書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

中村新太郎 『孫文から尾崎秀実へ』

2009年05月23日 | 東洋史
 ソ連では、スターリンの死後、ゾルゲの名誉回復がおこなわれ、一九六四年十一月五日、最高ソ連英雄勲章をおくられた。日本では、尾崎秀実の評価は、三十年後のこんにち、なお定まったとはいえないが、中国人民との恒久の友好と平和のためにたたかったかれの業績は、けっして没することはないであろう。 (「尾崎秀美とゾルゲ事件」 本書315頁)

 ゾルゲと尾崎が逮捕されたのは日本で諜報活動を行い、当時の日本の法律を犯したからであり、裁判の結果、国防保安法違反、軍機保護法違反、治安維持法違反によって死刑となったのである。ゾルゲがソ連で英雄になったように、尾崎は、中国では英雄かもしれない。だが日本においては尾崎秀実はスパイであり、犯罪者であり、そしてそれだけでしかない。
 スパイであり犯罪者であった彼の諜報活動と犯罪が、なぜ「業績」なのか。「中国人民との恒久の友好と平和のためにたたかった」からか。もしそうであるとするなら、「中国人民との恒久の友好と平和のため」であれば、日本の法律は破っても良かったのか。あるいはそもそも無効ということなのか。よく分からない。そしてこの著者は、この本が書かれた1975年でもやはり、「中国人民との恒久の友好と平和のためにたたか」うのであれば、コミンテルンのスパイになるのも、日本の法律に違反するのも、「業績」になると考えていたのだろうか。ここは章および全体の結論なのに、「日本では、尾崎秀実の評価は、三十年後のこんにち、なお定まったとはいえないが」などと、奥歯に物の挟まったような書き方なので、真意がいまひとつ掴めなくて困る。

(日中出版 1975年5月)