書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

王岱輿著/余振貴點校 『正教真詮/清真大学/希真正答』

2014年06月22日 | 東洋史
 主として『正教真詮』を読む。
 この書は、劉智の『天方性理』のような融和的な書ではなく、きわめて論争的あるいは攻撃的な著作なので、イスラームのみこそが正しい真理の教え(正教)であるという立場から、一歩も譲らない。儒教はその妥当性を有すると認める部分については肯定するものの、あくまでイスラームよりも下級の教えであるとしている。
 王岱輿は、この『正教真詮』のなかで、「理無二是 、必有一非」と言う(「似真」)。昊天(天)と上帝は別のものなのか、それとも同一のものなのかという問題において、場合によって説が異なる儒教経典の矛盾を衝いた言葉である。
 ここでの「理」は真理の意味らしい。
 だがこれは「創造者は一つだけのはずだ」という彼のイスラム教徒としての(真)理である。すなわちこの批判は彼のドグマから来るものであるから、純粋な矛盾律の発動とはいえないところがある。
 それはさておき、王は、さらにそのドグマの言を進めて、この点において儒教(主として宋学)に真理はないと断じるのである。昊天と上帝も、そして理も、いずれもが、真主もしくは真一(アッラー)ではない以上、つまりその被創造物(数一)でありそれにしかすぎないからである。中国の伝統的形而上諸観念は、超越的審級といえども真一の下位に属するそれでしかないと(注)。

 。堀池信夫『中国イスラーム哲学の形成 王岱輿研究』(人文書院 2012年12月)、「第三章 王岱輿研究」、179頁を参照。

 理は事の先に出づると雖も、然れども自立すること能わず。是の故に太極は乃ち真主の立つる所の天地万物の理にして、而る後、天地万物の形を成すなり。凡そ此の理に達する者は、必ず天地万物の原種を以て天地万物の原主に当てざるなり。(本書「似真」章。読み下しは堀池信夫氏のそれによる)

(寧夏人民出版社 1887年9月)

吉岡達也編著 『北方四島貸します 眺望絶佳格安物件 現地ルポ 色丹島50年賃貸事件の真相』

2014年06月22日 | 抜き書き
 契約の過程を調べていくうち、疑問に思い始めたのは、そんな黒幕云々のことよりも、たとえば、日本人が「日本固有の領土」を借りてどこが悪いのか、という問題である。 (「第三章 つきとめた『50年賃貸契約』のいきさつ」本書121頁)

 たとえば、もし、クナシリ島の空港建設を日本が援助していたら、交渉過程からみて九分九厘この50年借地契約の成立はなかっただろう。 (「第三章 つきとめた『50年賃貸契約』のいきさつ」本書125頁)


(第三書館 1992年10月)