katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

まぁ最後の最後に・・・・まさかの金魚の池が大惨事

2016-01-01 00:52:57 | 休み?
今日は最後に池の水換えをしようとすると・・・・まさかの大惨事。また猫にやられた・・・・しかも親魚蝶尾のメスのエースを始め、オランダの時期エース、ピンポンパールに浜錦、更に竜眼・・・と6匹死亡。もっと言えば助かった池で生きているものも傷だらけや眼が無いものもいて・・・・。

美としてはもうほぼ全滅である。ただ何とか生きている・・・・親の美は損ねたが、生きていれば子は取れる。ただ蝶尾のメスのエースを失ったのは痛い。ただこれで2度目・・・・ただ良くも悪くも2度目・・・・正直ガッカリではあるが、死んだものが浮かばれる事を考えれば生かしてなんぼ。

大体理由は判った・・・池は木が生えているから茂っている時は守られているが、冬になって枯れてしまうと丸坊主。ただそれも踏まえてネットも張ったりしたんだけれど、隙間からやったようなのね・・・・まぁ今後も続けるなら改善しないと・・・。

こんな事があると、金魚から離れたくなったりするものだが、基本1匹死んだら2匹追加・・・そう言う気分でやらないと、気持ちがめげる。
しかも、今金魚の作品を作っている・・・・まるでお金を稼げないそんな作品は辞めてしまえ・・・・と神様が言っているようでもある。

ただ試されている気もする。辞めるのか?ってね・・・・ただすぐにお金には困っていないのだから、1ヶ月以内なら大丈夫。
いずれにせよ、生きて行くって言うのは大変なんだな・・・・と痛感。猫は食べた訳じゃなく遊び殺した・・・。

これこそが自覚が無いのが一番の悪。食べたのなら生きる為・・・これを感受性で置き換えると、無意識に興味の無い人に批評されたりして、場合に寄っては誹謗中傷にも思える言い方をされたり・・・・ただ池の金魚のように外で見せる・・・・を前提って言うのは、外で人に見て貰う作品と一緒。

無造作だったり無防備だったり・・・・それをうっかり心も安心していると、何がどうなるか?判らない。安心など何処にも無い。
これがアトリエ内なら、少なくとも猫のような外敵はいない・・・・つまりアトリエに作品を置いて置くなら人には触れない訳で・・・・。

何もかも金魚に教わる。生きると言う事・・・・死んで行ったものもいるが、生きているものもいる。同じ条件でもね・・・・無事これ名馬と言う言葉があるが、生きていてなんぼ・・・・これもまた立て直し。辞めない限り明日は来る。

そんな中、実家に呼ばれて年越しそばをご馳走になる・・・・この家族の一員としての子供の立場の俺が52歳・・・・いつまで続くのか判らない・・・。
こんな節目の日はまた来る事を信じて終わりが来るまで続けられる事を感謝すべきであろう・・・・。金魚も家族も。

それでは今年も有難うございました・・・・。良いお年を・・・・。もう明けている時間だけれど・・・・ご挨拶は明日。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする