『朝鮮学報』49、1968年10月所収、同誌427-434頁。
洪大容の地転説について、燕行使として清に趣く機会のあった洪が、そこでイエズス会士から聞いた可能性があるとして、その起源を西洋学術に見ている。
それを聞き知った朴趾源が特にこれを洪大容の創始として強調したように思わわれて〔ママ〕ならない。 (433頁)
洪大容にはじまり朴趾源によってその創始が強調された地転説は、単に地球自転にふれるだけで、コペルニクスの地動説に比べてきわめて単純なものであった。このような説が十八世紀になってはじめて唱えられたということは、朝鮮が中国を経て間接的に西洋を知るほかなかったことに原因するするもので、むしろ朝鮮にとって不幸なできごとであったとさえ思われる。 (432-433頁)
洪大容の地転説について、燕行使として清に趣く機会のあった洪が、そこでイエズス会士から聞いた可能性があるとして、その起源を西洋学術に見ている。
それを聞き知った朴趾源が特にこれを洪大容の創始として強調したように思わわれて〔ママ〕ならない。 (433頁)
洪大容にはじまり朴趾源によってその創始が強調された地転説は、単に地球自転にふれるだけで、コペルニクスの地動説に比べてきわめて単純なものであった。このような説が十八世紀になってはじめて唱えられたということは、朝鮮が中国を経て間接的に西洋を知るほかなかったことに原因するするもので、むしろ朝鮮にとって不幸なできごとであったとさえ思われる。 (432-433頁)