セルゲイ・ユリエヴィッチ・ヴィッテ著。
ヴィッテは、先に仕えたアレクサンドル3世について、教養や才質は平凡だがそれらを超えたところの人格・威厳において無比、これぞまことの専制君主と、非常に評価がたかく、その一方で、アレクサンドル3世の死後仕えたニコライ2世については、教養あり才能にもめぐまれ、じつに寛仁でもあったが優柔不断、父君たるアレクサンドル3世の急死によってあわただしく即位したため君主教育が欠如していたと、かなり点が辛い。だが帝王学を受けなかったのはアレクサンドル3世も同じであろう。アレクサンドル3世は父親のアレクサンドル2世が暗殺されたために予想より早く即位せざるを得なかった。しかも彼は次男で、兄が夭折しなければ皇位継承者になるはずのなかった存在だった。だから最初から軍人たるべく育てられて、皇太子としての教育は受けていない。ヴィッテは、普段は冷遇しながら困ったときにだけ呼び出して後始末をつけさせる、自分をまるで便利屋扱いした後者を批判するために、ことさら前者を持ち上げたのかどうか。ここには、勝海舟の徳川家茂と慶喜に対する、感情の温度差に似た消息が感じられる。
(原書房 1972年10月第1刷 1980年9月第2刷)
ヴィッテは、先に仕えたアレクサンドル3世について、教養や才質は平凡だがそれらを超えたところの人格・威厳において無比、これぞまことの専制君主と、非常に評価がたかく、その一方で、アレクサンドル3世の死後仕えたニコライ2世については、教養あり才能にもめぐまれ、じつに寛仁でもあったが優柔不断、父君たるアレクサンドル3世の急死によってあわただしく即位したため君主教育が欠如していたと、かなり点が辛い。だが帝王学を受けなかったのはアレクサンドル3世も同じであろう。アレクサンドル3世は父親のアレクサンドル2世が暗殺されたために予想より早く即位せざるを得なかった。しかも彼は次男で、兄が夭折しなければ皇位継承者になるはずのなかった存在だった。だから最初から軍人たるべく育てられて、皇太子としての教育は受けていない。ヴィッテは、普段は冷遇しながら困ったときにだけ呼び出して後始末をつけさせる、自分をまるで便利屋扱いした後者を批判するために、ことさら前者を持ち上げたのかどうか。ここには、勝海舟の徳川家茂と慶喜に対する、感情の温度差に似た消息が感じられる。
(原書房 1972年10月第1刷 1980年9月第2刷)