この本は、正確には著者坂口氏にインタビューしての聞き書き+フィルモグラフィー。
坂口氏は、そのなかで、役者というのは「自分じゃない他人をいつもやってるわけ」だから、「そういう神経の分散ができるってのは」頭がおかしい人間でないと勤まらないと仰っている(本書135頁)。
それはそうかもしれない。
つまり気違いが普通のことやるから面白いんでしょう。普通の人が普通のことやって面白いですか。何も面白くない。 (136頁)
作る側も、みんな変だった。 (136頁)
(自分の子供を作らないのは復讐だというのを)言いたいのはこっちであって、それを理解するかしないは相手の問題であってね、承前)いちいち理解してもらわなくたっていですよ。だって気違いの言っていることを、まともな奴にわかれって言うのも無理じゃないですか。 (138頁)
訳者もそうかもしれない。「自分じゃない他人をいつもやってる」のは同じである。
学者もそうだろうと思う。「普通の人が普通のことやって面白いですか。何も面白くない」。
(ワイズ出版 1999年9月)
坂口氏は、そのなかで、役者というのは「自分じゃない他人をいつもやってるわけ」だから、「そういう神経の分散ができるってのは」頭がおかしい人間でないと勤まらないと仰っている(本書135頁)。
それはそうかもしれない。
つまり気違いが普通のことやるから面白いんでしょう。普通の人が普通のことやって面白いですか。何も面白くない。 (136頁)
作る側も、みんな変だった。 (136頁)
(自分の子供を作らないのは復讐だというのを)言いたいのはこっちであって、それを理解するかしないは相手の問題であってね、承前)いちいち理解してもらわなくたっていですよ。だって気違いの言っていることを、まともな奴にわかれって言うのも無理じゃないですか。 (138頁)
訳者もそうかもしれない。「自分じゃない他人をいつもやってる」のは同じである。
学者もそうだろうと思う。「普通の人が普通のことやって面白いですか。何も面白くない」。
(ワイズ出版 1999年9月)