生田滋/越智武臣/高瀬弘一郎/長南実/中野好夫/二宮敬/増田義郎編集『大航海時代叢書 第Ⅱ期』第17卷所収(同書1-55頁)。
著者アントニー・ジェンキンソンについては、ウィキペディア英語版に項がある(Anthony Jenkinson)。原題は「一五五八年、ロシアのモスコー市よりバクトリアのボガール市に至るアントニー・ジェンキンソン氏の船旅。本人よりロンドンのモスコヴィー貿易会の貿易商らに宛てて認められたる記録」。
つまり、これは政府文書ではなく、Muscovy Company という一民間会社(但しイギリス国王の認可を受けた勅許会社)の社員による、会社への探査報告である。ただし彼はこの旅で、ボガール(ブハラ)に至るまでの中央アジア地域(トランスオクシアナ)の主要な支配者たちにロシア皇帝からの親書を届ける役目も負っていたから、ロシア政府の特使でもあった。船旅というのは、彼は主として水系を船でゆく旅程を取ったからである。なお彼は、未踏の土地探検を行う者として、またこのような一種国策会社社員の義務として、途中の人文地理や物産・交通・政治状況・治安事情など種々の情報を詳細に伝えるほか、通過・宿泊地点相互間の方角、距離、経度・緯度を克明に記し、地図を作成して報告書に添付している。
なお文中、エンバ川が源を発する地として、“コルマック人”とその国についての言及があるのだが(但し伝聞としてであり、ジェンキンソン自身は現地を通らず実見もしていない)、訳注を見るとこれはカルムイク人の事らしい。しかし現在のオイラート族の一派であるカルムイク人が、ジュンガリアのイリからヴォルガ河畔に移住してくるのはこれより数十年後のことであるから、これは当時同地にいた別の民族のことを言っているのだろう。あるいは訛伝か。ちなみにエンバ川の源流はいまのカザフスタン領内にある。
(岩波書店 1983年2月)
著者アントニー・ジェンキンソンについては、ウィキペディア英語版に項がある(Anthony Jenkinson)。原題は「一五五八年、ロシアのモスコー市よりバクトリアのボガール市に至るアントニー・ジェンキンソン氏の船旅。本人よりロンドンのモスコヴィー貿易会の貿易商らに宛てて認められたる記録」。
つまり、これは政府文書ではなく、Muscovy Company という一民間会社(但しイギリス国王の認可を受けた勅許会社)の社員による、会社への探査報告である。ただし彼はこの旅で、ボガール(ブハラ)に至るまでの中央アジア地域(トランスオクシアナ)の主要な支配者たちにロシア皇帝からの親書を届ける役目も負っていたから、ロシア政府の特使でもあった。船旅というのは、彼は主として水系を船でゆく旅程を取ったからである。なお彼は、未踏の土地探検を行う者として、またこのような一種国策会社社員の義務として、途中の人文地理や物産・交通・政治状況・治安事情など種々の情報を詳細に伝えるほか、通過・宿泊地点相互間の方角、距離、経度・緯度を克明に記し、地図を作成して報告書に添付している。
なお文中、エンバ川が源を発する地として、“コルマック人”とその国についての言及があるのだが(但し伝聞としてであり、ジェンキンソン自身は現地を通らず実見もしていない)、訳注を見るとこれはカルムイク人の事らしい。しかし現在のオイラート族の一派であるカルムイク人が、ジュンガリアのイリからヴォルガ河畔に移住してくるのはこれより数十年後のことであるから、これは当時同地にいた別の民族のことを言っているのだろう。あるいは訛伝か。ちなみにエンバ川の源流はいまのカザフスタン領内にある。
(岩波書店 1983年2月)