総理衙門設立に際しての上奏では、領土的野心をもつロシアが英米仏よりも中国にとって危険であるという対外観が表明されていた。一八七〇年代以降、例えば〔中略〕一八七四―七五年の海防・塞防論争においては、日本がロシアとともに中国の主敵であると認識されるのであるが、八戸〔順叔〕事件〔一八六七年〕に関しての清朝政府の態度にはその端緒が示されているといえるであろう。 (「第一章 同治年間における清朝官僚の日本観 第一節 日清条約交渉開始以前の日本観」 本書20頁)
日本を脅威と見なす判断の根拠は、日本が開国以来、「自強」に努めているという現実の認識と、過去の日本による「倭寇」の記憶である。いま日本が強大化すれば昔やったから今回もかならず中国を侵すにちがいないという論理の飛躍が見られる。ただし、日本脅威論者の論旨の重点は、本来、日本の脅威を指摘しことさら日本だけに対して敵愾心を煽るところにあるのではなく、海をわずかに隔てるだけの距離にある隣国の日本にさえ列強同様かあるいはそれ以上に用心を怠ることができない旨を上級機関或いは皇帝に訴えて近代化(洋務運動)の必要性を説き、それによって中国の「自強」を速やかに遂行するところに、よりあった。ただし一八六七年の八戸順叔事件のあと、日本の脅威への対処が近代化と同列の重要性を持つようになってくるらしい。
以下、著者が紹介する当時の清官僚の関係発言(本書14-17頁)。
「日本が少年を露米両国に一〇年間留学させて艦船や大砲・弾薬をはじめとする武器の製造を学ばせていると聞くが、もしこれが事実ならば日本は必ず強国となろう、明代の倭寇のことがあるので中国は予め考えておかねばならない」「中国も武器の製造を学ばねばならぬ、たとえ外国に留学生を派遣することはしないまでも内地でこれを行うべきである」 (揀選知県・桂文燦、一八六三年四月八日。都察院の代奏)
「日本は明代の倭寇であり、西洋からは遠く中国からは近い、もし中国が「自立」することができれば、日本は中国に味方して西洋に対抗することになろうが、もし中国が「自強」することができなければ、日本は西洋に倣って中国侵略に参加することになろう」 (李鴻章、一八六四年四月。総理衙門宛書簡)
「今の日本は明代の倭寇であり、うわべは従順であっても内心は遠謀を抱いている。日中両国は朝発夕至の近距離にあり、西洋人が中国の弱体であることを考慮して日中を対立させ漁夫の利を得ることがないとは保証できない」 (江蘇布政使・丁日昌の意見書。一八六七年十二月六日。李鴻章の上奏に添付)
「ヨーロッパ諸国は専ら戦闘をこととし、船舶と大砲は日進月歩の勢いで改善されており、中国の西・北・南方において中国と国境を接しようとしている、また東方では日本が狡猾にも隙を伺っている云々」 (江蘇巡撫・丁日昌の上奏。一八七〇年七月二十九日)
「日本は明代には倭寇として江浙地方や朝鮮を蹂躙し、かつ夜郎自大の心を存し久しく中国に朝貢してこない。近年英仏などと日本との間に武力衝突があったが、いずれの側が勝っても中国にとり重大な関係があるので情勢を注視していたところ、日本が敗れて英仏などと講和した。日本はその後発憤して雄国たらんとし、軍艦建造を学び各国と交際しており、その志は小さくない。いま外国人発行の新聞が、日本の軍備が充実し多くの軍艦を有していることとともに、朝鮮出兵の説があることを報じているが、〔=上海在住日本人八戸順叔なる者の寄稿をもとにした同地新聞の報道〕もしこれが事実であるならば、一大事である。それというのも、朝鮮は小国であるが、もし英仏などが出兵するのであれば、その目的はキリスト教布教と通商にあるにすぎず、かつ英仏両国は相互に牽制しあっているので、直ちに朝鮮を占領して自己の領土とするということはあるまい。他方日本は牽制されることがなく、朝鮮を占領しないとは保証できない。もし朝鮮が日本の占領するところとなれば、日本は中国と隣接することになり、患いは切実である。日本にとって布教と通商は餘事であるにすぎない。日本の朝鮮出兵計画が他国の慫慂によるものかどうかは定かではないが、とまれもし朝鮮が日本の侵略を蒙るならば、その患いはフランスの〔ベトナム〕侵略に比べ一層甚だしいものとなろう」 (総理衙門の上奏。一八六七年二月一五日)
(東京大学出版会 2000年12月)
日本を脅威と見なす判断の根拠は、日本が開国以来、「自強」に努めているという現実の認識と、過去の日本による「倭寇」の記憶である。いま日本が強大化すれば昔やったから今回もかならず中国を侵すにちがいないという論理の飛躍が見られる。ただし、日本脅威論者の論旨の重点は、本来、日本の脅威を指摘しことさら日本だけに対して敵愾心を煽るところにあるのではなく、海をわずかに隔てるだけの距離にある隣国の日本にさえ列強同様かあるいはそれ以上に用心を怠ることができない旨を上級機関或いは皇帝に訴えて近代化(洋務運動)の必要性を説き、それによって中国の「自強」を速やかに遂行するところに、よりあった。ただし一八六七年の八戸順叔事件のあと、日本の脅威への対処が近代化と同列の重要性を持つようになってくるらしい。
以下、著者が紹介する当時の清官僚の関係発言(本書14-17頁)。
「日本が少年を露米両国に一〇年間留学させて艦船や大砲・弾薬をはじめとする武器の製造を学ばせていると聞くが、もしこれが事実ならば日本は必ず強国となろう、明代の倭寇のことがあるので中国は予め考えておかねばならない」「中国も武器の製造を学ばねばならぬ、たとえ外国に留学生を派遣することはしないまでも内地でこれを行うべきである」 (揀選知県・桂文燦、一八六三年四月八日。都察院の代奏)
「日本は明代の倭寇であり、西洋からは遠く中国からは近い、もし中国が「自立」することができれば、日本は中国に味方して西洋に対抗することになろうが、もし中国が「自強」することができなければ、日本は西洋に倣って中国侵略に参加することになろう」 (李鴻章、一八六四年四月。総理衙門宛書簡)
「今の日本は明代の倭寇であり、うわべは従順であっても内心は遠謀を抱いている。日中両国は朝発夕至の近距離にあり、西洋人が中国の弱体であることを考慮して日中を対立させ漁夫の利を得ることがないとは保証できない」 (江蘇布政使・丁日昌の意見書。一八六七年十二月六日。李鴻章の上奏に添付)
「ヨーロッパ諸国は専ら戦闘をこととし、船舶と大砲は日進月歩の勢いで改善されており、中国の西・北・南方において中国と国境を接しようとしている、また東方では日本が狡猾にも隙を伺っている云々」 (江蘇巡撫・丁日昌の上奏。一八七〇年七月二十九日)
「日本は明代には倭寇として江浙地方や朝鮮を蹂躙し、かつ夜郎自大の心を存し久しく中国に朝貢してこない。近年英仏などと日本との間に武力衝突があったが、いずれの側が勝っても中国にとり重大な関係があるので情勢を注視していたところ、日本が敗れて英仏などと講和した。日本はその後発憤して雄国たらんとし、軍艦建造を学び各国と交際しており、その志は小さくない。いま外国人発行の新聞が、日本の軍備が充実し多くの軍艦を有していることとともに、朝鮮出兵の説があることを報じているが、〔=上海在住日本人八戸順叔なる者の寄稿をもとにした同地新聞の報道〕もしこれが事実であるならば、一大事である。それというのも、朝鮮は小国であるが、もし英仏などが出兵するのであれば、その目的はキリスト教布教と通商にあるにすぎず、かつ英仏両国は相互に牽制しあっているので、直ちに朝鮮を占領して自己の領土とするということはあるまい。他方日本は牽制されることがなく、朝鮮を占領しないとは保証できない。もし朝鮮が日本の占領するところとなれば、日本は中国と隣接することになり、患いは切実である。日本にとって布教と通商は餘事であるにすぎない。日本の朝鮮出兵計画が他国の慫慂によるものかどうかは定かではないが、とまれもし朝鮮が日本の侵略を蒙るならば、その患いはフランスの〔ベトナム〕侵略に比べ一層甚だしいものとなろう」 (総理衙門の上奏。一八六七年二月一五日)
(東京大学出版会 2000年12月)