幹事クリタのコーカイブログ

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家系図アプリ

2024-06-28 23:56:37 | 日記
 娘が最近スマホに家系図アプリをインストールしたので、我が家の家系を調べています。と言っても、僕や妻に聞くか、僕の母に聞くくらいしか娘にできることはないですし、妻はあまりそういうことに興味がないタイプなのでいい加減な記憶しかなく、妻の両親はとっくに亡くなっているのであまり追うことができません。僕の母は89歳にしてはかなり記憶力が良い方ですが、残念なことに母の母(僕の祖母)もかなり早くに亡くなっているので、母もあまり詳しいことを聞いておらずわからないみたいです。

 唯一これまでの家系が詳しくわかったのは僕の父方の祖先でした。と言うのも父が死んだ20年前に僕が父の戸籍謄本をずっと遡って取ったので、それを見たら父方の祖父母、さらに曾祖父母、その上の高祖父までの名前と生年がわかりました。父が昭和5年生まれですが、祖父は明治29年生まれ、曾祖父は嘉永、その上の高祖父はなんと文政の生まれでした。嘉永と言うとペリー来航、文政となるとシーボルト事件です。まさに歴史教科書の時代です。

 日本の戸籍制度というのはすごいもので、そこまできちんと記録が残っていることが驚きです。しかも丹念に読んだら、どうやら曾祖父は三重県の実家を出て名古屋市内の曾祖母の実家に転がり込んでいたようです。曾祖父36歳、曾祖母27歳の時に入籍しているのですが、なぜか長男(僕の大伯父)はその6年も前に生まれています。子どもが生まれながらなぜ6年間も籍を入れなかったのかはわかりませんが、小学校に上がる時に仕方なく入籍したのかなと推察されます。どうも曾祖父にはファンキーな人物だった匂いがします。

 そして入籍してから2年後に僕の祖父が生まれていて、曾祖母が長女で他に男子がいなかったからか、そのまま曾祖父は姓は変えていませんが、マスオさん状態で半ば婿のように名古屋市中区の曾祖母の家に住み続けていたようです。僕の祖父も伯父も父もその家で育ち、伯父家族は僕が成人してもまだその中区の古い長屋に住み続けていたので、子どもの頃からずっと遊びに行っていました。ファンキーな曾祖父が婿に入って曾祖母の姓に変えていたら、僕は「クリタ」ではなく「コマダ」になっていたことも判明しました。

 ちなみに母方の祖父は住職でしたが、寺に養子に出されて嫌々寺を継いだかなりの生臭坊主でしたし、母も最近になって実は娘時代は「ギャル」で毎日のように遊び歩いていたことを娘に聞かれて白状しました。息子には言えなくても孫にはちょっと若い頃の武勇伝を話したくなるみたいです。どうも祖先を調べると我が家は真面目の皮を被った遊び人家系のように思えます。父は真面目だったと思いますが、もう少し長生きしてくれていたらいろいろ面白い話も聞けたかも知れないなと最近になってしみじみしています。
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