このくだりを現代漢語に訳せば、たとえば“牢說:「孔子說過:『我沒有被重用,所以學會了許多技藝。』」”となる。「吾不試」は「我沒有被重用」、つまり受動態(受身)の意味であるとして解釈される。訓読ならば「吾れ試(もち)いられず」と読む。古代漢語のさらに古い時代には受動態はなかったという説があるが、その一例となるのではないか。そもそも受動態とは主語と目的語という概念がないと存在しえない構文である。しかしそれらの概念は古代漢語には存在しない。受身という情況は、形式のみならずものの見方・考え方としても古代の中国にはなかったのかもしれない。もしそうだとすれば、いま挙げたこのくだりに対する現代漢語訳も、また伝統的な我が国の訓み下し文も、自らの言語へのもしくは文体への翻訳としてはまさに正しいが、原語の言語的な解釈としてはまったく間違っていたということになる。
出版社による紹介。
要するに『建武政権・南朝は滅びたのだから、制度・政策に欠陥があったにちがいない』という先入観に基づいて史料を解釈するので、建武政権・南朝の悪いところばかりが目についてしまうのである。 (呉座勇一「はじめに」 本書9頁)
先入観が研究者の頭脳に存在すること、それによって研究の目が歪み史料読解もまた歪むことを認める歴史学者はそれだけで尊敬に値すると思う。
ある種の中国史学者においては、先入観を「問題意識」と見なしているようかのようなふうが、ときに見受けられる。その種の研究者には問題意識=先入観は議論の前提のごときものであるようで、それに依拠した研究が行き詰まり、あるいは時勢や学界内の流行が変遷するようなことになれば、中身一式を別の一式に取り替えるまでのことであって、それ自体を廃することはないと見受ける。そしてその問題意識によってゆがめられた史料や過去の研究結果をあらためて見直すこともあまりないようだ。研究対象そのものを換えてしまい、よって後ろを顧みる要はないということらしいと推察している。
そういった人たちは、結論が間違っていたという認識はあっても、前提の存在を疑うことはないらしい。前提と結論とを結ぶ論理の正しさにのみ自らの責任はあり、前提が誤っていれば当然ながら結論も誤まりだが、それは自分の責任でないというかのように、さして気にはされていないように思える。
それともこの心的態度は、日本史学界と中国史学界の体質的な差であろうか。
(洋泉社 2016年7月)
要するに『建武政権・南朝は滅びたのだから、制度・政策に欠陥があったにちがいない』という先入観に基づいて史料を解釈するので、建武政権・南朝の悪いところばかりが目についてしまうのである。 (呉座勇一「はじめに」 本書9頁)
先入観が研究者の頭脳に存在すること、それによって研究の目が歪み史料読解もまた歪むことを認める歴史学者はそれだけで尊敬に値すると思う。
ある種の中国史学者においては、先入観を「問題意識」と見なしているようかのようなふうが、ときに見受けられる。その種の研究者には問題意識=先入観は議論の前提のごときものであるようで、それに依拠した研究が行き詰まり、あるいは時勢や学界内の流行が変遷するようなことになれば、中身一式を別の一式に取り替えるまでのことであって、それ自体を廃することはないと見受ける。そしてその問題意識によってゆがめられた史料や過去の研究結果をあらためて見直すこともあまりないようだ。研究対象そのものを換えてしまい、よって後ろを顧みる要はないということらしいと推察している。
そういった人たちは、結論が間違っていたという認識はあっても、前提の存在を疑うことはないらしい。前提と結論とを結ぶ論理の正しさにのみ自らの責任はあり、前提が誤っていれば当然ながら結論も誤まりだが、それは自分の責任でないというかのように、さして気にはされていないように思える。
それともこの心的態度は、日本史学界と中国史学界の体質的な差であろうか。
(洋泉社 2016年7月)
歴史学はある点まで行くと、それから先は文献学になってしまうものらしい。清代の考証学者がそうであった。断定するばかりで、その上に立って描こうとしない。これでは歴史にならぬのだ。私はそうなることを避けようと努めた。だから文献学に突き当たると、そこで方向を変え、いつも歴史学と文献学の境を彷徨するのを常とした。とは言っても私は決して文献学を無視するのではない。ただミイラ取りがミイラにならぬよう心掛けたつもりである。(「むすび」、下巻588-589頁)
文献学を重視しない歴史学もある。つまり断定しない。個々のテキストを重視しない。
(岩波書店 1977年6月・1978年6月)
文献学を重視しない歴史学もある。つまり断定しない。個々のテキストを重視しない。
(岩波書店 1977年6月・1978年6月)
語論の要旨は従来西洋文典の範疇を以て説明したる一切の文典を否定せむとて説を立てたり。語性の異なれる国語を西洋文典の範疇によりて支配せむことの非理なることは吾人の研究の結果之を証せり。 (「序論」本書10頁、原文旧漢字、以下同じ)
句論に至りては直接に人間思想に根柢を有す。人心の現象に大差なしとせば、東西又大差あるまじ。然れども吾人を以て見れば、西洋文典にてはなほ語と文との関係頗曖昧なるものあり。これが故に新に心理、論理等の学に参酌して之が整理を企てたる所あり。 (11頁)
前段に就きては真に間然するところなきが、後段に就きては所謂血で血を洗うがごとしと謂えずや。心理又論理の学また此西洋の産なり。東西人心の現象の実に大差なからんか。
(宝文館 1908年9月初版、1970年8年復刻版)
句論に至りては直接に人間思想に根柢を有す。人心の現象に大差なしとせば、東西又大差あるまじ。然れども吾人を以て見れば、西洋文典にてはなほ語と文との関係頗曖昧なるものあり。これが故に新に心理、論理等の学に参酌して之が整理を企てたる所あり。 (11頁)
前段に就きては真に間然するところなきが、後段に就きては所謂血で血を洗うがごとしと謂えずや。心理又論理の学また此西洋の産なり。東西人心の現象の実に大差なからんか。
(宝文館 1908年9月初版、1970年8年復刻版)