https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E5%9B%BD%E7%94%B1%E6%9D%A5%E8%A8%98
外間守善・波照間永吉編『定本 琉球国由来記』(角川書店 1997年4月)で原文を確かめてみた。漢字片仮名まじりの漢文体である。もととなった資料の漢字平仮名まじり文の和文体を書き改めたものの由(波照間氏「解説」)。「解説」ではその理由については書かれていない。
ところで巻21の八重山島の条で、「当島、洪武年間、為御本国轄地」とあるのだが、本当かいなという気もする。まず“轄地”(管轄する土地)という表現が微妙である。そして明の洪武年間(1368-1398)といえば琉球はまだ三山時代で、琉球王朝は第一尚氏すら成立していない。
この疑問を念頭に、いま引用したくだりの続き「毎年貢物献上、渡海イタシケルニ、其後、大浜村ニヲヤケ赤蜂・ホンカワラトテ二人居ケルガ、極驕〔驕りを極め〕、有叛逆之心〔叛逆の心有りて〕、貢物中絶ケル」を読めば、沖縄本島の権力が伸張してやっとこさ貢物を課せるようになった、そして課したところ、途端に拒否されたというふうにも読める。
琉球王国(第一尚氏)側からすれば、ヲヤケ赤蜂・ホンカワラの両人はたしかに怪しからぬかもしれない。だが八重山の二人からすれば「勝手なことを言うな」と怒るのもまた当然である。そしてその怒りと反応を「極驕」「有叛逆之心」と表現するのもまた、「御本国」(第一、そしてそれを継いだ第二尚氏)の勝手のあらわれである。