はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

地震の恐怖

2008-06-17 23:21:03 | かごんま便り
 97年3月27日夕。春闘の取材を終えて当時勤務していた福岡総局(現・福岡本部)に戻った私を待っていたのは「すぐ鹿児島に行け」との先輩記者の指示。事情がよく飲み込めないまま、気が付けばカメラマンと共に車中の人となっていた。
 出水に入ったころは既に外は真っ暗。鹿児島支局と連絡を取りつつ宮之城方面へ向かう。途中、大きな岩が中央に転がっていた。直撃されたらひとたまりもない。一瞬、背筋が凍った。
 当日の取材が一段落した後、宿を探したが、余震が続いていることを理由にどの旅館からも丁重に断られた。やむなく役場のソファで仮眠し、日の出を待って取材再開。傾いた家屋、散乱するガラスや屋根瓦。前夜に歩道の段差と思っていたのが横倒しになったブロック塀と分かり、再び血の気が引いた。
 鹿児島県北西部地震。気象庁の発表は最大震度5強だったが、県が設置した鶴田町(当時)の震度計は6強を観測した。県のまとめでは負傷者37人。死者が出なかったのが不思議なくらいだ。11年たった今も、当時の被災地の様子は鮮明に目に焼き付いている。
 薩摩地方はこの直後、4月3日と5月13日にも地震に見舞われ、後者は負傷者74人を数えた。
   ◇  ◇  ◇
中国四川省の震災報道の衝撃もさめやらぬ中、14日朝の「岩手・宮城内陸地震」。最大震度6強、16日午後6時半現在で死者10人、負傷者264人、行方不明12人。被災地の方々には心からお見舞いを申し上げたい。
 今回の地震を受けて県の防災担当者は「日ごろの備えを啓発する必要性がある」とコメントしていたが同感だ。たとえば関東では家具類に転倒防止金具を取り付けるのは常識以前の話だが、九州では地震への警戒心が弱いように思う。程度の差はあれ「地震列島」とも言われる日本だ。グラッと来てからでは遅い。
鹿児島支局長 平山千里 2008/6/17 毎日新聞掲載

百年後までも

2008-06-17 23:18:53 | はがき随筆
 「母ちゃん、こうやって百年も一緒に生きていこうね」
 映画「タイタニック」の有名なシーンのように、2人でポーズをとりながら11歳の娘がこう言った。
 娘111歳、私156歳。とうに私はこの世にいないと思うが「うん」と力強く答えたら、娘はニッコリ。
 私はダメでも、娘には元気に幸せに百歳過ぎまでも暮らしてほしい、と心から願う。そして私も娘の中で一緒に生き続けるのだ。
 そんなことを考えると、今、この世に生かされていることが、とてもありがたくなる。
   鹿児島市 萩原裕子(56) 2008/6/17 毎日新聞鹿児島版掲載

時計のいたずら

2008-06-16 17:14:10 | はがき随筆
 時報は文字盤を見て知るだけの角時計。電池を替え、時刻を調節してしばらくするとピンポーン。聞いたこともなかったのに。寝間に入ってしばらくするとピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。玄関のインターホンと全く同じで、さも急用と言わんばかりに連続で。誰が何用でと身をふるわせて玄関を見ると、人影と見え、とくとくうなる心臓を抑えて、縁側から庭の門扉を見ても動いていない。十三夜の月はこうこうと、近所もまだまだ暗闇で、電話台を探すとまたピンポーンと“半”の時報。古時計の仕業に全身の力が抜けた。
   阿久根市 川畑マスミ(77) 2008/6/16 毎日新聞鹿児島版掲載

二つの光景

2008-06-16 16:42:04 | はがき随筆
 風に乗って勢いよく泳ぐ5匹のこいのぼりと雨に打たれビショビショのそれ。明暗を分けたこの二つの光景を見たら、自分が10歳の時の家族の姿のようで胸にグッときた。青春時代を7年間戦地で過ごした父は、42歳で不慮の事故に遭い、その後遺症で不運な生涯を終えた。苦労知らずで育った母も、父の世話と子ども3人を育てるために自分を犠牲にして苦労した。
 もうすぐ父の命日。2人は今、薫風が吹き渡り、鶯がつややかな声で鳴く墓地で安らかに眠っている。墓前に母が生前、育てめでたアマリリスを供え、魂が永遠に癒されるよう祈った。
   鹿屋市 田中京子(57) 2008/6/15 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真は南さん

ホゲかしこ

2008-06-14 07:24:25 | はがき随筆
 父の十三回忌法要をした。僧侶の読経の末尾の御文(おふみ)に「あなかしこ、あなかしこ」というくだりがある。聞いていると、父が生前語ってくれた面白い実話が思い出されて一人笑いした。
 ある日、住職が不在になったため、代わりに門徒総代が読経をすることとなった。読経は順調に進んでいたが、最期の「あなかしこ」が出てこない。すると門徒の一人が指で丸をつくり総代に、出だしは"穴"だよと示した。しかし総代は「ホゲかしこ」と言ってしまった。ホゲとはかごっま弁で開いた穴のことを言う。みな下を向いてくすくす笑ったそうな。
   鹿児島市 川端清一郎(61) 2008/6/14 毎日新聞鹿児島版掲載

君恋し

2008-06-13 21:37:59 | はがき随筆
 「出会った頃の二人に も一度戻ってみよう」。長渕剛さんの名曲の歌詞をふと思い出す。
 30年前、その年の初雪の日のデート。車で彼女を迎えに急いだ。道路脇に立っていた彼女の髪は雪で真っ白だった。いとおしかった。鮮明に覚えている。
 なのに今の私は、妻の長所は片目で、短所は両目でしっかり見ている。ゴメンナ。ワガママ夫とワガママ娘にとことんつきあわせて。あのころは確かに私が彼女を守っていた。でも今は私が心身とも妻の扶養家族。あ~あ、やんぬるかな夫婦道(めおとみち)。初孫と娘の産後の世話で上京している妻よ。早く帰ってきて。
   霧島市 久野茂樹(58) 2008/6/13 毎日新聞鹿児島版掲載

ほんとだね

2008-06-12 16:28:15 | はがき随筆
 6月初旬、雨が来てアジサイが咲いて、青嵐が吹いて山々のおだやかだった緑が揺れ、初夏への象が日々濃くなる自然。
 ある朝、娘のところで新聞を2、3日分読ませてもらっていると「魂は刀で切れず、火で焼けず、水でぬれず、風に乾かず」ということばに出会った。
 朝食している孫に「ほんとだね、まさしく……」と言うと、彼はうなずいた。
 魂を育てるため、ものをおぼえたり、続行するんだね。そうよ、そうよ、ほんとだ!
 私のつぶやくのを、彼は聞いて、心に届けたかどうか。
   鹿児島市 東郷久子(73) 2008/6/12 毎日新聞鹿児島版掲載

亡き母へ

2008-06-12 16:18:45 | はがき随筆
 「おかあさん、どうか10人目の孫、陽葵(ひまり)の命を救ってください。お願いします」
 2月9日、心臓に障害を持って生まれた陽葵ちゃん。両親の落ち込みはひどかった。私は、神様から選ばれて生まれてきた宝物だと息子に言い聞かせた。
 私も心配のあまり不眠。体調を崩した。すぐにふる里隼人の実家に行き、お墓参り。亡き母に孫の命をこう。
 5月2日、孫は心臓の手術。5月20日、無事退院。ほっとした。
 天国のおかあさん、ありがとう。陽葵にゆっくりゆっくり春が来た。
   山口県光市 中田テル子(62) 2008/6/11 毎日新聞鹿児島版掲載

サツマイモ

2008-06-10 21:49:11 | はがき随筆
 女性の好物を「いも、たこ、なんきん」と言うが、ご多分に漏れず私も大のいも好きである。サツマイモの甘みときたら、調味料では出せない独特の甘みがある。あんことしても重宝される代物。
 最近、食卓に1日1回、サツマイモの出番を作ってから、私の腸内状態は絶好調。こうして腸の調整役をかって出てくれたサツマイモに感謝の日々。薬に頼らず、サツマイモの繊維質の威力に脱帽。
 先日、20年ぶりに、猫の額ほどの畑にサツマイモを植える。ひそかに、秋の収穫を夢見ている私である。
   霧島市 口町円子(68) 2008/6/10 毎日新聞鹿児島版掲載

幸せの尺度

2008-06-08 22:38:36 | はがき随筆
 新緑はまばゆく一雨ごとに畑の草はぐんぐん伸び、草取りに明け暮れている多忙な日、藤間流鹿児島公演の招待を受け会場へ参上。東京から藤間秀之助、藤間紋一郎の舞姿、まばたきするのももったいないような気持ち。また地元の先生方のご披露は日本舞踊古来の伝統文化、芸術文化を見せていただき、心豊かなひとときを過ごすことが出来ました。しばし日舞の世界に陶酔し心身共に幸せを味わうことが出来ました。土のにおいのする手も優雅な手に染められた気分で、時のたつのも忘れ幸せいっぱい。会場の皆さんのファッションもステキでした。
   菱刈町 坂元克子(70) 2008/06/08 毎日新聞鹿児島版掲載

孤独ではないの

2008-06-07 19:39:17 | はがき随筆
 真っ赤な夕日。「きれい」
 結婚して56年間、多忙な毎日だったので少女の時以来だ。趣味の書道・拓本・表装には手が出ず、他のことを求めるが本気で打ち込めない。あせらないでの忠告。
 やっと家事の一部と庭掃除を日課と決めた。体調が悪く全身が痛む時は、目を閉じ耳を澄まし、鳥や外部の音を聴くゆとりが生まれた。歩行困難な一人暮らしの正月も連休も、誰かが電話か便りをくれる。孤独ではないのよ。
 夕日を浴び足元に力を入れ一歩ずつ踏みしめる。うれしい涙目にアマリリスがにじむ。
   薩摩川内市 上野昭子(79) 2008/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はウマナリ トウシロウさん

悲惨な戦後

2008-06-06 16:15:20 | はがき随筆
 ちまきの季節になると復員を思い出す。母方の祖母宅より5㌔の道程を一人でてくてく歩いて帰ると、誰の知らせか分からないが、妹が急ぎ足で息を吐きながら向かってくる。妹は開口一番、両親も2ヶ月前に台湾より裸一貫で引き揚げてきたと言う。祖父母宅は田舎で大きな家だが、叔父夫婦も引き揚げ、3世帯の大家族。父宅は農家だが主食は供出して、常食はサツマイモとカボチャの煮付けだけ。戦後の食糧難は経験した人しか分からないと思う。
 日本も先輩の努力で築き上げた平和な国。先輩の築いたものを守り、補足していこう。
   姶良町 谷山 潔(81) 2008/6/6 毎日新聞鹿児島版掲載

花の日訪問

2008-06-05 23:46:12 | アカショウビンのつぶやき












 アメリカの、教会日曜学校から始まった「花の日」は、6月の第2日曜となっています。この日は本来、子どもたちが「神様の子ども」として祝福されるように祈る日として定められました。それがちょうど夏の花が咲き出す時期と重なって「花の日・子どもの日」となったのです。
 鹿屋キリスト教会では、この頃が入梅の時期と重なるため、1週繰り上げて6月第1日曜を「花の日・こどもの日礼拝」としています。
 この日は礼拝に参加する、お一人お一人がお花を持ち寄り、教会堂はお花でいっぱいになります。そのお花を持って、教会学校の子どもたちと一緒に今年も病院や老人保健施設を訪問しました。
 毎年この日を楽しみに待っていてくださる方もあり、お花とカードを渡し一緒に賛美歌を歌い、神様のお守りと祝福が豊かにあるように祈りお別れしました。

森の音

2008-06-05 15:45:40 | はがき随筆
 <……よかった>。まだ、自然林がいっぱい残っている。
 出水市街地から約10㌔の奥山を貫く林道・北薩1号線を車で走った。シイ、カシなどの群落の緑が空の青に溶け込み、はるかかなたに八代海を遠望させる。ススキに隠れる小鹿の白い毛の後ろ姿がかわいい。
 車を降りると風がほおに心地よく空気がうまい。耳を澄ますと風に混ざり「ギルル……」と、森の訴えるような声に似た音がする。近くの裸山のせいか、林道は、木材伐採用の造成でなければよいが、と不安になる。
 <また会おう>。挨拶をしたが、森の音が気になった。
   出水市 小村 忍(65) 2008/6/5 毎日新聞鹿児島版掲載

お元気で

2008-06-04 17:09:22 | はがき随筆
 ○○生命保険のTさんが今度、退職することになったとあいさつにみえた。最初のころ、若いので独身かと思っていたら、3人の子のお母さんだった。夫が亡くなってからは折りにふれて「お元気ですか」「お留守だったので、お子さんのところかと思っていました」と声をかけてくれる人だった。連綿と続く私の悔やみごとをいつも親身に聞いてくれてありがたかった。どういう事情で辞められるのかは聞けなかった。「ついでの時にはぜひ寄ってくださいね」と言ったが、心の支えが一本抜けたようで寂しい。人生とは出会いと別れの旅である。
   霧島市 秋峯いくよ(67) 2008/6/3 毎日新聞鹿児島版掲載