katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新作穂竜のモザイク

2016-01-07 07:49:31 | モザイク作家
今日は下地も終わったのでゆっくり新作の穂竜のモザイク・・・・と行きたい所だったが、決めなきゃならない事が色々あってね・・・・・。
その1つが中間マージンが発生するような会社経由のお教室の話。直接の連絡の場合なら、一応何がしたいか?みたいな相談に乗れる事なら・・・・

そもそも体験だし・・・・なるべく理想通りに・・・・と下地を用意したりするのだけれど、それは直接話せるからであって、中間に入られた場合、ある意味提案したサンプル画像を見ていらっしゃる・・・・って一番苦手な話しになる。

更にマージンが発生するから今の体験教室の金額を統一しようとすると、今の金額よりマイナスになる訳で・・・・要するにアトリエに直接いらしてくれる場合、話しをした分、気に入ったかどうか?は別として、下地自体はスタートとして選んだ通りのもので始まる訳で・・・。

それがサンプルを見せて・・・となると、一体何を提案すれば良いのか?になる。これが夏やらハロウィンやら、クリスマスなんてお題で考えるのなら、そこそこ限定されるから何と無く提案する側も体験する側も一体感があるが、そんな事も特に無い場合どうするか?になったりする。

とは言え、例えばお正月だから絵馬とかにしたとすると、その下地は余ると12年後にしか使えなくなる・・・・リスクが大き過ぎるでしょ?
そう言うのが季節モノにはあったりするのね。だから季節に限らないものの方が使い回しが利くんだけれど、じゃ何にする?となると、

難しいのはさじ加減で、作り手側としてどんな気分で来るか?になるのね。そして一体何処で何を見てモザイクをしたくなったか?ここなのね。
例えばお手軽簡単なんて言葉から・・・・とすると、何の何処がそう見えたか?になると、人の思い込みとしては、ただ張るだけそうだし・・・。

こんな場合、四角いタイルを張ってある何か?を見たと思われるのね。ただもしそれが海外の作品だとすると、素材がガラスタイルだったりもする。
しかも割りとザックリ切ってあるから、あぁこんなんでも可愛い・・・つまりガラスタイルの色が可愛く素材としてガラスの質が良く見えた。

尚且つザックリ切ってあるから、ちゃんとじゃ無い所が手作り感がある・・・・って感じなのね。恐らくね。ここが今度はこちらの提案サイドの悩みになるのね・・・・切る事が簡単なのはぺきぺきなんだけれど、ガラスタイルとの比較では和牛と他の肉くらい値段も違うし、切るのも難しい。

じゃ切らないで張るだけで本当に思い描くものになるか?となると、張るだけ・・・・ってここなのね、更なる誤解は。言葉は正直で、何々だけ・・・。
つまり言い方を変えれば、それっぽっちの事じゃん・・・・そう言う意味でもある。

となると、素材は違うわ、何か簡単そうだったのにずっと切ってて大変・・・・って思った事と違う事だらけになる。これが逆に切る前提でいらした場合、切る事が楽しい・・・意外と切れるんじゃん・・・・となったりする。ここが1つの分かれ目になる。

そもそも売る、買うの関係なら、素材の良いものを使って作り手として良い腕を見せて、買って貰うだけなら、後は金額の折り合いだけになる。
だから材料に失敗は無く完成出来るが、初めての人に和牛を出しで料理教室を開く・・・・どう考えても難しい。

何しろ他の分野と違うのは、今までその人が体験して来た分野で役立つものが少なく、言葉は悪いが最悪なのは絵が上手い人なのね。
切る技術を持った人が絵が上手いのは最高だが、絵が上手いって言うのは、自分の色を作れるとか、デッサンとしてのきちんと似させる能力だったり

オリジナルとしてのデザインだったり、何処にもタイルを切る技術に役立つものは無い。つまり上手い絵を描けるだけにダメージが大きいのね。
いつもと違ってサクサク描けないから。タイルを自分のライン通りには切れないから。完全に完成度は低くなる。

これが気ってものなのね。気持ち・・・・技術はある程度は反復で何とかなるが、気持ちは立て直した事の無い人は上手く行かないから辞めたぁ・・・に繋がっちゃうのね。しかも、立て直そうにも、色だって決められた色の組み合わせがモザイクなのに、混ぜられないからぼかせない。

つまりいつものその人のテクニックは全て役に立たない。更にぺきぺきは単調な色が多いので、可愛いモチーフには向いているが、リアルを求めると、相当な腕が無いと難しい。こう言う何個ものハードルが次々にやって来るのだから、日頃上手く行っているって言う人の場合、こんな事がある。

そこで立て直せればまだ良いが、思う様な仕上がりにならなければならないほど、まっ良いか・・・って言うのはモノつくりをする作り手の気持ちとしては、単なる時間潰しみたいになる。これが逆に絵がヘタって自分で言っちゃうような人の場合、要するにデッサンの段階で似ていないラインに、

なっているって事なんでしょ?そこに色を付ける・・・・だから似ていないラインに似ている色を付けて、何と無く見えた・・・って絵になる。こんな仕組みだったが、これをモザイクにした時はね、そのラインは間違っている似ていないラインなんだよね?

それをはみ出したり、内側に入っちゃったりしちゃうのね・・・・それがさっきのデッサンラインよりも良いラインをタイルで補正しちゃったとしたら?・・・・さっきより良くなるでしょ?ここなのね・・・上手い人は良いラインを崩す、ヘタな人は補正。ここでいつもと気分が違うのね。

しかも、仕上がりとしての結果が欲しい場合と、タイルを切って見たい・・・とでは、結果とプロセスの違いになる。つまり絵が上手い人で結果のみを求める人が来た場合、木っ端微塵な気持ちになる可能性が高く、逆に絵はヘタなんだけれど、タイルを切りたいぃぃって人は、切れたぁ・・・

楽しい・・・・しかも意外と良いじゃん・・・・に繋がったりする。これが切る前提でのお教室の良くある例で、逆に安心安全なら、何らかのお洒落に見える結果のサンプルを作り、それを前提に色違いなんかが作れる・・・・こう言うサンプルありきの提案教室になる。

ただ前者のいつもの俺のお教室は自由が多い分、目的があると、例えばネームプレートと言われればこんな感じ・・・・なんて提案したりして、結果の良し悪しは別にして一応結果は出る。逆に何も考えてない・・・と言っても、そこで決める事も出来るが、宣伝ありきの第三者が入る場合、

提案としてサンプルを作らないとならないのだから、それを見てやりたくなる・・・・そんなサンプルを作らないとならず、何が欲しいか?何が作りたいか?と考えてしまうと、万人受けって何だろう?・・・・・って泥沼にはまるのね。正直、家庭が無いから女の人の好みなんて判らないしね・・・

ただ、そうも言ってられないし、とは言え、逆に自分のやりたい事をやれば良いなんて言い方もあるが、難しいのは万人受けが判るのなら、クリエーターの人達はみんなやっているだろうし、金額の決められた中でのサンプル教室では、どの先生もある程度出尽くした感はあるはず。

つまり相当なリスクを持ってやらないと個性は出せないと言う事になる・・・・。先日、日高氏が来た時に、何でも楽しいか?楽しく無いか?だろう・・・・みたいなセリフを言ってたが、奴さんの生き方は常にそうなのね。そう言う点では、俺は堅実と言う卑屈なのかも知れない。

最近、つくづく思うのは、日高氏が当たり前の事を言う事が多くなった・・・・こう言うのがバランスなのね。漫才だと、ボケと突っ込み。
つまりきちんとした奴がきちんと見えるようにするには、思い切りボケないと、突っ込みが生きない。

何事も中途半端な域はうじゃうじゃいるもので、みんな個性と言いつつ、人とちょっと違う・・・を望んでいた場合、みんなが半歩変えたら、半歩の位置が普通になる。実はその半歩ずらす事の提案が一番難しい訳で・・・・。それをやり過ぎると変わり者になるし・・・・。

さてどうするべきなんだろうか?・・・・こんな事をかぐやと考えつつでは、中々進まない・・・・。

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