書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

林紘一郎/田川義博 『ユニバーサル・サービス』

2005年08月19日 | 政治
 「ユニバーサル・サービス」とは、この言葉が発生した米国においては、もともと電話事業に関する用語だったことを知る。
 元来は「すべての人が、どこに住んでいても、合理的な料金で、電話の基本サービスが受けられること」という意味だったのが、のち1993年のクリントン政権下の「全米情報インフラ構想」において「情報が国民すべてに妥当な料金で提供されるようにする」ことに概念が拡大されたという(本書7-8頁)。

  →参考:「池田信夫 blog」2005年8月18日「ユニバーサル・サービス」
       http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/d/20050818

 いずれにせよ、この「ユニバーサル・サービス」の定義においては、サービス料金は全国的に一律でなければならないとは言っていない。また安くなければならないと、必ずしも言っているわけでもない。“合理的な”とは“納得できる”、“妥当な”とは“高すぎない”ということである。安さは安さでも、絶対的な安さではない。これはサービスにかかるコストを考慮したりあるいは類似の他のサービスと比較しての、相対的な安さの意味であるはずだ。

(中央公論社 1994年3月)

▲「国民新党」? あなた方だけが国民? あなた方に投票しなければ国民とは認めてもらえないわけで? 政権を取った暁には自分たちと自分たちの支持者以外は非国民として迫害でもするおつもりか?
 →国民新党(国民)ホームページ 
   http://www.kokumin.biz/

William Shakespeare 『Julius Caesar』

2005年08月18日 | 文学
 “The Arden Shakespeare”シリーズの一冊。
 初めて原語で通読してみた。最初は挑戦するといった感じで取りかかったのだが、脚注が適切かつ簡潔で、思ったより骨が折れなかった。なにより面白い。だから注が出てくるたびに原文を離れてそちらを見たり、知らない単語や古語に頻々と出くわして辞書を何度もひく煩わしさが苦にならないのである。消閑の読書として十分に楽しめた。

"Caesar is turn'd to hear." (Act I, Sc. II, Caesar, p. 9)

  脚注:"In his arrogance he speaks of himself in the third person."

"What touches us ourself shall be last serv'd." (Act III, Sc.I, Caesar, p. 63)

  脚注:"what concerns myself must be last attended to."

 シーザーが殺された後の、あまりにも有名なアントニーの演説のくだりについてはここに書くまでもあるまい。
 これからの余暇は原典のシェイクスピアに親しむというのもいいかな。

(edited by T.S. Dorsch, London and New York: Methuen & Co., 1985)

立花隆 『政治と情念 権力・カネ・女』

2005年08月17日 | 政治
 インターネット通販で買って、本日入手。例によって例のごとく奥付から見ると、

   単行本『「田中真紀子」研究』 二〇〇二年八月 文藝春秋刊
                *文庫化にあたり改題しました。

 ガーン! 『「田中真紀子」研究』なら2002年8月14日にもう読んどるがな! 
 加筆修正一切なし! 書名を変えただけ! 590円+消費税30円損した! あとがきぐらい書き足してくれ! 谷沢永一氏の『自虐史観もうやめたい!―反日的日本人への告発状』(ワック 2005年6月、もと『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』クレスト社、1996年2月。→2003年4月7日欄)のように!

(文藝春秋 2005年8月)

СИБА РЁТАРО 『О РОССИИ: ИЗНАЧАЛЬНЫЙ ОБЛИК СЕВЕРА』

2005年08月16日 | 西洋史
 司馬遼太郎『ロシアについて 北方の原像』のロシア語版。
 ロシア人読者のためにロシア語に翻訳された沼野充義氏の評論「司馬遼太郎とロシア」およびコンスタンチン・サルキソフ氏による著者紹介兼作品解題の序文が冒頭に置かれているのだが、後者もつまらない。

 ●沼野充義
 →フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E9%87%8E%E5%85%85%E7%BE%A9
   ★なお本欄2003年7月6日、沼野充義『亡命文学論 徹夜の塊』も参照のこと。

 ●コンスタンチン・サルキソフ
 →『先生BANK』
  http://www.frontier-road.com/sensei-bank/sarkisov/top.htm

(МИК, Москва, 1997)


▲「多維網」インターネットより

「87%中国人:難消対日仇恨」 (8月16日)  http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/SinoNews/Mainland/2005_8_15_16_44_35_51.html

 ●「新聞週刊」のアンケートの結果、“日本と聞いてまず最初に何を連想するか”の問いに、79,92パーセントの回答者が“危険な軍国主義国家”と回答。
 ●同じく、“日本人と聞いてまず最初に何を連想するか”の問いに、87.25パーセントの回答者が“軍国主義者、右翼分子”と回答。

 この連想の是非は措く。
 (しかし、この一方で、すくなくとも回答者の一部を確実に占めるはずの反日言論を為す中国人が、“日本は米国の軍備に護られた従属国で独立国ではないから国連安全保障理事会常任理事国になる資格がない、反対である”と主張するのはどういうわけなのであろう。米国の軍備に護られるのを止めて“独立”すれば日本は今以上に軍備を増強しなければならなくなる。“軍国主義者、右翼分子”の“危険な軍国主義国家”が一層、“危険な軍国主義国家”化するのだが。)

 ●55.36パーセントの回答者が、“日本政府が真剣で誠実な謝罪をするとは永遠に信じない”と回答。

 信じられないほど馬鹿げた回答結果である。それならどうして「謝罪せよ」と要求するのか。お互い謝罪される必要もなければする必要もないということになるではないか。無駄なのならば。理解不能である。
 この支離滅裂さ加減は、もはや“感情的”を越えて“愚昧”と言ってかまわないであろう。もしかしたらこのアンケートは質問者の思い通りの結果を導きだすために回答者にとくに低脳ばかりを選りすぐったのかもしれない。「新聞週刊」が実際にアンケートを行ったのであればだが。
 実際に行ったとして、こういう人にも訊ねるべきだった。

小国寡民 「抗戦結束:中国日本究竟誰勝利了?」 (「中国思惟」インターネット、8月16日)
   http://www.chinathink.net/forum/dispbbs.asp?boardID=3144&ID=59327&page=1

板倉聖宣 『新哲学入門 楽しく生きるための考え方』

2005年08月15日 | 人文科学
 抜き書き。

“「必ずしも実験的手続きを経ずに、すべての問題に答える学問」――それは哲学の特徴でした。哲学の魅力はそこにあったのですが、また、その弱点もそこにあったことを忘れることはできません”  (第一話「化学と哲学と学問と」第3章「哲学と科学と学問の違い」 本書34頁)

“私は、「実験の本質は、自然であれ社会であれ、対象に対する正しい認識を得るために、対象に対して、予想・仮説をもって目的意識的に問いかけることにある」と考えています” (第二話「真理は実験によってのみその正しさが証明される」第4章「唯物論と観念論の違い」 本書40頁)

“「実験と実践の違い」は、「実験」は、「真理が確定していないからやるもの」であるのに対して、「実践」は、「ほぼ間違いない真理と確信している理論に基づいてやるもの」という違いがあります” (「第二話「真理は実験によってのみその正しさが証明される」第5章「真理の基準は実験にある」という実験観の成立」 本書51-52頁)

“経験事実というのは、「いろいろな事実や空想をもとにして仮説を立てるときに〈すでに知られている事実〉」を言い、実験事実というのは、「その仮説の正しさを検証するための行為の結果はじめて知られた事実のことで、仮説を立てた段階では〈まだ知られていない事実〉」のことを言う、と整理して考えるのです。つまり、「ある仮説を立てたとき、その事実は既に知られていた事実かそうでないか」ということで、〈経験事実〉と〈実験事実〉とをわけるのです。この区別は、仮説を真理と認定するときに重要な視点となります。私たちは、すでに知られている経験事実をや空想などをもとにして〈ある仮説〉を思いつくのですが、そのときすでに知られていた事実は、その仮説と矛盾しないことは当然のことです。「その仮説の正しさを裏付ける証拠」にはなりません” (第二話「真理は実験によってのみその正しさが証明される」第6章「経験と実験との違い」 本書63-64頁)

“科学的認識というのは、対象に対して自分の仮説をもって主体的に問いかける実験によってのみ成立する” (「あとがき」 本書207頁)

(仮説社 1992年3月)

▲「大紀元」(日本)インターネットより

 1.「中国:抗日戦勝60周年を前に、反日活動を禁止」 (8月13日)
   http://www.epochtimes.jp/jp/2005/08/html/d11383.html

 2.「日本脅威論?進む中国のファシズム化」 (8月14日)
   http://www.epochtimes.jp/jp/2005/08/html/d80430.html

 3.「中国人民解放軍幹部、対米戦略で全面衝突の強硬論」 (7月19日)
   http://www.epochtimes.jp/jp/2005/07/html/d60290.html

 2は唐淳風氏主演「夏の夜の夢」のレビュー。
 2および3の朱成虎少将については、戦争をするのが仕事である職業軍人である以上、このような発言を為すのは本分として当然であって別に驚くべきことではないだろう。ただし発言が為された背景を考えると、一概に「から騒ぎ」とは言い切れないかも知れない。 

皆川亮二 『D-LIVE!!』 11 

2005年08月14日 | コミック
 ロコはもはや准レギュラー扱いである。喜ばしいことである。
 しかし、ついに百舌鳥が片目を失明した理由と悟の父親の死のいきさつを明らかにしたことで読者を引きつける魅力の一つになっていた物語の“謎”が無くなったから、今後、よほどの新展開を見せなければならないのではなかろうか。

(小学館 2005年9月)

荒木飛呂彦 『STEEL BALL RUN』 5

2005年08月14日 | コミック
 シュトロハイムが出てきた(→2004年11月8日欄参照)。この“『ジョジョの奇妙な冒険』第7部”の時代はまだ1890年だというのにサイボーグである。
 もっとも第7部はパラレルワールドの話だから、こちらのドイツのテクノロジーはあちらのドイツ(1938年・第2部「戦闘潮流」)の段階にすでに達しているということなのかもしれない。

(集英社 2005年8月)

今週のコメントしない本

2005年08月13日 | 
 今週はバテ気味なので冗談はなし。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  大久保利謙編 『久米邦武歴史著作集』 別巻 「久米邦武の研究」 (吉川弘文館 1991年11月)

  世界教育史委員会編 『世界教育史大系』 4 「中国教育史」 (講談社 1978年4月第4刷)

  加地伸行 『中国人の論理学 諸氏百家から毛沢東まで』 (中央公論社 1985年1月4版) (再読)

  林博史 『BC級戦犯裁判』 (岩波書店 2005年6月)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  倉沢愛子編著 『南方特別留学生が見た戦時下の日本』 (草思社 1997年8月)

  加地伸行 『現代中国学 阿Qは死んだか』 (中央公論社 1997年8月) (再読)
  興梠一郎 『現代中国 グローバル化のなかで』 (岩波書店 2002年8月)

  王柯 『多民族国家 中国』 (岩波書店 2005年3月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  谷口克広 『信長軍の司令官』 (中央公論新社 2005年1月)

  井上ひさし 『吉里吉里人』 (新潮社 1981年8月)

④つまらなさすぎて感想も出てこない本
  松本健一 『竹内好「日本のアジア主義」精読』 (岩波書店 2000年6月)
  松本健一 『竹内好論』 (岩波書店版 2005年6月)
  鹿野政直 『日本の近代思想』 (岩波書店 2002年1月)
  阿部謹也 『日本人の歴史意識』 (岩波書店 2004年1月)

  加地伸行 『儒教とは何か』 (中央公論社 1996年3月12版) (再読)
  浅野裕一 『古代中国の文明観』 (岩波書店 2005年4月)

  辛淑玉 『怒りの方法』 (岩波書店 2004年5月)  

⑤出来が粗末で感想の持ちようがない本
  高橋哲也 『靖国問題』 (筑摩書房 2005年4月)
  
⑥余りに愚劣でわざわざ感想を書くのは時間の無駄と思ってしまう本
  該当作なし

⑦本人にも分からない何かの理由で感想を書く気にならない本
  該当作なし

 世間もすなる盆休みといふものを我もしてみむとてするなり。

追記 ④の松本健一氏の二書については、題材がつまらないという意味である。竹内好という人間が。