに見える方向と、馬頭琴の縁取りは漫画タッチのように、全て半分とは限らない・・・そんな線になのね。
要するに全て人がやる事って言う事の特徴として、こだわりを持つって言うのは、その線、タッチがその人だけのもの・・・そんな事にこだわったりする事が個性に繋がって行くもので、絵ならその線のタッチなら、書道だって、止めたり、はねたり、筆の上げ下げであって、これもタッチな話。
楽器だって、1つに1つただ押さえるだけでは無く、押さえたり開けたり、半分だったり、これも同じくタッチな話で、楽譜通りなのがデジタルな考え方なら、アナログでは、その演奏者ならではの個性・・・つまりソロなんてもんに繋がったする。
だとしたら、この額装は3人で作っているのだから、三者三様ではまとまらなくなる。そこで何がメインか?となった時、馬頭琴としたのなら、馬頭琴は俺のタッチで俺のソロの部分だから・・・となった時に、簡単な話で終わってしまいそうだけれど、そう簡単じゃないのね。
では馬頭琴以外の部分で、まだキウイは黒のバックはやっていないけれど、その実力でやったとして、3人がやっている事になって、どの部分が俺で、どの部分が2人か?となった時に、見分けが付かなければ良いのね。つまり見劣りが無いって事はそれ相応だって事になる。
つまりこのタイルを使った、この大きさで俺と比較されても2人は遜色無しって事になる。ここで良い事と悪い事は背中合わせって事が出て来る。つまり、遜色が無いって事は安定感があるって事になり、安定感があるって事は、面白味とかに欠けるとか、一本調子的なリズムであるって事になる。
もっと言えば、この下絵さえあれば、2人だけでも通用するって事でもある。って事なんだけれど、流石にそう言う訳にも行かないのね・・・。じゃ一体、この2人相手に何処が俺のソロを見せられるか?となった時に、確かに馬頭琴がメインだから、そこね・・・って事は誰にでも判るけれど・・・。
けれど、このタイルでは2人との差が出ない以上、2人がやっても同じ・・・って言う訳には行かないのを、どうやって俺の・・・ソロに見せるか?となった時に、実は目は口ほどにモノを言う・・・って言葉通りに、眼。ここを1㎝タイルにする事で精細さを増す。ここに俺らしさは出せる。
そして縁取り。ここも半分で統一みたいなタッチでは無く、ペンのような強弱の縁取りにする事で個性を出したのね・・・かなり地味にね。ただ、ここで大事なのは趣旨。これはあくまで額なのね。中身がメインのね。主張し過ぎず、主張をする・・・このさじ加減。
どう感じるか?は完成をした時に見た人のものだけれど、作っている最中は俺のもの。そもそも3人で・・・ここね。要するにこの3人では見劣りは一切無いし、誰が何処をやっても見る人にはほぼ判らない。それだけの腕もあるし、やる気の熱意もある。
ただ無理をすれば質を落とすし、腹八分目的にやれば間違いは無いのね。そんな中、これを終わらせる目的では無く、音楽のパート決めみたいな話なのね。例えばかぐやにはこれが向いているかな?キウイにはこれかな?2人の持ち時間は?とか、そんな配慮の元にね。結果として見分けが付かない。
そんな事を踏まえて、2人が作ってくれた余裕から、違いの判る2人に見せるのは、こんな事・・・それが1cmの部分の眼と縁取りなのね。勿論、2人が目を作ったとしても、それはそれでまた違った雰囲気になるだろうが、ここが三者三様で、どれが良いか?は見た人の判断になる。
しかし、頼まれたのが俺だから、俺がやった方が良いだけ。むしろ本当の意味での個性って言う点では、縁取りだったと思うのね。ここは中々こうは考えなかっただろうし・・・。簡単に言えば能率効率なら半分のままやれば良いが、こう言うペンタッチは切り置きが出来ないから、1枚ずつ進む。
切るだけ切って後から張る・・・では無くて、切っては張って、張っては切る・・・の1枚ずつ。しかもラインを合わせないとならないから、意外と手間も掛かるのね。そんな中、口元なんかもシュールに変えて見たりして・・・同じ事をしてもね・・・そんな事を色々考えたりして・・・。
少しずつ終わりが近づいているのね。
ちなみに男の人達はお出掛けらしく、参加された方はみんな女性・・・こんなの初めてだったのね。
そんな中、今日は出ないのかなぁ・・・・って声が掛かったんだけれど、何度も参加されている方が、困っている時に手助けをするんだけれど、その手助けとは、切る時にタイルを持ってあげるのね。所が微妙な所を持ったりするから、俺の手を挟んじゃうんじゃないか?と心配してくれるね。
そこで思い切りやって欲しいんで、大丈夫ぅ、大丈夫ぅ、痛いのは俺だから・・・・って言うと、みんなが笑ってくれて、困っているのは手伝って貰っている本人だけ・・・なんて事があって、そのやり取りが楽しかった・・・って言うのね。
でもね、それが出ないって言うのは、一人で出来るようになった・・・って事でもあるのね。それが、ちょっと疲れた事もあって、中々上手く行かなくなったんで、じゃ、いよいよ出すぅ?・・・・って言うと、周りの人が、やっと出たぁぁって。これも楽しいなら、それもここでは良い事なのね。
楽しい・・・って事なら、何でもね。何しろここはデイ・サービス。無理せず楽しく時間が過ぎてくれれば・・・そして完成。これのみ。ただ、そうするにも、6人の参加であっても、キウイと2人で何とか逃げ切り・・・・そんな感じでもあるのね。何しろ今日も無事に終われたのは何よりなのね。
そんなこんなで戻ってからは、モンゴルの額装。
馬頭琴の縁取りをやったんだけれど、今までの白やどんぶりのような模様とは内容が違うのね。一見同じようだけれどね。この説明は漫画とアニメなんて関係が判りやすいんだけれど、漫画って言うのはアナログなんで、以前は作家がペンとインクで描いていたのね。
そうすると、太いペンが好きな人もいれば、細いペンを好きな人もいる。しかも何処に力を入れるか?で更に雰囲気が変わるのね。その事がタッチなんて表現をして、何が美しいか?なんてこだわったと思うのね。ただ本人が描いていても、段々とそのタッチが変わったりもして・・・。
それを個性なんて表現があったりしたのね。それをアニメはデジタルで、作業として何人もが関わる事になっても、機械を通した安定した線になり、そこには個性はほぼいらず、キャラクターの魅力だったりもする。これは人の手だけと機械を使った関係性の話だったりするのね。
それを応用した考え方が、全て人の手で作るのだけれど、白い縁取りやどんぶりのような模様は、1cmタイルの半分にしてあるのね。つまりデジタル線のように、誰が関わったとしてもみんな同じに見える方向と、馬頭琴の縁取りは漫画タッチのように、全て半分とは限らない・・・そんな線になのね。
要するに全て人がやる事って言う事の特徴として、こだわりを持つって言うのは、その線、タッチがその人だけのもの・・・そんな事にこだわったりする事が個性に繋がって行くもので、絵ならその線のタッチなら、書道だって、止めたり、はねたり、筆の上げ下げであって、これもタッチな話。
楽器だって、1つに1つただ押さえるだけでは無く、押さえたり開けたり、半分だったり、これも同じくタッチな話で、楽譜通りなのがデジタルな考え方なら、アナログでは、その演奏者ならではの個性・・・つまりソロなんてもんに繋がったする。
だとしたら、この額装は3人で作っているのだから、三者三様ではまとまらなくなる。そこで何がメインか?となった時、馬頭琴としたのなら、馬頭琴は俺のタッチで俺のソロの部分だから・・・となった時に、簡単な話で終わってしまいそうだけれど、そう簡単じゃないのね。
では馬頭琴以外の部分で、まだキウイは黒のバックはやっていないけれど、その実力でやったとして、3人がやっている事になって、どの部分が俺で、どの部分が2人か?となった時に、見分けが付かなければ良いのね。つまり見劣りが無いって事はそれ相応だって事になる。
つまりこのタイルを使った、この大きさで俺と比較されても2人は遜色無しって事になる。ここで良い事と悪い事は背中合わせって事が出て来る。つまり、遜色が無いって事は安定感があるって事になり、安定感があるって事は、面白味とかに欠けるとか、一本調子的なリズムであるって事になる。
もっと言えば、この下絵さえあれば、2人だけでも通用するって事でもある。って事なんだけれど、流石にそう言う訳にも行かないのね・・・。じゃ一体、この2人相手に何処が俺のソロを見せられるか?となった時に、確かに馬頭琴がメインだから、そこね・・・って事は誰にでも判るけれど・・・。
けれど、このタイルでは2人との差が出ない以上、2人がやっても同じ・・・って言う訳には行かないのを、どうやって俺の・・・ソロに見せるか?となった時に、実は目は口ほどにモノを言う・・・って言葉通りに、眼。ここを1㎝タイルにする事で精細さを増す。ここに俺らしさは出せる。
そして縁取り。ここも半分で統一みたいなタッチでは無く、ペンのような強弱の縁取りにする事で個性を出したのね・・・かなり地味にね。ただ、ここで大事なのは趣旨。これはあくまで額なのね。中身がメインのね。主張し過ぎず、主張をする・・・このさじ加減。
どう感じるか?は完成をした時に見た人のものだけれど、作っている最中は俺のもの。そもそも3人で・・・ここね。要するにこの3人では見劣りは一切無いし、誰が何処をやっても見る人にはほぼ判らない。それだけの腕もあるし、やる気の熱意もある。
ただ無理をすれば質を落とすし、腹八分目的にやれば間違いは無いのね。そんな中、これを終わらせる目的では無く、音楽のパート決めみたいな話なのね。例えばかぐやにはこれが向いているかな?キウイにはこれかな?2人の持ち時間は?とか、そんな配慮の元にね。結果として見分けが付かない。
そんな事を踏まえて、2人が作ってくれた余裕から、違いの判る2人に見せるのは、こんな事・・・それが1cmの部分の眼と縁取りなのね。勿論、2人が目を作ったとしても、それはそれでまた違った雰囲気になるだろうが、ここが三者三様で、どれが良いか?は見た人の判断になる。
しかし、頼まれたのが俺だから、俺がやった方が良いだけ。むしろ本当の意味での個性って言う点では、縁取りだったと思うのね。ここは中々こうは考えなかっただろうし・・・。簡単に言えば能率効率なら半分のままやれば良いが、こう言うペンタッチは切り置きが出来ないから、1枚ずつ進む。
切るだけ切って後から張る・・・では無くて、切っては張って、張っては切る・・・の1枚ずつ。しかもラインを合わせないとならないから、意外と手間も掛かるのね。そんな中、口元なんかもシュールに変えて見たりして・・・同じ事をしてもね・・・そんな事を色々考えたりして・・・。
少しずつ終わりが近づいているのね。