katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

寅さん教室とマイトさんの看板

2024-08-15 06:57:31 | モザイクタイル教室
今日は午後から寅さん教室。そんな訳で、急きょ始まったマイトさんから依頼された看板。

何しろ今月いっぱい・・・ってかなり日程的に厳しい状況・・・これを内容を理解していない人が見ると、ここまで終わっているんだから楽勝じゃん・・・なんて思うのね。ただそもそもが世の中

お盆休みなんて言うお休みに入っちゃってたりする。勿論、俺は年中無休のブラック企業だから、全然平気であっても、普通の会社なら当たり前のごとく、この仕事は無理って言われるはず。

そんな中、話が決まってまだわずかな中、文字は終わった。これを文字が終われば後はバック・・・こんな事を口にする場合、確実に舐めているものなのね。それを解りやすく言うと、

例えば、後は・・・って言葉は、重要では無い部分に来た時の表現であって、後は大谷を抑えるだけ・・・とは使わないのね。つまり舐めた相手のような時に使う事が多いのね。

それは油断に繋がるのね。つまり無意識に舐めているから、えっ?こんなに時間が掛かるの・・・とか、難しく無いと油断しているから、思っていたよりも・・・って言葉に繋がるのね。

ではそれが理解出来たら、油断はしない事になるが、大抵の人の場合、この意識が無いのね。つまり無意識でそう思っている・・・これが自覚が無いって事なのね。自覚無く無意識に舐めた・・・

そして思っている結果にならないと、つまづく。つまづくって何?それが心技体の、心。勝手に思い込んで、勝手に心がつまづく。ただそれだけ。つまり自覚があれば油断はしない。

では油断しない人は、次の手を打つ。では何故油断出来ないか?となると、これを音楽に例えると、文字は楽譜となるから、初見の楽譜を見て、演奏出来ないのは腕の未熟さとなる。

つまり上手い人なら、初見の楽譜でも演奏出来るはず。だから文字はこの下絵の指示通りに演奏すれば良いだけだから、その通りに切れば良いのね。ただ、、、ただね、何のどのパーツを優先する?

とか、ちょっとした事1つでも、雰囲気は大きく変わるけれど、比べる比較対象が無いと、大きく差が判らないから、技術としては解りづらいのね。これをまた音楽で比喩すると、誰もが判る

猫踏んじゃったを弾いたとする。これなら俺でも弾けるし、弾けなくても誰もが知っている。それをもしミスタッチをしたとしたら?明らかにヘッポコでしょ?弾けない人に判ってしまうのだから。

じゃ葉加瀬太郎さんのソロパートのミスタッチを見抜ける?ほらこれを判る人は、かなりの腕前だと思うのね。つまり技術が無い人じゃ無いと、そんな事は判らないものなのね。

って事を踏まえて、この文字は、楽譜として見れば、細く静かな出だしで、冒頭を入ったと思ったら、ドンってインパクトあるタッチで緩やかに段々落として行き、また段々と強めに・・・

キュって絞ってスタッカートみたいに・・・って見れば、俺には楽譜にも見えるし、どう見ても書道と変わらない。ハネたり、抜いたり、止めたり・・・だから、指示通りって言うのは腕があれば

その通りなのだから、考えずに済む。ただそれでは、何の指示も無いバックは?となると、これがお任せなら、ソロパートだから、美しいメロディを弾けば良いだけだが、それを考えないと演奏が

出来ないのね。じゃ思い付いたメロディが受け入れられるの?って事になると、クライアントが葉加瀬太郎さんなら受け入れるだろうが、俺では納得しないでしょ?だってその人が納得する事が、

俺のやりたい事と一致するって、初めての依頼で当たると思う?そんなのある訳無いじゃん。あははは。つまり相手の趣味趣向が判らないと、何の提案も出来ないのね。だってこれは?これは?

って当たるまで提案し続けると、一体何時間掛かるのか?何日掛かるのか?何十日掛かるのか?でも今月いっぱいしか時間が無い・・・って余りにも理不尽じゃない?でしょ?つまり話さないと。

つまり向き合ってくれないと・・・時間が無い、グレードは上げろ、そして任せる、そして値段は言うがまま・・・これでは奴隷なのね。ただこの任せるが厄介で、葉加瀬太郎さんなら、本当に

お任せされるだろうし、その仕上がりにスタンディングオベーションだろうが、はて?俺がそんな扱いになると思う?まず無理だわっ。つまり本当には任されない。そうね、イージーオーダー的に

なるだろうから、様子を伺わないとならない・・・このくらいかなぁ。それをしないで、ただ漠然と相手の好みあてクイズみたいな事をやっていたら、私いくつだと思う?って言う時間は無い。

つまり相手の好みを聞き出し、いかにモンタージュを作るか?の作業が必要なのね。だからバックが一番大変なのね。だってノープランなのだから。それを未熟な人は、後はバック・・なんて

思うのだから、そりゃ油断しての失敗だから、予定通りの事が起こるだけなのね。所がなのね、ここまで具体的に話しても、聞く耳が無い場合、馬の耳に念仏、ぬかに釘なのね。だって面倒臭い

だろうから・・・だって任せたのに・・・って思っているからなのね。いちいち・・・ってね。これを何て丁寧に進めるのだろう・・・とか、ご親切にとか、良き側に思ってくれる人は、きちんと

時間を割いて向き合う事が出来るのね。そりゃ好みさえ判れば、後は遂行するだけなら、楽譜が出来たら弾けるでしょ?文字と一緒なのだから。弾けなきゃ未熟なだけ。何とも簡単な話なのね。

ただねぇ・・・吊るしの洋服じゃ無いのね・・・俺の作品は1点ものなのね。俺は昔若い頃に、修行先の社長さんにスーツを作って貰った事があるのね。オーダーメイドでね。

きちんと全てを測って、その上で、ちんちんの位置まで聞かれるのね。どっち側ですか?ってね。でもそれがオーダーメイドなら、この程度の話は当たり前なのね。一点ものなのだから。

つまり作り手がいくら腕を上げても、聞いて頂く話術や知名度など持ち得ないと、聞く耳を持たせる事は出来ないし、オーダーしている自覚を持って頂かないと、その程度の作品になる。

その程度ならその程度のやり取りで充分になるだろうがね。良く最善を尽くすなんて言うが、最善って何だろう?ついも完璧なのは同じ事をしている繰り返しの仕事であって、常に新しいものを

作らないとならないものが、油断があったり、最善を尽くすなんて説明も出来ないなんて、話にならないのね。つまり誰もが判る説明なら、この場合の最善は、時間の許す限り・・って言うなら、

銭金に関係なくギリギリまでやる事なんじゃ無いのかな?・・・それがもうこっちがやれる事全てじゃ無いのかな・・・その限界の仕事を見てもいないのに、金額はやる前から決まっているなら、

もはや建売や吊るしの洋服のように、大量生産のものと一緒なんじゃ無いのかな?つまり作る方も一流を目指すなら、お客さんも一流であるべきだし、超一流なら超一流のお客さん、その程度なら

その程度のお客さんって言うのがバランス良く無い?それを世の中では、松竹梅ってお金で分けるみたいだしぃぃ・・・外見だけ一緒で。車とか、家だって、超一流の会社に頼んでも、下請け、

孫請けが、ぎりぎりの予算の中で仕上げるものだから、きちんと下を泣かした上で成立するものなのね。だから、幸せってのは人の不幸の上に成り立つって言うものだったりするのは本当なのね。

こうしてきちんとそうだ・・・って認めて、じゃそうならない為にはってのが是正なのに、そんな事無いぃぃって頑張っちゃう人がいたりすんのね。何か性善説的に・・・そりゃ理想じゃん。

オリンピックだってそう。負けた奴らの上に一番がいる。死体の上の頂上。勝ちたいのなら譲るよ・・・ってやらないでしょ。切磋琢磨って言うのは、勝つか負けるかのしのぎ合い。

今日は勝っても明日は我が身・・・ただ、そこに行くには土俵に上がらない事には、話にならない訳で。だからいつでも上がれる準備をして置く事なのね。つまりたかが看板じゃ無いのね。

そして大事なのは、売れる人は必ず過去の作品を振り返られる。今見た、知った人は、もっと無いのかな?って興味を持ってくれるからね。その時に、これは時間が無かったから・・・とか、

予算が無かったからとか、そんなの言い訳なのね。誰もそんな振り返りはしてくれない。が例外は常にあって、本当にしっかり売れれば、それをバネにした・・・って言う事が、ドラマチックでも

ある。売れていない頃のゆずが、栄光の架橋を路上で歌うのと、初めてのドームで、ここまで来ました・・・聞いて下さい、栄光の架橋って言ったら、ファンで無くても感動するだろうね。

BTSにしても、そもそもラップなんて、喧嘩に使うような乱暴な言葉や、主義主張の塊だったりするのだから、歌詞を見れば、いかに売れていなかった頃に、バカにされた事が多かった事が伺える

のね。しかし売れると全てが受け入れられて、名曲になったりもする。ただ知られていなかっただけだったりしてね。つまり売れようとするのなら、いついかなる場合でも、最善だった・・・と

振り返られる状況で無いと、後悔ばかりになる。つまり何を作ってもkatsuが作った・・・となるのだから、普通の看板では無い・・・そう言う意識でやらないと、とっとと終わらせる、って話。

そもそも能率効率で作ると大量生産的になる。なのにその作り方で1点ものって。勿論、綺麗事だけではご飯が食べられないようになるのだから、何処までやる事が正解なのか?が問われる。

この葛藤が中々大変なのね。さてそんなこんなの寅さん教室は、今の話が理解出来れば、それだけでOKなのね。そうすれば、行動も変わって来るのね。具体的には、ハイビスカスには見える。

だから今のままで終われば、それで良い。ただ上手くなりたいとなると、何の何処が上手くなれば・・・となると、意識を変えないと行動が変わらない。じゃ意識を変えるとは?

それがここにこの色を切って入れる・・・最初はこんな程度で十分だけど、意識をここの部分の花びらを作っている・・・だからどうなっているか?と良く見て、切ろうとすると、ロボットみたい

なゴツゴツしたパーツは切らないようになる。滑らかにしようとか、緩やかな線にしようとか、形にこだわるようになる。それをここはこの色、ここはこの色っていつまでも色だけにこだわると、

それが絵画のように色を混ぜて作れるなら、その技術があれば良いが、モザイクは選択なのね。この色合いの中で・・・なのね。つまりいつも気に入った色がある訳じゃ無いのね。

つまりこの意識では、上手くなるのに限界が見えていて、そこまで止まりになる。それを無限に向上する為には、そっくりに作る事、そっくりな色で・・・って言うのは捨てて、輪郭だけ守れば、

セピア色でも似ているようなものになるし、色んな色でもポップになるのね。それを常にそっくりだけでは、この色が無い・・・って永遠に言い続ける事になるのね。この不便さをカバーするのが

腕なのね。その意識を変えるには、曖昧な表現を辞める・・・甘いかしょっぱいか?であって、甘じょっぱい表現は、上手くなってからなのね。曖昧な表現は相手の都合の良いように取られるから

・・・伝わらないのね。ただね、信頼や信用が無いと、ハッキリ言う事で判って貰えないとか、傷付いたとか、自分中心な事を言い出すものなのね。場合に寄っては要らないよみたいにね。

ただ向き合う時間を惜しんだだけの人なんだけれどね・・・しかも俺とでは無く、自分となんだけれどね。俺は俺の意見なんて、余程ご理解されてからじゃ無いと、出さないのね。だって知らない

人にあーだこーだって、判る訳無いのだから。だから個性的な事は自分を出すような人しか教えられないのね。つまり体験なんて初見の場合、なるべく個性を少な目な提案になる訳で・・・。

それを出し過ぎれば、マニアックな人集めになるし、でも万人受けしようにも、俺が普通じゃ無いんだから、個性を何処まで消すと普通っぽくなるのだろうか?ってな事になったりする。

でもそれは、俺ってかなり変わっている・・・とか、相当変わっているとか、いくら言葉を変えても、大して変わらない事が、ド変態です。となれば、あぁもはや変人なんだな・・・って事に、

なると、ぶった斬った表現になるのね。これを切った・・・って表現と、ぶった斬ったって事を比較すると、味付けがかなり変わるのね。同じきるにしても、これだけ変わるのだから、ただ切る

スタイルでは変わらないのね。意識ってとても大事な事なのね。だって目に見えない事だから・・・変わったかどうか?なんて、余程の目利きが無いと、偽物を掴まされるからね。

当然人もそう。刑事の目線で見れば、生徒さんが何を困っているか?聞いているか?受け入れる姿勢か?・・・この程度の洞察力、観察力、想像力が無ければ、医者にも刑事にも、占い師でも、

クリエーターにも、なれないのね。いつもと違う行動、色選び、言葉の早さ、トーン、所作・・・見るべき所はいっぱいあるし、感じるって五感を敏感にすれば、いつもと違う違和感は判るもの。

勿論それには、自分が平常で無いと、話にならないのだけれど・・・こんなナーバスな看板を作っているのに呑気な気分なはずが無いのね。それなら神経質にも程があるくらいの状況だろうね。

イメージはメガネを掛けているのでは無くて、顕微鏡を掛けている感じ・・・。だから、そう言う意識を持って・・・今の俺はナーバスだろうから、いつもよりも甘くくらいだろうな・・・。

って感じで丁度良いかも知れないし、逆に今月はめいいっぱい言い続ける方が優しいかも・・・みたいな、逆も真なりかも知れないし・・・まぁ受け入れ度合いによってだろうけれどね。

俺の全力話は、聞いていられない人が多いからね・・・早くBTSみたいに高みで表現したいものなのね・・・。

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