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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

完成チュ-リップとかぐや教室

2006-08-08 20:25:58 | 世界遺産をみんなでつくろ!
やっと何だか、楽だったのかは別にして、完成した。
後は、明日金具付けと、ペンキの補修かな。 

以前なら、もっともっと何か言いたい事があって、そこに思い入れがぎっしり詰まっていて、描き切れないので、しっこいくらいになって行った・・・・・

それをアクリル作家のAkiに、何か槙原さんの歌みたいな作品作りだねぇ・・・って
言われていた。 情景描写、人物設定、そしてその後に起こりえる事への願い。

すべてにおいて、決めて作る。こんな作り方が、例えば槙原さんのSPYなんて歌のようだ
って比喩されていたんだろうね・・・・

そんな中、いつしか今年になって少しづつ減らして行った・・・いいか悪いかは別にして
それが作品として、すっきり見えるようになったのかも知れない・・・・

それでも個性的なのは言う迄も無いんだけれど・・・・ね。

そこで個性とは・・・って話しが必要になってくる。

僕はあえて国語辞典に書いてあるような事を言うつもりはないのね。
だから、自分なりの解釈。
つまり、名前も名乗らずに誰が作ったのか? 誰が歌っているのか? いけたのか?
書いたのか? 打っているのか? 弾いているのか?  
そんな事を連想させる事が出来るもの。 そんな気がするのね。

勿論、このモザイク自体も、ある程度のモザイクを知っている人なら、あぁこれはkatsu
だろうなぁ・・・って言って貰える作りになってはいると思うのね。
ただし、そうなっていたとしても、最後は好みなんて曖昧なモノで判断されるのね。

そこは、僕にはまだ防ぎようが無いから、それは、ブランドとしての成立とか、ハクとか
そんなモノは売れたら付いて来るモノで、まだまだ無い。

だから、1作、1作が宣伝みたいなモノになってくる。
作り手として、常に新しいスタイルを追求して行くのは、売れるって行為の中では、
必ず誰もが経験して行くものだと思う。

更にだから、いつもいつも慣れるって行為にならぬように、心がける。
しかし、それがいつも自分否定にも繋がるような行為にもなりうる。

同じ事をしないようにする。 これが以前それを良しとして購入された方がいるにも関わらず、スパッとそれを否定するかのごとく、正反対のような作品作りをしたりする。

やり過ぎのような作品もあれば、あっさり仕上げるってやり方になった・・・・
正直、それが良かったのか? それすら判らない事もある・・・・
それはお客さんが決める事だから・・・しかしながら、納得していない訳では無い。
それを表現するなら、戸惑っている。それに尽きる。

以前も、言った事もあるかも知れないが、初期の頃僕は、作品作りする時に、
これでもか。ってやってまでも、判って貰いたいと、どんどん細かくして行った。

そしてそれが芸術として賞を重ねて行った時に、評価を得たので、逆も真なりで、
今度は、なるべく切るタイルの数を減らして行くって手法へ行った・・・

それが去年の夏の鴨川で売った、コ-スタ-だった。
ぺきぺきって75mmの柔らかいタイルで、たった何パ-ツかのタイルで、動物や昆虫
花・・・・50枚くらい作った。 そして去年の冬、犬に至るのである。

そこで出た答えは、細かくした作品は評価され、大きく切った作品は軽視されるって事。

これについては、説明も以前してみた。
ある程度の腕がある場合に限って、細かいものは、めんどくさい。
そして大きいものは、難しいって表現でね。

ただしこれは、狙って切るって行為をしている場合に限る訳で。

でもそれが手抜きのようにうつってしまうらしい・・・・・って事も・・・・・

常に新しい事は、自分自身も戸惑いながらやっていく訳で、だから普通それによって
時間が掛かって当たり前だったのに、最近どうやらそれすらも無くなってきたみたいだ。

だから、アイデアを出す時に時間をしっかり取っておけば、何を作ったとしても、
所詮タイルを切る・・・・それがモザイクってモノだとの結論。

ただしそれが美しいか? 動いたように見えるか? 生きているようにみえるか?
それらが見た人と共に、同じ気持ちになれるか?どうか?ってのとは別物。

そこまでこだわって行く・・・・それが芸術ってものなのかなぁ? くらいまでは判った
そんな気がする。

たかが何とか、されど何とか・・・・とはそんなものなのだろうね。

正直、今回の作品はこんな葛藤の中、仕上がった・・・・どう評価されるのだろう?


さてまたまたそんな中、かぐや教室。
本人がまだ見せないでぇぇって事で、画像は無いけれど、今同じような過渡期なのかもね

つまり先生と生徒の2人で作るってスタイルでは人から旨いねって評価が出た。
しかし今回は、相談なら聞くよ。 けれど必ず相談ね・・・やる前にって・・・・

みんなはこう聞くと、同じじゃん。って取るんだろうね・・・・違うんだなぁ・・・
2人で作っている時は、やる前にどっちの意見が良いと思う? ってその場で決めて、
それを家でやってくる。 一人でね・・・・

今は、本来望んでいるのは、一人でやりたい事を決める。
そしてそれをアトリエでこうしたいと思っているんだけれど・・・・って相談。

更にそれが出来たのなら、更に、俺の意見を聞いた時に、それよりも私の考えって言う
のを、説得する。 こうしたいから・・・どうだろうってね。

事後承諾、ごり押しはしない。って練習だったのね。

一緒に作るって言うのはそういうものだと思うのね。
何もすべて俺が正しい訳じゃないからね。

前者は決定権は2人にあるのと、後者は彼女にあるのね。
これは決定的に違う。 相手を説得する。 そして納得する。これは大事な事。
自分を語る。 本心をね。 物作りの原点だね。

やりたい事をやるには、それを遂行する為の根拠・・・・そして説得。
今、彼女に一番必要な事は、それ。

目先のテクニックや、アイデアじゃない。 判るかなぁ・・・・・?
奴は、お門違いな勘違いしていると思うのだけれど・・・・?

勿論、カキコ参照してもらえば、判るけれど、人に言うくらいだから、自分にも
当てはめてモノを言っていると思うのだけれど・・・・・

そしてそれを踏まえて、仙台の仕込みに入るぞ・・・・か・ぐ・やくん。














後、目地のついでにコ-スタ-も仕上げた・・・・・・・・

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