katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

くじら教室

2016-01-15 05:57:50 | モザイク教室
新春早々大変でしたね・・・・今年もよろしくお願いします・・・・と、そんなご挨拶から。そうなのね、くじらは金魚が大好きで飼ってもいる。
だから余計に気にしてくれたのね。そこでブログに入れたように、残念だけれど死んだものもいるけれど、生きたものもいる。

生きているものも傷付いている事を考えると、美は削がれた。ただ大きくなって親となれば、子は取れる。気は長い話だけれど、また1からやり直しってほどの大変さじゃないから、春を待って卵からやり直す・・・・そのうちに喉元過ぎれば熱さは忘れるはずだから・・・・とね。

すると、生きたものに理由がある・・・と私も思いますって言うのね。ほぉ、ここは付いて来たのね。調子が良さそうだ・・・。ただ悲しんで、ただねぎらって・・・ただ哀れんで、ただ励まして・・・・でも続けろって後押しにも思える、生きたものに理由がある・・・・と。

さて調子が良いのなら、そのまま続けよう・・・・分野は違うが、世の中に発信と言うのなら、くじらは俳句で俺はモザイクで・・・と言う事では同じ。
そうなると、さっきのモノには必ず理由がある・・・・って考え方は一緒であるから、伝えたい事の1つにそれがある事になる。

じゃ何が伝えたいか?・・・になるが、例えば世界平和なんて大きな事を願っても、それは偉人さんに任せた方が良いテーマと思われるのね。
要するにくじらじゃないと・・・・って身の丈の視点での身近な事であり、そんな事をわずかながら小さな一石を投じる・・・・そんな事だと思うのね。

まっ月並みなんだけれど、歌の歌詞じゃないけれど、育って来た環境が違うから・・・そう感じ方がみんな違う。けれど、大まかにこっちより・・・あっちよりって言うのはあって、そうね、小物やる?大作やる?・・・どっち?・・・なんて質問のようなものだったり、塩と砂糖どっちを入れる?卵焼き・・・

みたいな2つに1つな場合、割と答えは簡単にあったりする。これが俺の頃の幼き教えだった。お年寄りが来ました・・・どうします?ってね。
席を譲りますぅ・・・・はい正解みたいな。それが道徳だった。ほぼ変わり者じゃない限り質問とは思えない教え。

ただ何故?とは考える事は無く、若いから立つとか、お年寄りを大事にとか、状況は一切問わずに一貫して全てに当てはめた。勿論、それがほとんどは合っていたりするのだけれど、中にはそんな年寄りでは無いと好意が伝わらなかったり、横から違う人が横取りしてしまったり・・・・。

教わった正しい結末は有難う・・・どういたしまして・・・のやり取りだったがね。それがいつしか、世の中はやったもんのゴリ押し感があり、言わず語らず・・・って言う意識よりも、言わないと伝わらない、聞かないと判らない、言われてない・・・って風潮があったりする。

こうなって来ると、俳句のような5.7.5の17文字では伝えずらい。要するにこの文化には作り手の素晴らしさもあるだろうが、読み手の粋みたいな関係性が無いと、言わず語らず前提の話で、金魚と言えば夏に決まっているでしょ?・・・・だから夏って言葉を使わずに季語って手法を使って四季を彩る。

もはや歌舞伎のよっ、なかむらやぁぁぁぁって掛け声をここって時のタイミングで掛けられる、そんな決まりを知っている人達の分野だと思うのね。
それが現代になると、スーパー歌舞伎でワンピースを演目に選ぶ時代だから、世の中には色んな娯楽があり、存続の為には色んな努力が必要になる。

それなら敷居も高く無いかも・・・・と思う人もいるだろうしね。だから使う単語も変わって来る。火鉢よりもヒーターってね。ただ粋な感じは一切無くなる感じがするのね・・・。でもね、火鉢って何?となると、説明が必要になってしまってはね・・・・。

そこで100歩譲ってヒーターを使うとして、何故それを必要とするのか?って意味を考えるとね、寒いから・・・だと思うのね。
つまり暖かさのだんを取る・・・だとすると、暖かさって何度?とか、暖かさって何?とか考える訳ね。

更にヒーターよりも暖かいものって無いのかな?・・・・みたいなね。そこで甘いぃぃなんて感じにしようとするのなら、ヒーターよりも彼女の手なんて事にすると、現実にはそんな事は無いかも知れないが、うふっ・・・って薄笑いされれば、ヒーターなんて単語も素敵になって来る。

ここが雪山の遭難なら、電気も無いし本当に彼女の手の温かみはヒーターにも思えるだろう。こんな場合、かなり味の濃い話になり、成人式くらいにして置けば、娘が大人になって遠くなって行くような気持ちの寒さであるのなら、彼女を女房に変える程度で、ヒーターよりも女房の手になる。

つまり頭の5文字でシチュエーションが描ければ、ヒーターって現代言葉も何とか使える。この2つの例だと雪山遭難よりも成人式の方が薄味だろうし、感じ方ってのは感じて貰える感情移入させる事が出来れば、感じる重さも変わって来る。

要するに、言いたい事は、ヒーターって言う現代の名機は暖かいものである事を知っているって前提で、ヒーターよ・り・も・・・なのだから、それより何が勝つの?って比較対象物の面白さになるんだろうね・・・・きっと。

こんな事を1つ当てれば、逆も真なり・・・となる。温シップ、冷シップみたいな・・・ね。つまりクーラーよりも・・・とするのなら、幽霊とか奥さんとか、冷え冷えすれば良いのだから・・・・。と変化させれば、スタイルって言うのは見つかって行くものなんだろうけれど。

ただ難しいのは、さっきの2つに1つの話のように、卵焼きは塩と砂糖どっち?とか、お年寄りには席を譲る?みたいな単純な話では無くて、今はケチャップとか色んなものがあったりして、もっと言えばアレルギーで食べられません・・・って根本的に無理な話もあるしね。

そうかと思うとお年寄りっていくつ?って定義。何か杖でもついていないと、そう見えないし、逆に年齢を聞いてもえっ?なんて人もいっぱいいる。
そもそも当時のお年寄りって言うのは、一目でお年寄りって判った前提であり、元気でピンピンだと該当しない感じになるし・・・・。

ただ心の中となると、昔も今も変わらない事って言うのもある・・・・ある意味、そう言う所が問われるんだろうね・・・俳句も芸術としてのモザイクもね・・・・。その理由は、モノには理由がある・・・・ってスタイルだから。

構想だの考えるだのって言うのは、自分自身をまとめて表現する・・・・そんな感じになるのだから、いかに自分と向き合うか?になる。
まっ、くじらはそんなお教室を求めているのだから、こんなやり取りをずっとし続ければ良いだけなのね。

それでついでにモザイク。それが自宅で一人作った・・・・って作品があるのね・・・・それがこれ。


張る所まではいつも通りだったが、目地となった時、1つのアイデアとして紙粘土って手もあるよっ・・・・と教えたら、100均で買いに行ったらしいのね。すると、そんな所を良く見なかったから知らなかったが、色んな色の紙粘土があって・・・・・テンションが上がっちゃったらしいのね。

もう嫌な予感するでしょ?・・・・そうなのね・・・・赤良いんじゃないのぉ?・・・・って思ったらしく、もう目地に使う事の趣旨はそっちのけで、触って見たい赤の紙粘土・・・・になったらしく、入れた瞬間・・・・げっ・・・・・って思って、白く入れ直しするも、そもそも強い色の赤・・・

シミになるのね・・・ぺきぺきの側面がね・・・・そしたらまだらになっちゃって・・・・大失敗したって持って来たから、ここまで直してあげたのね。これなら問題無いでしょ?・・・・ねっ。まっ続きがあって、その失敗の後、残った紙粘土で金魚作ってたらしいのね・・・・こらっ。

まぁのん気な事だわっ・・・・ただ、それも良しなのね。大事なのは1人でやって見たって事。しかも大失敗じゃなくて、教わった切る、張るは問題無くて、やり付けていない目地だけの失敗なだけなのね。でも、何とかここまで直したから、何事も無かった事に・・・・ねっ。

これでダメージは少なくなった・・・って話。報われれば努力した甲斐があるからね。こんな変わったスタイルでも継続している事だけは事実。
ならば上手くなる・・・・人よりも時間は掛かるかも知れないけれど・・・・ただ考え方だけはしっかりしている。

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