出版社による紹介。
この冊は2003年8月刊だが、時代区分論争はいぜんとして重要問題の一つである(「補論1」)。つまりマルクス主義唯物史観で頭からへし切る研究方法はこの時点でまだ有効だったということである。もっともマルクス主義唯物史観がほかの何かに入れ替わっても頭からへし切る研究方法は変わらないのかもしれない。そうでない議論(共著の論集である)もここにはあるが、大勢もしくは“空気”として。
閑話休題。ある章でべつの事を確かめようと思ったのだが、「先行研究にこれこれとある=もし内容がまちがっていてもそれはその先行研究とその筆者の責任で、自分にいかなる落ち度もない」という態度にさえとれる丸投げ度だった。どこを参照すればよいのか頁数さえ示さない。そしてその問題についての先行研究は、郭沫若のそれ1本ではなくほかにもある。たとえばこれ。
(山川出版社 2003年8月)
この冊は2003年8月刊だが、時代区分論争はいぜんとして重要問題の一つである(「補論1」)。つまりマルクス主義唯物史観で頭からへし切る研究方法はこの時点でまだ有効だったということである。もっともマルクス主義唯物史観がほかの何かに入れ替わっても頭からへし切る研究方法は変わらないのかもしれない。そうでない議論(共著の論集である)もここにはあるが、大勢もしくは“空気”として。
閑話休題。ある章でべつの事を確かめようと思ったのだが、「先行研究にこれこれとある=もし内容がまちがっていてもそれはその先行研究とその筆者の責任で、自分にいかなる落ち度もない」という態度にさえとれる丸投げ度だった。どこを参照すればよいのか頁数さえ示さない。そしてその問題についての先行研究は、郭沫若のそれ1本ではなくほかにもある。たとえばこれ。
(山川出版社 2003年8月)