katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

クロダイのモザイク

2021-11-26 06:47:41 | モザイク作家

今日は午前中は母の病院の付き添い・・・もうやる事は判ったし、イレギュラーな事が起こらない限り、特に慌てる事も無く、ほぼ予定通りに終わったのね。待つ間に珍しく用意していた本も読み終わったしね。

そんな中、老いるって事は・・・って言うのを、ここ数ヶ月でかなり意識する事になってて、スマートに手を引くなんて事が出来るようになったし、自分でも人に教える時に、意識をすれば行動が変わる・・・って教えているのに、その自分が、

意識が足りなかったな・・・と思う事が多々あって、救急車を1週間に2度も経験したり、転倒されて怪我をしたり、老人ってものを知らな過ぎた・・・その意識を持って最近デイ・サービスに臨んでいて、色々と勉強させても貰っているのね。

そんな中、思う事はいっぱいあって、例えば手を動かすって行為。指を動かすって事は脳と直結しているなんて事は誰もが知っていたりする事なんだけれど、それは単なる知識であって、それを意識してやっているか?となると、普通はただ動かしているだけなのね。

もっと言い方を変えれば、動くし便利だから使っているだけであって、自由に動かなくなる日が来るなんて思ってもいない。要するに動く前提スタートなのね。だから何も考えずに使うでしょ?動くし、当たり前だから。でも脳に連結する。

無意識に指を動かし、無意識に脳に良い事をしている。無意識なのね。所が老人になるとどうなるか?判りやすくする為に、普通に動く人と、動かなくなる人の違いで説明すると、普通な人は手際良くは出来ないけれど、日常生活に困らない。

だから衰退はしているものの、何も対して困ってはいない。つまり衰えてはいるものの、日常で使っているから当然、脳も無意識に使っている事になる。つまり以前と比較して衰退はしているものの、分量が多少減っただけになる。無意識のままね。

では衰えて行くとは何か?これは理解してしまえば当たり前過ぎて、人に言われる事自体、腹が立つ気分になるような事なのね。増して医者でも無い俺ごときに言われるとね、イラッとどころか、お前に何が判る・・・って事にもなるだろう。

だから、あえて俺ごときの話に興味がある人へ・・・なのね。それを前提に続けると、衰える人はどんな場合か?なのね。良くあるケースは、以前人に器用だね・・・と言われていた人。仕方が無いのだけれど、衰えると結果に表れるのね。

上手く仕上がらない、手際が悪くなる、早く出来ない、もっと出来たはず・・・こんな気持ちになる。何しろ人一倍上手かったのだから。それが炊事だったかも知れないし、作品作りかも知れない。何しろ人より長けていた。本人の意識に関係無くね。人にそう言われていた程度にね。

こんな場合、老いる事を受け入れられないのね。つまりそこを避ける。結果が受け入れられないから。するとどうなるか?簡単な話、別にやらなくたって良いじゃん・・・そうね、別に何も困る必要は無いと思うのが普通なのね。

確かに表面上は何も変わらない。ただ鍛えないのだから、リハビリを放棄した人になる。使わないのだから。当然、手を使わないのだから、脳も使わない事になる。連結しているって知っているのに・・・これがうさぎとカメの話なのね。

良い事と悪い事は背中合わせだし、平等なのね。良い事は、常に人一倍上手くて、早くて、素晴らしい結果が出ていた事。まるでうさぎのように。では悪い事は、そこからいつか転落した時、リハビリをする気持ちにならないと、逃げて使わない事で、悪化するのは、

手だけの事では無く、脳へ直結と言う事になる。勿論使い過ぎれば疲労や、痛む事も人一倍になるし、だから若い時に手を使って鍛えた分、脳も使ったし、使えばバネになった。でも要するに悪くなった原因はプライドなのね。

出来た人が出来ないのだから、うさぎがかめになった気分になるから。やればやるだけ嫌になる。

自分の結果を自分が許せない・・・何とも残酷な話なのね。しかも、しかもなのね。残酷ってのは進撃の巨人や鬼滅の刃だけじゃ無くて、日常なのね。出来た人は当たり前だった。そして衰え方が半端無い事になり、出来なかった人は、最初

から出来ないままなだけで普通でずっとかめ。でも、出来てた人は、つまり入れ替わって行くのね・・・だからうさぎとカメの話になる。童話ってものは、全て教訓の話であって、それを教える為にあるし、だから残っているのね。でも何も知らない幼児のものだと思ったら、

その人はそれを信じれば良い。知らぬが仏と言う言葉があるように。けれどもし、信じる者は救われると言うのであれば、何かの足しになれば・・・って程度の話。つまり老いる事、後退して行くと言うのであれば、比喩として子供に返る・・・

って事になる。つまり子供に返るのなら、今こそ童話なのね。うさぎとかめの話・・・誰でも知っている。それを一体どう自分に当てはめるか?なのね。まぁ大抵カメであれ・・・って事になり、感情移入をするんだろうが、それではみんな一緒なのね。

全員カメなら、みんな同じ結果になるべきなんじゃ無いの?だから人は間違えるのね。それを身の丈身の程なんて意識を持つと、出来る者は遠慮したり手加減したり、出来ないものをかばう事だけを正義とする。果たしてそうなのかな?

俺は出来る者つまり、うさぎの態度を否定すれば良いだけで、出来たからと馬鹿にしなければ、大いに抜き去れば良いし、出来ない者、つまりかめは卑下せず、出来る事をコツコツやれば良いだけの話であって、可哀想とか、言っている時点で、

いつかそうなるかも知れない自分の事を意識していない、つまり意識せずに見下ろしているとも言える。その時が来た時に、自分が可哀想って言われる立場になった時、始めてあの時の事を思い出す事になる。もはやホラーなのね。

悪くなってから、思い出して振り返り後悔するなんて・・・しかも残酷さってのは、複雑で人と比べるものなのね。ここもまた無意識に。例えばカルチャーセンターのように団体だったとする。同じ事をするのだから、早さや上手さの比較になる。

無意識にね。けれど人のが見れる。参考にもなるし、場合に寄っては盗める。勿論盗むのは手際の良さやテクニックの腕で、デザインでは無くね。だから向上も出来たりする。比較するからね。残酷にも良い事と悪い事は背中合わせなのね。

逆に一人だと、比べる相手はいないから、穏やかとも言えるし、もし習っている場合なら、マンツーマンなんで、先生の独り占めとなり、他人に気兼ねせず聞けたりもする。ただある程度、上手くなって行くと、穏やかはのんびりにもなる。

勿論、それは悪く無いが、それ以上を望まなければであって、万が一向上心なんて事になると、そのままでは上手くならないのね。限界がある。だから切磋琢磨するようなライバルのような存在が上手くなるには必要なのね。

これもまた誰もが知り得る事。ただ普通は、趣味だから・・・で片づける。確かにね。それで済む。けれど、乱暴な言い方だが、それでは社会人まで含めて、プロじゃ無い奴らだから、趣味であって、プロはお金を稼ぐ人達ってくくるかな?

実はその考えこそが乱暴なのね。幼稚園も社会人も素人・・・プロ以外はってね。つまり意識を持つって言うのは、学年、年齢、段、何でも良いけれど、そう言う目安を決められている場所なら何も考えなくて良いのね。

しかも目指す意識無く続けていれば、勝手に後から付いて来るものだから。けれど、そう言う基準が無いものは、自分で何か目標や指針になるものを決めないと、漠然過ぎる事になるのね。しかもそれ以上の向上はしずらい・・・。

逆に目的意識が高くてもありさえすれば、労作展に・・・とか、自宅の玄関とか、無謀のような事でも、きちんとやり遂げる事が出来るし、結果も出る。しかも素人であってもね。でも趣味では無い。ここの意識の違いが上手くなる秘訣だったりする。

こうしたい・・・って目的がハッキリしていれば、そこにどうたどり着くか?の相談相手にはなれる。しかし、余りに漠然と、上手くなりたい・・・でも趣味ってストッパーを掛けられると、教える側としては遠慮するから、無理はさせない。

ここまで出来れば十分趣味として成立する所までにする。しかし、労作展やいきなり玄関みたいな場合、当然厳しい事も言う事になる。当然と言えば当然だが、お金も時間も掛かるし、結果が出ないとそれらが無意味だった気にさせてしまうから。

教える側にもプレッシャーは掛かる。がしかし、そのプレッシャーこそが、鍛えるバネにもなる訳で。楽しいだけを選ぶのなら、楽しい=楽って道が一番良いのね。音読み訓読みのように。文字は一緒でも大きく変わってしまうように。

しかしオリジナルって言うのは、自分で考えたもの・・・つまり見た事の無いものなのね。同じものは一つも無いって。ただ実は簡単に真似をされてしまうものって言うのは、オリジナルからは遠いものなのね。

ただこう言うと、勘違いする人もいるだろうから、追加すると、デザインなんてもんは、腕があれば簡単に盗めるのね。盗めないのは考え方なのね。アイデアとしての発想。これは盗めないのね。そもそも盗んでいる人は誰かの真似をしている。

つまり真似しているんだから、見ないと作れないのね。でも簡単に真似したものは、簡単に真似をし返されるものでね。唯一無二なんてもんは、そう簡単には真似出来ないものなのね。まぁ簡単な話で言えば、俺の鬼滅は誰でも作れる。

しかし湯婆婆はどうかな?みたいな話。ただこれは腕の話で、技術。だからオリジナルでは無いのね。しかし平面の作品の模写って言う事からすれば、立体となると、早々いないだろうし、後は完成度の比較になるだろうね。

そんな腕を持ってして・・・のオリジナル制作となった時に、どんな考えを持ってして・・・の部分が唯一無二になる。それは絶対に真似が出来ないものだから。そこを教えたから大作として、初めてモザイクをするような労作展の子供達が真似されない作品になっているんだろうね。

素人でも・・・ね。最初はみんな素人なのね。ただ趣味から抜け出た人・・・・そのきっかけになる意識が、目的だったりすれば、玄関を作りたいとか、テーブルが作りたいとか、労作展で人に見られる作品を作りたいとか・・・。

明らかに趣味とは一線を引いた・・・だから趣味の人よりも上手く見えるのね。単なる意識の話なのね。今日の話は全部。脳を鍛えるのに脳、モザイクするのにモザイク・・・これでは当たり前で誰もがやっている事なのね。

実は脳を鍛える為に、指先を動かす指令を出す練習を反復するなんて言う、目に見える事じゃ無くて、目に見えない事こそが、難しくしかも結果に繋がって行く・・・目に見えない事、すなわち考えるって言うのは悩む事とは違うのね。大きく違う点は、悩むって事は、答えは出なくて良いのね。ん・・・って言っているだけだから。

まぁ本人には悪いが、何の結果も得られないのね。しかし考えるって言うのは、何らかの結論を出さないとならないのね。考えた結果こうした・・・ってね。これが大事なのね。その結果が違っていても良いのね。なら是正すれば良いのだから。

でも悩むだけでは、その答えが無いのね。ん・・・だから。これでは何も進めない。でもここも良い事と悪い事は背中合わせ。ん・・・だけなら、悪くも無く良くも無く現状維持。引き延ばせば時が解決したり、思わぬ急展開もある。

逆に急いては事を仕損じる的に、慌てて考えた場合、後悔先立たずみたいになり兼ねない。まぁ慌てない事なのね。ただね、ん・・・側は、それが通用するのは、若かった時だけなのね。老人側に来た時に、考えて来なかったツケは廻って来る。

その考えて来なかった・・・脳を鍛えて来なかった、指を動かさなかった・・・もうどうなるか、お医者さんに聞かずとも判るのね。これこそがホラーなのね。是非、運動系の人は戦略を考えるとか、物作りの人はオリジナルを作って見るとか、

チャレンジする、今より上手くなりたい、その為には・・・なんて考えてくれると、意識が変わるから、行動も変わるし、当然結果が変わって来るはずなのね・・・おっと長くなった。そんなこんなのここの所の準備としていた、イワシの群れの話は無くなったのね。

まぁチャンスだけは欲しかったんだけど・・・って事で気を取り直して・・・って行きたい所だが、1から考えるって言うのは難しい事で、と言って何もしないって訳には行かないんで、ひとまずクロダイ・・・となったのね。下地があるし。ね。

まぁ捨てる神あれば拾う神あり・・・次の展開になるかも知れない打ち合わせが決まって、一体どんな話に膨らむのかな?ただ今回は少し難しくなるかもな・・・


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