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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ガザーリー著 中村廣治郎訳注 『哲学者の自己矛盾』(その2)

2016年02月06日 | 地域研究
 2016年01月21日「ガザーリー著 中村廣治郎訳注 『哲学者の自己矛盾』」より続き。
 出版社による紹介

 ここでは、ウィキペディア「ガザーリー」項の“イスラーム哲学”で紹介されている通りに、人間における「理性」の存在が当然の前提として措定されている。

 それはまさに、「動物」と「理性的」(nāţiq)の語が、人間の本質を形成するものを示すようなものである。というのは、人間は動物であり、理性的であり、人間の中の「動物」の指示内容は、「理性的」のそれとは異なるからである。 (「第一部 第五問題」本書147頁)

 つまり著者は人間とそれ以外の動物とを本質において分かつ標識として、理性の存在の有無を立てている。ただしこの書でガザーリーは、理性に限界があることも認めた。あるいは因果律を否定する。つまり、第一原因としての神の力のみを認め、作用因を認めないのである(「第二部 第十七問題」本書264-280頁)。(注)

 。質料因と形相因は神の力のもとでその存在を認められている。

 さらにいえば、原子論は認めるがそれと同時に神とその力の存在を「理性的」な判断として認めるなど、非常に興味深い議論が続く。

 ところで該書で「理性」と訳される"nāţiq"は、漢語では「代言先知」という訳語が与えられている(『中文伊斯兰学术城』「伊斯兰词汇对照表(中-英)」)。別のウェブ辞書では「世界理性的体现」という説明がある。この「代言先知」という漢語はいかなる意味だろう。

高口康太 「人権派弁護士の『RTが多いから有罪』判決が意味するもの」

2015年12月26日 | 地域研究
ニューズウィーク日本版2015年12月25日(金)20時10分。

 司法手続きを経ずして人身の自由を奪うのは違憲だというのがその主張だ。

 これは「公平」ではなく「公正」だ。

 党の指導が国家よりも優先されるのが現状だ。取り調べにおいても、司法機関の捜査よりも党紀律部門による「双規」が優先権を持つ。浦志強氏による「双規」廃止の主張は、中国の根本的問題である二重支配体制の正当性、合憲性を問うものであったと言えるだろう。

 同上。手続き的公正。

琉球新報社・新垣毅編著 『沖縄の自己決定権 その歴史的根拠と近未来の展望』

2015年12月11日 | 地域研究
 2015年08月25日「『琉球新報』「『沖縄、脱植民地への胎動』 「ワッター」の人生歩き出す」」より続き。
 ここでは旧慣温存政策は日本政府が押しつけた「差別政策」(編著者の言葉)であるという主張がなされている。

 琉球を当面安定的に収めておくために政府が採用したのが「旧慣温存」という名の植民地政策だった。対中国外交で不利な材料となる救国運動をやめさせるため、士族層に給与・地位を与えて手なづける一方、農民にとって苛酷な旧王政の徴税制度を利用して、より大きな利益を吸い上げるための政策だった。 (「Ⅱ 琉球王国 『処分』と『抵抗』」本書93頁)

 なお、以下のくだりが個人的には気になった。

 「琉球処分」という言葉は、でっち上げた天皇との“君臣関係”を根拠としている。中国との外交禁止や裁判権委譲などに従わず、「天皇の命令に背いた」として、一方的に罪を琉球にかぶせ、王国を葬り去る政府の意図が、「処分」の二字に含まれている。 (87頁)

 “処分”という語の意味をここまで拡大する根拠は何だろう。漢文脈の文語(さらにはその背後にある古代漢語)における「処分」は単なる“処理”“処置”という意味である。この同じ理由で、たとえば福澤諭吉「脱亜論」の“処分”も同様だ。

 琉球政府編集『沖縄県史』 15「資料編5」(国書刊行会 1989年10月)、「琉球藩処分方之儀伺」(明治八年5月8日付、内務卿大久保より太政大臣三条実美宛、同書24-25頁)。繰り返しになるが、内容は、琉球への侵略(植民地化)やその分割を策したものではなく、当時の清との外交関係を睨みつつ、沖縄に対してどのような政策を採用すべきかを、具体的に(主として行政の立場から)論じたものである。

(高文研 2015年6月)

松島泰勝 『琉球独立への道 植民地主義に抗う琉球ナショナリズム』

2015年12月11日 | 地域研究
 鉄道敷設のためには,膨大な建設費,民有地の買収費,運営費等が不可欠となるが,公債発行,米軍基地返還後の公有地売却益等によってまかなう。 (「第7章 琉球自治共和国連邦の将来像」本書239頁)

 時間的にはこちらのほうが後の出版だが、これは、来間泰男『沖縄の覚悟 基地・経済・“独立”』(日本経済評論社 2015年6月)における、「本気で独立する積もりならこれまで本土の援助を得て行ってきた社会資本整備はどうするのか」と(引用者の記憶によった要約)いう疑問への、偶然ながら部分的な答えとなっている。具体的な試算結果もあればよかったのにとは望蜀だろう。
 ただこの著、「観光植民地から脱却する」(238頁)など、「植民地」という用語をやや広く、比喩的な意味で使っているのはどうだろうかという感想を抱く。「琉球は日本の植民地である」(「はじめに」i頁)とあるが、「日本は〔アメリカから〕本当に独立しているのか」(同頁)ともある。独立していない国家はそれ自体ある意味植民地だとは言えまいか。このでんで行けば“日本は米国の植民地である”と言うことも可能である。そうすれば植民地が植民地を持てるだろうかという、下らぬ揚げ足取りがないともかぎらない。あえて毛を吹いて疵を求むる次第。

(法律文化社 2012年2月)

ロバート・D・エルドリッヂ著 吉田真吾/中島琢磨訳 『尖閣問題の起源』

2015年11月08日 | 地域研究
 出版社による紹介。

 中国の言うことや為すことは全て支持するという醇乎とした慕夏の情を持たれる方々は勿論、日本および米国の肩を持つことは政治的・人道的に正しくないから決して言わないやらないという断乎たる正気(せいき)を有される人々にとっても、これは絶えて読む必要がない本、それどころか排斥すべき悪書であろうかと思う。

(名古屋大学出版会 2015年4月)

西里喜行 『沖縄近代史研究 旧慣温存期の諸問題』

2015年10月23日 | 地域研究
 著者は、「第一論文 旧慣温存期の政治過程」の注71(53頁)で、「脱清行動に参加したのは旧藩支配層の上層部分にとどまらず、下層の無禄士族や『平民』も含まれていた」としたあと、以下に引く琉球政府編『沖縄県史』14(1965年)所収「一木書記官取調書」(1984・明治27年)の記述に基づき、「無禄士族や『平民』の脱清の目的は、むしろ琉球~清国間の密貿易にあったようである」と指摘する。

 本来、脱清の事たる、首領者輩を除くの外は、営利のために企謀するもの多く、名を復旧の運動にとり、その実、彼我往来の間に物品を売買し、大に利潤を得るを常とせり。 
(「一木書記官取調書」、『沖縄県史』14巻、499頁)

(沖縄時事出版 1981年6月)

『琉球新報』「『沖縄、脱植民地への胎動』 「ワッター」の人生歩き出す」

2015年08月25日 | 地域研究
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-247726-storytopic-6.html
 2015年8月23日 9:24. 親川志奈子・オキナワンスタディーズ107共同代表執筆。

 沖縄植民地論あるいは(新)植民地主義論においては琉球処分後の「旧慣温存政策」についてはどう分析評価されているのだろう。

『琉球新報』「『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』 沖縄差別の政策に終止符を」

2015年08月25日 | 地域研究
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-247725-storytopic-6.html
 2015年8月23日 9:22. 前田朗・東京造形大学教授執筆。

 植民地主義から脱するためには沖縄差別を除かなくてはならない。そのため米軍基地を本土(ヤマト)に引き取る必要がある。非武装平和主義者としては、沖縄であれ本土であれ基地はいらない。だから、まず沖縄の基地をなくし、次に本土で基地との闘いに取り組む。

 「在日米軍基地を必要としているのは日本政府だけでなく、約八割という圧倒的多数で日米安保条約を支持し、今後も維持しようと望んでいる『本土』の主権者国民であり、県外移設とは、基地を日米安保体制下で本来あるべき場所に引き取ることによって、沖縄差別の政策に終止符を打つ行為だ」


 後者と前者の言説の関係は? 後者は前者の一過程?

琉球国由来記 - Wikipedia

2015年08月25日 | 地域研究
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E5%9B%BD%E7%94%B1%E6%9D%A5%E8%A8%98

 外間守善・波照間永吉編『定本 琉球国由来記』(角川書店 1997年4月)で原文を確かめてみた。漢字片仮名まじりの漢文体である。もととなった資料の漢字平仮名まじり文の和文体を書き改めたものの由(波照間氏「解説」)。「解説」ではその理由については書かれていない。
 ところで巻21の八重山島の条で、「当島、洪武年間、為御本国轄地」とあるのだが、本当かいなという気もする。まず“轄地”(管轄する土地)という表現が微妙である。そして明の洪武年間(1368-1398)といえば琉球はまだ三山時代で、琉球王朝は第一尚氏すら成立していない。
 この疑問を念頭に、いま引用したくだりの続き「毎年貢物献上、渡海イタシケルニ、其後、大浜村ニヲヤケ赤蜂・ホンカワラトテ二人居ケルガ、極驕〔驕りを極め〕、有叛逆之心〔叛逆の心有りて〕、貢物中絶ケル」を読めば、沖縄本島の権力が伸張してやっとこさ貢物を課せるようになった、そして課したところ、途端に拒否されたというふうにも読める。
 琉球王国(第一尚氏)側からすれば、ヲヤケ赤蜂・ホンカワラの両人はたしかに怪しからぬかもしれない。だが八重山の二人からすれば「勝手なことを言うな」と怒るのもまた当然である。そしてその怒りと反応を「極驕」「有叛逆之心」と表現するのもまた、「御本国」(第一、そしてそれを継いだ第二尚氏)の勝手のあらわれである。