書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

58-慎言-明-王廷相 http://wenxian.fanren8.com/02/10/58.htm を読んで

2014年06月20日 | 東洋史
  气、物之原也;理、气之具也;器、气之成也。 (「道体篇」)

 王廷相の気一元論の由来は何か。陽明学の“理気合一論”(注)が関係しているであろうことは容易に推測できる。もしその推測が正しいとして、では、陽明学の“理気合一論”の由来は?

 。狩野直喜『中国哲学史』(岩波書店 1963年12月)における用語。

孫振玉 『王岱輿劉智評伝』

2014年06月20日 | 伝記
 「中国思想家评传丛书」 の一冊。匡亚明主编の「序」(1990年)によれば、このシリーズはマルクス主義と唯物史観によって編まれたものであるという。そしてあとに続く筆者不明の「内容简介」によれば、王岱輿も劉智も、イスラム教徒ではなく回儒であり、彼らの思想(回回理学=イスラム教の知識をも踏まえた儒学就中宋学)は、宋明儒学(=宋学)の影響下に成立したものだとされている。そして明清時代の回回理学は「中華民族に巨大な貢献をなした」ところに意義が存するという。
 金宜久『王岱輿思想研究』における3と関連して、興味深い主張である。

(南京 南京大学出版社 2006年8月)

金宜久 『王岱輿思想研究』

2014年06月19日 | 東洋史
 概要および目次はこちら

 気がついたこと三つ。

 1. 「第二章 王岱舆从事学术活动的时代背景 一、伊斯兰教在中国信仰主体的变化」に、「中国是个人口众多, 历史背景悠久的确文明古国。」という記述がある(本書17頁)。この記述が本文の論旨と何の関係があるのかわからない。

 2. 「第五章 王岱舆与中国传统文化 一、中国传统文化在王岱舆之前的发展」に、「中国传统文化历史悠久, 博大精深。」(という記述がある(本書160頁)。この記述が本文の論旨と何の関係があるのかわからない。

 3. 「第五章 王岱舆与中国传统文化 五、“宋人理学”并非从伊斯兰教“蜕化而出”」に、文献史料にどんなことが書いてあろうと、当時の関係者がそう証言していようと、そんなこと(宋学がイスラム教の影響下に成立したこと)があるはずはない、宋学は中国の伝統文化であり独自に成立したものだという旨の主張が展開されている。本文の論旨そのものがわからない。

 これは研究ではない。宣伝であろう。

(北京 民族出版社 2008年4月)

Темиргалиев Р.Д. - Казахи и Россия.

2014年06月12日 | 西洋史
 テミルガリエフ『カザフ人とロシア 18-19世紀におけるカザフ人領地のロシア帝国編入史』(「日ソ」の訳題による

 注があまりない。本文中に引かれる文献や史料は巻末に一括してあげてあるが(総205冊)、引用時に当該章や頁の指示はない。読む側からすれば、非常に使いづらい。

( М.: Международные отношения , 2013.)

李迪 『梅文鼎評伝』

2014年06月12日 | 伝記
 李迪《梅文鼎评传》(南京大学出版社 2006年3月)を読む。とくに「第六章 梅文鼎的“征之于实”与“会通中西”思想」「第八章 梅文鼎的数学思想」。
 彼の演繹は『幾何原本』から来たという主張はよしとして、彼におけるそれが不十分不徹底であるのは、彼が「中西会通」と「中学西源」の信念をその精神に同居させて怪しまなかった事実と関係はあるか。

黎貴惇 『芸臺類語』

2014年06月12日 | 東洋史
 使用したテキストはこちら

 黎貴惇(レ・クイ・ドン、1726-1784)はベトナム(後黎朝後期)の儒学者。本書は1773年成立。
 これは事項別に古今の漢籍の関連部分を抄写する、いわゆる類書であるが、「巻一 理気」では冒頭著者の理と気の本質と関係に関する意見が開陳され、以下それに沿った取捨選択のもとに抜書が続く。それがなんと気一元論である。
 また、興味深いのは、著者自序の年号表記が、「景興」と、ベトナムの元号のみで記してあることだ。「景興癸巳孟秋」。癸巳は1773年の年の干支である。だが元号の後の年表記は漢数字で「~年」とするのが通常ではなかろうか。此所にいかなる微意があるのか、ないのか。

丁韙良 『天道溯源』

2014年06月12日 | 人文科学
 近代デジタルライブラリー
 丁韙良はWilliam Alexander Parsons Martin(1827–1916)。彼はカトリックではなく新教(長老派)の宣教師である。
 その彼の漢文による著『天道溯源』に、

  大道不限於邦国、至理可通於中外。(「天道溯源引」)

 とある。
 この「理」は、書かれた時代(咸豊四/1854年)もあるが、人類普遍の道理というよりも、西洋あるいは彼の生まれ育った米国における「新教の教え」、ひいては「米国およびヨーロッパで普遍とされる道理」という意味あいのほうが強いように思える。

辻聴花 『支那芝居(上・下)』

2014年06月10日 | 芸術
 大空社複刻版、2000年4月。
 面白かった。体裁・記述ともに、とても整理されていて解りやすい。歴史的な沿革も要領よく押さえられている。数年前に崑曲関係の翻訳仕事をしたときに、この書のことを知って読んでいれば、もっとはかが行ったろうと思った。
 閑話休題、しかし、大正12/13年刊の原書になく、この複刻版で巻末参考資料としてあらたに付された中村忠行氏の「中国劇評家としての辻聴花」からうかがえる、著者の聴花若しくは剣堂・辻武雄の為人とその生涯が、書に劣らず興味深い。

維基百科 「中国伊斯蘭教」項を読んで

2014年06月09日 | 東洋史
 维基百科 中国伊斯兰教 

 礼部侍郎徐元正讀完《天方性理》亦稱:“言性理恰与吾儒合;其言先天后天,大世界小世界之源流次第,皆发前人所未发,而微言妙意视吾儒为详,……则是书之作也,虽以阐发天方,实以光大吾儒。”

 徐某は本当に理解したのか。劉智はイスラーム(天方)の教義を「(性)理」という詞で表現したから、「理」とある、ならばわが儒教の「理」と同じであると早呑込みしたのではないか。だが例えば「経則天方之経、理乃天下之理」(「自序」)は、教えに関わらず共通普遍の「理」が存在するという意だろう。