katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

久し振りのくじらと中学生教室

2019-08-28 04:47:10 | モザイク教室
今日は前半は久し振りのくじらと後半は5人目の中学生・・ただ中学生は正式だと6人なんだけれどね。さてまずはくじらなんだけれど、今年の初めに来たっきりって事だと、もはや積もる話は沢山あって、一体何処で終わっているのか?そんな事も判らなくなるもので・・・。しかもお互い。

何かを目指すと言う事は、人と生き方が大きく変わるもので、一般の人の日常とは色んな面で変わって行くと思うのね。ん・・・例えば、くじらも俺も子供がいない・・・そうなると、そこに関わる時間の全てが無くなるって事であり、子供がいるって人との生き方が大きく変わって来る。

それは車がある無しって事でも良いし、ペットを飼っているか?いないか?でも良い。そんな事の1つとすれば、くくりの中で、そう言う中でどう生きるか?って話なのね・・・後はそれがある重さと無い重さの違い。そうした時に、いないものの生き方として、いるものの生き方としてって、

ってくくった時、それがある人の中に、無くて楽ね・・・て表現をしたりする人がいたり、無い人があって大変ね・・・って表現をしたりする事があるんだけれど、流してしまえば簡単なんだけれど、もし人よりも感受性が強かったりした時、その人それぞれの感じ方なんだけれど、大きく

違うのは、ある同士ならあって大変ね・・・は共有出来るから何の問題も無いが、共有出来ない、あると無しでは、悩み事が大きく変わって来る事が多々ある。つまり取りようで、ある人が無い人に、無くて楽ね・・・は、つまり自分はあって大変なのに、あなたは楽ねを意味している・・

って単純に思えもするが、場合に寄っては、その大変さも楽しく、逆に楽ねの表現がお気の毒に・・・にも聞こえたりもする。それは卑屈じゃん・・と思えたりするだろうが、あくまで個人の見解であり、感じ方だから仕方ない訳で・・・。しかも、卑屈じゃんはどっちサイドの意見?

恐らくある側の意見が多いだろうね・・・つまり無い側では、あるあるネタになったりする。じゃ無い側では常に無い事として、あるあるネタとして片付けないとならない・・・そんな窮屈な生き方になったりする。つまりはいはい、楽でーす・・・とね。これで問題無し・・・とね。

所が中には俺やくじらのように目指すものみたいなものがあると、その卑屈や窮屈を感じなくても良い生き方もあって、それが俺はモザイクであり、くじらは俳句だったりする訳で。そうなると日常の起きている時間の大半は、それだけを考えている人になるのね。所がここまでなら

仲間のくくりだったくじらも、子供のいない繫がり側だったが、裏切る様にくくりは変わって来る。それが家族ってくくりにすると、旦那さんがいる・・・つまり家族を持っているか?いないか?は、子供だけが家族では無いのだから、ある無しでは、子供はいないが旦那はいる。

つまりそれがあるから、日常の大半は・・・にしたのね。つまりご飯の支度やら最低限の生活はこなさないとならず、全ての時間をとは言えない。そうした時に俺のように家族無しには、自分の好きな事を出来て良いね・・・となるのね。つまり好き放題。そう思われる事が多々ある。

もしこれでタイル屋だったら・・・どうでも良い話だが、それは普通だから。それはあろうが無かろうが、自分の生活を守っているだけなんで、見ている方もだから・・・ってだけになる。けれどこれが目指すものがあるとなると、こんな俺にも好意的で接して下さる人がいたりする

のね・・・それが応援してくれる人達となる。勿論そこにも声のみの人、お教室の生徒さん、作品依頼、材料の支援・・・と色々あって、お相撲さんなら、食べ物だってプレゼントされたりもする。ある意味、全て当たり前の話で、そんな生き方をすると、そんな事が起こったりする。

そんな話。こんな説明をした上で、本気で目指した所で、何の結果も残せない場合、大した変化は無いが、何らかの結果が生まれた場合、それが知名度を上げたりしたような時に、今までの生き方では生きられなくなる・・・そんな急激に変わる日がやって来たりする・・・。

少なくとも受賞によって、くじらは良い事と悪い事が一緒にやって来ている・・・そんな人になった。そして今年の始め以来となった。つまり忙しくなった・・・と言う事になる。それで?・・・ここからはパソコンでは無いが、そこまでだった事を更新しないとならないのね・・・。

それでどうした?・・・とね。最新版のくじらに。もっと言えば、俺はこうして毎日ほぼ更新しているのだから、俺のはここを見れば、ほぼ判るはずだから、更新するか?しないか?は個人の判断でいくらでも出来るはず。つまり来た人を更新すれば、常にお互い最新版になる。

まぁ簡単な話なのね。ただね、ここまでなら一般的であっても、普通に当てはめられるが、目指す事がある・・・って言うのは厄介で、全て良いじゃん・・・ってお気楽な言葉を掛ける事で平和が成立するとは限らない。つまりえぐり返すような事も多々あるもので・・・。

それが1か月に1回なら、どの程度の更新?って話だけれど、半年以上となれば、そりゃ簡単には更新出来るはずも無く・・・つまり今日はほぼ話だけなんで、画像はなしって事なのね。そうね、ただくじらだと中々感情移入出来ないから、あえて棟梁を使わせて貰うと・・・。

例えば棟梁なら、旦那はいないわ、娘も2人嫁ぎました、家もあって、働いていない、後はペットと仲良く・・・こう話して、今は何の苦労も無く極楽往生の世界へようこそ・・・って言ったら、本人は何て言うんだろうか?なのね。勿論そうなるには大変な苦労はあっただろうしね。

でもそれは昔の話で、あくまで今は?となった時、きっと楽だろうね・・・ただね、ただ、楽には楽の悩みがあるのね・・・暇を持て余す。普通はね・・・でも棟梁のスケジュール・・・流石に売れっ子の時のピンクレディーとは言わないが、結構真っ黒なのね。

でもそれは仕事じゃなくてね・・・後は本人の問題。このままの平和を保つにはペットの犬がいて・・・の話だし、じゃいなくなったら、また時間が出来て、ラクになったね・・・もっと好きな事が出来るね・・と言うのか?お悔やみを言えば良いのか?一体何が正しいのか?になる。

つまりそっち側って言うのが究極の子供がいないから・・・であり、ペットがいなくなったら・・・であり、子供はいても嫁いで今までの生活とは違った時、何をどう対応して行くのか?が問われるだけで、別に平気と言うのなら、何の問題も無いが、問題があるから目指した・・・

そんな考え方もあったりする。その人なりの理由があって、一概には良いね・・・とは言えない。むしろ言えるのなら、こっちの水は甘いぞ・・・とはそそのかして嘘は言えないが、そっちの水は甘いかい?・・・甘いと言うなら浸かってな・・・。甘いんだから・・・になる。

その人が甘い場所を望むのなら、それを否定もしないし、応援とまでは行かないが、甘い所にいられるように・・・と手助けをするだろうね。何しろ先生だから。けれど、その線を超えると、甘いだけでは無く、手厳しい事も多くなる訳で・・・。ただそこに何があるか?は本人次第。

って随分と長いフリになったが、入れ替わって中学生教室。ちなみに他の4人のレゴもイカ2も、後は目地になるまで自宅で進めるって事で抜けたから、後はゾムと陸王の2人・・・それにしてもラストスパート的になっている最中、5人目として彼がやって来ている・・・そんな感じ。

じゃ一体、彼何時間掛けてどんなものを持って行きたいのかな?・・・となった時、適当にササッと・・・何と無く見栄え良くって言うのなら、他の4人とは違う姿勢ななんだから、それならその教え方もあるのね。けれど、もし万が一、良いモノに見える、しっかり作りたい・・・。

とまるでみんなと一緒みたいな姿勢だったとしたら?・・・そうなると最低50時間はやらないとならなくなるのね・・・目安として。でも最初からは時間なんて言うつもりは無いが、んでどんな感じ?・・・この質問は、一体自宅で何時間やって、手応えやら結果はどうだった?って意味。

すると、タイルが足りなくなったけれど、ほぼ宿題は終わりました・・・結構上手く行ったと思います・・・としっかりした答えが返って来たのね。んで何時間やった?・・・えっと・・・30時間位かな?・・・こんなやり取りを送迎の車の中でやるのね・・・これが俺の問診。

つまり作品を何も見ていなくても、その返答は自分自身の答えであり、読み取るのなら、しっかりした答えが返って来たのは、手応えとして満足感があった・・・と感じるから、最低限自己満足感はある・・・そう言っている訳で。そして時間。少ないと思われるから・・・と増すのか?

多くは言わずに少な目に・・・って言うのか?のスタイルで、大きく変わって来るでしょ?そこは見ないと判らない。さてそんな訳で、作品を見せて貰うと、出来栄えも悪く無いし、まずまずだったのね。つまりこの時点で30時間は出来る人って言う普通の目安となったのね・・・。

ただ、ただなのね・・・つまり1回の教室の3時間で30時間分教えないとならなくなる訳で・・・俺が教える時間は後何回?って話で、もし1回なら、また3時間教えて30時間やるのなら、最低最初の下絵も含めて、アトリエ9時間に自宅で60時間の目地・・・つまり軽く70時間超えになる。

となると、制作時間としては4人に卑下する程の時間では無くなる事になる・・・じゃ彼が優秀だったのか?みんなが劣っていたのか?何がどうなっているのか?けれど先生は一緒・・・簡単な理由の1つは無理、無駄、ムラを無くして、能率効率にすれば、ベルトコンベアー的になる。

ノウハウ、ノルマ、マニュアル、・・・何でも良いが、スピードアップに繋がる事のみを並べれば、一番いらないのは情緒や感情。その人の気分、気持ち・・・こんなのが一番いらない事になる。理由は1つでいちいち考えなくて良い。それがルールだから・・と方程式を解くように、

方式って言う誰が考えたか判らない、正解とするものに当てはめて解く事だけに専念する。ってスタイルをモザイクに当てはめれば、何しろ切って当てはめる・・・こうなる。しかしながら、4人には徹底的に大事なのは情緒と教えて来た。それこそがオリジナルで大事な事だと・・・。

個性とは?となった時に必要な事は何か?を。単なるモザイク指導なら、技術のみならこうして、あぁしてで良いが、みんなモザイクを習いに来たんじゃなくて、労作展を習いに来た・・・って言うのが本音。なら俺は望まれれば労作展対策委員長のつもりで考える・・そんな役目。

そう思っている。けれど、正直今から4人と同じ事をしては間に合わなくなる・・・ならば情緒を消せば楽になる・・・今はね。けど、今を楽した所で結局、はしょった分、制作は見栄えが良くても、制作日誌に何て書く?・・・何枚張りました。素材の説明、そして大変だった・・・

それなら小学生でも書けんだろっ・・・って話。慶應なんだろ、エリートと思われているんだろ。って話なのね。受かった者は受かった大変さがあり、辛いなら受けなきゃ良かったし、受からなきゃ楽だったのかな?・・・しかも成績に関係無いんだから、いっそやらなくても良いじゃん

・・・そんな程度の作品は必ず毎年あるのだから。しかも単なる夏休みの宿題じゃん・・・なら、塾みたいな俺の所にわざわざ来て、お金を支払い、大変な事に向き合う必要も無いだろう。しかし、それなら世の中の塾なんて学校あれば良いじゃん。サッカーもダンスも習わず出来る。

でもより向上・・・となった時、必要性はあるかも知れない。それは各々の判断。ほら今日の話、全部が一緒・・・結局、向き合った人の度合いで、大事な事がおのおの変わって来るもので、俺はただその人のやろうと思っている事や、やりたい方向へ連れて行く役目である・・・

だから大事な事はどうしたいのか?であり、時には残酷に無理って言うのも優しさでもあり、けれど、もしかしたら?の判断を誤ると、命取りになり兼ねない失敗にも繋がる・・・それはお互いに。それは大人も子供も関係無し。そこにある熱意や望み、そしてやる気だったりして、年齢

や性別も関係無いのね。それが証拠にきっと彼は必ず良い作品になる。間に合う。けれど4人に教えた情緒・・・それを短い時間で教えないとならない・・・例え風味やもどきであっても・・・そうすれば何も教えないよりもマシにはなるだろう・・・3時間教えて30時間をこなす制作。

それなら1時間念仏のように唱えりゃ、10時間分の制作日誌位は書けるだろう・・・って思いたい・・・。何にせよ、やっぱりこうだった・・・って後出しジャンケンは、時間のある人とのやり方であり、何が大事か?の判断を間違えると、お互いに良い結果は生まれない。そう思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする