今日はキウイ教室。何しろ同じ事の繰り返しなんで、特に教える事は無いんだけれど、ちょっと特殊なタイルなんで、在庫を増やす訳にも行かないので、取り寄せになるのね。当税いつもの定番と違うから、ピッタリに購入って訳にも行かないから、
使って行く様子で、足りる?なんて話になる。しかもただ張るでは無いから、切るに当たってどの位の失敗があるか?なんて言うのも予想して・・・となるから、最終的には足りなかったら、鳥や花をやっている内に注文にしようか?となったりして・・・。
何しろ何百個単位になるから、足りたのに買うと、これどうする?になるし、足りなくて注文すると、最大2週間待ちなんて事もあるのね。何しろタイルは岐阜から来るしね。ただこれは初期の頃の俺にもあったから、判るんだけど・・・。
昔はタイル屋をやりながら・・・なんて時期もあって、そんな中の制作だから、その作品に使うと思われるタイルを決めたら、それを注文するでしょ?つまりその最初に決めたタイルだけで作って行く事になるのね。でもね、その注文したタイルが
ズバリなら問題無いから、後は量の問題なんだけど、それが意外とそうじゃ無いのね。やっぱりこっちかな?とか、作って行く内に変更したくなったりもするのね。けれど、手持ちが少ないから注文しないと無いのね・・・。
そうすると、折角のやる気が・・・って事が多々あったのね。勿論、他にもやる部分はあるのだから、そっちをやりつつ待てば良いんだけれど、良くある事は、ここまで終わらせて・・・みたいな、順番にみたいな事をこだわったりするのね。
そうなると、気持ちが削られて・・・じゃ来るまで待つか・・・みたいになると、これがダイエットの失敗みたいな事に繋がったりするのね。要するにコンスタントに進んでいた時は、順調だったのね。しかし、タイルが無いから進めない。
って考え方で止まってしまう・・・つまり状況や環境に大きく左右されちゃう事になるのね。それを臨機応変に、じゃこっち・・・って出来るようになると、止まらず進めるし、安定感なんて事にも繋がって行くのね。
例えば上手くなる・・・って言う話になると、大抵は技術の話だと思う人が多いのね。勿論、どの分野も技術は大事なのね。でもその技術って言う部分に関しては、ある程度時間で解決出来る事だったりするのね。
大抵、上手くなって行く過程ってどの人も一緒で、その人がどんな経路を選ぶか?なのね。例えば労作展の子達のように、夏の期間に・・・そして宿題って言うハードル、更に大作って言う迫力・・・と言った事を踏まえると、
言い方を変えると、夏の期間・・・期間限定で夏期講習みたいになる。つまり特訓なのね。反復練習を特訓して叩き込むって事になるのね。更に宿題。課せられた使命みたいな感じになると、受験みたいな感覚で、しかも復習、つまり更に反復。
そして大作・・・これは大舞台・・・つまり甲子園みたいな話。これは十分過ぎる環境や状況が揃っているのね。しかも親御さんがお金を出してくれて、時には送迎だってあるし、自宅では身の回りの世話もしてくれるのだから、大巨匠の作り方なのね。
そんな中で100時間を超えるような事をするのだから、短期間で慣れるって事が叩き込める。つまり花粉症のビーカーの話と同じで、どの人もみんな花粉症のビーカーを持っていて、そこに毎年花粉を入れて行った時、満タンになった人が、発症って話。
あれと一緒で、この子達の場合は、ひしゃくで入れて行った事になるのね。急激にね。昨日もおとといもって。そんなだと、えっと・・・どうやるんでしたっけ?って事は一切無く、次の段階の話、次の段階の話って具合になるのね。
では逆に大人の人の場合、例えば結婚している人と、いない人とか、子供がいる、いないとか、男性か女性か?とか、単純に大人くくりでは無いのね。例えば独身だったりすると、まだ家族と一緒だったりすれば、身の回りの世話をして貰っているかも知れない。
更に家賃とかも無ければ、自由に使えるお金もこれから出て来る人よりも多かったりするかも知れないのね。つまり結構条件の良い人になるのね。ただ逆も真なりとか、良い事と悪い事は背中合わせ・・・条件が良いって事は、悪い事もある。
それは、楽しい事はいっぱいある・・・って事なのね。別にモザイクだけが趣味では無いだろうし、楽しい誘いはいっぱいあると思うのね。そんな中の1つだったりする。これを主婦の人と比べれば、子供の世話、日々の生活の支度、場合に寄っては、
パートみたいに働いているかも知れない・・・って中だと、時間は限られているだろうから、その中で出来る事って言うのは、かなり限定されて来ると思われる。更に男の人だったりすると、結婚していれば、身の回りの世話をして貰っているだろうから、
純粋に娯楽の1つとして出来るだろうし、子供がいるといないでは、行動範囲だって変わって来るだろうし・・・。でも、これをみんな月に1回だとして、くくると、どんな環境であっても、月に1回の3時間って平等なのね。
勿論そこに各々の器用とそうで無い人なんて、くくりを付けたがる人もいるんだけれど、確かにいくらかはあっても、実はそこじゃ無くて、何しろ反復なんで、自宅でやったか?やらないか?なのね。そのやった時間がさっきのビーカーの話なのね。
つまり子供達は一挙にひしゃくで入れたのね。そりゃすぐいっぱいになるでしょ?だから短期間で結果となるのね。所がそれをスプーンで入れたり、耳かきで入れるとするでしょ?そしたら何回入れるといっぱいになる?って話。
この説明で判って貰えると、何でも上手くなる仕組みって言うのが手に入れられると思うのね。音楽だって勉強だって、スポーツだって、どれだけ時間を使ったか?なのね。ただ勿論やみ雲にやってもダメなんだけれど、やらないよりはマシ。
ただここが問題で、人はいきなり結果が欲しくなるものなのね。つまり失敗したくないって思ったりするのね。そうなると、失敗するってどんな事?少なくともアトリエなら俺がいるのだから、大きな失敗はしないで済むのね。
しかし自宅だと・・・そうなのね、俺はいないから聞く相手がいないのね。勿論、自宅で進める事に関しての指導をした部分の話だから、知らない事、出来ない事は無いのね。でもそんなの忘れちゃったりもする。ここなのね。
まず自宅でやる時に、失敗したら嫌だな・・・って人の場合は、後押しが無いと進みづらい。こんな場合、店員さんの後押しみたいな感じになるのね。つまり自分で自分を押す練習になるから、何しろほんの少しでも切って見る。
そして自信が無かったら切るだけにして張らない。これでも十分復習をした事になる。逆にイケイケドンドンの人は、もう教わったし出来る・・・って思うから、教えていない事までやろうとするのね。だから余分なタイルは渡さないように
しないとならないし、場合に寄っては手持ちがあったりすると、やってしまったりもする。当然教えていないのだから、失敗の確率は上がってしまう。これでテンションは一挙に下がるなんて事もある。だけど、仮に失敗があったにせよ、
自宅でやったって言う証はある。要はやみくもに振り回し、三振を沢山した・・・こんな感じね。でも人一倍バットは振った事になるのね。つまりこんな人には下山って事を教えないとならないのね。やみくもに登らないで、天候を見て、
例え後少しと思う事があっても、それは自分の考えであって、もしかすると見誤りをしているかも知れない・・・ここは残念だが下山・・・って選択。でも一人で進んだ勇気は買うのね。上手く行けば、そのパワーは誰にも負けないものがあると。
こうやって人それぞれ・・・なんて漠然とした例えでは無くて、きちんとその人にあった指導ってものがあったりするのね。環境や状況はみんな違うのだから・・・ただ、目に見える指導って言う技術の部分の話って判りやすいけれど、
気って言う目に見えない指導は、余程受け入れられないと、はぁ?この人何言ってんだか?になりがちなのね。何しろ技術は目に見えるから、箸はこう持つから始まって、ひじは付かないとか、本気で教えると所作みたいな事になる。
例えばタイルを切る。これを楽器を弾くとか、大根を切るとか、道具を使う為には・・・って教わるのだけれど、楽器だと音出したいでしょ?タイルも大根も切りたいじゃん。基礎練習なんて面倒だし・・・ね。俺もそう思うから。
でもね、上手い人って成功を目指している人みたいに思うのね・・・勿論、方法もあるんだろうけど、一般的に実力の引き出しって事を考えると、俺は思うに、失敗しないように、その為の準備を何個しているか?だと思うのね。
例えば、タイルを切るって場合、大抵最初はぺきぺきって言う柔らかいタイルを使うのね。大人なら手で折れるような柔らかさのタイル。だからニッパーを使えば、どう切ろうが、適当に誰もが切れるのね。じゃ大根は?包丁なんて習わなくても、
大根も人参も切れるよ。楽器だってギターもピアノも鳴るよ。でもお金を払って習うのだから、上手くなりたいのね。じゃタイルを切る事を教えるって事になると、今日は何個切るつもり?何時間?って事になるのね。
例えば縄跳び10回なら、どう飛んでも飛べるのね。タイルも一緒、柔らかきゃどう切っても切れるのね。ただ、それでは安定感は生まれないのね。ほぼ偶然なんだから。上手いって言うのは安定感が必然なのね。同じ事は常に同じって。
うどん、きしめん、そば・・・って切っていたんじゃ、髪の毛にはならないのね。って話。じゃそれには・・・ってすぐ技術に入りたくなるのね。そこじゃ無いのね。1回コッキリの体験ならスルーするけど、習って続けるって場合、この先、
硬いタイルも使う日が必ず来る前提で、ニッパーの持ち方から始まるのね。なるべく柄の遠くを持つ。そうすると剣道の竹刀みたいに安定感無くふらつくのね。だって重いから。そこで安定感を保つ為に脇を締める感じにして、手首を体の一部に
付ける。これで手首への負担が急激になくなるし、長い時間に耐えられる。そのまま放置していれば、必ず脇は空いて行くし、ニッパーの重みは全て手首に掛かり、やればやるほど腱鞘炎になるだろうね。そうした持ち方から、今度は刃の入れ方。
こうして段階を踏むと、何故そうするのか?って理屈がどれにもあって、そうする事で失敗しそうな要素が取り除かれて行くのね。つまり失敗しそうな要素が無い事が成功へ向かう・・・って理屈なのね。割と当たり前で簡単なのが、目に見える指導なのね。
所が眼に見えない指導・・・こっちは見えないものが見えそうな、見え無さそうな・・・ってお互いの感性で話を進めるものだから、感じ方がモノを言うのね。猫舌に普通のお茶・・・えー普通じゃんは通らない。
えーそれ地味じゃん・・・果たしてそれを言った人が普通なのか?はたまた言った人が派手好きなのか?うるさいなぁ・・ってボリュームいくつ?みたいな、はっきりとした普通が見えない事の擦り寄せって言うのは、難しい事なのね。
しかも気、なんてものがあって、気紛れ、気まま、やる気、元気、負けん気、のん気・・・みんな気なのね。その日の気分ってものがあって、今日は落ち込んでいるのに、いつも通りなんてやろうとしたら、出来ない事がストレスになる。
逆に気分の良い日に、簡単な場所が順番で来たら、イケイケドンドンになる。だから、その日の気分や体調も加味して考えて、今日は行く・・・今日は避けとく・・・みたいに、意識するようになると、行動が変わって来るのね。
人は機械じゃ無いから気分があるのね・・・そこを自分で操作するようになると、それも失敗を避ける要素の1つになる。ある意味、こんな話もキウイは判っているし、だからこそもうこの作品に教える事は無いのね。
でももっと言えば、ここまで作れるようになった事で、この腕を持ってしての小物作りって言うのは面白いとは思うのね。腕を持っての体験のような作品って・・・そこからが本当の意味での楽しむ・・・なんだけれどね。